花畑の番人
気怠げな午後、陽の光で暖まった空気がゆっくりと上昇する。ふわふわと光りに反射する塵。ボンヤリとその塵を見つめる。
どの位時間が経ったのか、突然空気が動いた。
「マリアここに居たのね」
目を向ければ妖精がいる。せわしなく動きまわり、小さな羽はその度に部屋の流れをかき乱す。
「まだ怒ってるの?」
手のひら程の妖精は困ったように私を見る。
「もう諦めて?」
諦める?何を?
「里長が呼んでるよ?行こう?」
私は床に転がったまま視線を反らす。
ここに連れてこられて何日が経ったのか、数時間なのか数百年か、帰りたいと声を枯らしても皆微笑むばかり。ここは素晴らしい所なのにと、何を言っても聞いてもくれなかった。
私の話を聞いてくれないなら、私も聞かなくていいよね?
ある日、突然ここに居た。
柔らかな陽の光りに溢れ、見たこともない可憐な草花が咲き乱れ、空はピンク色で雲は水色。虹は幾重にも掛かって、見渡す限りの花畑。
帰り道は何処かにあるらしい、でも草花に埋もれて見つからないよと言われた。
チェンジリング。
妖精と人間の取り替えっ子。
「え?なにこれ」
「人の子よ、妖精の里へようこそ」
どう見ても、木から声が聞こえる。よく見れば木の幹には人の顔。
腰を抜かした。
「ヒャア!お化け!!」
「落ち着いて、人の子」
「た、助けて!誰か!化け物が」
私は闇雲に走って逃げた。
怖い、怖い、怖い、怖い。なにあれ、絶対普通じゃない。空がピンク色って何事?あり得ない。
ピンっと張った何かに足が引っ掛かり私は転げた。
「痛った…」
引っ掛かりは木の根。ゾッとしながらもぶつけた膝の痛みに動けないでいると、背後に誰かの気配がする。
ゆっくり振り返るとしわくちゃな小さな爺と木のお化けがいた。
「なんと手間の掛かることよ」
「申し訳ございません、里長」
「よい、よい、ほれ行くぞ。人の子」
パチリと爺が指を鳴らせば、知らない部屋に飛んでいた。
「は?一目惚れした?なにそれ」
小さな爺から説明されたのは。
爺の孫娘が私の世界に遊びに来た時、たまたま人間に恋をしたという。孫娘はどうしてもその人間を諦める事が出来ない、帰る時間は迫っていて切羽詰まって勝手に私とチェンジリングしたそうだ。
「なんで私なの?!」
「お主の恋人を、どうしても好きになってしまったといってのお」
「………は?」
は?何言ってるの?
私の恋人は騎士のダレン。彼とは来月結婚する。
「私、来月彼と結婚するのよ?」
「すまんが諦めてくれんかのう」
「何を言ってるの?嫌よ!返してっ!私を元の世界へ返して!ダレンに何かするの?!止めて人攫い!人攫い!人攫い」
「……すまんのう」
「返せっ!ここから返せっ!」
それからの事はあまり覚えていない。喚き散らし暴れても妖精は隠れて出てこない。出口は無いかと彷徨い歩き、ここは迷路のような城だと理解した。
時間の流れがわからない。日が沈まないのだ。とうとう彷徨い歩くうちに心が折れた。部屋の1つに入ると床に転がり静かに涙を流す。
ダレン…助けて、愛してる、会いたい…悲しい、何でこんなことに、許さない、憎い、憎い、憎い、憎い、妖精が憎い。
憎い………。
幾人かの妖精がマリアに声をかけても、もう反応すらしなくなった。
…ぴちゃん。…ぴちょん。何かが滴る。
◇◇◇◇
最初の違和感はマリアとの結婚を来月に控え打ち合わせをする為に会った日。
昨日のマリアと何かが違う、何が?と言われるとうまく説明出来ない。
顔も声もマリアなのに別人に見える瞬間が幾度もあった。笑い方や仕草ふとした表情がまるで違う。
「どうしたの?」
「いや…なんだか今日はいつもと違うね」
「そう?自分ではわからないけど」
そう言うとマリアは蠱惑的に微笑んだ。マリアはこんな風には笑わない。何か石を飲み込んだような気持ちになった。ゾワゾワとして落ち着かない。ダレンは思い出した。
そうだ、この感じは魔物を討伐している時の感覚だ。
「君は誰だ?」
「え?…マ、マリアだよ?私はマリア。そう私はマリアよ!」
「僕達が初めて会った場所は何処だっけ?」
「……花畑よ」
「違うよ、初めて会ったのは教会じゃないか。君は誰だ?僕のマリアを何処にやったんだ?」
「違うわ!私を助けてくれたじゃない!」
すがりついてくるマリアを振り払い、ダレンはスキルを素早く唱えた。
『捕縛』
「やめて!何するの?!」
「すまないが、そこでじっとして逃げようなんて思わない事だ」
「嫌よ!止めて!私はマリアよ!!ダレン、ねぇダレン何処にいくの?」
ダレンは短剣を取り出し左の小指を少し切り、式神で鷹を作り教会にいる司祭を呼びに行かせた。そのまま書斎にいる父を呼ぶ。
「父さん来てくれ大変だ!」
「どうしたダレン大声をあげて…」
「マリアがマリアがおかしいんだ」
「はぁ?昨日も会っていただろう?一体どうしたっていうんだ」
「マリアが僕達の出会いを覚えていないんだ…」
「なんだって?」
「父さん、マリアと僕は教会で出会ったよね?」
「あぁそうだとも」
「マリアは花畑だって言うんだ」
「なんだって?」
父は顔色を変えて、何か人智を超えた大変な事が起こっているのを理解した。
「司祭様は呼んだのか?」
「あぁ、さっき使役の鷹を使いに出した」
「なら、儂はギルドにいって魔物に詳しい人間を連れてくる。それとマリアの家族も呼んでくるからな」
「ありがとう父さん」
「お前は戻って様子をみておけ」
「分かった!」
部屋に戻ると、そこはもぬけの殻だった。
◇◇◇◇
「何で!何で私じゃ駄目なの?」
いきなり部屋に飛び込んできた女は喚き散らし、私の髪を引っ張り顔を上げさせられた。
「何で!出会ったのが早かっただけじゃない!答えなさいよ」
パンッと頬を叩かれた。髪を振り乱し鬼の様な形相の私の姿をした異形と視線が絡む。
「ねぇなんで、チェンジリングするのは子供なのか知ってる?」
「はあ?何言ってるの。私が質問してるのよ!人の子の分際で!」
もう一度人の子を殴ろうと手を上げた時、体が動かなくなった。
「妖精の里って何から作られてるか知ってる?」
「な、なによ、いきなり。そんなの知らないわよ」
「あのね、光素っていうエネルギーだよ。魔素からは魔物。光素からは妖精。わかる?なんで大人を連れてこないのか」
「ヒッ!」
さっきまでマリアだった者は跡形もなくなり、床に溶け出して赤黒い粘液の塊がそこに居た。髪の毛だと思っていたそれはネチョリと血の糸を引く。
「嫌!なにこれ!お祖父様、助けて!」
『大人はね。恨みや憎しみで心が絶望に染まるの。そしてここは想いが形になる場所なんだよ?』
ドロリと広がる憎しみの塊は、妖精の娘の体をその粘液の中に取り込んだ。
悲鳴を上げると口からマリアの血が流れ込む、まるで水に溺れるようにマリアの粘液の中で藻掻き苦しむ。
「止めてくれ!」
爺がやってきた。
「すまなかった!この通りだ。どうか孫娘を許して欲しい」
『…嫌よ』
「そんな…後生だから」
『私を返してと言った時なんて言ったか覚えてる?』
「そ、それは」
『すまんが、諦めてくれ。そういう事よ』
そのままマリアは、妖精の娘の体に圧力をかけ続ける。ボキッボキッ…バキバキバキバキ!
右腕を左腕そして両足のくるぶしや膝の関節を粉々に砕いてゆく。絶叫しようにも口を開けば血が流れ込む。
「マリア!」
マリアの動きが止まる。そこにはこの妖精の里に居るはずもない人間がいた。
『嘘よ…ダレン…嫌っ!見ないで!私を見ないで!イヤアアアア』
このままでは妖精の里ごと消滅させられると思った妖精の数人がダレンを連れてきたのだ。
憎しみに染まった私を見ないで。そんな姿になった私を見ないで。止めて、そんな目をしないで。こんな私を見ないで。
イヤアアアアアアアアアアアア。
マリアの体はギシギシと音を立て弾け飛んだ。
「マリア!マリア!あぁなんて酷い神様あんまりだ…」
霧散して跡形もなく、愛しいマリアの亡骸すら抱けない。ダレンは膝から崩れ落ち頭を抱えて号泣する。
「うぅ…お祖父様…体が痛い」
「おお、可愛い孫娘リャナンシーよ。今元通りにしてやろう」
全身にマリアの血がこびりつき、手足がどれも変な方向にネジ曲がった妖精の娘は祖父に助けを求めた。既にマリアがいないので姿は元の妖精の乙女に戻っている。
「生憎それは叶わない」
ザクリと爺の背中に剣が突き刺さる。ダレンは全身真っ黒の鎧を纏っていた。目は赤く光り動く度に呪いの魔素を撒き散らす。
ダレンの足元からグズグズと溶け出す魔素はこの妖精の里を作り変えてゆく。
「お祖父様!止めてダレン!殺さないで!」
「おまえ達は自分勝手だ。分かった、君は殺さないでおこう、その方が楽しそうだ」
ダレンは妖精の乙女を捨ておき、小さな妖精達を追いかけ捕まえては握りつぶす。千年霊木達は生きたまま燃やされ大量の煤は空に昇る。
ダレンが魔素を撒き散らす様子を動けないまま見ていた乙女は涙を流し続けた。
突然ダレンは動かなくなった。
全てが終わったのだろう、ダレンの体は砂となり風に流されて飛んで消えた。
あんなに花と光に溢れた場所が、今では淀み魔素に汚染され、地面はヘドロが溢れコポコポと臭気を撒き散らす。
草花は枯れ茨が生い茂り肌を割く。風は止まり空は灰色の雲に覆われ陽の光素は遮断された。
………ここで新たに生まれる者は魔物だ。
影が掛り何かが自分を覗き込んだ。
ギョロリとした1つ目の化け物が大きな口を開けギザギザの齒からは粘液が顔にポタポタとしたたり落ちる。
あぁ、私は何を間違えたのだろう。
わからない。
化け物は私を食い殺すだろう。
そっと目を閉じ、命が尽きると思ったその時だ。
「これは酷い」
「あーあ、よくこれだけ汚したわね」
化け物が弾け飛ぶ。
「え?」
光の玉が2つ浮いていた。その波動は覚えがある。
「妖精王様に妖精王妃様!」
助かった!歓喜に心が震えた。人の子により滅茶苦茶になったこの里を助けてくれる筈だ。
「え?何言ってるのオマエ。自分がどれだけの事をしたのかわかってる?」
「え…?」
「ヤバいくらいの呪詛だ、本当最悪だよ。穢れると困るから降り立つ事すら出来ないや…」
「ねぇオベロン、良い事を思いついたんだけど?」
「教えてティターニア」
「これに全部入れちゃえば良くない?」
妖精王妃様は楽しそうに私を見た。
え?嫌よ。この穢れ全てなんて狂ってしまう。
「お、お慈悲を…」
「はぁ?オマエとオマエの祖父のせいでどれだけの妖精達が死んだと思ってるの?」
「しかも、人の子の運命を捻じ曲げて…それが1番厄介なんだよね」
「全くよね!なんで私達が人の神に赦しを願わなきゃいけないわけ?」
ガクガクと震える。
「大丈夫よ、オマエのその頭が狂う事はないわ。尤も生き地獄だろうけど」
「そうそう、人の神からオマエを引き渡すように言われているからね。喜ぶといいオマエには私達自らの特別な加護を授けてやる」
「とっても頑丈にしておいてあげるから。良かったわね」
私は何を間違ったの?ただ好きになっただけじゃない。
プツンと私の意識はそこで途切れた。
神聖な森の奥深くに花畑があった。空には虹が幾重にもかかり、空はピンク色をして雲は水色、花畑には小さな妖精達が光の粒を振りまき楽しそうに遊んでいる。
光溢れる妖精達の里。
ここは厳重な結界が掛けられ、門を通らなければ人の子も妖精も行き来出来なくなった。
門は番人によって閉じられている。妖精の里へ行きたければ番人に通してもらうしかない。しかし、その門は桃源郷とも言われる妖精の里を守る姿としては醜悪過ぎた。
門の高さは3階建てはあるだろう、横幅は人のひとり通り抜けるのにやっとで、門は全て白骨で出来ていた。
上からびっしりと肋骨が並ぶその真ん中。
鍵穴の位置には女の首が目を閉じて生えている。これが番人で元は妖精の娘だったという。
スカスカの骨の隙間から見える桃源郷の様子に中に入りたがる者もいたが、入るには文字通り番人を起こして門を開き穢れに満ちた門を通る事になる。普通の人間ではドロドロに溶けて無くなってしまうだろう。
門を開く事は番人にも苦痛になるらしい。
いつしかその恐ろしい門を見に行く者もいなくなり、門はひっそりと森の奥に立っている。朽ち果てるのをずっと待ちわびながら。
◇◇◇◇
目を開けると光が溢れていた。
なにか怖い夢を見ていた気がする。
起き上がると花畑に寝ていた、何故ここにいたのか記憶がない。
隣にはダレンがスヤスヤと寝ている。敷物も敷かれているし、子供の頃の様にピクニックでも来ていたのだろうか。ダレンも目が覚めたようだ。
「…マリア」
「ダレン、私達ここで寝ていたけど覚えてる?」
「いや、全く。だけど懐かしいな」
「ふふ、式の準備で忙しかったけどピクニックしにきたのかな」
「きっとそうだろう。気持ちがいいなぁ」
「本当ね」
そのままダレンとしっかり抱きしめ合う。何故かわからないけれど涙も溢れた。お互いに額をコツンとぶつけ、目の前に愛しい人がいる奇跡に感謝した。