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「今日も…」

「かしこまりました」

 部屋のベッドに横たわったまま起き上がることができなくなって数日。

 いつ本人の様子を見に行ったのか、コーウィッヂは朝食の食卓に現れてユンに告げた。

 昨日来たリアは、

『昔「勝手にどっかで野垂れ死ね」って言ったのを更新しといたわ。

 「先に言っとく。バイバイ」って』

『いいんですか?』

『別れた男よ。情は多少あるけど愛はないわ』

『はあ…』

 リアはユンに真剣な顔で説いた。

『ユンさん、あのね、まだ分かんないかもしんないんだけどさ。

 演劇とかお話とかだと、浮気男が改心して超イイ男になって帰ってきたりするんだけどね。

 現実は違うの。

 ジーも含めてありとあらゆる浮気男はね、一っっっっっっっ生浮気男でクソ野郎よ。

 ユンさんの場合今んとこ相手が相手だから大丈夫だと思うけど、世の中変なのいっぱいいるんだから、気を付けなさいね!』

 嫌に生々しい。そして『相手』って誰?????

 あっけにとられるユンをよそにサバサバと帰っていくリアを見送ったのは記憶に新しい。

 そしてひょっこり出てきたみどりちゃんがコロコロと転がっていった。

 首をかしげるユンに、コビとシロヒゲもなぜか覗きに来る。

『なんですか…?』

 三人とも固まって、ごそごそして、

『あの!』

 ユンの声掛けにびくりと震えると、雲の子を散らすように散り散りになって屋敷のどこかに消えていった。

 あの三人がどうやって意思疎通を図っているのか謎だが、何かユンに隠している共通の話題があるのだろう。

 ジーの事だろうか?

 コーウィッヂの隠し事はもうお家芸だけどあの三人まで?

 フラッシュバックするようにあの三人が別館にいた間の食事風景を思い出して悔しい気持ちでいっぱいになりそうだ。

 ユンはジーの昼食用のスープにするべく食材をすり鉢でゴリゴリとすりつぶした。

 力を入れすぎて疲れ、一息ついた目線の先に、ジーのエプロンがなくなった壁があった。

 すっきりしたのだがなんだか物足りない。

 でももうエプロンがここに戻ることはないだろう。

 今のジーの容態を見れば流石にわかる。

 わかっていながら納得しきれない。

 ユンがそんな気持ちなのだからコーウィッヂは…。

 そのコーウィッヂが調理場にやってきたのは昼前。

「ユンさん…」

 息遣いが荒い。

「今日、ジー昼いらないって。

 ていうか…もう…」

 ユンの耳に呼吸の音がしっかり届くほど、コーウィッヂは意識して深く息を吸ったり吐いたりしている。

 あんなに全力疾走しても息切れ一つしなかったコーウィッヂが。

 ユンは手元の食器をそっと避けて、コーウィッヂに近づいた。

 コーウィッヂは手を伸ばせば抱きしめられるほどのところにいるユンを全く視界に入れていないようだった。

 少しだけ唇が震えている。

—————コーウィッヂ様…

 誘われるように無意識にユンの手は先へと伸び、コーウィッヂの頬に触れた。

「っ!」

 コーウィッヂの相変わらず青く澄んだ瞳にユン自身のそばかすだらけの顔が映っている。

 でもユンの口からはなんの言葉も出てこない。

 コーウィッヂもまたユンと同じようだった。

 一つ違うことは、

—————コーウィッヂ様が今すべきことはここで立ち尽くしてユンと見つめ合うことではない。

—————コーウィッヂ様が少しでも、今みたいな顔をしないようにするには。

—————コーウィッヂ様がすべきことは。

「ジーさんの部屋でお傍について差し上げては?」

 コーウィッヂはユンの手が頬に触れていたことに気づきもしていなかったような体で踵を返して調理場を抜け出した。

 階段を上る足音が聞こえなかったが、『みどりちゃんごめん!』という声が上の方から聞こえた。

「水、もっていかなきゃ」

 吐き出すように低い音で一人ごちるユンのつぶやきは誰にも聞こえることがない。

 ユンは自分で吃驚していた。

—————私、ジーさんにムカついてる。

 チリカとコーウィッヂがタメ口で話しているのを耳にしたときよりも、今ユンはジーとコーウィッヂに、その関係に嫉妬していた。

—————嫉妬?

 そうだった。

 そういう名前の感情だった。

 ユンは水差しに水を入れ始める。

 出てきた水はどんどん溜まっていく。

—————嫉妬なんてなんでするの?

—————私は、コーウィッヂ様には。

 コーウィッヂの色んな顔が浮かんだ。

 どれもが鮮やかに思い出され、ユンは自分自身があの大きな手に鷲掴みにされているようになった。

 痛いようなのに凄く心地よかった。

—————私…コーウィッヂ様…。

 ジーとチリカを浮かべると、とたんにそれが苛立ちを含んだ。

—————私、コーウィッヂ様のこと好きじゃん。

—————だからやきもち焼いてるんじゃん。

 水はあふれてユンの手を濡らしだした。

 慌てて止める。

 水差しの外側を布巾で拭きながら、手元が震え、ただでさえあふれていた水でまた水差しの周りが濡れた。

 水差しと布巾を置いて、ユンは深呼吸をする。

—————私はどんな顔をしてこれを二人がいるあの部屋に持っていくの?

 調理場の窓ガラスに移った自分の顔を見た。

 さっきコーウィッヂの瞳に移っていた顔を同じ、いつもの淡々とした自分の顔だ。

 赤毛で、そばかすがあって、茶色い瞳の平凡な顔。

 嫉妬がにじみ出たりはしていなかった。

 ユンはびしょ濡れになった布巾を思い切り絞り、水差しの周りを拭いた。

 今度は綺麗になった。

 それを手に取り、調理場を出て、ダイニングを出て、階段を上って。

 ジーの部屋の前に行くと、あまりにも静かだった。

 コーウィッヂが話しかけたりしているかと思ったが、無言で座っているのだろうか。

 ドアをノックする。

 音がない。

「失礼します」

 中に入ると、コーウィッヂはジーの枕元に座っていた。

 微動だにせず、ジーの顔を見ていた。

 何かに集中するように、唇がまた軽く震えている。

 ユンは水差しをそっと傍らの机に置いた。

 物音をさせないように気を付けたけれど、コトリとわずかに机の木材と水差しが響いた。

 コーウィッヂが顔を上げる。

「コーウィッヂ様、お昼、ここにお持ちします」

「ありがとう」

 コーウィッヂはほっとしたような顔になる。

 ジーはそんなコーウィッヂを見た後、視線をユンに向けた。

 口元はしばらく前から動きが悪くなっていたが、わずかにニヤリとした。

 コーウィッヂの顔が、いつもの、『なんだよお前』みたいな感じに変わる。

 ユンは心からほっとした。

 いつもの領主館になった気がしたからだった。

 嫉妬心など思い出しもしなかった。

 だた、不安だった。

—————あと何日か…。

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