少年と少女(1)
『とある世界のある少年のお話』
朝。
一人の少年が規則正しい寝息をたてて気持ちよさそうに寝ている。季節は春真っ只中。空は蒼く澄んでいて、思わず空を見上げれば笑顔が零れてしまう。
少年が住んでいるのはアパートの一室だが、部屋自体が南に面していて、窓からは日の光が差し込みとても明るい空間が広がっていた。
彼の住むこの世界はまるで海の中を見ているかのように碧や翠といった色に光輝いていて、人々の目には美しい桃源郷が映し出されていた。
しかし、この世界が美しく澄んでいればいるほど他世界からは嫉妬と渇望の眼差しが向けられる。
そしてその感情は人々の中の『負』のオーラのボルテージを上げ、心を闇に染めていく。
闇に心を染められた者は人の皮を被った鬼へと成り果てる。そうした鬼たちは人の心の『輝き』を求め殺戮を引き起こす。まるで失ってしまった自身の心を取り戻そうとするかのように・・・。
日の光が空高く上がった頃ようやく少年は大きな伸びをして起き上がる。少年の目はまだ眠そうにしていたが、ある一点を見つめ小さく笑った。その視線の先にはひとつの写真があった。
突如まどろみから覚醒し、寝起きだというのにもかかわらず部屋を飛び出して行った。
その手首には鈍色の鎌の形をしたアクセサリーがついたブレスレットをして、その目には蒼い、サファイアの光と強い意思を携えていた。
『とある世界のある少女の物語』
昼。
ある少女がなんにもない草原にたっていた。否、そこはすでに草原の面影はなく巨大なクレーターが出来ていた。その中心には紅黒く鈍い光を放つ普通の剣の倍はあるだろう巨大な剣を片手で持った少女がいた。長い黒髪をひとつに束ね右側に結っていた。少女の華奢な体型からは想像できないほど大人びた雰囲気を醸し出していて、その目は朱い光を湛えていた。
持っていた剣を背負っていた鞘に納めると、少女はありえない跳躍をしてクレーターの中から飛び出した。その時、少女が羽織っていた薄い水色のコートが翻った。
しゃららん、と可愛い音がして胸元のふたつのロケットペンダントが擦りあった。
寄り添うようなふたつのペンダントはサファイアとルビーの光を放っている。
少女は地面に降り立ちサファイアのペンダントを手に取り、開いた。そこには少女より若干歳が上に見える少年が写っていた。
少女はしばらくそれを憂いのある表情で見ていたが、パチンとペンダントを閉じ、前を向いて走りだした。
―その目には先ほどの憂いのある光は見られず代わりに朱い光を携えていた。
『とある世界の少年と少女の邂逅』
夜。
この世界には電気などの作り出された光はない。
そのかわりに人々はある宝石を使い自然そのままの光を手に入れた。
自然や鉱物に恵まれたこの世界ならではの芸当である。
昼間の太陽の光を『陽』の光と呼び、夜の月の光に当てられ光る宝石を『隠』の光と呼ぶ。隠の光とは月に照らされたクリスタルの光である。この世界のクリスタルは特殊で昼間の内に陽の光を当ててから月の光に当てるとクリスタル自体が淡い光を放つ。それはとても幻想的であるため初めて見た者はうっとりとしてしまう。
光の強さはクリスタルの大きさで決まるが家の中を照らすだけなら消しゴムほどの大きさで十分なのでクリスタルが減って困ることはない。他の宝石でも同じことができ、クリスタルは白い光を出すがルビーは朱、サファイアは蒼、などさまざまな光を出すことができる。
この世界に住む人々は空から陽の光が消えると後は家からあまり外に出ることはない。外では夜の住人が行動を開始してしまうからだ。それらは『鬼』と呼ばれ人々を襲い殺戮を繰り返す。
しかしそれでは夜の時間が家の中だけに制限されてしまうため、一部の者達は快楽を求め夜の世界へと入って行っていき、心を食われ鬼になってしまう者もいる。夜の世界は鬼によって支配されているのだ。それにより人々は怯えて家にいるしかなくなる・・・。
たったったったっ・・・
夜の闇の中、足音が響いた。その足音を聞きつけた鬼たちは本能のままに足音のする方へと寄っていく。
―久々の獲物だ・・・、早く食わせろ・・・
さまざまな心の声がところかまわず聞こえてくる。
不意に足音が止んだ。鬼たちはしめたと顔歪ませて一目散に獲物の元へと向かっていった。
鬼たちがたどり着いた場所は見通しのよい原っぱであった。その原っぱの真ん中に人影が見えた。鬼たちが全員その場に目を向けた瞬間、人影のほうから空へ何かが投げられた。それは月の光に当てられ眩しいくらいの隠の光を放った。
いきなりの閃光に鬼たちが顔を背けた瞬間、人影は鬼たち目掛けて走りだした。
ちょうど閃光が放たれたとき、それを見た人々は口々に、
「やっ闇を切り開く光・・・しっ死神っっ!」
「死神がでたぞー!!」
「気をつけろ!死神は鬼だけじゃなく俺らまで巻き込むぞ!!」
そう言ってその場から少しでも逃げようとするが、結局鬼が怖くて人々は家の中にいる以外選択肢がなくなってしまう。
人々が家で怯えて時が過ぎるのを待っていると外にひとつの人影が現れた。その人影は周りの人々とは異なり、平然と、ある一点を見つめ歩いていく。
―それは折しも閃光が放たれた場所だった。
原っぱではすでに人影と鬼たちの激戦が始まっていた。しかし、優位なのは人影のほうであることが一目瞭然であった。身の丈ほどある巨大な鈍色の鎌を片手で振り回し、鬼たちを切り裂いていく―ように見えたが、鎌にも周りにも血が飛び散ることはなかった。
次々に鬼たちはうめき声をあげて倒れていく。姿形は人間であっても闇に心を染められてしまえば邪気は一気に膨れ上がり、爆発する。
しかし、倒れた鬼たちからは徐々に邪気が消えていき、規則正しい寝息が聞こえてきた。そこにいるのはもう鬼ではなく・・・あるべき姿、つまり人間に戻っていた。
原っぱに立っているのが人影ひとりとなった。
天に向けて鈍色の鎌をかざすと瞬時に手から鎌がかき消え、代わりに手首にアクセサリーのついたブレスレットが、しゃらんと音をたてて顕現する。
そしてその場を去ろうとして踵を返した時、後ろから突然突風が吹いた。
振り返って見ればそこにはもうひとつの人影があった。
二つの影はしばらく無言を貫いていたが、沈黙に耐えられなかったのかひとつの影がため息をついた。
「・・・・・・・・・・・・・・・なぁ、そこで何してるんだ?」
影のひとつがもうひとつの影に話しかけた。大人びていて低い、それでいて少年のようなその声は疲れているのか少し弱々しいが、凜とした響きがあった。
「・・・・・・・・」
しかし、影はその問いかけに答えずただ沈黙を保ち続ける。二つの影の間はかなり距離が空いていたが、先ほどのクリスタルがまだ光を放っているのでそこに誰かがいるのだけは分かった。
「・・・・・無視するなよ。何してんだって聞いてるんだ」
その声は先ほどよりも切なさがましていた。
「・・・・・・・・」
だか、再度問いかけても返ってくるのは沈黙だけ。
「「・・・・・・・・・」」
再び静寂が支配する。
どれほどの時間そうしていただろう。
夜の闇は深くなり、月の光に照らされ先ほど投げられたクリスタルは一層輝きが増した。その光に耐えられなくなった影のひとつが落ちているクリスタルのところまで行き、面倒臭そうにクリスタルを拾い、ポケットにしまいこんだ。月の光が届かなくなったクリスタルからは徐々に輝きが失せ、元の宝石の光に戻った。しかし、元々の月の光が強かったため、視界はおぼろげながらも見えてくる。相手のシルエットが確認できるほどに。
辺りに再び静寂が戻ったとき、ひとつの影がおもむろに息を吐き、問いかけた。
「いつまでこんなことを続けるつもりなの?―昴兄さん・・・」
その言葉に兄さんと呼ばれた相手の影は取り乱すこともせずただ淡々と言葉を返す。
「・・俺の命尽きるまで」
「そんなことしたって無意味だよ!鬼になった者のその時の記憶を奪うなんて!ただの一時しのぎにしかならないじゃない!!鬼になったやつらに情けなんかいらない!殺すしか、殺すしかあいつらを殲滅する方法はないんだよ!?・・・それなのにっどうして!?ねぇ、昴!」
兄の言葉に耐えられなかったのか、影が一歩前に出て息もつかずに大声で怒鳴った。
月明かりに照らされ顔がおぼろげに闇の中に映し出された。そのシルエットは少女の姿をしていたが、先ほどの声に比べてずいぶんと幼い姿をしていた。少女のその目は憤怒を表していたが、興奮したため呼吸が乱れていた。
「・・・・沙梨香・・・・」
「・・・・・・・・」
兄のつぶやきともうめき声とも取れる言葉に沙梨香と呼ばれた少女はただ唇を噛んで俯いた。手は固く握られ血が滴り落ちてくる。
―この二人が今ようにすれ違ってしまったのは互いに相手を守りたいがためだった。
『二人の過去』
私たちが軽く口にしている『世界』。
この単語ひとつを見ると微妙な違いをたくさん持っている。日常の世界、社会の世界、ブラウン管の中と外など複数の言い回しで使われる。しかし、それは人によって感じ方が違う。
私たちの星には『世界』はひとつしかなく、その時その場を共有できる唯一のことを『世界』といい、共有できない『世界』を【異世界】と呼ぶ。つまり、今生きてこの『地球』という星に存在することが『世界』を共有できるということになる。その中でも人は自分自身の小さな世界を作り出す。それが上に上げた世界だ。
鬼と呼ばれる人間のまがい物に成り下がってしまった彼らは本来昴たちとは別の『世界』を生きていた。
しかし、どんな偶然か分からないがひょんなことからこの世界に迷いこんでしまった。
そして彼らは『世界』に魅了された。
誘惑された心は嫉妬に燃え次第に人の思いを失い、人々を襲い、心を求めてさ迷い歩くことになる。
―これが『鬼』の誕生である。
南十字昴と南十字沙梨香は仲の良い兄妹だった。二人には両親がおらず、苦しく、貧しい生活を送っていたがお互いを大切にしながら、二人三脚をして生きてきた。この頃の世界には鬼がまだ現れていなく夜になれば青春を謳歌している若者たちで賑わっていた。
しかし、いつの頃からか覇気のない人たちが街をさまようようになった。そしてそれらは人々を襲い始めた。恐怖を覚えた人々はそれらを―『鬼』と呼び始めた。人々は夜になるとけして外に出ず家の中に閉じ籠るようになった。
それは二人も同じで部屋の中で身を寄せるようにして過ごしていた。
しかし、貧しい生活の二人には夜に部屋に閉じ籠ってばかりでは今の状態を維持して行くことが出来なかった。
街では鬼たちに対抗するべく、あるものを持って外に出るようになった。クリスタルである。たとえ鬼たちと出くわしてしまったとしても、クリスタルを放って相手を怯ませその隙に逃げるためだ。
昴も同様にして夜の闇の世界へと入って行った。
―この時をもって後に仲のよい兄妹を見ることはなかった。
たったったったっ・・・・
夜の闇の中足音が響く。ひとつの影が何かから逃げるようにして走っていく。その後ろを膨大な数の鬼たちが追っていた。
影=昴は仕事帰りに鬼と出くわしてしまった。その時はクリスタルを放って逃げようとしたがその光が逆に他の鬼たちを引き寄せてしまった。
ぜぇっぜぇっ・・・はぁっはぁっ・・・・
荒い呼吸が街に響く。月の光以外に明かりがない夜の闇の中、昴はただ必死に走っていく。後ろからは一定の距離を保って鬼たちがついてくる。だが、徐々にその距離が狭まってくる。
―このままでは捕まってしまう・・・
昴は意を決して疲労で動きがままならない体に鞭を打って全速力で走りだした。
―家とは反対の道を。愛しい妹の姿を思い描きながら
昴はただひたすらに走っていくとある場所にたどり着いた。街はずれの少し広い広場で、よく妹と遊んでいた思い出深い場所だった。昴は小さく笑って広場の真ん中まできて止まった。
―無意識に駆けてきたのにここに来たのはもうすぐこの世界から自分は消えるからかな・・・。
荒い呼吸を繰り返しながら昴はぼんやりと思った。
鬼たちが自分を食うために迫ってくるのを頭の隅で感じながら。自然と恐怖は感じなかった。
昴は自分が鬼たちに包囲されたのを見て片膝を地面に落として、目を閉じた。
―ごめんな沙梨香。守ってやれなくて
ポタッ閉じていた瞼から涙が一粒頬を伝わって地面に落ちた。
それを合図に鬼たちは昴へと襲いかかった―