祇園精舎
やがてスダッタ長者は、シュラーヴァスティー(舎衛城)に戻って考える。
(街から遠くなく、近過ぎもせず、往返に都合よく、行こうと思う人は容易く行かれ、昼も人の群がりがなく、夜も騒々しい音がなく、人いきれのない、独居に都合のよい場所はないであろうか)
コーサラ国の都シュラーヴァスティーは、ラージャグリハ(王舎城)と違って平地にある。四方へ通ずる五つの路の集合地点として位置し、はるか彼方まで続く分厚い城壁とその周りに掘られた壕にかこまれ、その都市は、山間にあるラージャグリハの数倍の広さと繁栄を誇っていた。マガダの都の王族の宮がここでは商人の家に過ぎず、物資の流れも人の出入りも倍以上の騒がしさである。そして、ビンビサーラ王の代になって造られた今のラージャグリハが優雅なたたずまいであったのに比べると、それより古いはずのシュラーヴァスティーが新しく若々しい息吹と熱気に満ちていた。
スダッタ長者は方々(ほうぼう)を見て回り、その結果、ジュータ[祇多]太子の所有する園林がふさわしいように思えた。そこで長者は王宮を訪れ、王子にまみえて理由を話し、園林を譲ってもらえるよう願い出た。
(これは面白い)
上座にすわるジュータ王子が、にやりとした。十五になったばかりの少年は、智勇兼ね備えたその資質と生母の出自の良さからコーサラ国の太子と定められていた。出家にも礼を尽くし、いつもは優しく人と争うことなどしないのだが、このときばかりはつい悪戯心が萌した。
目の前に、シュラーヴァスティー第一の富豪で、商人たちの長であるという太った男が平伏している。
(この男、アナータピンディカ〈給孤独〉などと評判を取っているが、それは偽善か真か、見極めてやる)
王子は、王族よりも豪奢な生活をしていると聞く商人の困った顔が見たかった。
「ならばスダッタよ、あの園林に黄金を敷き詰めてみよ。見事やりとげたあかつきには、そなたへ譲るとしよう」
涼しい顔をして、太子は告げた。
長者は一瞬、あっけにとられたが、すぐさま眼に猛禽類のような光をたたえ、しかし顔には笑みを張りつかせたまま答えた。
「よろしゅうございます。きっと、やり遂げてみせましょう」
スダッタに、信ずる心はもちろんある。それに加えて、意地と誇りもあった。彼は王宮を退き、邸へ戻って黄金を集め始めた。そして全財産をつぎ込んで、広大な園林に黄金を敷こうとした。
「本気だったのか」
その報を聞いたジュータ太子は驚いて王宮を出で、駕を駆って郊外の園林にいる長者のもとへやってきた。
「スダッタよ、私が悪かった。前に云ったことは取り消そう」
王子は駕から降り、跪く長者の前へ来てさらに云う。
「私はこの園林を仏陀に寄進する。ともに協力して、よい精舎を作ろうではないか」
長者は喜び、王子に礼を述べた。
ふたりが精舎を建立しようとしている場所は、緩やかな丘とその近辺で緑の多いところであった。ジュータ王子が二階建ての門を作り、長者は林全体に精舎を建てた。彼は仏陀の住処となる香堂[ガンダクティ]を作り、物置小屋、客室、火室、台所、両便所、経行所、井戸、井戸小屋、浴室、池、阿屋を建てさせた。
その頃、世尊はラージャグリハからシュラーヴァスティーへ向う途上にあった。ヴァイシャリーを過ぎて、その郊外にある大林の重閣講堂に滞在していた。ここは沙門の誰もが留まり、説法のできる処である。緑濃い林の中には二層に重なった屋根を持つ大きな建物があり、その特異な形状から講堂の名は遠くの国々にまで知られていた。
ヴァイシャリーの人々は先にスダッタ長者のすすめによって、今生での罪の滅殺と来世の幸せを願って功徳を積もうと、それぞれが精舎[僧院]を建て始めていた。彼らは弟子達を請じて建築の監督をさせ、手厚く待遇した。
その中で、ある貧しい裁縫師は周囲の人々が精舎を建立するのを見て、「これは只事ではない、自分も一舎を建立したい」と思い立ち、自ら湿土をこねて積み上げ積み上げ壁を築いたが、方法を知らないので壁が歪んで倒れた。同様な失敗が二度も三度も続き、ついに裁縫師は愚痴を云うようになった。
「釈子の徒は厚い供養をする人々の建立には監督をなし、私のような貧しい者の仕事を顧みない」
これを聞いた世尊は弟子達を集め、法話をなしたのち命じた。
「弟子等よ、これから以後、新築監督を定めることを許すであろう。この監督に定められた者は、どうしたならば、誤りなく建てることが出来るであろうかと熱心に勤め、破損の出来た場合には修繕をせねばならぬ」と。
そして、ヴァイシャリーからシュラーヴァスティーへ向う途中、一精舎においてある出来事が起きた。弟子達が争って室を占領し、そのため少し遅れてやってきたシャーリプトラが室を得られなかったのである。
シャーリプトラは不平も云わずに戸外の樹の下で夜を過ごしたのだが、暁方に起き出した世尊がそれを見つけ、理由を聞いたのち弟子達を集めた。
「第一の座、第一の水、第一の食に値するものは誰であるか」
と、彼らの師は尋ねる。
弟子達はそれぞれ意見を述べ、ひととおり彼らが云い終わったところで世尊は語り始めた。
「弟子等よ、遠い昔、雪山の麓に大きな尼拘盧陀樹があったが、その近くに鷓鴣と猿と象とが棲んでいた。彼等は互いに敬わず、愛せず、睦み合わなんだが、あるとき、
『我々の内で誰が一番の年長者であるかを知ろうではないか。そして、その年長者を尊び敬い、その人の教えを守ろうではないか』
と云い合った。そこで鷓鴣と猿とが、象に尋ねた。
『友よ、お前はどれだけ前のことを憶えているか』
『私が子供であった時に、この尼拘盧陀樹をまたいでいたが、一番上の芽が私の胸に触れたのを憶えている』
猿が云うには、
『私は子供であった時に、私は地面へ坐ってこの尼拘盧陀樹の一番上の芽を噛んだことを憶えている』
鷓鴣が云うには、
『昔、この空き地に大きな尼拘盧陀樹があった。私はその木の実を食べてここへ糞をした。それからこの尼拘盧陀樹が生じたのである。それゆえ私が一番年長者である』
すると猿と象は鷓鴣に云う。
『友よ、お前は我々の中で一番の年長者であり、我々の敬うべき方である。我々はお前の教えを守ろう』
弟子等よ、かくて彼等は鷓鴣から五戒を聞いて守り、互いに敬い睦み合うて、死後天界に生まれた。この三人が浄らかな行いをし、世に知られているものである。
見よ、彼等、畜生ですら、かように尊敬と信愛と睦み合うことを守っている。しかるに汝等はこの善い教えの中に出家しながら、そのことを知らないというのは、信なきものに信あらしめ、信あるものにその信を増長せしむる所以ではない。むしろ信なきものはそのままに残し、信あるものをも、その信を退転せしむるものである。
弟子等よ、それゆえ年長者に向うて、礼拝跪坐合掌等の敬いの作法をなし、第一の座、第一の水、第一の食は年長者より勧めねばならぬ」
やがて一行はコーサラ国の都へ着いた。そのとき、スダッタ長者は美しい行列を作って世尊を迎え、ジュータ林の精舎[祇園精舎]へと案内した。そしてあくる日、師を自邸へ迎えて供養し、食後に、問う。
「世尊、私はこのジュータ林をいか様にしたら善いでありましょう」
すると世尊は、
「長者よ、この園林を来るものと来ぬものとに関わらず、四方の僧伽に献ずるがよい」
と、応えた。
スダッタ長者は黄金の瓶を取って世尊の手へ水を注ぎ、師の仰せの通りにした。
それに対して釈迦牟尼世尊は、偈をもって長者へ謝した。
この祇樹給孤独園で世尊は安居を幾度も過ごし、多くの説法を為した。成道直後の世尊と言葉を交わしたアージーヴィカ信者のウバカがのちにその妻チャーパーと共に出家したのも、この精舎においてであった。