迷い人
6
雨の中、一人商店街を歩いている。
今日は中学校の卒業式だった。僕以外の卒業生は教室に残って、悲しそうに、時には楽しそうに仲の良かった友達やクラスメイトとの別れを惜しんでいたみたいだったけれど、僕は特にやることもないのでそそくさと帰途に就いていた。
僕は傘で雨を受けながら数分前まであった中学校生活を振り返る。いろいろなことがあった。体育祭。文化祭。修学旅行。忌々しいテスト。邪魔だったクラスメイト達。そして受験。どれもこれも良い思い出とはならなかったけれど、それらは僕に根付いて僕を形成してくれた。数学は苦手だったけれど、差し引きすればプラスに傾くほどのものになったのではないかと個人的には思える。
高校生になれば。僕はそんなことを考える。僕は一応難関校の受験に成功した。4月には華の高校生生活が待っている。ブレザーを羽織って毎朝死相を浮かべたサラリーマンたちと仲良く通学。そんな高校生活は僕を変えてくれたりするのだろうか。今までの根暗なイメージが急に払拭されて、いきなりヒャッハーな奴になったりするのだろうか。
分からない。分からないけれど、でも、そんなことはたぶんないだろうと僕は思う。僕は中学以前。小学校時代からどこまでも自分が変わっていないような気がするからだ。三年間変わらなかった自分自身。そんな自分が突然変わってしまうとは思えない。
「あれ?」
そんなことを考えていると、僕はようやく気が付いた。
知らぬ間に人気が無い道へとはいりこんでしまっている。
周囲にあるのはシャッターが閉まり切った商店さん達だけで、傘差し運転をするチャリンコおばあちゃんくらいしか通行人がいない。
「ここどこだ?」
辺りを見回してみるも、自分がどこから来たのか、どの道を辿って帰ればいいのかまるで見当がつかない。
しまった……。中学三年生、いや、もうすぐ高校生になるのにも関わらず道に迷ってしまった。
とりあえず、スマホを起動してみる。
地図を開いて、スマホをスワイプし、ここがどこか確認。
……ああ、なるほど。僕はいつも曲がる角の一個手前で曲がってしまったのか。だから道を間違えってしまったというわけだ。
僕は溜息を吐いて、地図に従って、来た道を逆戻りしていく。右手で傘を差して、左手でスマホを操作しつつ。
「ええと……次の角を左か……」
角を折れて、次に進むべき進路をチェックする。画面を親指で動かして、自分がきちんと正しい方向に進んでいるかを再確認する。
だが、そんなことをしていたせいなのか、とある商店を通り過ぎようとしたとき、僕はそこにいた人物に気が付けなかった。突如、声を掛けられた。
「占いに興味はありませんか」
ビクッ、と体を震わせて、僕はおっかなびっくり、その商店の庇の下にいた人物を見つめた。
そこにいたのはパイプテーブルの上に水晶を置き、パイプ椅子に腰をかける髪の長い女性だった。
占い師らしく頭からは薄い黒のストールのような布を垂らしている。
「ありません」
僕は即答した。こんな人気のない路地で、しかも雨の中占いをやってもらいたいとは思わない。それも迷子の途中に。
「では、私の思い出話などはいかがですか?」
女性の声は若かった。ストールのせいで顔が見えにくいが、肌の艶からして、まだ十代の年齢ではないだろうか。しかし、
「なんでそうなるんですか?」
たとえ若く、僕と近い年齢の占い師だからと言って話しを聞く気にはならない。僕はそう答えて、踵を返した。発言もさっきからあやふやだし。
「ナメクジに関することだからですよ」
けれど、僕はその言葉を聞いた瞬間、帰ろうとしていた足を止め、回れ右をし、彼女を一心不乱に見つめた。
「今、なんて?」
「ナメクジに関することだと言いました」
「……どうして、僕にそんなことを言うんですか?」
「それは私の思い出話を聞けばわかります」
「……」
僕は無言で机の前に用意されていたパイプ椅子に座った。古いのか座った瞬間、ギシっと音を立てた。彼女がペンと紙を渡してくる。
「ご利用誠にありがとうございます。それでは、ここに名前と誕生日と電話番号と住所と好きな食べ物と好きな女の子のタイプをお書きください」
「……前半は分かりますが、後半いります?」
「占いに必要なんです」
「思い出話はどこにいったんです?」
「……ご利用時間は30分です。基本料金は1000円で、それ以上は延長料金として1分ごとに20円を追加させていただきます」
「金とるんですか……」
初めて聞いたぞおい。しかも僕の質問がしれっと流された。
「はい、書きましたよ」
僕は渡された紙に必要事項を記入して、ペンと一緒に返した。
「はい、ありがとうございます。……なるほどなるほど……好きな女の子のタイプは頭上に傘が浮いている女の子と……。なかなか変わった趣味してらっしゃいますね」
声に出すな声に。もし通行人に聞かれて頭のおかしい奴だと思われたらどうする。
僕は何故か心なしか頬が朱に染まっている目の前の占い師を少し睨んで言う。
「それで、本当にあなたの思い出話はナメクジに関することなんですよね?」
僕はなんとなく分かる。それがあの”少女”の話だと。だからそれは必ず確認しておかなければならない事項だった。だが、その心配は杞憂だったと言ってもいい。なぜなら、
「ええ。告白されたら涙を流して溶けてしまった、そんなナメクジ少女に関する話です」
やはり彼女はほんのりと頬を染め、そう告げたのだから。
おそらく安物であろう水晶を覗く。そこには緊張しているのか、それとも怯えているのか、どんな感情をしているのかまるで見当がつかない男の顔が映っていた。これからどうなるのか。見えない不安に押しつぶされそうな可哀想な顔をした男の顔だった。
「あ、お代はこちらになります」
……ちゃっかりしてやがる。
>>続く。
言葉はほとんどが嘘だ。嘘しかないと言ってもいい。言葉にした瞬間に事実は嘘になって、どんな真実もねじ曲がっていく。嘘を信じた僕達はさらに嘘をついて永遠に真実にならない嘘を吐き続けてゆく。
けれど……だけど……それでも真実があるって、信じたい。