『金のプレスマンとカエルの王子』
昔、お姫様がいました。お姫様は、お姫様らしく、わがままでしたが、金のプレスマンを持っていました。プレスマンを持っている人に悪い人はいません。プレスマンを持っていない人と比較すれば、という程度には。
お姫様は、森の中の小川が好きでした。もちろん、お城のお庭の中の森の中の小川、です。そこで、お姫様は、ペン回しをしていて、うっかり金のプレスマンを、小川に落としてしまいました。
お姫様は慌てました。お姫様には、川の中に入って探すことなどできません。
「誰か、私の金のプレスマンを拾い上げてちょうだい」
残念ながら、近くに誰も見当たりません。お姫様は、ただ泣くしかありませんでした。
「もし、私がとってきましょうか」
誰も見当たらないって言ったばかりなのに、声がします。お姫様は、あたりを見渡しましたが、誰もいません。
「もし、お姫様、ここです。あなたの足もとです」
いました。一匹の大きなカエルです。
「お姫様、私が、金色のプレスマンをとってきましょうか」
お姫様は、カエルが好きではありませんでした。女性だから、というわけではありません。男性でも、カエルが好きだと公言する人に出会ったことがありませんので、多分、カエルという生き物は、象やキリンとは扱いが違うのです。しかも、小さいカエルなら、そんなにどうということもありませんが、大きいカエルですと、いかにもカエルという感じで、まじまじと見ると、両生類感が強いのです。お姫様は、まじまじと見ているうちに、好きではない、から、嫌い、に心が動かされました。
しかし、今は、カエルの好き嫌いを確認しているときではありません。
「お願い、カエルさん、私の金のプレスマンをとってきてちょうだい」
「お安い御用です。ただし、私のちょっとした願いをかなえていただきたいのですが」
「…どんな願いかしら。お金なら、お父様にお願いすれば何とかなると思うわ。食べ物なら、衛兵たちにとってきてもらうわ」
「あ、そういう方面のことではないんです」
「はっきり言ってちょうだい」
「言いにくいのですが…、お姫様と一緒にお散歩したり、お姫様と一緒に食事をしたり、お姫様と一緒のベッドで寝たりしたいのです」
言いにくいことを、ずばり言いました。
お姫様は、鳥肌が立ちました。何とおぞましい要求でしょう。金貨一袋のほうが、善良に思えます。しかし、背に腹はかえられません。
「いいわ。早く金のプレスマンをとってきてちょうだい」
お姫様は後悔しました。カエルが金のプレスマンをとってくるまで、五秒もかからなかったのです。カエルにとっては、こんなこと、造作もないことだったのに、おぞましい条件をのんでしまいました。こういうときはどうしましょう。そうです。お姫様は、金のプレスマンをカエルの口から引ったくると、全速力で逃げました。
お姫様は、お城に戻ってから、二時間ほど、手と金のプレスマンを洗い続けましたが、不快感は洗い流せませんでした。
そんなことがあってから三日目のことです。
お姫様がお昼寝をなさっていると、聞いたことがあるようなないような、妙な音が聞こえるのです。感覚的に言えば、濡れたぞうきんを壁に何度もたたきつけるような。しかもそれがだんだんと近づいてくるような。
音の主が知れたのは、夕食前のことでした。侍女が、食事の用意ができたことを告げに来て、お姫様がお部屋をお出になったとき、足もとから声がしました。
「お姫様、ごきげんよう。やっとここまで来ることができました。お腹が空いてひっくり返りそうです」
お姫様は叫びました。叫んで走りました。父王が待つ食堂へ。カエルがひっくり返るというだじゃれにも気がつきませんでした。
「どうした、姫。もう子供でもあるまいに、みっともない」
「お、お父様、な、何でもありませんわ」
「いかにも何かありそうな話し方だが、姫が何でもないと言うなら、それ以上は聞くまい。テーブルに着きなさい」
「は、はい、お、お父様」
お姫様は、何とか平静を保とうとしましたが、スープを飲めばスプーンをお皿とかちかち言わせるし、サラダを食べればフォークを落とすし、お肉を食べれば…。
そういえば、お肉が出てきません。どうしたのでしょう。コックが忘れているのでしょうか。
王様から一番遠い扉が開いて、メインのお肉が運ばれてきました。
「どうしたのだ。あんなに遠い扉から運んでくるとは」
「あ、いえ、王様に申し上げるほどのことでは」
「申せ。気になるし、おもしろいかもしれないではないか」
「すぐそこの扉の外に、その、来訪者がございまして」
「来訪者?」
「いえ、王様、来訪者というのは、婉曲表現というやつでございまして、その、じゃま者というか、招かれざる客というか、帰れ帰れと追い立てたのですが、お姫様とお約束があるなどと申しまして、そんなことがあるわけがありませんので、蹴飛ばしてみたのですが、一向に扉の前からどきませんので、仕方なく、あちらの扉から」
「お前の申すことはさっぱり意味がわからん。扉の外に、姫の客が来ていて、帰れと言ったが帰らないので蹴飛ばした?外交問題とかにならんだろうな」
「それは、大丈夫かと」
「なぜそう言える」
「外交のない種族の方なので」
「外交のない種族?」
「婉曲表現でございます」
「むむむ、話が見えん。いいからその方をお連れ申せ」
「はあ、しかし」
「うるさい、今すぐお連れ申せ」
給仕が扉を開けますと、誰も入ってきません。でも、声がします。
「国王陛下にはごきげんうるわしゅう」
「これは丁寧な御挨拶、しかしお姿が見えません。どうぞ、中へお進みください」
「国王陛下、恐れながら、床に目をお移しくださいませ」
言われたとおり、王様が床に目をやりますと、いましたいました、カエル。しかしなぜカエルが?
「今、御挨拶いただいたのは、貴殿か、カエル殿」
「いかにもさようで、国王陛下」
「ふむ。ただのカエルではないということか。して、きょうはどのような御用件かな。御来訪の御通告もいただいていないようだが」
「突然の訪問をお許しください。実は、三日前、森でお困りのお姫様をお助け申し上げまして、そのときお約束をいただきましたので、このように、御無礼も顧みず、参上いたしました」
「姫が世話になったとは、知らずに申しわけない。礼を言う。して、姫と約束とな。姫、どういうことか」
お姫様、うつむいて、体を硬くして、一言も口がきけません。
「カエル殿、約束とは」
「国王陛下、私は、お姫様に頼まれて、小川にお落としになった金のプレスマンを拾って差し上げました。そのかわりに、お姫様とお散歩しましたり、お食事しましたり、同じベッドで寝ることをお約束いただきました」
「姫と散歩、食事、添い寝、というと、秋葉原あたりではやっているやつじゃな」
「お父様、どういうことですの」
「いや、それよりも姫、約束したのか。約束したならば、守らねばならぬ。これコック、もう一人分、食事の用意を頼む」
カエルはテーブルに載せられて、スープを飲もうとしましたが、スープの中に落ちてしまいました。お姫様は、王様に命じられて、カエルの体を拭いてやりました。そのとき、うっかり、スープまみれのカエルの臭いを嗅いでしまい、どうして、人って、こういうとき、臭いを嗅いでしまうんだろうと後悔しました。
食事が終わり、お姫様は、カエルを抱いて自分の部屋に戻らなければなりませんでした。王様が、厳しく言いつけたからです。お姫様は、ひんやりぬめぬめした肉塊が、素肌に触れる不快感を、唇を噛んで、必死に耐えました。
ベッドに入ってからも、お姫様は、気持ち悪くて、眠くなるどころではありませんでした。必死に目を閉じましたが、泥臭いような、生臭いような、ひんやりした空気が、顔の周りにただよってくるのです。
ん?顔の周りにただよってくる?
お姫様は、目を開けました。そうして、目の前にあるカエルの顔を見て、飛び起きました。ずうずうしいカエルが、お姫様の顔をのぞき込んでいたのです。お姫様は、きゃーきゃー叫びました。侍女たちが全員集まって、明かりをともしてくれました。
一人、知らない男が混じっています。
「あなたはどなた。侍女には見えないけれど」
「お姫様、私はカエルです」
そうでした。カエル、どこへ行ったのでしょう。
侍女たちが、ベッドの下、暖炉の灰の中まで調べてくれましたが、カエルはいませんでした。
「お姫様、私がカエルです」
「先ほどもおっしゃっていましたが、どういうことでしょう」
「お姫様の口づけで、カエルからもとの姿に戻ることができたのです」
そうだった。カエルが顔をのぞき込んでいたのだった。口づけって…、そんなことはしていません。いえ待って、起き上がるときに、っていうことかしら。私の初めての…カエルに…。
お姫様は、三時間ほど、口をゆすぎましたが、不快感は洗い流せませんでした。
翌朝、王様は、人間の姿に戻ったカエルが、隣国の王子であり、魔法使いの呪いで、カエルにされていたことを聞き、姫の婿として迎えることを決めましたが、お姫様は、一生、眠りにつく前に、この嫌な思い出がよみがえってくるのでした。
教訓:王子に戻ったカエルと、喜んで結婚するお姫様を描く話もあるが、人としてどうかと思う。