電化センター
僕は正月の昼に、蕎麦を食べた。
タレは、庭で育てた桜大根をおろし、そこにゴマを入れたものだ。
母は「九州では盛り蕎麦なんて食べない」と言う。
それに加えて、僕のことを「東京外人」とも呼ぶ。
午後からは、母と一緒にスーパー「トライアル」へ出かけた。
母のお気に入りの店で、安くて品がいい。
流行の物流コストを徹底的にカットし、格安の価格を実現している。
トライアルのバイヤーが、生産者から直接買い付けているのだ。
なるほど、安いわけだ。
「トライアル」の横小路には、小浜町通りから松原中学校に向かう途中、
かつて「電化センター」というアーケード商店街があった。
その中には、スーパーや魚屋、天ぷら屋などが並び、
小浜楽器の出店もあったと聞く。
レコードやスターのブロマイドを扱っていた店だったと思う。
母がよく出前を頼んでいた蕎麦屋「北海屋」も、そこにあった。
若い主人が北海道出身だったことから、そう名づけられたらしい。
独身で一人暮らしのように見えた。
具には、刻んだ卵焼きが入っていた記憶がある。
「電化センター」があった頃、小浜町通りはにぎわっていて、まるで都会のようだった。
周辺には炭鉱の社宅が広がり、5,000人以上が暮らしていた。
佐賀屋食堂の右手には小浜北社宅の門があり、僕の同級生も何人かそこにいた。
三池炭鉱の爆発事故で父親を亡くした同級生は、覚えているだけで10人はいた。
小浜町通りにはラーメン屋が三軒、うどん屋やお好み焼き屋もあり、
炭鉱社宅の人々の胃袋を満たしていた。
やがて、電化センター内にあったスーパーが火災に遭い、
アーケード全体が消滅してしまったらしい。