黒の一族の僕と日常
髪も瞳も漆黒を持つから、黒の一族。
そんな風に呼ばれているこの一族も、正式名称はある。ただ、ここの言葉でも、発音できるその言葉でも聞き取れない上に言語に出来ないから、黒の一族と呼ばせているだけ。
まあ色だけ言うなら、その通りだと思う。随分と時が流れた今では、漆黒の髪の色はそのままだけど、瞳の色は変わってしまっている。
それでも人間という種族の中で、漆黒の髪を持つのはこの一族の血を継いでいる者だけ。黒は、この一族の血を引き継ぐ者でなければ、持たない色なのだから。
そんな僕の容姿は柔らかくうねるような長い黒の髪と、空のような色の瞳だ。
「こんにちはー」
いつもお世話になっている処へと顔を出す。ひょこっと顔を見せれば、
「ああ、ティアちゃん!」
困ったような表情をしている、お世話になっている店主のおばさんがいた。
「どうしました? 困ってるような顔してますけど」
おばさんは困った表情をしながら、顔だけをそちらへと向けた。それを真似るように、僕も顔を向ける。その先に広がっていた光景は、
「あー……。これは何とも派手にやらかしましたねぇ」
無残も無残な、店の備品だろう椅子やらテーブルやらがいくつも破壊された痕だった。
「ティアちゃん、悪いけどまたお願いできるかねぇ」
「もちろん。お安い御用ですよ」
そう言って、僕はふわりと両手を水をすくうような形に柔らかい光を発動させる。バキバキに壊れたそれが空に浮き、繋いでいただろう欠片が一つに付き、本来の形へと戻っていく。
壊れたものを元の姿へ。これは僕が知っている、一族の術だ。
セレスティアというこの地は、魔法という術が当たり前にある国だ。壁の外には人族と呼ばれる人達がいるんだけど、外見に何かしらの特徴を持っている。
外見に何の特徴も持たないのが、人間という種族だ。何も持たない代わりに、その身に大小あれども魔法という術を行使できる源を内に持つ。ただ、黒の一族の使うそれと、セレスティアのそれは根本的に違うみたいだけど。
(物を直す、とかこういう術ないんだよなあ。見てる世界も違うっぽいし)
それにセレスティアの魔法は熟練度が必要らしい。らしい、っていうのは、僕は黒の一族が故にそっちを使うから。一族に伝わる、っていうのがあるんだよね。
もちろんセレスティアの人間には絶対に使えない。
「――あー、ありがとうね、ティアちゃん」
無残に壊されたお店の備品が元通りになり、ホッとするおばさん。買い替えるのもお金かかるし、届くのも時間がかかるしね。
忌み嫌われる一族である僕に対して、出会った当初から変わらない態度を見せる数少ない人だ。内心僕をどう思おうが、それだけは事実だから、一族に伝わる術を使う事に抵抗はない。
「それにしてもご無沙汰だね、どうしてたんだい?」
「あはは。毒食らってました」
事実なので、笑って言う。毒食らってたのは本当。やっと動ける程にまで身体から抜けたから、ここに来たんだよ。
「毒って……相変わらず物騒なところだねぇ。よく見れば、まだ顔色も悪そうだ」
そう言って、おばさんは僕の顔に触れる。それに、僕は苦笑する。
僕に二つの姓があるのを、おばさんは知っている。その二つの姓の意味も、だ。
それがあるが故に、どういう扱いをされているのかも。
「さぁさ、席にお着き。今日は体にいいものを提供させてもらうよ」
僕は小さく笑った。
「……ありがとうございます」
ティアルナ・リーファ・エアルドレッド。――そして、ティアルナ・ブライトネス。
二つの姓を持つのは、僕なものくらいだろう。
何故、二つも持つのかといえば、一つは黒の一族の姓だからだ。壁の外の世界でさまよいながら暮らしていた時は、黒の一族の姓を名乗っていた。
ティアルナ・ブライトネス。――ブライトネスという姓が、黒の一族という証。
もう一つの姓はミドルネームにエアルドレッドだ。
……言いたくないけど、これはこの国の王族の姓だ。今の王族の血を持つ者が名乗る事を許される。
残念ながら王族の姓に関係する記憶もなければ、この国に何の所縁も感慨もない。王家の血を継ぐ者なら必ずってほど出るらしい外見的特徴も何一つ持ってないし。
僕の血筋は母が黒の一族だった。うねりのある漆黒の髪と空を思わせる水色の瞳――そう、僕と同じ。この国では母を知る唯一であり、ここの王である男から言わせてみれば、僕は母そのものだと思わせてしまうくらいには生き写しらしい。
赤子の頃に亡くなった母と生き写しは嬉しいけど、それにまつわるごちゃごちゃは勘弁。この国の王が唯一愛した者が僕の母だったらしいけど、王家の色なんて一つも現れなかったんだからほっといて欲しい。
黒の一族の色だけを持って生まれた僕は、出生の疑惑があるらしいけど、国王がそれを一蹴している上、裏ではそれを口にした者共に暴虐の限りを尽くして粛清しているとも聞いている。
僕にしてみればどうでもいい、が本音だ。国王も、この国の貴族と呼ぶ領地と金持ち連中共も、数多く存在する何の地位もない者も、人間という種族そのものが敵でしかないのだから。
「……」
にしてもバカだよなぁ、あの国王。
唯一愛したー、とかはっきり言っちゃうから、自分の王妃も、側妃も――公娼さえも抱える女共、誰も愛してなどないって宣言しちゃってるじゃん。
王族の血を残すだけの事のために単なる義務で子作りした、と言ってるようなもん。自分こそ王に愛されてる、と無駄に自信過剰な女共のプライドズタズタにしてるし。そうじゃなかったと知って、何をやるかなんて女の世界なんてドロドロしてるのに。
母の子供の僕を脅威からどうにかしたかったんだろうけど、逆効果になっちゃってるのが分からないもんかな。男だからか分からないのか、アレ。
おかげさまで毎食、ほぼ毒入りのものだし、差し出されたものは何があっても口に出来ない。一族に伝わるそれを自分にかけてるから、それかそうでないかは見ただけで判別出来るし、口にしても死にはしないけど。
それでも口にすれば抜けるまで苦しむ事は変わりないし。
(……回復はしたけど、まだ残ってるなー)
全ての人間が敵なようなものだから、誰が毒を仕込むのは分からない。けど、一族に伝わるそれを自分自身にかけてるのにここまで体に残ってる上、気分悪くなるのは高位のやつの仕業だろうなー。女の嫉妬面倒くさい。
ちょっとぐったりして、テーブルの上で突っ伏していた。その時、コトンと音がして、少し顔を上げる。
「……ありがとうございます」
苦笑しながら、その人はそれを持っていた盆を胸に抱いて、そこにいた。この店の手伝いをしている、おばさんの娘さんだ。
湯気が上がるそれは、温かい飲み物だった。
「……解毒作用のある実なんて、よく手に入れられましたね」
小さい、指先ほどの赤い実が入っているのを見て、僕は言う。遠慮なく解毒作用のある実が入ってるお茶を口にする。
「あら、よく知ってるわねぇ。相変わらずの博識ね、ティアちゃん」
「知識がなければ生きては来られませんでしたから、ね。それだけ壁の外は中より過酷な世界でしたから」
そう、外は過酷だ。だからこそ壁を壊そうとするその考えが分からない。中にいた方がよほど安全だろうに。――セレスティアの民なら。
ちなみに僕は中だろうが外だろうがどっちも変わらない。しいて言うなら、外の方がよほど安全と言えるかな。少なくとも毎回毒の入ったそれを差し出されるなんて事はない。
「美味しいです。シーナさんの淹れるお茶は」
ほんのり甘くて、美味しい。僕が同じ茶葉を使って淹れたとして、同じものにはならないだろう。解毒作用のある実は無味無臭のものだから、味を邪魔しないし。
「……」
褒めて無言になったものだから、そちらの方へ目を向ければほんのり頬を染めてニコニコしていた。
娘の事を褒められて、嬉しいと表情に隠さないおばさんも一緒に。
僕は小さく笑って、残りのお茶を飲んだ。底に残る解毒作用のある実を口に含んで、嚙み砕きながら。
(……温かい人達)
解毒作用のある実はお茶に沈めるくらいなら味の邪魔はしない無味無臭のものだけど、噛み砕くと少しの苦みがある。今度は何も入っていないお茶を差し出され、苦みを流すために頂く。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
苦みを流すお茶を飲んでいる時、食事が運ばれてきた。目の前に置かれ、運ばれてきたそれは甘みのある穀物をすり潰し、スープにしたそこにパンを浸し、柔らかく煮込んだパン粥と呼ばれるものだった。
病人とかあまり食欲がない人向けのものだ。
木を使ってくり抜いたスプーンを手に、それを口にする。……ああ、毒のない食事って幸せ。
「ティアちゃん、今日はどうするかね? 帰る際にいつも持って行ってもらってるけれども」
「あ……。そうですね」
僕の食事は朝は何も食べないか、たまに口にする栄養価の高い木の実か、が多い。
昼はここで食べて、ここで作ってもらったものを持ち帰って夜食べる、が基本のルーティンだ。一人、壁の外で生きてきた事もあって、自分で食べる物ぐらい作る事は出来るんだけど、あのアホバカ男のせいで取り上げられた上に禁止された。
王宮に住む以上、格が何とか~とか王に近い誰かが説教してきたけど、何処吹く風でしかない。そもそも今だってそんな自覚もない。持つつもりもないし。
生きるために自分で得た手段を禁止され、女共の醜い嫉妬から持ってこられた毒入り食事が、通告されたその日から始まった。
最初は、食べていた。――ほんの少しだけ。
生きていくためにかけている一族に伝わるそれがあったとはいえ、朝昼夜と時間をほぼ置かずに毒を摂取し続ければ、さすがの僕でも命にかかわる事くらい知っている。
最初のものを見ていた誰かがいた事は気付いていたし、知ってもいた。最初の量でどうともならなかったのを見ていたのだろう、食事にはそれから徐々に毒の量が増えたものが出され続けた。それこそ致死量という量を盛られ続けた。
(……死ね、ってか。人間って種族は醜いな)
出され続けた食事を口にして、身体はどんどん悪くなっていく。王宮などあのバカ国王の宣言やこの身の姿のせいで、元から安全と言える場所でもなんでもない。
分かってないのは守った気になっている頭がお花畑の国のトップとその他のバカどもだけだ。
『……』
――倒れれば、それを好機と命を消そうと本格的になるのは分かっていた。一人、王宮を抜け出して、王都の薄暗い道をふらつきながら歩いた。
当然、そこまで追手もよこされた。よこされた追手を手加減など考えられもしなかった、力任せで内に秘めている力を使って地面に押し潰した。
追手がどんな姿になっているのかすら、気にも出来なかった。
『……っ!』
一人と、複数。何人いたのか、僕は把握出来るほど、頭は働かない。盛られ続けた致死量の毒のせいで抵抗すら厳しくなっていた。腕を掴まれたその時、嫌に頭は冷静だったのは覚えてる。
ああ、ここで死ぬのか――と、そう。
『――こんな小さな子供に何してんだい!!』
……その時に出会ったのが、ここのおばさんだ。
僕の腕を掴んだ追手の顔面に、箒を叩きこまれた様を、僕は茫然として見ていた。
人間の急所はいくつもある。その急所の一つである顔面に箒とはいえ、力いっぱいに叩きこまれれば、さすがの追手も怯む。赤くなった鼻を片手で押さえながら、距離を取る姿が見えた。
『なっに……しやがる、ババァ!!』
『我らは王の側室の使いぞ、その子供を引き渡してもらおうか』
気付けば、おばさんの背に庇われていた。いつの間にか沈んでいた両ひざに気付けなかった、囲うようにおばさん以外の複数の誰かがいた事も。
『ふんっ、王の側室だかお偉いさんだか何だか知らんがね、それがどうした? アタシ達、裏の者に王の何たるかが関係あるのかい』
裏……その一言で、察するしかなかった。
外だろうが、中だろうが、日の当たらない場所は何処にでもある。その裏に入っていたのか、と。
『後ろめたい役をやってるアンタらなら少しは知ってんだろ? この国の裏は弱肉強食、よそから入ってきたお尋ね者は――』
おばさんの口元がニヤリと歪む。
『排除一択だよっ!! ――やっておしまい、お前達!!』
『おうよ、おかみさん!』
勇ましい声が次々と上がる。裏とおばさんが言ってるだけあって、なかなか体格が立派な男の人ばかりだった。
側室の追手なんてやってるからか、その人たちに比べれば細く見えた。拳一つ振り上げられれば、まるで容易に吹っ飛ぶ姿がいくつも見えた。
(この国の裏は弱肉強食、か。……強くなきゃ生きられない場所なんだな)
毒で回らない頭の中で、ぼんやりとそんな事を思っていた。その時だった。
『! ――危ない!』
立ち上がる、力はなかった。
飛び上がり、暗器を手におばさんを狙う追手の姿が映る、僕は咄嗟に地面に手を叩きつけた。地に伝わせるように内に秘める力を流し、黒い影を実体化させ、空を飛んでいた追手を捕らえる。
『ぐっ!? な、なんだ、これは』
ギリギリと抵抗できないように、締め上げる。
『アンタ……』
『……ごめんなさい、後で直します!』
遠くへ投げるように、建物の壁を破壊しながらそれを操作する。ガラガラと追手と共に崩れていく壁に激突させ続けていく、勢いつけて数人の追手にぶつけて倒した時にはもうすでに意識はないように見えた。
おばさんが笑みを浮かべるのが見えた、けれど、
『っぐ……、ガハッ!』
そんな気を回すことなど、もう僕は出来なくなっていた。胸から湧き上がってくる、首元を自分の手で押さえた。
『ゴボッ、ゴホゴホッ』
逆流してくる血を、口から大量に吐いた。苦しい、咳をするたび、血は僕の口から吐き出される。血の味しかしない、地面の上が赤く染まっていく、
『……っ! っこんな、こんな子供にいったい何をしてんだい、王宮というとこやらはっ!』
ぼんやりと、そんなおばさんの声を遠くに聞いた。体の、力が抜けていく、
(……ああ、死ぬかな、ぼく)
ティア……。……ティアルナ。
(……おかあ、さん)
どこ、いくの。ひとりで、どこに、いってしまうの。
ぼくを、ひとり、おいていくの。