獣寄せのウルシャ
ウルシャは昔から、人ではないものに好かれる体質だった。
犬、猫、兎といった獣から、鳥に至るまで。
みな、なぜかウルシャのそばに来ると野生の警戒を解き、彼女の横に寄り添いたがった。
妹のエルシャはいつも、お姉ちゃんばっかりずるい、私だってもっと動物に好かれたいのに、と言っては頬を膨らませたものだ。
けれど当のウルシャは、妹の言葉に曖昧に微笑むことしかできなかった。
なぜ獣たちに好かれるのか、自分でもその理由が分からなかったからだ。
昔話に出てくる、その心の美しさから神の加護を一身に受けたという聖女のように、もしもウルシャが全ての生き物に等しく慈愛を注ぐような清く気高き女性であったならば、自然と動物たちが集まってくるのも分かる。
だがウルシャは容姿も心持ちもごくごく平凡な少女だった。
犬や猫が寄ってくれば人並みに可愛いとは思うし、お義理で頭くらいは撫でてやるが、心を通わせてみようとか愛情を注いでみようなどという気持ちはさらさらなかった。
動物は、あくまで動物だ。
ルク王国の広大な王宮の片隅で、下働きの小間使いとして働くウルシャには、たくさんの仕事がある。
だから忙しい時にはあまり寄ってこないでほしい。それが彼女の偽らざる気持ちだった。
しかし動物たちはそんなことにはお構いなく寄ってきては、ウルシャに多少邪険に扱われようが気にせずまとわりつくのだった。
困った顔の少女の後を犬や猫がついて回り、あまつさえその肩に鳥まで止まるさまがあまりに滑稽だったのだろう。
彼女にはいつしか「獣寄せのウルシャ」などという、年頃の娘にはありがたくないあだ名がついてしまっていた。
アシュトン帝国の使者の接待役の一人に自分が選ばれたと聞いたとき、ウルシャは己の耳を疑った。
「わ、わたくしがでございますか」
いつもなら上役の指示には多少の不満があったとしても素直に返事をするウルシャだが、今度ばかりはさすがに狼狽して訊き返した。
「わたくしのような者が、外国の使節の接待役など。何かの間違いではございませんでしょうか」
「うむ。私も最初は驚いたのだが」
上役も、自分の指示を誤りではないかなどと尋ねるウルシャの無礼を今回ばかりは咎めなかった。狼狽するのが当然だと彼も考えたのだろう。
「しかし間違いなくお前が選ばれたのだ、ウルシャ」
「それはいったい、どのようなわけでございますか」
ウルシャは縋るように上役の顔を見上げる。
外国の使節の接待役。ましてやその辺の小国ではなく、あのアシュトン帝国の。そんな恐ろしい役目が自分に務まるとは到底思えなかった。
だから間違いではないのであれば、上役からきっぱりと、あんな小娘にそんな大役は務まりませぬ、と断ってもらいたかった。
アシュトン帝国は、ウルシャたちの暮らすルク王国の西に位置する大国だ。
長らくルク王国とは緩やかな協力関係にあったが、共通の敵だった北の蛮族モーグの勢力が後退したことで、両国の関係は近年徐々に緊張し始めていた。
先年のルク王国とシルワ王国との戦いで、ルク軍はシルワ軍を大いに破り領土を拡大したのだが、シルワ王国の背後にいるアシュトン帝国はそれを快く思わなかった。
ルクの勢力拡大は、とりもなおさずアシュトンの影響力低下に結びつくからだ。
シルワから奪った領土を返還せよ。
アシュトン皇帝はルク王に繰り返しそう要求した。
無論、ルク王はそれを毅然とはねのけたのだが、皇帝の要求は執拗だった。
今回のアシュトンの使者も、表向きの用件は多々あれど、実質的にはその件の交渉に来るのだ。
という程度のことは、下働きのウルシャでも勝手に耳に入って来る大人たちの会話の聞きかじりで知っていた。
「我が国は、今はまだアシュトンと事を構えるつもりはないらしい」
上役は言った。
「帝国軍は強大だからな。いかに我が国の軍が精強だと言っても、正面からぶつかればちと分が悪い。だが我が国の男たちが血を流して得た領土を、向こうの皇帝に言われるがままに唯々諾々と返さねばならぬ義理などない。だから使者の要求ははねのけるが、平和に穏便に、丁重にお帰りいただく。アシュトン人どもが、侮辱を受けた、もう戦だ、などと騒ぎ出さぬようにな。そのためにはできる努力は惜しまぬと、そういうことだ」
上役の語る雲の上の話は、ウルシャにはさっぱり理解できなかったし、理解できたとしても自分と関係がある話とは思えなかっただろう。
使者に丁重にお帰りいただくことと、王宮の隅で働く自分が接待役の一人に選ばれることにどんな関係があるというのか。
自分の今までの仕事ぶりを評価されての大抜擢とはとても思えなかった。
ウルシャと同じ立場の下働きの少女たちの中には、彼女などよりよっぽど聡くて気の回る子がいくらでもいるのだから。
「それならなおさら、他の方のほうが良いかと思いますが」
「国境から早馬が来たのだそうだ。それによると、アシュトンからの使者の長はな」
上役は声を潜めた。
「狼人なのだそうだ」
「狼人……」
ウルシャは目を見開く。
それは、今までの自分の人生とはまるで関わりのない、あたかもおとぎ話の中に出てくるような言葉だった。
狼人。
ウルシャも一応はその存在を知ってはいた。
ルク王国の庶民たちの間にも、半ば伝説的な彼らのことは流布されていたからだ。
アシュトン帝国に住む人々、すなわちアシュトン人たちの姿は、髪や肌の色に多少の違いはあれどルク王国の人々とそう変わりはない。
だが帝国の支配層、すなわち初代皇帝の高貴な血筋に連なる人々だけは、ルプスヴィと呼ばれる狼人なのだという。
使者として高貴な狼人が来るということは、その人物が帝国の皇族かそれに近い立場の人間であるということを意味していた。
「そ、それと私とどんな関係が」
ますます気が遠くなりかけながらウルシャが言うと、上役はため息をついた。
「まだ分からんのか。本当にお前は鈍いな」
上役は、ウルシャの足元を指差した。
「ほれ、お前のその獣を引き寄せる力」
「え」
ウルシャが足元を見ると、どこから入ってきたものか、一匹の野良猫が彼女の足に自分の身体を擦りつけていた。
猫はウルシャの視線に気づき、にゃあ、と鳴く。
「上の方々は、お前のそれに期待しておるのだ。どういう理屈かは知らんが、お前は獣に好かれる。その力で、少しでも狼人の機嫌が取れればとな」
「そ、そんな、野良猫と…」
狼人を一緒にしないでください、私にそんな力、あるわけがないではございませんか。
そう言おうとしたウルシャの頭にちょうど二羽の小鳥が舞い降りてきて、上役は、ほら見ろという顔をした。