8話 姫が僕だけに見せた……
目覚めたクラリス姫には、母と父から状況説明がなされた。
その間、僕は自分の部屋に引っこんで、着替えたり、顔を洗ったりして過ごした。
父たちが話している相手は、高貴な身の上の姫だ。
禁断の森で出会ったときは、状況が状況だったから、遠慮なく話をさせてもらったけれど、本来、僕みたいな子供が口を聞ける相手ではない。
ところが信じられないことに、身支度が整った頃、僕はクラリス姫から呼び出されてしまった。
姫は僕とふたりきりで話がしたいらしい。
いったい何の用があるのだろう。
僕は少し警戒しながら、応接室に向かった。
クラリス姫は恐らく北方の小国メイリーの姫なのだろう。
彼女の鎧についていた国の紋章には見覚えがある。
僕が転生する前から存在していたメイリー国のものだ。
あの国は、魔王の領土と隣り合っている。
正直、嫌な予感がするんだよね……。
前世のことを思い出す。
最強賢者と知れ渡ったあとは、各国から応援要請がひっきりなしに届いた。
魔物を退治しろだの、魔王を討伐しろだの。
警戒するに越したことはないな。
「失礼します」
ぺこりと頭を下げて応接室の中に入ると、すっかり怪我の治ったクラリス姫が僕の傍に歩み寄ってきた。
「エディ君」
「お姫さま。元気になったんだね。よかった」
僕はにっこりと笑いかけた。
6歳児らしい笑顔を浮かべることにも慣れてきた気がする。
「私も君が無事だと聞いて安心しました。怪我は? 本当にありませんか?」
「うん! お姫さまが抱っこしてくれたから、僕平気だよ」
クラリス姫も僕に向かって微笑みを返してきた。
改めてみると、目が大きくて、唇がぷっくりしていて、さすがお姫様という感じのものすごい美少女だ。
でも、笑顔に少し陰がある。
ここはもう危険な場所じゃないのに。
禁断の森の中で起こった出来事に、まだ心が引きずられているのかもしれない。
「ラドクリフ伯爵。少しの間、ご子息と二人きりにしていただけないでしょうか?」
姫騎士の言葉にぎょっとして父を振り返る。
父も驚いたように目を見開いていた。
「エディとふたりですか……。……わかりました」
「え……パパ、ママ、いっちゃうの?」
ちょっと待ってよ。
二人きりにしないでほしい。
一国の姫だよ? 6歳の子供と二人はまずいんじゃないか?
それに二人だとなんだか妙なことを頼まれそうだからいてほしいんだけど……。
「エディ。姫に失礼のないようにするのだぞ」
「う、うん……」
さすがに駄々をこねる振りで引き留めることはできない。
両親はクラリス姫に一礼し、退室した。
「え、と……僕、お姫さまと話すの初めてだから緊張しちゃうな。見るのも初めてなんだよ!」
もちろん転生してからの話だ。
こういうとき、普通の子供なら好奇心を示して色々質問するかな?
とりあえずその手でいってみよう。
「ねえ、お姫さまはどこの国のお姫さまなの?」
「私はメイリー国の第3王女です。この地には、魔王を倒す救世主が覚醒したという予言を得て、その者を保護するためにやってきたのです」
やっぱりそうか……。
「じゃあ、勇者さまを探しているんだね! 頑張って! 僕、応援してるよ!」
「エディ君。君は不思議な少年ですね」
「え? ど、どういうこと?」
クラリス姫は真っ直ぐな目で、観察するように僕を眺めている。
子供に向ける眼差しにしては、えらく真剣だ。
「君はとても聡明な目をしています。ラドクリフ辺境伯は、あなたが偶然のような形で魔王を倒したのだとおっしゃっていました。でも、そうではありませんよね?」
「……どういう意味? 僕わからないよ」
もしクラリス姫がただ迷い込んだだけではないのなら、魔王と同じように賢者の覚醒をしったうえで、この地に来ていたのなら。
その場合は、魔王が倒されたことを姫には話しても構わないと、父には伝えておいた。
だってどう考えても、隠しようがないからだ。
オークのことは上手いこと誤魔化せたけれど、僕は魔王まで倒してしまった。
言い逃れをしようが、じゃあいったい誰が魔王を倒したのだという話になる。
追及されれば必ずぼろが出る。
両親か兄に賢者の役を変わってもらうという案も考えてはみたが、現実的ではなかった。
力を振るって見せろといわれれば、そんなものはすぐにバレてしまう。
父たちの立場を危うくはしたくない。
強引に暴かれるぐらいなら、クラリス姫の段階で話を止めておけないか交渉したほうが良さそうだと考えたのだ。
「あの森で、君は私たちを守るために駆けつけてくれましたね。偶然なんかじゃない。君には意思がありました」
「……」
僕は黙り込んで少し考えたあと、ゆっくりと口を開いた。
「パパに同じ質問をしなかったの?」
「ええ。このことに関しては、君の口から直接、真実を聞かせて欲しかったのです」
「……そう」
「あの場では誤魔化されてしまいましたが、オークたちを倒したのも君の魔法だったのでしょう?」
「……ううん、違うよお姉さん。僕はあのとき、どうしたらいいか分からなくて、しばらく見てたんだ」
それは本当だ。
手を出したのも、見捨てるにも後味が悪いという理由からだった。
「守るためじゃないよ」
「それでも、結果としてあなたは私を逃がすために魔法を使ってくれました」
……まあ、仕方ないか。
クラリス姫はもう確信している。
これ以上はどうにもならない。
なら、認めて口止めの交渉をした方がいい。
「……僕の力のこと、内緒にしてね、お姫さま」
「やはりそうだったのですね……」
クラリス姫は黙り込んだ後、僕の両手を取って、ぎゅっと握ってきた。
突然の行動にびっくりして、クラリス姫を見上げる。
「こんな小さな体で、私を助けてくださったのですね」
「お、お姫さま?」
「あなたの勇気のお陰で、私は救われました。本当に……こんな不甲斐ない、私を……」
クラリス姫はそう言って、少し俯いた。
彼女の澄んだ目が、悲しげに揺れている。
「救世主を保護するよう兄から言いつけられたのに、私は魔王に転移させられ、大事な騎士たちを失ってしまいました。
私が主として彼らを護らねばならなかったのに……。
そのうえ救世主であるあなたに危機を知らせることすらできませんでした」
唇をぎゅっと結んだクラリス姫の目に、涙が溢れる。
クラリス姫の手は、6歳の僕よりはずっと大きいが、それでも華奢だった。
その手が小さく震えている。
クラリス姫は必死に泣くのを我慢しようとしているようだ。
瞬きを我慢した大きな目に、いまにも溢れそうな涙。
騎士であるのは確かだとしていても、彼女はまだそれほど経験を積んでいないのかもしれない。
年齢だって、まだ十五歳くらいだ。
一人前の大人と呼ぶには若すぎる。
涙を堪えている顔は、オークの前で気丈に振る舞っていた時よりずっとあどけなく見えた。
「お姫様、あの騎士たちと仲が良かったの?」
そう問うと、クラリス姫はこくりと頷いた。
「彼らは、私が子供時代から傍で守ってくれていた老兵でした。私の、大好きな……」
姫はその言葉を言い切れず、唇を震わせた。
きっと、家族同然だったんだろうな。
前世と違って、今回の僕は家族に恵まれた。
あの人たちのことは守りたいと思っている。
もし僕が、そんな家族を失ったら……。
大事な人を失う辛さを、僕はまだ経験したことがない。
でも想像しただけで胸の奥のほうが痛んで、とても苦しかった。
クラリス姫を慰めてあげたいな……。
でも、困った。
彼女をどうやって慰めたらいいのかわからない。
前世では、あんまり人と関わってこなかったからね。
そんな僕にできることは……。
「泣かないで。こうしてお姫様が元気でいることを、きっとあの人たちも喜んでるから」
「……っ」
「騎士さんたちは、うちのメイドが体を拭いて綺麗にしたってパパが言ってた。うちの馬車で、お姫さまの国に連れて帰ってあげてよ」
「は……はい……」
「きっと喜ぶよ。お姫さまにはまだ騎士さんたちにしてあげられることがあるんだから、ね?」
「エディ君……。っく……ひっく……!」
耐えかねたように、クラリス姫の目から大粒の涙が溢れ始めた。
「う……ううう……エディ君……!」
「わあ!?」
クラリス姫は、思わずといった様子で僕に抱きついてきた。
「うえええええんっ」
「……っ」
抱き込まれ、胸が顔に押しつけられて苦しい。
でも、暴れて離してもらうような空気でもなく……。
「ご、ごめんなさい……ヒック……。でも少しだけ……。君の前でだけ、許して……っ」
「クラリス姫……」
仕方ない。
諦めて、クラリス姫の体をとんとんと叩くように撫でる。
クラリス姫は涙が止まるまでずっと、僕のことを抱きしめたまま離そうとはしなかった。