ピアニスタ
まぶたの裏でわたしは笑っている
眼をひらこうか
ひらく意味があるだろうか
夢の続きの方が
人生は明るいのに
ピアニスト
というタイトルのフィルムなのである
うらさびれた町でひとりの女のピアニストの演奏会がある
たった一軒あるシネマに
大きなポスターが張り出される
縦書き、明朝、「ピアニスト」
ピアノなど触ったこともない人たちを前に
演奏する
この町に来る演奏者は
ほかにないからね
演奏会には、町じゅうから人が集まった
そして
ピアニストは
演奏会が終わっても町から去らなかった
ポスターには日付がない
ピアニストの一人、住む町
町人のためのピアニスト
政治的な騒動、ぎこちない存在感
ピアニストのまわりで、日々起こるちいさな事件
でもこの町には、ひっそりと静まりかえる午後がある
それは演奏会
ただもくもくと
人が集まってくるピアノの演奏会
ある日の演奏会で
リストの楽曲のワン・フレーズを
ハッと気がついて奏法を変えたのだ
頭の中では、はっきりとピアノの音が聞こえたのに
それが音にならなかった
そのわけを
ピアニストが声にしようとすると、聴き人たちはニコニコ笑って
それがまったく必要ない言いわけと知った
ピアニストは町の中で
孤独で、孤立している
だが聴き人は、ピアニストの音を受けいれる
ピアニストが鍵盤を叩くとき
聴き人はじぶんが楽器そのものであるかのように、鳴るのだから
*
イリゼの間
それはその町のたったひとつのホテルにあるバーの名まえだ
イリゼには雲の形をした大きなカウンターがある
その夜、そのカウンターはいつになく満席に近づいた
座っているのは、どうもみなこの世の存在ではないらしかった
そのうちの一人に見覚えがあったので
その名前でよびかけると"それはわたしではない"といった
まなざしを交わすうちに
その人は棺の形となった
ということは、わたしも死んでいるのか
ここは死んだ人の気が集まるらしいのよと、オーナーがいうので
そうですよ、それはそれはほんとうに、ここにいるのは死んだ人ばかりですと、わたしが応えると、
どうしたらいいかしら、という
お祓いなどする気はなく
何かもっと斬新な世界をイメージしているようだった
上も下もなく拡がり、七色の光の粒子のはじける、時空間へのとびら
カウンター横の空っぽの三角形のスペースに日差しが入り込んで来た
そろそろ、演奏会が始まる
四次元への梯子(2)へ