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第三世界  作者: EMR
28/30

エピローグ 3


 

 ひまりの目が薄く開いた。

「ひまり!?」

 私は涙を拭ってひまりの手を取る。

 ひまりは私の存在に気付いたようで僅かに口角を上げる。その唇が微かに動きをみせるが、ひまりの意志は声にはならずに消えてしまう。

 寂しそうなひまりの瞳に薄い涙が浮かぶ。ひよりさんは優しく娘の頭をなでるとそのままおでこにキスをした。するとひまりは恥ずかしそうに目をきゅっと閉じる。こぼれた涙が耳をかすめて枕に落ちる。

 ころころと変わる表情。そうだ、ひまりはまだ生きているのだ。残された時間で私には何ができるだろう?

 こんな時に限って言葉が見つからない。

 再び開いたひまりの目が私を見た後に棚のC2TDに視線が移る。

「……!?」

 そうだ、意識レベルが保たれていれば身体が動かなくても楽園での意思疎通は可能。

「ひよりさん!ひまりに、C2TDを使わせてもいいですか!?」

 答えを聞くよりも早く私はC2TDを手に取り起動させる。

「もちろんよ。使ってあげて」

 ひよりさんの許可を受け、2人で協力してひまりにC2TDをかぶせる。

 私は壁掛けの立体情報端末の電源を入れるが、途中で考え直して病室を飛び出す。

「ひよりさん!私も!C2TDを使ってひまりと会ってきます!」

 言い残して駆け出す。

 病院内を走ってエレベーターへ。良くない事だが、前にもこんなことがあった。あの時は大学のラボまでひまりを追いかけたが、今回もそうだ。家に帰るよりもラボに行った方が早い。

 エレベーターを降りて出口へ走る。焦る気持ちが先走り、途中で防火扉の小さな段差に足を取られる。

 ただでさえ院内を走って目立っていた私は派手に転んでさらに周りの注目を集めてしまう。

 こんな小さな段差に捕まるなんて、いろんな意味で笑えない。

 私はすぐに立ち上がって再び駆け出すが、ずきずきと膝と鼻が痛む。確認して、膝は特に問題なかったが鼻に当てた手を見ると血がついていた。

 笑えない。そう思いながら走る私の目にガラス扉に反射した自分の笑った顔が映った。

 鼻血を流しながら私は走る。

 周りからはとても奇異に思われただろう。



 ラボに到着してC2TDを起動させる。

 従来型のC2TDにはログイン時に外見データの更新をすることができる。焦っていた私はその更新設定を切ることなくログインしてしまった。

 ひまりの現在位置を確認して移動する。ひまりを初めて楽園に連れてきた場所。音華の家の近くの崖だった。

 強制ログアウトされ、元の場所が更新されて初期位置に戻されたのだろう。

 私が来るまでの数分間、ひまりは海の見えるこの場所でひよりさんと立体情報端末越しにお話ししていたようだ。

 ひまりのC2TDから意識レベルを確認するが、ぎりぎり使用できているレベルで思考加速は使えそうにない。

 私の気配に気付いたひまりはひよりさんにまたねと言って通信を切る。

 振り向いて私を見るひまりはすぐさま驚いた表情に変わる。

「き、京香ちゃん!?お、お鼻!どうしたんです!?」

「お花?」

 一瞬何のことか分からなかったが、ひまりの前には鼻血を止める為に鼻栓をした私が立っていた。

「ああ、これね。気にしないで、大したことじゃないわ」

 鼻栓をスポンと抜いて空中に投げ捨てる。現実の体ではまだ鼻血は止まってないかもしれないがこの世界では鼻血は流れない。

「き、気になりますよ?さっきまでは何にも無かったのに」

 心配そうにじっと見つめてくるが、人の心配をしている場合じゃないだろう。

「残念だけど、ひまりにだからこそ言えないわね」

「そ、そう言われると余計に気になっちゃいます」

 確かにそうかもしれない。

「でも、死んでも言えないわ」

「し、死んでも…ですか……」

 私はひまりと手を繋いで近くの木陰に座る。

「………」

 沈黙。

 いざ顔を見合わせると何を話せばいいのか迷ってしまう。

「……旅行…。途中になっちゃいました…」

 申し訳なさそうにてへへと笑うひまり。

「そう、ね」

 これから何度でも気軽に行けると思っていた。でもひまりは違う。自分の命が長くないことを知っていて、これが最初で最後と、いや、行けるかどうかも分からないと覚悟したうえで日々を過ごしていたのかもしれない。

 どうして言ってくれなかったのか。

 言ってくれていたら、何か違ったのか。

「で、でも私、さ、最後まで、楽しかったです…」

 最後まで…。

 私も、ひまりとの時間は楽しかった。研究にのめり込む私に輝きをくれた。

「い、今だって、本当の体は苦しくて、動かないけど、ここでは、元気です」

 それは終末期医療としての精度の高さだ。ひまりが感じ取る感覚は楽園に接続されている間は楽園の感覚が優先される。

「ひまりは、覚悟できてるの?」

 意地悪な質問だ。

「で、できてま、すん」

「どっちよ?」

 自分がその立場になった時、覚悟なんてできないだろう。たとえ子供の頃から長く生きられないことが分かっていたとしても、覚悟なんてできない。

 でも、ひまりにはその時が来た。来てしまった。

「……できてないです」

 努めて気丈に振る舞っていたひまりは涙を零す。

「で、できるわけないじゃないですか!…でも、私が悲しんでるとパパとママはもっと悲しそうにするんです!ずっとずっと、迷惑をかけてきて、お、親孝行なんて何一つできてません。せめて、最後は泣かずにお別れしたいんです」

 感情に息が上がるひまり。

「ひまりはそれでいいの?目の前の死を受け入れるの?」

「う、受け入れるしかないじゃないですか!……どうにもならないんです…。わ、私だって、もっと生きていたいです…」

 項垂れるひまり。私はひまりを苦しめる為にここに来た訳じゃない。

「私だってイヤよ!」

 私の方にこそひまりを失う覚悟なんてできていないのだ。

 隣に座るひまりの肩を強く抱く。

「ひまりはこの楽園は好き?」

 分り切った質問。ひまりは泣き顔できょとんとする。

「す、好きです。…沢山の思い出を貰いました。私にとってここは本物の世界、です」

 そうだ、ここには沢山の思い出がある。

「だったら、私がひまりをこの世界に転生させてあげる」

「……?」

 転生と言う言葉は適切ではないかもしれない。

「……ど、どういう意味です…?」

 人間の意識を楽園に移動させる。現在C2TDを利用して意識を楽園に接続する通常の方法ではなく、楽園に接続された意識をそのまま楽園に定着させる方法。

「音華の家のモルモット。あの子達が本物だって話したこと、憶えてる?」

「は、はい…。京香ちゃんの、研究成果、です」

「そう。……あれはね、本物のモルモットをこの楽園に転生させたものなの」

「……?」

 今も音華の家に居る5匹のモルモット達はマスターワールドから連れてきたが、今もC2TDを使って接続されている状態ではない。

 中学時代の私の研究。

 現実世界の人間の意識をデジタル空間へ移植する研究。

 意識のコピーではなく、現実の身体を捨ててメタバースへ移り住むこと。

 研究が完成すれば人はマスターワールドの体と引き換えに楽園で永遠の命を手にすることができる。

 幼い私の狂気じみた研究だ。

 老いたモルモットを使った実験はすべて成功した。実験終了後のモルモットの身体は意識の無い植物状態となり半年から2年の間生き続け、死亡した。が、この楽園でのモルモット達は今も元気に過ごしている。

 C2TDによって楽園に接続されている間現実の身体、脳はただの計算処理の補助装置でしかなくなる。意識を仮想空間に留め、現実の脳が行う処理までデジタル化して意識を完全に分離することでデジタル空間への移植が完了する。

 意識の、魂の移植に私は成功しているのだ。

 研究理論も実験成果も申し分なく、祖父にも称賛されたが倫理的に今はまだ早いと無期限の研究停止となっていた。

 当然、人体実験、実証実験は行うことができていないが、理論上、可能であると結論している。

「私が研究していたのは人間の意識をデジタル空間に移植すること。あのモルモット達はその途中の実験で生まれた副産物。技術は確立されているわ。ひまりが楽園で暮らすことを望むのなら、私にはその望みを叶えてあげることができる」

「こ、この世界に…?そ、そんなことが、できるです…?」

「言ったでしょう?研究者は未来を切り開く仕事なんだから!」

「わ、私、い、生きてて良いんです…?」

「良いに決まってるでしょう!?ひまりが死ぬなんて、私が認めないんだから!」

 大粒の涙を流してひまりは私に抱き着く。

「わ、私!生きていたいだすぅ!し、死にたくないですよぉ…!」

「大丈夫!必ず私があなたを楽園に連れてきてあげるから!」

 私もひまりの身体を強く抱きしめるが、私の目にはもう涙は無い。

「少しだけ待ってて。全部終わったら、旅行のやり直しをするわよ」

「は、はい…また、行きたいです…」

「うん、また行こうね…」

 ひまりの意識レベルが低下してきている。まだ大丈夫、睡眠の兆候だ。

「………」

「おやすみ、ひまり」

 ひまりをログアウトさせて見送る。

「……ふぅ…。よし!」

 私は気合を入れて音華の家まで飛んで行く。

「音華!?居るわよね?」

 玄関からリビングまでノンストップで入り込み音華を見つける。

「お、お姉様!?」

 ソファーで寛ぎながらテレビを見ていた音華。

「エリア3315を隔離、思考加速12倍を実行」

「へっ!?は、はいでス!エリア3315を隔離、思考加速を…?12倍!?だ、ダメでスよ!お姉様に負荷が掛かりまス!」

「お願い!今すぐやって!!」

 基本、思考加速はエリアの所有者が管理するもので、強制的な権限を発動しない限り私にはできない為音華にお願いしている。

「は、はい!?12倍、加速するでス!」

 音華はコンソールを操作して思考加速を12倍まで引き上げる。

「ありがとう」

「お、お姉様?あまり無理はしないでくださいネ…」

 私の心配をしてくれる音華にひまりの状態と転生させる計画を簡単に伝えて協力を求める。

 音華は少し黙って考え込む。

 私は音華に協力してほしいけど、この計画に手を貸すと不法行為を問われる可能性もある。しっかり考えて答えを出してほしい。

「そこまで弱々人間だったとㇵ…」

「私はマスターワールドの身体を捨てさせてでもひまりを楽園に転生させたいと思ってる。協力してくれる?」

 珍しく真面目な顔をする音華。

「…私、あの子が夜中に独りでログインしてたの知ってたでス。終末期医療って、そんな使い方してたでスね…。了解でス!音華にできることなら何でも言って下さイ!」

 力強い返事に一安心する。

「よかった、ありがとう。助かるわ」

 ソファーに座って計画をまとめる。

「タイムリミットはひまりの意識レベルがC2TDで拾えなくなるまで。明確に設定できないけど、1週間持たない事から逆算してもせいぜい3日から4日程度。昏睡状態になった場合、最悪薬物で一時的に覚醒させることも視野に入れて計画を進めるわ」

 話しながら過去の研究データを集めてテーブルの上に並べる。

「楽園をフル活用すれば48日ほど時間がある。でも、マスターワールドの移植装置を小型C2TDに取り付ける為の調整も必要だから…」

「お姉様、長時間の12倍加速はお姉様ガ持ちません。私はともかく、お姉様にㇵ睡眠も必要でスよ?」

「うん、わかってる。だから、分担できるところは分担したいの。音華には長い時間働いてもらうことになるけど、大丈夫?」

「もちろんで~ス!お姉様の研究補助ㇵ音華の役目!遠慮せず命令して下さイ!」

「そうね、遠慮なんてしている場合じゃないから覚悟してねw」

 少し悪い顔で笑ってしまった。

「うっ…!」

 音華の協力が得られて少し余裕がでてきた。

「ふふっw頼りにしてるわよ」

「ほ、ほどほどで、お願いするでス~」

「まずは研究データの見直しね。理論と実験結果を多角的に見直す必要があるわ」

 失敗は許されない、可能な限り検証する必要がある。

「それから移植装置も小型C2TDで動かせるようにしないといけないわ。装置の調整はマスターワールドでするとして、プログラムも少し書き変えないといけないわね。私は先にプログラムを書き変えて移植装置の動作検証を進めるわ。音華は研究データの見直しをして、気になった部分をまとめておいて」

「了解でス!」

 音華のまとめを見て、私も研究データの見直しをする。それから、マスターワールドで機材の調整をして…。

「あと一手欲しいわね…」

 成功確率を上げる為にはひまりのバイタルを精確に読み取り看視することも重要だ。作業の合間に確認することはできるが作業の確度を落とす訳にもいかない。

「もう少し協力者が欲しいということでスか?」

「ええ、あと1人。ひまりの看視ができるACP、ただ、計画を秘密にできる人ね」

 お祖父様に計画を知られたら止められる可能性がある。音華以外に、こんなことをお願いできるACPが居ない。AIに監視させる方法もあるか…。

「あいつなら、お姉様のお願いを聞いてくれるかもでス」

「誰か心当たりがあるの?」

 私の質問に音華は苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「はいでス。本当は紹介なんかしたくなかったでスが、ひまりの為に苦汁を飲みましょう」

「そ、そう…。ありがとね…」

 音華がその誰かにメッセージを飛ばした数秒後、家のチャイムが鳴る。

 音華が招き入れ、リビングに通された少女にはどこか見覚えがある。

「き、京香お姉様、お初にお目にかかります。柊縁陀と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 丁寧な挨拶に上品な仕草で礼をする彼女は音華が出席した会議で音華のツインテールを引っ張り回した子だった。画像で見た少女とは印象が違って見えるが、どうやら同一人物のようだ。

「京香お姉様…?」

 無言で見入っていた。

「あ、ああ、ごめんなさい」

 それにしても、この子にもお姉様と呼ばれるのか。

 音華に呼ばれるのは分かる。小さい頃からの付き合いで姉妹みたいなものだ。教育する立場にもある私は姉と呼べるだろう。

「コイツ、お姉様のファンなんでス」

 耳打ちする音華を引き剝がすようにどかして距離を詰められる。

「どうぞ私のことは縁陀とお呼びください」

 音華のことも親しみを込めて呼び捨てにしている。初対面だが音華と仲が良さそうな彼女のことも遠慮なく呼び捨てさせてもらおう。

「それじゃあ、よろしくね縁陀」

「はい♡よろしくお願いします、お姉様♡」

 妙な寒気を感じた。

 簡単に挨拶を済ませて研究データを広げたテーブルを囲んで座る。

 私はこれまでの経緯を話して協力を求めると縁陀は二つ返事であっさりと承諾してくれた。

 音華は早速研究データの見直しに入ってくれている。

「しかしお姉様。12倍の思考加速はいただけません。マスターワールドでのお体に障ります」

「分かっているわ。でも今は無理をしてでも計画の成功率を上げたいの」

「お考えは分かります。ですが、計画の最終工程はお姉様が直接ひまりさんのC2TDに細工する必要があります。看護ロボをハッキングしても私達にC2TDを細工する挙動は取れません。どうかご自愛ください」

「ええ、そうね。縁陀の協力も得られたことだし、少しは休息をとるつもりよ。でも、一段落つくまではこのまま最大加速を使わせてちょうだい」

「分かりました。お姉様のご意向を尊重させていただきます。ですが、万一のこともありますのでひまりさんのバイタル看視と並行してお姉様のバイタルも看視させてください。お姉様のC2TDへのアクセス権限を頂けますか♡?」

 謎の寒気を感じたものの、安全策には良いかもしれない。私はアクセス許可を出して縁陀をリアルタイムに見送り自分の作業に入ることにした。

 


 現実時間で二日が経った。

 少しの睡眠を挟みつつ楽園で約3週間の研究期間となった。

 プログラムは完成し動作検証は十分。研究の見直しにモルモット達に対する追加調査もやれるだけやった。縁陀の第三者視点での意見も聞き取り、死角はない、はずだ。

 私は音華に繰り返し検証をお願いしてマスターワールドへ戻る。

「ふぅ…」

 ラボで目が覚める。

 計画が順調に進んでいて安心する。

 あとは移植装置を小型C2TDに接続できるように調整してしまえば準備は完了だ。

「京香お姉様。シナリオ17~19を作成しました。確認お願いいたします」

 等身大の縁陀が出迎えてくれる。

「ありがとう、ひまりの様子は?」

 縁陀が書いてくれているシナリオとはひまりの魂を楽園に移植する時、病室にひまりと私以外が誰も居ない状況を作りだすためのシナリオだ。

 ひまりの状態、病院側の処置状況、ご家族の来訪の有無に時間帯。様々なパターンを想定して計画を確実に遂行できるように事前にシミュレートしている。

 病院設備や公的施設へのハッキングなどを想定しているものもあるが、できる限り穏便に事を進めたい。

「はい、ひまりさんの容体は依然として低い水準を彷徨っています。主治医の見立てでは今夜から明日にかけてではないかとのことです」

「今夜…!?」

 想定よりも早い。

 こちらの準備は順調だが、問題はひまりの意識レベル。準備が出来次第動いたほうがいいのかもしれない。

「分かったわ。縁陀はひまりの看視、引き続きお願いね」

「かしこまりました」

 丁寧なお辞儀をして消える縁陀。

 思考加速の中研究に没頭している間に薄れていた焦りが蘇る。

 移植装置を調整する手に汗が滲むが妙に冴えた頭で作業を進める。

 主治医の見立てが出た以上、今夜ひよりさんはひまりのそばから離れないだろう。

 この作業はすぐにでも終わる。接続端子を取り替えて動作の確認をするだけだ。

 時計を見る。16時になったばかり。

 私は決断する。

 作業を終わらせて縁陀のシナリオを確認し、音華に伝える。

 これから計画を実行すると。



 18時、外来の時間が終わり、面会時間も終了して一般の面会者も病院を後にする。入院患者への夕食の配膳が看護ロボによって行われる中、私はいつもの白衣を身に着けて病院に入る。

 縁陀からひまりの病室の状況を聞くと、ひよりさんは帰っていないとのこと。つい先ほど電話があり、その内容からひまりのお父さんもこれから病院に来るらしい。今晩は家族3人で過ごすのだろう。両親が揃った場合のシナリオは病院側に大変な迷惑をかけてしまうようなモノばかり。穏便に計画を進める為には今実行するしかない。

 ひまりの病室近くのトイレに入る。

「縁陀」

 小声で縁陀に話しかけると着けてきたイヤホンから同じような小声で縁陀が答える。

「はい、京香お姉様。シナリオ6、ナースコールと看護ロボをハッキングする手法を推奨します」

「ええ、そうしましょう」

 病院に迷惑をかけてしまうことに変わりはないが、比較的に軽微な、いたずら程度の迷惑で済むシナリオ。

「他の患者さんのバイタルチェックも忘れないでね」

 いたずらで済まないような事態を避ける為のフォローも抜かりない。

「了解です」

 縁陀がハッキングを開始する。

「音華、戻ってきて」

 加速空間に残っている音華を呼び戻す。

「はいでス~!お姉様!」

 耳元に元気な音華の声が近づいてくる。

「研究の方はどう?」

 マスターワールドに戻って約2時間。音華には約1日かけて追加で検証してもらった。

「はいでス!現状、理論は完璧で~ス!あとㇵもうやってみるしかないでスね!」

「うん、ありがとう、お疲れ様。今縁陀がハッキングを始めたわ。シナリオ6で、音華は予定通りひまりの移植サポートをお願いね」

「おけでス!お任せ下さイ!」

「京香お姉様、準備完了です。看護ロボを突入させます」

 患者への配膳途中だった看護ロボが数人分の食事を持ったまま527号室に入っていく。ひまりは既に食事を取ることができない体で点滴を受けている状態、当然ひまりの病室に食事が届けられることはない。

 病室の立体情報端末越しに中を確認する。もちろんこちらの姿は表示させていない。

 ひよりさんはずけずけと入室したロボットに動揺した様子だがすぐに落ち着いてナースコールに手を伸ばす。

 しかし、返事はなく看護師もやってこない。

 ひよりさんは渋々看護ロボの非常停止ボタンを押して動きを止めると食事が入ったカートとロボットをスタッフステーションまで引っ張っていく。

 現在、このフロアのスタッフステーションには誰も居ない。ナースコールや看護ロボは縁陀にハッキングされ、看護師やスタッフ達の行動も縁陀にコントロールされている。

 せいぜい数分間だけだがそれで十分だ。

 病室には眠っているひまりが1人。

 急いで忍び込み小型C2TDに移植装置を取り付けて起動する。十数秒で読み込みが終わり準備は完了。バイタルは正常値から大きく下回っているが安定している。ひまりにC2TDをかぶせて呼びかける。

「ひまり!起きて!」

 ひまりの身体を揺らしてほっぺたをつねる。

「………」

 ひまりの反応が無い。

 私は大学の研究室から拝借した気付け薬をひまりに嗅がせる。

 身体がぴくっと反応してひまりは目を覚ました。気付け薬で起きてくれて良かった。強い薬物での意識覚醒はそのまま意識障害につながる可能性がある。

「………ぅ」

 ひまりの唇が確かに動き、音にならない声で私の名前を呼んだ。

「ひまり、準備が出来たわ。今からあなたを楽園に転生させるからね。覚悟はいい?」

 私が微笑むとひまりも微笑んで頷く。

「音華、お願い!」

「了解でース!転生処理を開始するでス!」

 ひまりの意識が落ちる。

 私はひまりの手を握って処理が終わるのを待つ。想定では1~2分程度。しかしとても長い時間に感じる。装置にエラーは出ていない。一安心だ。この処理が終わればひまりの身体は抜け殻となり、ひまりはある意味人類初の不老不死の存在となる。

 安堵感からか眠気がどっと押し寄せる。

 まだ眠ることはできない。

 処理が終わったらC2TDを外して、移植装置も外して…。

 すぐにでも戻ってくるひよりさんに、今来た風を装う…。

 データ化されたひまりを、ラボのメインフレームで展開して……。

 …ひよりさんに、今回の件を説明するのは、少し時間を空ける必要があるだろう…。

 …黙って強行したことを、謝らないといけない…。

 ……ひよりさんは喜んでくれるだろうか…?……悲しんだり、怒ったりするかもしれない……。

「ーーー!ーーーーーーー!……ーーー?ーーー!?」

 ………。

 音華が呼んでいる…?

 ああそうだ、処理が終わったんだ…。

 私は立ち上がる前に意識を失ってしまった。



 知らない病室で目が覚める。

 僅かな痛みを感じた腕には点滴が刺さっている。重たい身体を起こすとひまりの小型C2TDが窓側のベッドサイド、椅子の上に隠すように置いてあることに気付く。

 カーテン越しの外は薄暗いが、小鳥のさえずりと共に蝉の声が聞こえてくる。

 朝までぐっすりと眠ってしまったようだ。

 私は自分の携帯端末を探したが見当たらなかった。

 C2TDには移植装置が付いたままで、それを確保しようと手を伸ばすが届かない。

 点滴で固定されて思うように身動きが取れないのだ。自分で針を抜くのは怖くてできない。ナースコールを押そうとした時、病室のドアが開く。

「……おや?おはよう。随分と無茶をしていたようだね」

 現れたのは祖父だった。

 お祖父様は移植装置の存在を知っている。今、すぐそこにあるC2TDに取り付けられていることに気付いているだろうか。できれば気付いてほしくはないが。

「おはようございます、お祖父様…。今、何時ですか?」

 この病室には時計すらない。お祖父様は腕の時計を見て答える。

「うん、6時を過ぎたところだね…」

 かなり早い時間帯だ。もしかするとずっと一緒に居てくれたのかもしれない。

 お祖父様は私の頭をにぽんぽんと優しくたたいて窘める。

「丸一日以上、ずっと寝ていたんだよ。ろくに睡眠もとらずに思考加速を続けていれば、こうなることもあると分かっていただろう?」

 丸一日?

 限界まで思考加速した弊害だ。

 しかし怒ることはなく優しく言い聞かせてくれる祖父。お祖父様にとって私はいつまでも子供なのだろう。

「ご、ごめんなさい…」

 その口ぶりからは12倍加速や移植装置のことには気付いていないように感じた。

「落ち着いて聞くんだよ」

「…?」

 お祖父様の大きな手が私の手を優しく包む。

「昨日未明、黒田ひまりさんが亡くなられたよ…」

 その言葉にピクリと身体が驚く。呼吸が早くなり冷や汗が滲む。

「17才。まだまだ若いのに、残念だったね」

 だが涙は流れなかった。覚悟ができていた。いや、そうじゃない。ひまりは今も生きているのだから。

「…大丈夫かい?」

 祖父の穏やかな声に私は小さく頷く。

「私は大事な手続きで東京へ行かなければならない。もうすぐ祖母さんが来るから、少しゆっくりとしていなさい」

「………」

 再び頷く。祖父は私の頭を撫でた後に病室を出て行った。

 ベッドに横になる。

「…ひまり……」



 その後、祖父の言葉通りお祖母様が迎えに来た。

 昨日行われたお通夜には行けなかったが、葬儀に参列するために一旦家に帰り制服に着替える。

 移植装置は正常に処理を終えたようで、ひとまず安心した。ひまりはこの装置の中に眠っている。私は移植装置をベッドの上に大切に置いて家を出る。

 私の携帯端末は祖母が着替えと一緒に持ち帰ったままで充電切れしていた。移動中に母の車で充電する。

 葬儀場に着いた時にはもう出棺の準備がされているところで、親族の方がひまりが眠る棺をお花で彩っていた。

 小規模なお葬式で、参列者は私と母を入れても十数名程度。ひまりの両親の他に知っている顔は中学と高校から教師が1人ずつ。どちらともあまり面識はないが私に気付いて会釈をしてくれる。私も会釈を返して棺に近づくと目を赤く泣腫らしたひよりさんが私にもお花を持たせてくれた。

「来てくれてありがとう。体調は大丈夫?」

 そうだった。ひよりさんが病室に戻った時、私はひまりのベッドに突っ伏して眠っていたのだ。目を離した数分の出来事にひよりさんはきっと驚いたことだろう。ひまりにC2TDをかぶせていたことを不審に思ったかもしれない。

「は、はい。すみません、ご迷惑をおかけしました」

「いいのよ、びっくりしたけど、看護師さんもすぐに来てくれたし、眠っているだけで安心したわ。……ほら、最後にお花で飾ってあげて」

 背中を押してひまりのそばへ誘導してくれる。

 沢山のお花で彩られた棺の中で眠るひまり。私は渡されたお花を顔の横に飾り、頬に触れる。

「ひまり…」

 冷たくなってしまったひまりは当然返事などせずに瞼を固く閉ざしている。

 目頭が熱くなるのを感じたがぐっとこらえる。

 大丈夫、ひまりは今も生きているのだ。楽園で解放されるのを待っているだけだ。 

 そう言い聞かせて、抜け殻となったひまりの体と最後の別れをした。

 ひまりを乗せた霊柩車が長いクラクションを鳴らして葬儀場を出て行く。

 親族のみがその後を追って火葬場に向かって行った。

 残った私に中学の先生が声を掛けてきたが、ぼーっとしていた私は何を話したか覚えていない。

 私はそのまま母の車に乗り、帰路に就いた。 

 しばらく走り、見知った街に戻ってくる。

 充電しっぱなしだった携帯端末の電源を入れると数え切れないほどの不在着信が一気に入ってくる。

 音華と縁陀だ。状態は病院をハッキングできるあの子達なら把握しているはずだが、倒れてしまった私を心配してくれたのだろう。

 私は2人に自分の無事を伝えるメッセージを送る。

『心配かけてごめんね。私は大丈夫だから、2人ともゆっくりしてて』

 2人協力のおかげで計画は成功した。ひまりを展開したらみんなでお疲れ様会をしよう。それからひよりさんに今回の件をどう説明するかをみんなで考えよう。お祖父様には、まだ秘密にしておいた方がいいかもしれない。

 メッセージを送信して数秒も経たないうちに音華から着信が入る。

 運転席に座る母の隣、電話に出ることを一瞬躊躇ったが母は研究など興味が無い人なので電話に出ることにした。母から祖父に今回の件がバレることは無いと思う。

「お姉様ッ!!たたた大変でっス!!!」

 出た瞬間に音華の大声が響く。

「音華?落ち着きなさい」

 端末のボリュームを下げる。

「そんなに慌ててどうしたの?」

「そ、それガ…!今すぐ確認を!ひまりの権限ガ!」

 権限?いまいち要領を得ない。

「待って音華。順番を追って説明しなさい」

「は、はいでス!えっと、私達の人権が、えっと!」

「京香お姉様、横から失礼いたします」

 落ち着かない音華との間に縁陀が割って入る。

「縁陀?2人ともどうしたのよ?」

「はい、私から説明させていただきます。昨日、かねてより議論されていましたACPに人権を認めるという法律、これが可決され、同日に公布、即時施行となりました」

「そう、やったわね」

 とうとうACPが人として認められるところまで来た。お祖父様の出張もその件かもしれない。

「しかしながら問題が生じております」

 ACPにとって良い法律の施行に縁陀の声色は暗い。

「政府はACPの管理を内閣府自身で行うことを決定し、新たなACPの生成及び廃棄については既にラボの権限を失効させています」

「……え?」

「現ACPの住民データが作成され……ひまりさんの偽造データを作ろうとしたのですが、すみません。政府のセキュリティを破ることができませんでした」

 政府にACPの生殺与奪の権を奪われた?

 いや、ACPに人権を認めたのだ。より公正に、マスターワールドの住人と平等に扱うための措置だろう。間違っていない。人権を認める以上民間に生殺与奪の権を与えてはならない。

「お、お姉様…」

 心配そうな音華の声。冷房の利いた車内で冷や汗をかく。

 私は急いで自分のアカウントを確認したが、既に一部の権限が消されていた。

 ひまりを転生させるにはラボのメインフレームで展開させる必要がある。新規の生成と同様の手順で楽園にひまりを生み出す。

 電子コンピューターと量子コンピューターのハイブリッドシステム。クオリアの再現にはこのメインフレームを通すことが必須…。

 このシステムに入れない。

 つまり、私の持つ権限が無くなり、ひまりを楽園に転生させることができなくなったということだ。

 私は突きつけられた現実に途方に暮れるしかなかった。

 


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