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─────これ、は?

 浮かんだまま動かない箒。

 ユンは何をしていいのか全く分からないまま立ちすくんだ。

 とりあえず叫ぶ?

 いや、雇い先に到着して即叫び声をあげるなんてしちゃだめだ。

 明らかに不信なのだから、雇い主に報告するのがいいのではないか。

 魔物が出たわけでもなく、じっとしている、ただの箒なんだから…。

─────じっとしているただの箒、って??

 何とか自分を落ち着かせようと完全フリーズ状態で考えに考える。

「あー、もーだめじゃないかコビ!

 紹介するまで待っといてって!」

 当の雇い主はユンが気づかないうちに部屋に戻っていたようだ。

 しかも、

─────箒に話しかけてる?

 まさかと思ったけれど、確かにコーウィッヂの視線の先にはその浮かぶ箒がある。

 箒はさっと着地してシャカシャカ床を掃いている。

 いや、もしかしたらだけど『掃いて見せている』。

「そりゃ外から帰ったら靴に土とかついてるし汚れるよ。

 自分の職務範囲だから気になるのはわかるけどさ。

 いつもそうしてもらってて全然助かってるし。

 でも、今日から新しい人来るから、歩いてるそばからその後ろ掃除するのはもうちょっとその人がここに慣れてからにしようって、この前話したよね?

 …ね? 思い出した?

 僕はいいけど、彼女は来たばっかりでしょ。

 すぐ後ろで掃除しだされたらびっくりするに決まってるから」

 箒はシャカシャカを止めて、斜めに、ややコーウィッヂ寄りのほうに傾いでいる。

─────しゅんとしてる?

「めっ!」

 小さい子供をあやすような口調のコーウィッヂは、一転こちらを見て、

「ごめんね、こんなとこ見せちゃって」

 そういう問題ではない。

 今必要なのは、ひとりでに動く箒に、ユンの雇い主という人が真剣に仕事の注意をしている、この謎展開に対する説明だ。

 従業員(?)の仕事の失態を叱っている様が人前に晒されてしまっていることに対する謝罪では、断じてない。

 でも、ユンに今言えるのは、

「いえ…大丈夫、です…」

 穏便に、穏便に。

「うん、ありがとう。

 ほら、コビ、お礼しなよ」

 箒はまたくるっと回転し──箒的には前後ろがあるらしい──、ぴょこりとユンに向かって一礼するかのように斜めに傾いで戻った。

「だ、大丈夫デス、はい」

─────いいのかこれで?

 馬車から降りるあたりまでは反射的に礼儀正しくできていたユンだが、さすがに返事が曖昧になる。

 コーウィッヂはそのへん、察したのかどうなのか、

「…だよねぇ~…」

 ため息交じりだが、その手元では自ら汲んだ紅茶をユンのほうへサーブしてくれている。

「座って。疲れたと思うし。一服しよ。ね?」

 確かに疲れた。

 ただし荷馬車に相乗りして頑張ってきた道すがらよりも、雇い主に会って高級馬車に乗ってから箒と雇い主の会話を目の当たりにする間のほうが何倍も疲れた気がする。

 当の箒はまだその辺をふわふわしているわけで。

 でもユンはその雇い主の言に従った。

 だって疲れていた。

 箒は無害っぽいしいいか。いいや、もう。落ち着いてからだ。

 適応力大事、とユンは自分に必死で言い聞かせる。

 一方のコーウィッヂは自分も椅子に腰かけ、足を組んで自分で入れた紅茶をティーカップから一口含んでいた。

 ふぅっと息をつくその所作の美しさたるや。

 ユンが今まで奉公先で見てきた『いいところの人』と思っていた人たちは、いったいどこの山奥から来た人だったのだろう。

 視界に入る菓子類はカリントゥーなどの駄菓子だったが、この空間にあるだけで高級に見えてくる。

 実際少なくとも紅茶は高級なんだろう、ずいぶん前に奉公先で飲んだ記憶があるそれとは全く違う味がした。

 でもその視界の端っこで、ちらちらと部屋を出たり入ったりする箒が気になる。

─────呪いで姿を変えられた誰か? それか、魔道具? こういう生き物が実は生息…???

 呪いなら解く方向に何かすべきじゃないのか?

 そのまま労働しているのはあり得ないというか。

 魔道具だとしたら?

 魔法使いとか力を持っている人だけが使えるもので、むしろ普通の人だと持っていても何の意味もないようなもののはずだ。

 あくまでも道具。あんなふうに会話らしきことまでできるのはおかしい。

 じゃあ、これは? 生きてる? 息してる? ええ?

 冒頭と同様の出オチ展開を想像しようとしても、疲れで考えがまとまらない。

 そしてまた視界に入る箒を見ると、今度はちらちら部屋を出たり入ったりして、しきりにコーウィッヂのほうに傾いたり、左右に振れたりしている。

 ユンはその動きにピンときてしまった。

─────もしかして何かコーウィッヂさんに伝えようとしてる?

 コーウィッヂを確認するも、カリントゥーに舌鼓を打っていて箒の動きに気づいていないようだ。

 箒が動きを止める気配は全くない。

 ユンはこの環境への疑問を口にするのが先だと思っていた。

 だからだいぶ不本意だったけれど、それでも、

「あの、コーウィッヂ様、箒の…」

 箒のかた? 箒が? 

「ん?」

 ユンはそれが『コビ』と呼ばれていたのを今思い出した。

「コビ…さんが、何か…」

「え?

 あれ、コビ、どしたの?」

 呼び名はあっていたらしい。

 コーウィッヂは軽く体を横に倒して、コビと呼ばれた箒が出入りしている入り口のほうを見た。

「あー! そっか、そうだね! ナイスアイデア!」

 箒が止まった。意思疎通が取れたらしい。

「これを機に紹介済ましちゃお。

 二人、こっちおいで~」

─────『二人』?

 単位が『人』であることにも感じる猛烈な違和感。

 箒に続いて、ふわりと浮かびながら部屋に入ってきたモップは、その予感の具体化した姿そのものだった。

「箒がコビ。

 モップがシロヒゲ。

 二人はうちで床と路面の掃除を担当してくれてるんだ。

 さっきみたいに背後から掃除されたりするのと、たまに夜中に掃除しだしたりするけど、うるさいことはないから、大丈夫。

 コビ、シロヒゲ、こちらはユンさん。

 今日から家で働いてくれる新人さんだから、よろしくね。

 握手はできないから、お辞儀でごめんねユンさん」

 呆然と椅子に座りつくしていたユンは最後の一言で慌てて立ち上がり、箒とモップに反射的にお辞儀した。

「よろしくお願いします」

 箒とモップもペコリと傾いている。

「ほんとなんか場当たり的で準備できてない雇い先そのものだなぁ、僕んち」

 そういう問題じゃない。

「もうあれだね、ユンさん、わからないこととか、おかしいと思うことがあったら、早めに僕に聞いてね!」

 突っ込んだら負けだという言葉が耳鳴りのようにユンの頭の中で響いたが、もうユンには耐えられなかった。

「わかりました。

 じゃあさっそくですが、この方たちって、一体、なんなのですか?」

 ユンはこの時のコーウィッヂの、虚を突かれたようなキョトンとした顔を一生忘れないだろう。

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