エイブリー・コットの悲劇
お茶会の参加者が決まった。
ディオンは四年生の名前を見てピシリと硬直した。
「ディオンさん、どうしたっすか?めっちゃ固まってるっぽいすけど」
ジャンが首を傾げる。
「今年のお茶会は盛り上がりそうだな」
エドワードがふっと優雅に微笑んで言う。
「ええ。本当に」
「例年にはない盛り上がりを期待しますね」
シャルロッテとナサニエルもうんうんと頷く。
ディオンが硬直した理由を知っていそうなエドワードら三人を見て、ジャンは頬を膨らませた。
「なんすか。俺だけ仲間外れにして。これは平民いじめっすよね?生徒会の中で俺だけ平民だから「平民の分際で生徒会なんて生意気なのよこの身の程知らずの雌猫が!」ってインク壷を投げつけて制服を汚して「あーら、平民にお似合いの制服になったじゃない!」ってせせら笑うつもりなんすね?」
「馬鹿だな、ジャン……私がお前にそんなことをするはずがないだろ……?」
エドワードが隣に座っているジャンの手にそっと自分の手を重ねる。
「仲間外れにした訳じゃないんだ。わかってくれ、子猫ちゃん……」
「殿下……」
フィレンディア王国王太子エドワードと平民特待生ジャン・ヴィンスレッドは瞳を潤ませてみつめあった。二人の世界だ。背景に薔薇が見える。
「あらいやだ。わたくしが婚約者としてふがいないばかりに、あのような平民に殿下の心を奪われて。わたくし、このまま断罪されてしまうのね」
シャルロッテが頬に手を当てて小さく溜め息を吐く。
「シャルロッテ!貴様は私の婚約者でありながら、いじめなどという非道な真似を!そんな女と結婚できるか!私は真実の愛に生きる!」
「いけません殿下。このままだと俺、「ざまぁ」されちゃうっす」
「ええい!うるさい!くだらない寸劇するな!」
王太子と公爵令嬢と平民男子による「真実の愛ごっこ」に苛立ったディオンは席を立って怒鳴りつけた。
「何をいきり立っているんだ? 五月休暇の前に学期末テストの首席を招いて茶会を開くのは毎年の恒例行事じゃないか」
フィレンディア王国の王立学園では毎年、生徒会が主催で二学期末のテストで男女別に各学年一位の者(生徒会役員が一位だった場合は次席の者)を招いてお茶会を開くことになっている。
本日、テスト結果が発表され、各学年の参加者が決まったところだった。
ディオンが何故、参加者の名前を見て硬直したのか、その理由を知っている癖にしゃあしゃあと尋ねてくるエドワードに、ディオンは怒りのまなざしを送った。
「そんなに熱い目で見るな。私にはシャルロッテがいるからお前の想いには答えられない」
「申し訳ありません、ディオン様……」
「だから、茶化すな!」
隙あらばふざける王太子とその婚約者にキレっぱなしのディオンを見て、ジャンは首を傾げた。
「でも、本当になんで硬直してるんすか? 参加者に苦手な相手でもいたんすか?」
ジャンの疑問に、ディオンは「うぐっ」と呻いた。
「ああ、そうか。ジャンは去年から入ってきた編入生だから、「エイブリー・コットの悲劇」を知らないんだな」
「なんすか、それ」
エイブリー・コットの悲劇。
それはこの学園の生徒であれば誰でも知っていると言っていいほど有名な話だ。
今から八年前、フォーゼル公爵家の嫡男であるディオンが十歳の時のことだ。
普段は領地で過ごしているディオンだったが、ある時、父である公爵に王都へ行く用事が出来た。
公爵は「丁度いいから息子に王都を見せよう」とディオンを一緒に連れて行くことにした。
貴族の子弟は十二歳になったら王都の学園に通うことになるため、少しでも王都の雰囲気に慣れさせておこうと思ったのだ。
父子は二週間ほど、王都のタウンハウスで過ごした。
昼間、父は仕事に出かけていない。滞在三日目にはタウンハウスに飽きたディオンは街へ遊びに出かけることにした。
やんちゃな少年だったディオンは護衛が止めるのも聞かず、平民の居住地区にまで足を踏み入れた。
そこで、道の端にうずくまって泣いている子供をみつけた。
「おい、なんで泣いてるんだ?」
声をかけると、子供はびくっと震えて顔を上げた。
まん丸い目をぱちりと見開いた平民の子供は、一目見て貴族とわかる格好のディオンを見て驚いていた。
ディオンより三つ四つ年下だと思われる小さな子供は、ぼさぼさの短い黒髪に焦げ茶色の丸い目、粗末なシャツと継ぎの当たったズボンをはいていてあまり裕福な家の子供には見えない。
「お前、名前は?」
ディオンが居丈高に問うと、子供はびくびくと震えながら答えた。
「……ぇぁぷりー、こっと……」
小さな声で聞き取りづらかったが、ディオンは聞き返さなかった。
「エイブリー・コットか!よし、お前を俺の子分にしてやる!」
自分より年上の男の子にいじめられて泣いていたという気弱な子分を案じたディオンは、それから毎日平民居住区にやってきてエイブリーを構った。最初はびくびくしていたエイブリーも、すぐにディオンに懐いて笑うようになった。
まるで兄弟のように仲良くなった二人だったが、時間はあっという間にすぎて、ディオンが領地に帰る日がやってきた。
「もうディオンに会えないの……?」
帰ることを告げると、エイブリーはぽろぽろ涙をこぼした。
「泣くな!エイブリー」
「だって……」
「俺は二年後には学園に入学する!そしたらまた会える!」
ディオンはエイブリーの肩を叩いて言った。
「いいか、エイブリー!お前も学園に入れ!」
「無理だよぉ……貴族様が通う学園に入れるわけないじゃん」
「いいや、平民でもテストを受けて合格すれば学園には通えるんだ!しかも、特待生になれば学費は一切かからない!」
ディオンは拳を握って力説した。
「だから、たくさん勉強して学園に入るんだ!お前なら出来る!学園に入れたら、また俺の子分にしてやる!」
「ほんと……?」
「ああ!約束だ!」
友との誓い――
幼いながらも真剣だったディオンは、エイブリーが必ず学園に入学すると信じていた。
二年後、予定通り学園に入学したディオンは、休日などに平民居住区を訪ねてはエイブリーを探した。
しかし、エイブリーはどこにも見つからなかった。
二年も経っているんだから相手は忘れちまったんだろうと周りの者に慰められても、ディオンはエイブリーを信じていた。
そして三年前、三つ年下だったエイブリーが十二になるはずの年の九月、ディオンは校門前に立ちエイブリーが姿を現すのを待っていた。
仁王立ちする公爵家嫡男に登校してきた貴族の子弟は何事かと怯えていたが、そんなもんはどうでもいい。ディオンは可愛い弟分であり親友である少年を見つけるために必死だった。
そこへ、一人の少女が通りかかった。
真新しい制服に身を包んだ少女は、校門前で目をぎらぎらさせて新入生を睨んでいる不審者を見て「あっ」と叫んだ。
「ディオン!」
鈴を転がすような声で名を呼ばれて振り向くと、見知らぬ少女が顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「やっと会えた!」
「……何?」
親しげに話しかけてくる少女に、ディオンは眉をひそめた。
新入生の一人らしいが、ディオンには見覚えがない。まっすぐな黒髪を肩口で切り揃えた小柄な少女だ。
「誰だ?お前」
「忘れちゃったの?」
少女は悲しそうに眉を下げて、くりっと首を傾げた。
「昔、約束したでしょ? 絶対にこの学園に入るって」
ディオンは目を見開いた。その約束をした相手は可愛い弟分だ。
平民居住区で出会った男の子、エイブリー・コット。
ぼさぼさの短い黒髪に焦げ茶色の目の……
「お前、名前は?」
「やっぱり忘れちゃったんだ。ひどいなあ」
少女は苦笑いを浮かべて焦げ茶色の丸い目を瞬かせた。
「私の名前はアプリコットだよ。アプリコット・クラウン」
おわかりいただけただろうか。
初めて出会った時、名前を聞かれたアプリコットはこう名乗った。「……ぇぁぷりー、こっと……」
直前まで泣いていた上に、幼い子供なので舌足らずだった。本人は「アプリコット」と言ったつもりだった。
これを「エイブリー・コット」と聞き間違えたディオンは、アプリコットの髪が短くズボンをはいているのを見て「男の子」だと思い込んだ。
その後、「エイブリー」と何度も呼んだが一度も訂正されなかったため、それが正しい名前だと疑わなかった。
では、アプリコットは何故間違いを指摘しなかったのか。
アプリコットは平民である。
貧乏人の子沢山という言葉があるように、下町には子供が溢れている。周りの大人達はだいたいどこの子がどこの家の子かは覚えていても、正確な名前までは覚えていないことが多い。
そして、子供達はたいてい愛称で呼び合う。アプリコットは周りの子供達からは「アプリー」と呼ばれていたし、隣に住んでいたお婆さんは何度教えても「エイプリル」と間違えて呼ぶので正確に「アプリコット」と呼ばれる方が珍しかったのである。
なので、ディオンから「エイブリー」と呼ばれていても大して気にしていなかった。「アプリー」と呼ばれるのとそれほど違わなかったから。
ちなみに男の子の格好をしていたのは、貧乏なので兄のお下がりを着ていただけである。
ディオンがいくら平民居住区で「エイブリー・コットという名前の少年」を探しても見つからなかった訳である。
長年の勘違いに気づいたディオンの心境はいかばかりか。
可愛い弟分で親友だと思っていた相手が、実は女の子だった。
己の早とちりを恥じて笑い話にしていればなんてことはなかったのだが、長年の信頼を裏切られた気分になったディオンは思わず目の前の少女を怒鳴りつけていた。
「騙しやがったな!!」
騙されていた。裏切られた。信じていたのに。嘘つきめ。平民の分際で公爵家に取り入るつもりだったのか。
ほとんど頭空っぽのままに、ディオンはありとあらゆる罵詈雑言をアプリコットに浴びせていた。
衝撃の事実、からの、激昂タイムが終わって、ふと我に返ったディオンが見たのは、真っ青な顔で鞄を抱きしめてぶるぶる震える少女の姿だった。
「それで、アプリコット・クラウンはすっかりディオンのことがトラウマになってしまって、生徒会には絶対に近寄らないしディオンの話題が出ただけでも吐きそうになるぐらい重度の「ディオンアレルギー」を患ってしまい、我に返って冷静になったディオンが謝ろうとしても姿が視界に入っただけで逃げられて、結局この三年間まったく謝罪が出来ていないという訳だ」
「ざまぁwww」
エドワードの説明に、ジャンが草を生やす。
「この公爵令息の失態があまりに面白すぎて、学園中の貴族にあっという間に広まり、その家族にまで顛末が広まって、貴族では「エイブリー・コットの悲劇」を知らない者はいない。「ディオンが卒業までに謝罪できるか」が賭の対象になっているぐらいだ」
「高位貴族の失態とか平民の俺にはメシウマwwwっす」
ジャンは表情に乏しく無表情気味であるのに、思ったことは素直に口にする物怖じしない男である。
ディオンは怒りでぶるぶる震えた。
あの時は、長年待ち続けた「エイブリー・コット」が実在しないという事実に打ちのめされて、つい暴言を吐いてしまったのだ。よく考えてみたら、アプリコットは別に悪くない。ディオンが勝手に男の子だと勘違いしていただけだ。
だから、謝りたいとは思っている。
思っているのだが、アプリコットはディオンが近寄ると逃げるし、友人の背に隠れるし、教室を訪ねれば居留守を使われる。机の下でぷるぷる震えながら「あぷりこっとはいましぇん……」と言われると、それ以上教室に踏み込めなくなる。
クラスメイト達の鬼か蛇を見るような冷たい目も耐え難いし、なんなら時々実力行使で追い払われる。よってたかってドングリを投げつけられた日は、夜に一人でちょっと泣いた。
「なるほど。そのアプリコットちゃんがお茶会に参加するんで硬直してたんすねwww」
参加者名簿を見てジャンが言う。
「でも、チャンスじゃないっすか。お茶会できちんと謝って許してもらえばいいんすよ。公爵令息の全力土下座が見たいっすね、俺は」
「そうだ。ジャンの言う通りだぞ。この機会にしっかりと謝るんだ」
「そういうことでしたら協力しますわ」
「では、土下座の練習から始めよう。さあ、平伏せ」
好き勝手に茶化されて、ディオンは怒りで拳を握り締めた。
「テメェらに言われるまでもねぇ!完璧に謝ってやらあ!」
ディオン・フォーゼル。十八歳。
負けられない戦いが始まろうとしていた。
***
アプリコット・クラウンは絶望していた。
「ななにゃ、にゃんでですかあ~っ!? なんで、いつもはタチアナ様が一位なのに、今回だけタチアナ様が二位なんですか!?」
「ほほほほほ! わたくしとしたことが、うっかりテスト前日に『魔術師ドラ・エーモンとノビノ・ビッタ王子の冒険』を読み返してしまいましたの! 気づいたら日が登っておりましわ!ごめんあそばせ!」
高笑いをする少女に縋りついて泣き喚くアプリコットは、顔を真っ青にして涙目で震えている。
ちなみに、『魔術師ドラ・エーモン』シリーズは子供にも大人にも人気の名作長編小説である。
「ううう……私は辞退するので、タチアナ様がお茶会に行ってくださいよぉ~」
「お断りですわ!」
タチアナは広げた扇の陰でつーんとそっぽを向いた。
「いい機会じゃありませんの。貴女を侮辱した男なんかをいつまでも恐れていてはいけませんわ」
「侮辱だなんて……あれは私が悪かったんです」
アプリコットはしゅん、と項垂れた。
アプリコットは七歳の時、ディオンと出会った。
平民の住む地区に見たことないぐらい綺麗な服を着た子供が現れて、アプリコットはとても驚いた。
子分にしてやると言われて一緒に遊びまわるうちに、アプリコットはこの三つ年上の少年のことが大好きになった。
だから、お別れの時は本当に悲しかった。
相手は貴族の子息だ。きっともう二度と会えないと思った。
でも、ディオンは学園に入ればまた会えると言ってくれた。
その言葉が嬉しくて、アプリコットは必死に勉強した。色々な場所で雑用や下働きをして、稼いだ金で本を買って朝から晩まで暇をみつけて読み込んだ。
そしてついに、学園に特待生として入学できることになったのだ。
これでやっとディオン人会える。そう思って喜んだアプリコットだが、同時に少し不安でもあった。
ディオンは自分のことを覚えていてくれるだろうか。忘れてしまっていたらどうしよう。
そんな不安を抱えて登校したアプリコットは、何かを待ちかまえるように校門前に立っているディオンを見て、心の底から歓喜したのだ。
覚えていてくれた。待っていてくれたのだ。
アプリコットは大喜びでディオンに駆け寄った。
感動の再会。に、なるはずだった。
だが、
「騙しやがったなっ!!」
アプリコットには騙したつもりはなかった。けれど、紛らわしい真似をしたと責められれば返す言葉はない。
「性別を隠して近づいて、公爵家に取り入るつもりだったのか!?」
そう罵られて青ざめた。そうだ。普通は平民が貴族に近づいたら警戒されて当然だ。アプリコットがのうのうとディオンに近づけば、周囲からは身の程知らずの平民が貴族に取り入って甘い汁を吸おうとしているようにしか見えないだろう。
何を勘違いしていたのだろう。
昔みたいに仲良く、なんて身の程知らずの夢だった。
自分を恥じたアプリコットは青ざめたままふらふらと教室に辿り着いた。
「ちょっと、貴女」
そんなアプリコットの前に、見事な金髪縦ロールの少女が立ちはだかった。
「何を騒いでいましたの?フォーゼル公爵家のディオン様とお知り合いですの?」
それがタチアナ・ニキーチナ伯爵令嬢だった。
長年、会いたかった相手に罵倒されたショックで弱っていたアプリコットは、身振り手振りも交えて一生懸命説明した。
幼き日の出会い。別れと約束。再会を信じて努力した日々。
すべてをぶちまけた。タチアナの隣に何故か速記係みたいな少女が立って、さらさらペンを走らせているのが少し気になったが、話し出すと止まらなくて、事細かに説明してしまった。
その結果、その日の午後には『エイブリー・コットの悲劇~公爵令息に振り回されおとしめられた少女の誇り~』と題した号外が学園中に配られ、真相を知った生徒達は平民の少女に大いに同情したのだった。
公爵令息のゴシップだ。皆、興味津々である。
我に返ったディオンが反省する頃には、既に学園中がディオンの所業を知っており、「あれが例の……」「女の子を男だと勘違いしておいて、相手を責めるだなんて……」「相手が平民だからって、貴族の風上にも置けない……」などと囁き交わされてゴミを見るような目で見られる始末。
一方のアプリコットはタチアナによしよしされ、クラスメイト達に可愛がられ、醜悪な公爵令息の魔の手から守られて今に至る。
しかしまあ、ディオンは最終学年になり、夏には卒業となる。
そろそろ話ぐらいさせてやるか、タチアナを始めとしたクラスメイト達の許可が下りたのである。
ただし、二人で会うのは駄目だ。そこまでは信用できない。
「生徒会主催のお茶会なら、王太子殿下もおりますし、諸悪の根源も大人しくしているでしょう」
実際の王太子は婚約者と共に結構悪ノリするタイプなのだが、タチアナはそれを知らない。
「ということで、頑張るんですのよ。アプリコット」
「ううう……」
アプリコットはがっくりと肩を落とした。
***
生徒会主催の茶会は学園の中庭で行われる。
春風の柔らかな気持ちの良い日だ。お茶会日和である。
「はあー……はあー…ふぅーっ」
「殿下、爽やかな茶会に息の荒い変質者が混ざってるっすよ。由々しき事態っす」
「ジャン君。あれはね、自分が酷いことをしてしまった女の子にようやく謝罪が出来るという喜びと極度の緊張で息をするのも難しくなってしまった公爵目フォーゼル科のディオン虫という生き物だよ。もう少し観察してごらん。おもしろい生態が見られるかもしれないよ」
「本当? 殿下先生」
「ほら、テーブルの周りをうろうろし始めたよ」
「うわあ。なんだか気持ち悪いね」
「そうだね。でも、一寸の虫にも五分の魂と言ってね。気持ちが悪いからといって無闇に嫌ってはいけないよ」
「はーい」
王太子と平民が「よい子の昆虫観察ごっこ」をしている横では、公爵令嬢シャルロッテと侯爵令息ナサニエルが客を迎える準備を整えていた。
「そろそろ皆様がいらっしゃる頃ですわね」
「ああ。ディオンもいい加減に落ち着け」
「あ、ああ……」
ディオン虫がテーブルの周りをうろつくのをやめたちょうどその時、招かれた生徒達がやってくるのが見えた。一年生から七年生までの各学年の成績一位の男女だ。
ディオンは誰かがやってくる度にびくびくと大げさな反応をして、怪しいことこの上ない。
やがて他の学園の男女は揃い、残るは四年生の女生徒――アプリコット・クラウンのみとなった。
「ア……アプリコットが……来ない……はあはあ……」
「そりゃ、こんな息の荒い上に目が血走った男が自分を待ちかまえてたら、女の子は怖くて来れないっすよ」
緊張しすぎて顔色が悪くなっているディオンに、ジャンが苦言を呈する。
またしばらく待って、お茶会の始まる時間ぎりぎりに数人の少女達が中庭に入ってきた。
「ほほほほ。皆様、お騒がせしてしまって申し訳ございません」
タチアナがぱちん、と指を鳴らすと、後ろの少女達が抱えた荷物を下ろした。
縄でぐるぐる巻きにして猿ぐつわをかまされた少女――アプリコットだ。
「緊張しすぎて足が動かないと言うので、わたくし達がここまで付き添ってきましたの。後はお任せいたしますわ」
タチアナはそう言って踵を返した。
「ただし! お茶会の間、貸すだけですわよ! 後できちんと返してくださいまし! おほほほほほ!」
高笑いと共に、他の少女達を引き連れてアプリコットを置いて去っていくタチアナ。
「どうしましょう。わたくし、あの方大好きですわ」
「奇遇だなシャルロッテ。私もだ」
一瞬の登場で王太子とその婚約者の心を虜にする伯爵令嬢タチアナ・ニキーチナ。ただ者ではない。
ディオンはぐるぐる巻きにされたアプリコットを見下ろした。涙目で「ふむー! ふむー!」と唸っている。
「アプリコット……」
ディオンの胸に何とも言えない感慨が去来した。
ずっと謝りたいと思っていた。
しかし、アプリコットに近づこうとすれば彼女のクラスメイト達からドングリを投げつけられたり、アプリコットだと思って声をかけようとしたら「愚かな!影武者だ!」と全然別人がアプリコットの振りをしていたり、アプリコットを見かけた気がして振り返れば突然現れた生徒数名に取り囲まれてぐるぐる走り回られ「馬鹿め!残像だ!」と言われたり、帰宅するアプリコットを追いかけようとすれば複数の生徒に四方八方からドングリを投げつけられる。
――やたらとドングリを投げつけてくるのはなんでだ? 森に帰れとでも言いたいのか。
そんな日々を繰り返してきた。
だが、今、目の前にアプリコットがいる。
「アプリコット……ようやく会えたなあ……はあ、はあ」
ディオンはじりじりとアプリコットににじり寄った。
「ストップ! ディオン様、ストップ!」
「ちょっとお待ちを! まずはアプリコットさんの縄を解いてからでないと絵づらが完全にやばいです!」
「手をわきわきさせるのやめてください!どんなに頑張って見ても変質者にしか見えません!」
ゲスト達がアプリコットとディオンの間に割り込み、彼女の縄を外してやる。
「うう……おぇ」
「大丈夫? アプリコットさん」
「はい……」
アプリコットはよろよろしながらも自力で立ち上がった。
「積もる話のある者もいるだろうが、まずは皆、席に着いてくれ。茶会を始めよう」
エドワードが開始の言葉を告げ、お茶会が始まった。
***
アプリコットは針のむしろに座っているような気分だった。
茶会が始まってからずっと、ディオンがこちらを睨んでいるのだ。
そちらを見たら目が合いそうで、ちらりとも視線を動かせない。目が合ったら石にされる謎の怨念パワーがこもっていそうな視線だ。
ディオンの視線が余りにもあからさまなので、その場に集った者は皆アプリコットに同情していた。こんな男に執着されて可哀想に、と。
ディオンはアプリコットに謝りたいと言うが、それだけの理由でここまで執着したり緊張したりはしないだろう。
(大好きだった弟分が女の子になって、戸惑って暴言を吐いてしまったが、大好きだったことに変わりはないので、そのまま「大好きな女の子」になっちまったんだろうな)
エドワードはそう思う。
ただ、ディオンはそれを自覚していない。
五月休暇が終われば来学期で自分とディオンは卒業するのだ。いい加減に自覚させておかないと、後々になってからあれが初恋だったと認識されては宥めるのが面倒だ。
「ところで、アプリコット嬢は平民だが、クラスや学園生活で何か不便なことはないかな?」
「ふえ?ふぇ、え、いえいえ!皆様とっても良くしてくださいます」
「本当かアプリコット!?机の中にドングリを入れられたり、上履きの中に松ぼっくりを入れられたり、通り過ぎざまにナナカマドをぶつけられたりしていないか!?」
「ひえっ……」
アプリコットの答えに、ディオンが勢いよく食いつく。
「落ち着けディオン。そんなことをされているのはお前だけだ」
「そ、そうか。なら、いいんだ……」
いいのか?公爵令息だぞ。と、ゲスト達は思った。
「アプリコットさんのお友達の中に「自然を愛する暗殺者」みたいな人がいるんすかね?」
ジャンは首を傾げた。
「では、アプリコットさん。何か悩みはないかしら?」
シャルロッテが優しく微笑んで尋ねる。
美しき公爵令嬢に微笑まれて、アプリコットは顔を真っ赤にしてぷるぷる首を振った。
「と、とんでもございましぇん……、悩みなんてありません」
「本当かアプリコット!?机の中に入れておいた教科書に「都道府県」と書かれた紙が挟まっていたり、木曜日には必ず下駄箱にコケシが入っていたり、図書室で借りた本がいつの間にか「東海道四谷怪談」という異国の本にすり替わっていてその夜に庭から「一枚足りなーい」って声が聞こえてきたりしていないか!?」
「落ち着けディオン。そんな面白いことがあったのに何故私達に報告しない?」
「アプリコットさんの味方に東洋に詳しい方がいるんすかね?」
ジャンが呟く。
「では、アプリコットさんは、近頃何か嫌なことや憂鬱な出来事はありましたか?」
ナサニエルが貴公子の微笑みを向けて尋ねる。
「ひえ、別に……」
「本当かアプリコット!?朝起きてカーテンを開けたら窓の外に作った覚えのないてるてるぼうずがぶら下がっていて、しかも雨の日の度に一つずつ増えていったりしていないか!?」
「ちょっとディオン、後で今までにされた嫌がらせをすべて教えてくれ。興味しかない」
「もはやアプリコットさんの件で嫌がらせをされているのか、全くの別件で恨まれてるのか、ただの怪奇現象なのかわからないっすね」
ジャンが溜め息を吐いた。
アプリコットは思い切って顔をあげてみた。タチアナの言っていた通り、生徒会の方も他の参加者の方々も優しい人ばかりだ。
今なら、言えるかもしれない。
アプリコットは覚悟を決めて、ディオンに向き直った。
「あ、あの、ディオン様」
アプリコットに名前を呼ばれ、ディオンは心臓が止まりそうになった。
アプリコットが目の前にいて、自分に向かって話している。ドングリも飛んでこない。
「その……申し訳ありませんでした!私が紛らわしい真似をしたせいで、ディオン様を苦しめてしまって……」
「アプリコット……」
ディオンは愕然とした。違う。アプリコットは何も悪くないのだ。すべては勝手に勘違いしたディオンが悪い。
それなのに、そう伝える前にアプリコットは言った。
「私、「エイブリー・コット」じゃなくてごめんなさい」
アプリコットはきちんと頭を下げた。
「アプリコット。頭をあげてくれ。謝るのは俺の方……」
「月光の代弁者グレンローズ美華子先生の答えを読んでやっとディオン様の気持ちがわかりました!」
……何?
何先生って言った?今。
「タチアナ様に紹介された雑誌の人気コーナーなんです」
雑誌を取り出したアプリコットが差したのは、『月光の代弁者グレンローズ美華子のスピリチュアル人生相談』というコーナーだ。
「幼い頃に遊んでいた男の子と再会しましたが、彼から拒絶されてしまいました。彼は私のことをずっと男の子だと思っていたそうなのです。謝りたいのですが、拒絶された時のことを思い出してしまい、怖くて話しかけられません。どうしたらいいでしょう?」
「どうしてその男の子がそんなに怒ったと思う?それは失恋したからよ。そう。彼は男の子だと思っていた貴女に恋をしていたの。貴女が実は男の子じゃなかったと知って、初恋の男の子がこの世のどこにも存在しないことにショックを受けてしまったのね。残念だけれど、貴女の姿を見ると彼は初恋の男の子を思いだして苦しんでしまうわ。今後とも距離を置いて付き合うべきよ。」
「今日もディオン様は私が姿を見せた途端、息が荒くなってとても苦しそうでしたし」
いや、それは興奮していただけだ。
「ディオン様の好きだった「エイブリー・コット」を消してしまって申し訳ありません! でも、ディオン様ならもっと素敵な人を見つけられると思います! 今日はそれを伝えたかったんです! では、宴もたけなわですが、私はこれで!!」
言うが早いが、アプリコットは席を立って駆け出していった。
「タチアナ様ーっ。やりました!ちゃんと謝れましたよー」
「おほほほほ!アプリコットはやれば出来る子なのですわ!褒めて差し上げてよ」
高笑いが聞こえた。
***
その後のお茶会は急遽、初恋の女の子にあらぬ誤解を受けている男の人生相談コーナーと化したのであるが、学園一優秀な者達の集まったお茶会でも起死回生の万策は出てこなかったという。
そして、「エイブリー・コットの悲劇」に新たなページが書き加えられた。
「初恋の少女にエイブリー・コットという男の子に恋してると思われちゃってる公爵令息の悲劇」というページが。
「まあ、概ね自業自得なんで、「ざまあww」って言っときゃいいっすかね?」
終