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ディーヴァダッタとアーナンダ

(まぶしい!)

 中にいた子供が、心の中で悲鳴を上げる。

「こんなところにいたのか」

 むっとした顔で、ディーヴァダッタが入ってきた。

「兄上……」

 膝を抱えて床に座り込んでいた子供が、微笑む。

義母上(ははうえ)がまた、押し込めたのか」

「いいえ、そういうわけでは……私が鈍くて分らないからいけないのです」

 笑顔はすぐに消え、子供は表情を曇らせた。

 ふん、とディーヴァダッタが鼻を鳴らす。

「あと二ヶ月もすれば義母上(ははうえ)に子供が生まれる。われらは邪魔者だ」

「そんなことは……」

「ないと云うのか。アーナンダ、王妃マハーパジャパティのように先妻の子を可愛がる(ひと)性は(まれ)だ。たいていの女は自分の腹を痛めた子を慈しむ。そして夫の地位や財産を継がせようと願うものだ」

 アーナンダ[阿難(あなん)阿難陀(あなんだ)]は、うつむいて黙っている。

(兄上は義母上(ははうえ)と折り合いが悪いから……)

 彼には一年前に嫁いできた義母が、そんなに意地悪な人だとは思えない。物心つく前に生みの母を亡くしたアーナンダにとって、『母』といえば今の義母の顔しか思い浮かばなかった。

「だが、そんなことはどうでもいい」

 ディーヴァダッタは幼い弟の顔を覗き込もうとして、自分も床に坐った。

「私は家を出る。そして仏陀(ブッダ)になるのだ」

 晴れやかなその声色に、アーナンダは顔を上げた。

「おまえもシッダールタ太子の一行を見ただろう? 覚者(さとりのひと)となれば、どんな大国の王といえども頭をさげる。こんな小さなシャーキャ族の王などとは比較にならない権勢だ。もちろん修行は辛く苦しく、物のわからない奴等は襤褸(ぼろ)をまとった出家を蔑むことだろう。しかし私はきっと()羅漢(ラハット)になってみせる。出家すれば、生まれや身分に関わりなく自分の能力と努力で人から敬せられる身になれるのだ」

「素晴らしいことです。兄上でしたら、すぐに聖者となられましょう」

 熱を帯びた瞳で語る兄に向って、アーナンダは微笑みかけた。

(兄上は学問も武芸も人より優れた方だ。でも、いつも目の前にいないシッダールタ太子と比べられ、太子には及ばないと云われ続けていた。この(たび)、その方を間近に見て心服されたのだろう)

 素直で人の好いアーナンダは、心の底からそう思った。しかし実際のディーヴァダッタの心境は複雑である。

 彼には何か鬱屈したものがあった。それはディーヴァダッタの才知や容姿に微かな影を落とし、シャーキャ族の長老(おとな)たちから、シッダールタ太子の持つ『仏の三十二相より一相欠く』と評されていた。

(私と太子は、何処(どこ)が違うのだ)

 聖なる人に憧れると同時に、ディーヴァダッタはそれを知りたいと願い、出家の決意をした。

 そして、ディーヴァダッタは立ち上がり、手を差し伸べた。

「アーナンダ、おまえも来るのだ」

 突然の言葉に、幼いアーナンダは意味が理解できないまま、兄を見上げた。戸口から差し込む光を背にしたディーヴァダッタは、全身が金色に輝き、聖なる人のように見えた。

「おまえと同い年のラーフラさえ出家して(しゃ)()となった。私の弟ができぬはずがない」

 ディーヴァダッタが、にっと笑う。

「それに共に出家すれば、おまえの面倒を見てやれるし、何よりこの家にとってそれが一番良いことなのだ」

「兄上……」

 アーナンダの頭は混乱していた。

(私が家を出る……)

 彼は、説法のとき見たシッダールタ太子の姿を思い浮かべた。

 優美でいて力強い。まぶしい光をまとっているかのような兄とはまた違って柔らかな聖なる光を放っている人だった。

(あの方の御傍で生涯を過ごせるのなら、良いかもしれない)

 焦がれるような想いが湧き上がる。

 すぐに彼の心は決まった。

「……私もお連れください」

 アーナンダは兄の手を取り、立ち上がった。

「それでこそ、私の弟だ」

 ディーヴァダッタが声をたてて笑う。

 アーナンダは微笑み返した。

(賢い兄上はいつも私の(しるべ)だった。兄上に誤りはない)

 そして兄弟は、暗い部屋を出ていったのであった。




 


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