エピローグ 2
数ヶ月が経って私達は高校生になっていた。
中高一貫校に通う私達は引き続き同じ学校だが、クラスは別々になってしまった。とは言ったものの、どちらともろくに登校していないのであまり関係は無い。私はひまりの進学を心配していたが、リモートでしっかりと単位を取っていたひまりは問題なく進学できた。
ひまりはこの数ヶ月入退院を繰り返し、今は自宅での療養中。
今日私はひまりの家を訪問している。遊びに来ているのではない。ひまりのベッドに腰を掛けてC2TDの小型機を調整している途中だ。ひまりは後ろで私の長い三つ編みをほどいては編み、またほどいて形を変えてはまた結びを繰り返している。
「で、出来ました。三つ編みツインテールアレンジ、です」
ひまりは満足そうに笑顔で手鏡を私に向け、私は片手間に自分の姿を確認する。
「うん、なかなか良いじゃない」
「はい!これも可愛いですね」
ひまりが私の髪で遊んでいる間に私も小型機の最終調整に入り、C2TDの動作テストを音華と開始する。基本構成は完成していたが、ヘルメット型のC2TDは実際に仰向けで使用した際にひまりの首に負担をかけてしまった。ラボでは座った姿勢でテストを繰り返していたための失念だ。装置の配置換えを行い形を変えて整える。
「やっぱり、ロングって憧れちゃいます…」
出会ってからひまりは髪を伸ばし始め、今ではミディアムくらいまで伸びている。
「お祖母様が切らせてくれないだけよ。…手間だし、私はショートで良いのに…」
ひまりの手が一瞬止まり、また動きだして私の髪を手櫛で梳かす。
「わ、私は、初めて見た時から京香ちゃんの髪、す、素敵だなって、思ってました…」
「…そう?…ありがとう」
少し照れる。
「…中学、2年生になって、は、初めての登校日です」
「………?」
「き、京香ちゃんと、初めて会った日です…。あの時は、お喋りすることはなかったけど、クラスでも一番長い髪の京香ちゃん。すっごく印象に残ってました」
「……そう」
私は作業をしながらひまりの話を聞く。
同居する父方の祖父母にとって唯一の孫である私は小さい頃からとても可愛がられた。この長い髪は祖母の趣味で、高校生になった現在でも今のひまりのように私の髪でよく遊んでいる。
「えへへ…w」
唐突に笑うひまり。
「何よ急に?失礼な子ね」
「わ、私の席の横を、京香ちゃんが通って、誰かに呼ばれた京香ちゃんがそっちを振り向いた時、私の机の上のノートを京香ちゃんの三つ編みがめくっていったことがあったんですw」
「そ、それは…。失礼したわねw」
ひまりと目が合って笑いが込み上げてしまう。
「ふふっw」
「www」
後ろ髪に感覚は無い。この長い髪はよくドアに挟むし、体育の時間には毛先に砂が付くことは常々だが、人様のノートを勝手にめくっていたなんて初めて知った。
「京香ちゃんは、気付かなかったですw?」
「ええ、三つ編みがそんないたずらしてたなんて知らなかったわ」
私が初めてひまりを見たのは中学の入学式の日だ。その日、車椅子に乗ったひまりはそれだけで周りよりも目立っていた。だが、別のクラスの列に並ぶひまりに目が行ったのはそれだけが理由ではない。どこか虚ろで儚げで、神秘的にさえ思えた彼女の姿を私はとても美しく思った。
それを言うのはなんか悔しいので本人には言わない。
「ていうか、その時に声をかけなさいよ」
もし声をかけられていれば、もっと早く仲良くなることができたのかもしれない。
「む、無理…ですよぅ……。自分から、人に話しかけるなんて…」
「そうね、そんな性格よね。友達作りに難儀するわねw」
「な、難儀します…」
「………。あなた、私以外に友達はいるの?」
「ひぇっ!?……い、いま、すん」
「どっちよ?」
「い、いる、です!」
ひまりの答えに少し安心した。不登校気味の私にも学校に友達はいる。ひまりと話すようになってから登校日が重なったのは中学の卒業式くらいで、ひまりが学校でどのように過ごしているのかあまり知らない。
「私の知ってる人?」
「は、はい…。ご存じ、です」
癖のある言い方だ。
「学校の子?」
「い、いえ。違います…。あ、あまりプライベートの詮索はご遠慮頂きたいで、す…」
胡散臭い発言。ひまりと同じように病院通いの子だろうか。そうだとしても友達の話くらい友達にしてもいいじゃないかと思う。が、一連のひまりの言動には思い当たる節がある。
壁掛けタイプの立体情報端末、2~3ヵ月前から病院でも家でもひまりのベッドの横に掛けられている。ちょうど同じ時期から音華もよくひまりの所に1人で遊びに来ているようなのだ。
「まさかとは思うけど、その友達って音華のこと?」
「ぴぇっ!?……ご、ご名答、です…」
「うふふw、そう…リアルだと友達は私だけなの?」
「は、はい…げ、現状そのようになっております…」
「もう、何よその話し方w、変よ?」
「うぅ…だ、だって、ぼ、ぼっちって思われちゃうから…」
「私達がいるからぼっちじゃないでしょう?音華達だって、今政府の方でACPに人権を認める為の法案を整備中でね。近い将来本物の人間とそう変わらない扱いになるはずよ。音華も友達に数えて恥ずかしくないの」
「そ、そうなんです…?」
「そう、とはいえ数少ないお友達を大切にしなさいよ~」
私は含みを持たせて悪戯っぽく笑う。
「た、大切にしてます!首に縄を付けてそばに置いておきたいくらいです!」
それは怖い。
「普通に、大切にしなさいね」
途端に真顔になる私と目が合って再び笑いあう。
「あんまり怖いこと言わないでよねw」
「えへへw」
冗談なのだろう。いや、冗談であってほしいのだが、ひまりもだいぶ冗談が言えるようになってきた。
「こ、怖いと言えば、です」
ひまりは壁の立体情報端末を指差す。
「おっきいホロ端末を買ってもらったんですけど」
壁に掛けられた立体情報端末は折りたたむことができる30インチくらいのもので、個人で買うには少々お高めだ。
「うん?何か不具合でも?」
「い、いえ…不具合じゃなくて…。私、音華ちゃんにいつでも遊びに来ていいよ、って、言ったんです…。そしたら音華ちゃん…夜中、わ、私が寝ている時間にやって来て、私を呼ぶんです…。ひまり、ひまりぃ、って…」
真剣な表情に変わるひまりを見て私は固唾を呑む。
「私が起きると、め、目の前に音華ちゃんの生首がふわふわ浮いてたんです…」
「それは、ホラーね…」
後できつく言っておこう。
「は、はい。心臓が止まるかと思いました…」
ACPに感情や感覚はあっても身体への負荷というものがない。だからこそ行き過ぎた悪戯なんかもしてしまうのだろう。
「とりあえず、端末にロックをかけて最低限のプライベートを守りなさい」
私はひまりにアドバイスをしながら完成した小型C2TDをひまりにかぶせる。
「は、はひ」
ひまりは仰向けになって着け心地を確認する。
「大丈夫そ?」
「はい、全然苦しくないです」
うまく調整できたみたいだ。
「うん、じゃあ時間も押してるし、いってらっしゃい」
私はベッドから降りてひまりの車椅子に座り直す。
数秒、ひまりは沈黙して楽園にログインしようとしない。
「…?ひまり?形は変わっても使い方は同じよ?」
「……。京香ちゃんは、いかないです?」
「…言ったでしょう?この小型機は試作品、今はまだこの世に一台しかないの。一緒にはいけないわ」
もじもじするひまり。
「そ、そう、ですか…」
「動作を外側から見る必要もあるしね。音華が待ってるわ、さっさといきなさい」
「は、はい…じゃあ、いってきます」
促されて楽園へログインするひまり。すぐに意識が落ちる。
正常に動作していることを確認。
1分も経たないうちに壁掛けの立体情報端末が起動して音華とひまりが並んで登場する。
「おっ姉様ーッ!こっちㇵ問題ないでース!」
「あ、き、京香ちゃん…!?わ、私が寝てます…」
メタバースの世界からマスターワールドの自分の姿を見るのは不思議な感覚だ。私にも分かる。今のひまりには慣れた自室が巨大空間に映り私と寝ている自分の姿は巨人に見えているだろう。音華が大きくなったり小さくなったりするように、世界の接続方法によってあちらから見たこちらもその姿を変える。
「ふふっw当たり前でしょ?体はこっちにあるんだから」
「そ、それは、そうですね」
ひまりは寝ている自分の体を見ながらメタバースの体を動かしている。
「ぜ、全然動かないですね、私」
「動いたら困るでしょう?夢遊病ってレベルじゃ済まないわよ」
C2TDに繋がれている間、脳から身体へ伝わる信号はC2TDに読み取られると共に相殺されてマスターワールドの身体が動くことはない。もちろん、意識的な運動に関する部分だけだが。
「な、なんか私、死んでるみたいですね」
「生命活動は維持されてC2TDにモニタリングされるから安全は確保されてるわ。それよりも、どう?従来型と変わりない?」
初めてメタバースに連れて行ってからひまりにはACPとの共存世界、楽園の開発協力をしてもらっている。まあ、ほとんど遊んでいるようなものだが、遊んでいるだけではない。今回の小型機のテストプレイも協力の内だ。
「は、はい。こっちに入ってしまえばい、いつもと変わりはありません…」
きょろきょろと周りを確認したりコンソールを使いこなして宙に浮いたりしている。
「よかった、ならそのままお散歩でもしてきなさい。思考加速を使って10分くらい…。こっちの時間でね」
「は、はい」
「音華はひまりのバイタルチェックもお願いね」
「はーいでっス!お任せくださーイ!」
「あんまり驚かせるようなことはダメよ?」
「了解でース、そんなことしないでスよ~」
私の知らないところでしているくせに、とんだ食わせ物だ。
嘘や秘密を持つのも人間として当たり前のこと。看過できる部分は良いけど、ひまりは病弱だ。やり過ぎについてはしっかり叱る必要がある。
「夜中に生首で出てきたこと、聞いてるからね…」
「そ、それㇵ…」
私が怖い顔をすると音華はじりじりと後ずさりしてひまりの手を掴む。
「裏切ったでスねひまりぃ!」
「ひぇっ!?」
そのままひまりを引っ張って飛んで逃げてしまった。
「あ!こらっ!」
まったく、しょうがない子だ。
私はメタバースで思考加速を使用した早送り状態の2人を見守った。
1年後、2年生に進級した私達はまた別のクラスだった。
今日も自主的に休校した私は音華の家でひまりと3人、モルモット達を遊ばせている。
「そ、そういえば、猫ちゃんの実装って、どうです?」
「あー、あれね。研究自体止まってるわ」
おもちゃを使ってモルモットと遊ぶひまりの質問に答える。
「今、動物はAIで十分じゃないかって話になってきてるわ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、そもそも、動物との意思疎通が100%できているとは言えない現状で、アニマル型ACPが人型ACPと同レベルの意識を再現できているかを検証しきれないのよね」
「はいでース、残念ですガにゃんこはAIになりそうでス」
残念そうに言う音華だがその顔は明るい。
「しかーし!決定してシまえばAIアニマルが即座に実装されるでスよ~!」
「ほへ~……?こ、このモルモットさんはACPとして認めてもらえないんです?」
モルモットの一匹を抱きかかえて撫でるひまり。
「この子たちに意識があるかどうか、この子たちには答えることができない。できてしまえばそれはもうモルモットではない。私が作ったこの子たちは従来のACPとは違う生まれ方をしているんだけど、だからこそかしら?これを世間に認めてもらうのは難しいわね」
私は答えをはぐらかす。
「ざ、残念ですね。こんなに本物みたいなのに…。私、本物のモルモットさんと遊んだことないですけど…」
この副産物の”モルモット”は紛れもなく本物だ。これまでの実験結果もそれを証明している。私の理論は祖父も認めていることだが、研究は無期限の凍結。研究者の間にも公表されていない。
「ふふっ、この研究以外にもやることはたくさんあるからね」
私はカレンダーを確認する。
「ひまりは修学旅行には行かないんでしょ?」
まだ半年くらい先の話だが、クラスの方ではその話も既に話題になっていた。
「は、はい…。旅行はちょっと、無理っぽいです」
「まあ、海外だしね。学校に行くのも難しいあなたには無理よね。…ねぇ、行ってみたい?」
あおるように言ってみる。
「うぅ~、わ、私パスポートも持ってないですよぉ」
「ひまりはバイタルクソザコ人間でスからね~w」
音華ものっかってくるがあおり過ぎだ。
悔しそうにムッとするひまり。
「そんなひまりもこの世界で旅行に行けるようになるわよ」
「ふぇ?」
一転間抜け顔。
ひまりもこの楽園で過ごした時間は長く、音華の家だけではなくいろんな場所に遊びに行っている。自然豊かなリゾートやACPが集まる街に出かけたこともある。しかし複数のACPがいる場所で思考加速を使うことはできないため、現実時間的に観光地と呼ばれる場所に行くことは少ない。
この楽園システムのメタバースはまだ一般に公開されていないが、将来的にはC2TDの販売と共に公開される予定だ。その際重要視されるのは特別な体験で、現実世界を忠実に再現した観光地を思考加速機能を使ってゆっくりと観光することができるよう専用のエリアも作られている途中だ。
「思考加速がデフォのエリアに現実世界の観光地を再現しているの。そのエリア解放が3カ月後なのよ」
一般向けの販売はまだ未定だが先んじてACPに公開されることが決定している。
先行公開と言えば聞こえは良いが、ACPの勤務時間外にデバッグさせようという魂胆はある。
触感や匂い、味などのデジタル世界で構築しづらい感覚はC2TDを応用してデジタル化されていたが、C2TDの小型化ができたことで観光地等での情報収集が容易になり、観光エリア開発のプロジェクトに目処が付いた。
「パ、パスポートは、必要ですか?」
「今のところ楽園に国境はないわよ」
「ポータルが完成シたら家から一瞬で観光地でース!」
ひまりは抱いたモルモットをゆらゆら揺らして嬉しそうな顔をしている。
「い、行きたいです!私、旅行なんて初めてです!」
いつになく興奮するひまり。
「3カ月、な、長いですね」
「あっという間でしょう?そのくらい」
「ひまりは案外せっかちでス!この3カ月を有効活用して旅のしおりを作るでス!」
「そ、そですね!旅の恥はかき捨てですが、一分一秒を有効活用しましょう!」
このプロジェクトが完成すれば気軽に何度でも行くことができるのだ。畏まって準備する必要はない。
「ちなみに、最初に公開されるのはスペインよ」
他の都市、観光地も順次公開されていく予定。
「ス、スペイン…!英語で大丈夫でしょうか?」
「あら、英語ができるの?意外ね」
「少しだけ、です…」
照れながら、だが確実に自慢気だ。
「スペイン語よ」
「はぅ…!」
「語学を披露するのはまた別の機会ね」
「はいぃ…」
ひまりはとほほと肩を落としたがすぐに音華と2人で旅のしおりの作成を始めた。
別の機会、と言ったもののこの楽園では自動翻訳機能が搭載されているので外国人との会話でも自国語で問題ない。さらに言えば観光地エリアで観光客を応対するのはAIなので会話もほとんどないだろう。
英語をドヤ顔で披露するひまりを見られるのはまだまだ先のことかもしれない。
3カ月が過ぎ、7月中旬。
現実世界の九州ではジメジメと夏真っ盛りだが、楽園のスペインはカラッと心地よい夏となっていた。
サグラダ・ファミリアを一望できるカフェのテラスでひまりと2人、チュロスを口いっぱいに頬張る。
「サ、サグラダファミリア、初めて見ましたけど、すごい、ギザギザですね」
「そうね、攻撃力が高そうな建物だわ」
複数の尖った塔が集まったような壮大な建築物は神秘的で見る者を魅了してしまうが、ひまりと音華が作った旅のしおりにはサグラダ・ファミリアがポップな王冠のようにイラストで描かれている。
解放された観光地エリア、スペインのバルセロナを忠実に再現した街だが現実と違いスペインの有名な観光地が徒歩圏内に密集している。私達2人はスペイン広場のポータルからこのカフェまで食べ歩きしてきた。
残念だが音華は急な仕事が入ったため一緒ではない。
「音華ちゃんもせ、戦闘力が53万?とか言ってました」
「そう?何を基準に計測したのかしら?」
建物の戦闘力を計算する方法があるのかもしれない。
「いや、建物の戦闘力って何よ!?」
「えへへ、なんでしょう?音華ちゃん、たまに難しいことを言います」
ひまりを相手に適当にからかっただけかもしれない。
「まあ、その辺は音華が合流してから直接聞いてみましょう」
「そうですね。…で、でも音華ちゃん、すごいです。く、国の有識者会議に呼ばれるなんて…」
「あれでもあの子はACP初期ロットなのよね。ラボの一員として研究協力しているし、ヒアリングの対象としては適格ね」
音華は今ACPに人権を持たせる法律の制定に向けた会議に参加している。より多くの意見を取り入れる為、予定になかったACP数名が会議に呼ばれることになったのだが、音華もその一人に選ばれた。少し、いや、とても心配だ。
「大人しくしてくれてると良いんだけど…」
「た、大切な会議、ですからね」
そう、ACPに人権が認められるということはACPが人間として扱われるということ。祖父が生み出し、研究者皆で育てた彼女たちが国家レベルで認められるということには大きな意味がある。
人としての個性、意思の多種多様性を見てもらう意味では音華は最適解かもしれない。
「ホント、そんな会議に音華を連れて行くなんて、お祖父様ったら冒険が過ぎるわ」
「えへへ、音華ちゃん、うきうきで出かけて行きましたね」
祖父が決めたことだ、勝算があってのことだろう。私にできるのは信じて待つことだけだ。
「さて、そんな音華が戻ってくるのは15時の予定、今10時前だから合流するのは体感的には明日ね」
楽園観光エリア、C2TDの利用には安全に配慮していくつかの制限がある。連続使用時間8時間と一日の利用制限が12時間。メタバースの世界ではコンピューターによって思考加速が実現されるが人間の脳にも僅かに負荷がかかっている。現実の脳と体に負荷をかけ過ぎないための措置だ。観光エリアが解放される今日、私達はその制限いっぱいに遊ぶことを約束していた。
9時にログインして16時に一旦ログアウト。今入院中のひまりの診察がその時間に予定されていて、そのまま現実での食事を済ませて18時に再度ログイン。23時まで遊び倒す計画だ。
計12時間、体感60時間のプチ旅行のためにひまりのご両親と主治医の協力も得ている。
ちなみに睡眠については楽園内では不要で、現実世界での睡眠時間が足りていれば楽園で100時間連続行動しても問題ない。
「はい…で、でも、どうしましょう。音華ちゃんがいないまま、旅のしおりの通りに進めてもいいんでしょうか?」
「そうね、そのしおりはまた今度使いなさい」
実際、スペイン広場から見えたサグラダ・ファミリアに向かって適当に歩き出した時点で旅のしおりからずれてしまっている。旅のしおりを区切れば今回のような長時間の滞在をしなくても観光し直すこともできる。音華と合流してから初めからやり直してもいい。
「そ、そうですね…」
ひまりは少し悲しそうな顔をしてから頷いて旅のしおりを空中に収納する。
「ちょっと行ってみたいところがあるの」
私は最後に残ったチュロスを半分こして自分とひまりの口につっこむ。
「…。ごちそうさまでした」
カフェラテでチュロスを流し込み口元をナプキンで拭いて立ち上がる。
「ミハスっていう街なんだけど、一度行ってみたかったのよね」
「…み、ミハス、です?旅のしおりには、ありませんでしたね」
「ちょうどいいでしょう?ガラピニャータを食べに行くわよ」
ひまりの手を取って歩き出す。
「が、がらぴにゃあた?な、なんですかそれ?」
食べるのが遅いひまりは口をもぐもぐさせている。
「ガラピニャータ、スペイン語で愚かな猫って意味」
「ね!…猫さんを食べるってことです!?む、無理ですよぅ…!」
ひまりを引く手に少しの抵抗を感じる。
「郷に入っては郷に従えって言うでしょう?その土地独自の食を体験するのも旅行の醍醐味よ」
「うぅ~…!」
ひまりの迫力の無い睨みを笑顔で受け止めて歩く速度を速める。
スペイン語で愚かな猫を何というのか知らないが、アーモンドを砂糖でコーティングしたお菓子、ガラピニャータを猫のどの部位と偽ってひまりに食べさせようか。そう考えてしまい笑みがこぼれてしまった。
「ね、猫さんは食べませんよ~!」
早めた足はいつの間にか駆けだし、ニヤリと笑う顔を隠すようにひまりの先を走る。
数分も経たないうちにミハスの白い町並みが見えてくる。
伝統的に白く統一された壁の可愛らしい建物が並ぶ町。引かれるひまりもその風景を目にしてテンションが上がりだしている。
「そ、そんな!?こんなに可愛らしい町でそんな残虐なことが…!?」
何を想像しているのだろうか。
この楽園ではいくら走っても疲労で上がることの無い息が上がりだすひまり。
ミハスの町に入り坂道を駆け回る。海が見えるこの町、心地よい日差しは海面に反射してキラキラしている。
小さな露店を見つけた。目的のお菓子も取り扱っているようだ。
決めた。尻尾の骨を炒って甘く味付けしたものだと説明しよう。
私達は体感1日のスペイン旅行を満喫し、少し早く帰ってきた音華と温泉リゾートで合流することになった。走り回ったり、ゆったりしたり、自由気ままな二人旅になった。音華が加わってまた騒がしい旅行が続くのだろう。
一度温泉にはつかったのだが、音華と合流して別の温泉にポータル移動してまた温泉に入る予定。今はリゾートのスイートルームで寛いでいる。
ふかふかのベッドに大の字になって横になる私。その横で次に行く温泉の下調べをしているひまり。
「き、京香ちゃん、次の天然温泉、川沿いの露天風呂みたいです!そ、外から丸見えですよ!?」
「そう?水着で入るタイプじゃないの?」
「……こ、これ、情報が少なすぎてわからないです…」
流石にパブリックな場で裸になることはないだろう。倫理的に規制されているはずだ。
食い入るように情報サイトを見ているひまり。私にそのサイトは見えないからひまりが何もない空間をにらみつけているように見える。
「旅の恥はかき捨て、でしょ?」
「は、裸なら、論外です!」
「前に言ったでしょう?ここの私達はしょせん動く棒人間。本物の体が晒される訳じゃないのよ?」
そういえばまだ海水浴をしていない。旅のしおりにも無かったはず。時間の速度は違っても季節はマスターワールドに準拠する。せっかくの地中海、今泳いでおかないと勿体ないかもしれない。
「そ、それでも!恥ずかしいですよぅ!」
「ふふっw冗談よ。規制されて屋外で裸にはなれないはずよ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、試したことはないけど…。何ならデバッグのついでに脱いでみてもいいわよ?」
「い、嫌ですよ!そんなデバッグ!」
珍しく力強い意見だ。
「はいはいwわかってるわ」
適当に宥める。
「じゃあ着てく水着でも選びましょうか」
私は立ち上がってメニューから水着の一覧を広げる。ひまりも同じように水着を見ているようだ。
「そういえば、海水浴を予定に入れてなかったでしょう?海でも遊ばなきゃね」
「……あぅ…」
一瞬合った目が逸らされる。
大体分かる。泳げないのだろう。
これまでも何度か海で遊んだことはあったがひまりが泳ぐ姿を見たことはない。
「運痴ね」
「お、泳ぐ機会がなかっただけですぅ」
ひまりが頬を膨らませるのと同時に部屋のドアが勢いよく開けられて振り向く。
「今話題の美少女!波瀬音華!登場でース!!」
すでに水着。ゆるふわの髪をポニーテールにして額にサングラス。大きな浮き輪を肩に引っ掛けた音華が名乗りを上げる。
「音華…」
今話題とはその通りで、音華が出席した有識者会議は一般に公開されてACPが世間に広く知られることとなった。その際、リモートで参加していた現役の総理大臣を音華はぽんぽこたぬきと呼んで物議を醸した。
「あなたねぇ、どうして大人しくしていられなかったのよ」
「自由な意見を求められテ見たままを素直に言ったでス!」
只々無邪気な音華の笑顔。しかし、実際に世間で話題になったのは音華の発言を受けて同席した他のACPが音華の大きなツインテールを引っ張り回し、その場で折檻したことだ。私が見たニュースサイトでも音華の上に馬乗りになった黒髪の大人しそうなACPが音華を締め上げている画像が掲載されていた。
結果的には自由な行動、その意思と個性は会議に参加した者に人間らしさを見せつけることとなった。
「まあ、とりあえず、お疲れ様」
「はいでス!ココからは音華も一緒に遊ぶでスよ~!……?」
きょとん、と表情を変えた音華は部屋の中を見渡す。
釣られた私も振り向く。
「………?」
「あれ?今、ひまり居たでスよね?」
ひまりが居なくなっていた。
「え?ええ。…?一緒に居たのだけど…」
「も、もしかしテ私から逃げたでスか?」
どこかに隠れた訳ではなく、楽園からログアウトしてしまったみたいだ。
「そんなことないわ。音華が来るの楽しみにしてたのよ?」
ひまりが自分でログアウトした可能性は無い。何故なら正規の手順でログアウトされていないからだ。
「強制ログアウトされてるでスね。なんて間が悪い子でしょウ!」
音華も気付いたようで、ぷんすかしながらひまりのログを確認している。
「強制されタ以外は問題なさそうでスが、どうして追い出されたのか謎でスね。ちょっと連絡取ってみるでス」
ひまりが使っている小型C2TDは初期のプロトタイプ、不具合があってもおかしくない。
「うぅ~ん?…なかなか出ないでスね~」
しばらく待つが連絡が取れないみたいだ。ログアウトした場合すぐに覚醒するはずだが、通信障害の可能性もあるかもしれない。
「ふぅ、…残念だけど、今日はここまでかもね」
「ええ~!?せっかくの旅行ナのに~!」
「すぐにまた来れるでしょ。私はひまりのC2TDを確認してくるから、いったん解散ね」
駄々をこねる音華を置いて私はログアウトした。
自室で目が覚める。
小型C2TDを頭から外して鏡を見るとぼさぼさの髪にパジャマ姿の自分が映る。
15時、今日一日パジャマで過ごそうと思っていたが少し身だしなみを整える必要がありそうだ。
10分程度で支度を済ませ、小腹を満たすためにチョコバーをかじりながら病院へ向かう。
病院に到着して5階へ上がり527号室、何度も訪れた病室だが久しぶりの訪問。ひまりとは毎日のように会っていたがそれは楽園でのこと。ひまり本人と会うのはもう1カ月ぶりだ。その間ひまりのC2TDをメンテナンスしていない。今回はそれが祟ったのだろう。
軽くノックをして返事を待たずにドアを開ける。
「ひまり…?」
夏の午後、カーテンが閉められて薄暗い病室。
ベッドの上には変わり果てたひまりの姿があった。C2TDは外されて棚に置かれ、鼻にチューブを通されて点滴とベッドサイドモニタまで取り付けられている。そのかたわらではひまりの母親、ひよりさんが手を繋いで座っていた。
「京香さん…。来てくれたのね」
「ひ、ひよりさん?…ひまり、どうしたんですか?」
自分の声が震えていることに気付く。
ただでさえ痩せ細っていた身体はさらに細くなり、点滴が刺さるその腕は骨の形までしっかりと見て取れる。
暗い表情のひよりさん。久しぶりに会うひよりさんはどこかやつれてしまっている。
静かに目を閉じるひまりをベッドサイドモニタのバイタルサインがかろうじて生きていることを証明している。
「ごめんなさいね。この子に口止めされていて…」
寂しそうに笑うと立ち上がり、座っていた椅子を私に譲って座るように促す。
「今はね、何とか持ち直したんだけど、もう一週間も持たないみたい」
座った私の肩に手を置くひよりさんは優しい顔で娘を見つめる。
「……持たないって…どういう意味ですか…?」
失言だった。想定外の出来事に頭がついていかない。状況を見れば分かることなのに、ひよりさんに辛い現実を再認識させてしまう。
「……昔からね、この子は高校生にはなれないって言われていたの。…先天性の多臓器不全。17才まで生きてくれたのは奇跡なのよ」
失念していた。現代において5才以上60才以下の事件事故を除く死亡率は百万分の一まで抑えられている。そこまで発達した医療でもひまりを自由にすることができない時点でひまりの病状をよく知っておくべきだった。
初めて会った時と比べて髪がだいぶ伸びている。小型C2TDに使用者の外見データを逐一更新する機能は無い。前にひまりの外見データを更新したのは1年くらい前だろうか、その時と比べても長くなった髪がベッド上に複数本散乱している。
リップクリームを塗った跡はあるがひどく荒れた唇はひび割れまでしている。
私はサイドテーブルにリップクリームを見つける。
「あの…リップ、塗ってあげてもいいですか?」
小さく震える手でリップクリームを手に取るとひよりさんは優しく頷く。
「ありがとう、こまめに塗ってあげてるのにね」
荒れた唇を指で撫でるひよりさん。
私は丁寧にひまりの唇にクリームを塗る。
「……今日のことはとても楽しみにしていたのよ。初めての旅行だって。……私達は連れて行ってあげられなかったから…」
そう言うひよりさんの顔は微笑んでいるがどこか悔しそう。
「私、こんなことになってるなんて知らなくて、家族の、大事な時間なのに…」
「……いいのよ。あなた達がどんな研究をしているか、知っているもの。お医者さんにも説明されたわ。新しい仮想空間、新しい終末期医療としても効果があるって。…あなたと出会えなければひまりの楽しそうな姿を見る機会も少なかったはず…。ひまりの延命治療は楽なものじゃなかったはずだから……」
ひよりさんの瞳から一粒の涙がこぼれる。
終末期医療、確かにこの研究はそういった側面もある。だけど、そんなつもりでひまりにC2TDを渡したわけじゃない。
「手術の痛みも投薬治療の苦しさも、あなた達の世界が和らげてくれたの」
私はただ、自分の研究を誰かに知ってもらいたくて、自慢したくて…。
「C2TD…その機械を使えば人の感覚までコントロールできる。本物を体感できる、言わばもう一つの現実。第二の世界ね」
研究者と豪語したところで私は何を見せられただろう。ひまりが感動し、好きになってくれた楽園は私が協力する前からほぼ完成していた世界。
「少しでもひまりが幸せでいてくれるなら、それだけで私達も救われるの」
私自身の研究なんて何も見せることができなかった。
「今まで黙っていてごめんなさい。最後まで友達でいてくれて、本当にありがとう」
私はただ、私達はただ、毎日のように一緒に過ごし、研究し、遊ぶだけの友達だったのだ。
ひよりさんが私の頬にハンカチを当てた時、自分が涙を流していることに気付いて私は声をだして泣いた。




