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「いつもこんな感じなんですか?」

 色々聞きだしつつ調理場で洗った皿を拭いて片付けたユンは、そこまで質問してきたのと同様できるだけYES・NOだけで答えられるようにジーに切り出した。

 ジーは腕を振って絞ったふきんをパンっと伸ばし、頷いた。

「上下関係というか、なんというか…雇われている感じが薄いものそうなんですが、それ以前に、その…本当に人がいないので…」

 ふきんを干し終えて、ジーは再び深くうなづいている。

「臨時雇いの方なんかは?」

 またうなづいた。いるらしい。一応、

「そうですよね、いますよね…」

 小さく2,3回うなづくジー。

 だよな。まさかいないわけない。

 もやもやが一つ晴れたところで、ユンはジーの身振りに気を配りつつ、質問攻めにした。

「調理器具は?」

「食材は?」

「保存食の備蓄は?」

 矢継ぎ早な質問は、順番に戸棚を開けたりなんだりしながら解答されていく。

 これから自分の持ち場になるその調理場の位置関係は覚えないといけないのだから。

 聞きだしたあれこれをぐるりと見まわしながらおさらいしていると、ジーはこちらに歩み寄ってユンの背後にある壁に外した自らのエプロンを掛けた。

 その手は流れるようにズボンのポケットへ、そして紙束とペンを取り出した。

 ペンを持ったジーはその紙に何か書いている。

 さらさらとつながったそれは多分、文章になっている。

 雇い主の家で見た記憶があるからピンときた。

 そしてユンは震えた。

─────これ、就労条件になかったよね?

 読めない。

 単純な文字は読める。自分の名前の頭文字は書ける。

 それが精いっぱいで、まさか綴り文字の長いのは。

 ジーは自分の手元を見て、書き直しすらせずに一気に綴りきった。

 彼はとうとう顔を上げてユンを見たが、ユンには不安げな顔ができるだけで言葉は発せなかった。

 唇が無意味に動く。

 ジーは、あ、という形に口を開けて、慌てて紙束とペンを仕舞い、すごい速さでユンに頭を下げた。

 ユンが読めないのに気づいたのだろう。

 その下げた頭をジーは一向に上げようとしない。

「ああ、あの、大丈夫ですから」

 まだ上げない。

「本当に、あの、説明してくださろうとしたんですよね。

 ありがとうございます。

 寧ろ申し訳ないです…」

 一瞬頭を上げたジーはユンと視線を合わせるやいなや、また頭を下げなおした。

「あのっ頭上げてください」

 まだ下げっぱなした。むしろ困ってしまう。

「次、午後も他の予定あるんで!」

 ぱっと頭を上げたジーの顔は明らかに眉が下がって、目線も下がって。

 とにかく下がっていた。

 『字が書けるなんてすごいですね』とか褒めたら藪蛇だと理解していたユンは、

「本当に、大丈夫ですから。

 私には私の仕事と仕事場所がありますし。

 といっても、この後案内してもらうわけですけど…」

 ジーの顔を下からのぞき込むようにすると、多少持ち直したようだった。

 しおれているものの、軽く頷きながら持ち直しているようだ。

 そんなジーとともに調理場をあとにし、ダイニングを抜けるとコーウィッヂは階段から降りてくるところだった。

「お、タイミングいい~!」

 トタトタと駆け降りるさまがなんとも若々しい自称42歳の少年コーウィッヂは、下りきるなり改まって、ユンとジーの顔を交互に眺めた。

「ジー。あとで話あるから。

 じゃ、ユンさん、行こう」

 ジーをちらっと見ると、軽くコーウィッヂに頭を垂れている。

 召使いが召使いらしい仕草を主に見せるさまをここに来てから初めて見る気がする。

 ユンは急に新鮮な気分になった。

「調理場の場所とかジーの説明でわかった?

 あの辺だけは僕あんまり把握してないから説明できないんだよ」

「はい。

 ほとんどわかりました。

 そんなに特殊なものってなかったので」

 ただし前の屋敷より全体的に一回り大型というか、業務用っぽかったけれど。

 改めて思い出しながら、ジーが書いた字が読めなかったところは伏せた。

 コーウィッヂが就労条件を間違えている可能性もあるが、ジーがユンの就労条件を知らなかったか忘れていたのは間違いなさそうだ。

 コーウィッヂ性善説に立つと、その話をしたらコーウィッヂからジーにお咎めがあるかもしれない。

 ユンはこの重大な就労条件についてすぐには聞けなくなったことを悔やんだ。

「いや、ならよかった。

 しばらくの間はジーもついて作業してもらうからさ」

 その後はそんなに思ったほどのこともなかった。

 というか本当に事前に聞いた就労条件通りに説明が進んだ。

 洗濯・調理・郵便受けなどの雑務から始まり、ゆくゆく来客応対もお願いしたいという話を改めてされ、場所と道具一式を説明された。

「洗濯、コーウィッヂ様がなさっているんですか?」

「そーなの。

 僕はどうしてもって用事がない限りここにいるようにしてるけど、ジーは日用品の購入とか外に出てやることいっぱいあって。

 家にいてやれることの一部はやろうかなって。

 洗濯場は1階だから誰か来たら音でわかるし」

 見張りもなしにこの人一人でお留守番して大丈夫なのか?

 ユンにモヤっととそんな不安がよぎったが、素知らぬ風でコーウィッヂはつづけた。

「ただ、用事もないのに飛び込みで来る行商とかいるんだよね。

 話だけ聞いて断る作業はユンさん、お願いしたい。

 僕とジーは当然向こうも顔知ってるから、特に最近しつこいんだ。

 『ここにサインするだけですから~』って。

 わかりません、知りませんって、突っ返してほしい」

 よく来る曜日を教えてもらったユンは、寧ろ字が書けないのでうってつけの仕事だなと自嘲的になった。

 コーウィッヂは思いのほか早くすんじゃんったなーと独り言ちている。

 どうやらこれでおおむねの説明は完了したらしい。

「といってももう3時だしね。

 ティータイムパート2のあとはもう今日は上りってことで、晩御飯になったら呼ぶから~」

「かしこまりました」

 言ってコーウィッヂについてダイニングに向かいながら、ここまでの流れをざっくり心中でおさらいした。

 そしてそれとは分けて、この家ではあの時間と3時にティータイムが毎日入っているらしいことも分かった。

 たった今、ジーとコビがダイニングにやってくるのが見え、シロヒゲも吹き抜けを2階から降下してきているから。

 かつても似たようなことはあったけれど、雇い主と勢ぞろいすることはなかった。

 結果、召使いの休憩室で悪口合戦・告げ口大会になったりして大変居心地が悪かった。

 ユンは喋らないほうだから時々『あんたもさ、思ってることあんなら言いなさいよほら』的な圧力を加えられて辛かったのが思い出される。

 たいてい何を言ったってさらなる悪口告げ口のタネになるだけなので、道具が古いとか場所がとか人間以外の何かを悪者にすることにしていた。

 でも、今ユンが席についているこのティータイムでは。

 ビスケットをもぐもぐ齧りながらジーに話しかけるコーウィッヂ(前の雇い主が一時期飼っていたハムスターみたいだし、そもそも食べながらしゃべるのってマナー違反、なのになんかセーフ感の見た目)。

 雇い主の話にあえて耳に小指を突っ込んでほじるジェスチャーをしながら目をそらすジー(なに言われたんだろう、っていうかその態度だめじゃんか)。

 ジーをつついて話を聞くのを促すコビ(正しい、けど従業員ていうかなんていうか、超現実)。

 うっかりコーウィッヂがこぼした紅茶をすかさずふき取るシロヒゲ(真面目! でもやっぱり超現実)。

─────カオス。

 ティーカップの取っ手をつまんだまま持ち上げもせずに呆然としていると、シロヒゲの柄がユンをつついた。

「あ、ごめん、かかっちゃった?」

 シロヒゲはこぼれた紅茶がユンにかかっていないか気にしてくれたらしく、コーウィッヂもそれに気づいたようだった。

「いえ、大丈夫です…」

 かかっていないですよ、の意味だ。

 だが、ユンはそう口にした自分に、今日自分が何回このセリフを口にしながら違うことを考えていたのか問いただしたくなった。

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