26話 闇の支配者、密かに誕生する
少し離れた陣から火薬の爆発を見守っていた竜人たちは、驚きと喜びをもって族長と僕を出迎えた。
「族長、驚いたよ! まさか魔王城ごと戦の火種を爆発させちまうなんてな!」
「しかしいったいどうやったんだ!? 族長、魔法は使えないはずだし……」
「う、そ、それは……」
族長が気まずげに眼を逸らす。
魔法を使えないことはもちろん聞いている。
これに関しては族長が上手くいいわけをする段取りになっているのだけれど、助っ人をしたほうが良さそうだ。
『族長さんの魔法、本当にすごかったよねえ! 僕びっくりしちゃった!』
『なに、族長の魔法だって?』
僕の言葉にざわつく竜人たち。
僕はわざとらしくハッと息を呑んで、両手で自分の口を塞いだ。
もちろん演技だ。
『あっ! ごめんなさい族長さん。族長さんが魔法を使えるようになったこと、内緒にして欲しいって言われたのに。僕うっかりしゃべっちゃったよ』
『族長が魔法を!? どういうことだ!?』
『僕、族長さんと約束したんだ! みんなの前ではいまでも魔法を使えないことにして欲しいって。ただでさえ強い族長さんが魔法まで使えるようになったなんてわかったら、大騒ぎになるからって。火薬みたいに不要な争いの種になったら大変だもんね』
不要な争いの種なんて言い回しは子供っぽくなかったかも。
でも僕のその嘘は、竜人たちを信じ込ませるのに十分だったらしい。
『す、すげえ族長! 一体いつ魔法を使えるようになったんだ!?』
『あ、ああその……ど、どうやら洗脳がきっかけだったらしい。いつのまにか魔法が使えるようになっていて……』
『さすが俺たちの族長だ!』
『人狼族もさすがに尻尾を巻いて逃げていきやがったしな!』
『これで無駄な戦を避けられたな。全部、族長のおかげだ』
『あの爆発……族長が火薬をブン投げたんだろう!? あれほどの力があるとは、さすがだ!!』
前線にいた軍を引き連れて本陣に戻ったあとも、族長への賞賛の言葉は尽きなかった。
精鋭部隊たちの裏切りが落とした影も、この一件で見事に払しょくされたといえる。
族長は時々居心地悪そうに僕をチラチラと見てきたけれど、もちろん知らんぷりでやり過ごす。
駄目だよ、族長。
今回の手柄は全部、族長のものにする。
そういう条件で手を貸したんだからね?
本当は僕がやったなんてバラすのは、ルール違反だ。
族長は困り顔で頭をガシガシと掻いたあと、部下たちに向き直った。
「あー……。皆の者、すまなかった」
「族長……!?」
英雄のように扱われていた族長が頭を下げたことで、竜人たちは驚きの声を上げた。
「暗示魔法をかけられるほど隙があったこと、申し訳なく思っている。族長として裏切り者の存在にもっと早く気づくべきだった」
「そんな……族長は悪くない!」
「あんな卑劣な手を使った精鋭部隊が悪いんだ! 精鋭部隊を選んだのは先代だろう?」
「その精鋭部隊を使い続けたのは俺だ。俺も見る目がなかったということだ」
族長は顔を上げ、みんなの顔を見回した。
「これからは俺ももっと心を入れ替えて、一族のために働くつもりだ。俺を支えてくれるか?」
「ああ!」
「もちろんだ! 俺たちはあんたについていくぜ!」
竜人たちが族長を再び取り囲むのを見ながら、僕はそっとその場を離れようとした。
ところが――。
『人間の客人たちよ。竜人族の集落に一緒に来てもらおう。そのあと歓迎の宴の段取りを決めたい。人間好みの料理はどんなものか教えてもらおうじゃないか』
姫をはじめとする人間サイドは、族長の言葉に驚きを隠せなかった。
今日一日でだいぶ距離感が縮まったとはいえ、魔族が人間を宴に招くなんて前代未聞だ。
姫は慎重な言葉で族長に問いかけた。
『竜人族の族長、そこまでしてもらってよいのですか? 人間を歓迎したりしたら、まずいのでは?』
『そのことについても考えている。悪いようにはしない』
『どうする? クララお姉ちゃん』
敢えて偽名を使って問いかける。
クラリスは身分を偽っていても、実際のところは一国の姫君だ。
単なる女騎士ではない。
彼女が魔族の招待を受け親交を結ぶこと、その影響力を意識して欲しくてそうしたら、聡い姫はすぐに僕の意思を悟ってくれた。
考え込むように瞳を伏せたあと、顔を上げた姫の目には、強い決意の色が浮かんでいた。
『族長。集落へお招きいただく前に、お伝えしたいことがあります』
『なんだ?』
『わたくしはメイリー国の姫、クラリス。この度は視察のため、身分を偽り国境付近に参りました』
「ひ、姫様!? そのようなことを明かしてはなりませぬ!」
護衛の騎士たちが慌てるが、姫は首を横に振った。
『竜人族は私たちを招いて下さると仰っている。であればこちらも身分と目的を偽るわけにはいきません』
姫は堂々としていた。
その姿はとても立派に見える。
『わたくしどもを偶然知り合った人間としてお招きいただくか、メイリー国の視察に来た姫一行として見ていただくか。ご判断は、族長にお任せいたします』
人間の姫を客として持て成すということは、人間の国と国交を持つということになる。
族長は相当大きな決断を強いられている。
ところが彼は、間髪入れずに恭しく一礼した。
『もちろん歓迎しよう。クラリス姫』
『……!』
人間である姫を、姫として歓迎してくれた事実。
今この瞬間、確実に何かが始まったのを僕は感じた。
僕だけじゃない。
おそらくこの場にいる誰もが気づいたことだろう。
◇◇◇
竜人族の集落に到着したあと、僕らは族長の屋敷に招かれた。
『わ。すごい』
両開きの門を潜って中に入った瞬間、自然とそんな言葉が漏れた。
族長の屋敷はなかなか珍しい内装をしていたのだ。
室内は、大胆で複雑な細工が施された家具や調度品で飾られていて、まずそれに目を奪われた。
壁や天井にも繊細な紋様が彫り込まれている。
絨毯や屏風、長椅子や机、すべてが黒、金、朱色に統一されていた。
豪奢なだけでなく、圧倒的な美を魅せつけているみたいだ。
でも不快な感じはしない。
これが魔族の文化か。
目新しくて面白いな。
前世で一度、東の国へ旅をしたことがあるけど、どことなく雰囲気が似ているかも。
うわっ。マントルピースの上に飾ってあるのって、ドラゴンの頭じゃないか。
普通は鹿を飾るところなのに、さすが魔族、規模が違う。
さすがにこれは悪趣味ではと思っていると、隣を歩いていたクラリス姫がうっとりとため息をついた。
『素敵なお部屋ですね、エディ様!』
姫の目はドラゴンの頭に釘つけになっていた。
意外な趣味を披露した姫に戸惑っていると、鎧を脱いだ族長が奥の部屋から姿を見せた。
『待たせたな』
『いえ。お招きいただき光栄です』
『これを用意していた』
族長はそう言って、一枚の紙を取り出した。
『こ、これは……!』
差し出された紙を受け取った姫は、驚きの声を上げて目を見開いた。
少し背伸びをして、書面を覗いてみる。
公用語で書かれた契約文書?
まさかと思って、目を走らせる。
内容を理解するとともに、僕の胸にも驚きが広がった。
『さんざんこちらの都合で迷惑をかけちまったからな。あんたらも手ぶらでは帰れねえだろう。手土産ってわけじゃねえが、よければ持って帰ってくれ』
書面には、『今後、竜人族は人間と友好な関係を築いていく。その一環として、人間側と協議をし、将来的には人間との国境を護る条約を結ぶことも検討する』と書かれていた。
これは朗報と言い切れる。
竜人族が国境を護ってくれるようになれば、人間側はかなりの恩恵に預かれるのだ。
『族長、本当によろしいのですか?』
問いかける姫にたいして、族長が頷き返す。
『今回の件で、他種族との歩み寄りも必要だとわかった。力だけではいずれ滅ぶ。そのためにもまずは、あんたらと手を組みたい』
その瞬間、姫は本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて、書面をぎゅうっと抱きしめた。
『ふふ。そんなふうにしたら皺になっちゃうよ?』
『エディ様。私、嬉しくて。偵察に来て、ここまでの成果をあげられるなんて感激です。王もきっとお喜びになるでしょう!』
確かに。
お城を出た時は、こんな結果になるなんて思ってもみなかったよね。
そんなことを考えながら、僕も自然と笑顔になった。
族長と同じで、クラリス姫も素直に感情を表現する。
僕はそういう人たちが好きなのだ。
面倒事に巻き込まれたくないと思っていることを、一旦棚上げして、あれこれ手助けする程度にはね。
とにかく双方が満足のいく結果を導き出せてよかった。
首を突っ込んだ甲斐もあったというものだ。
『長い歴史の中で、魔族とこんな繋がりが出来たのは初めてのことです。それもこれもすべては――』
最後まで口にせず、姫が僕を振り返る。
尊敬をする者へ向けるまなざしを熱く注がれて、僕は困ってしまった。
多分、僕が何をしたのか姫は察しているのだろう。
姫にはある程度バレてしまっても仕方がないと思っていたのだし、今さら誤魔化しようもない。
『そうだお姫さん。少しだけこのボウズとふたりにさせてくれねえか?』
『エディ様とふたりに?』
姫は構わないのかというように、僕を見やった。
『他の人間がいる場で話しては、このボウズが困るかもしれんからな』
まったく。
人が悪いね、族長。
そういう言葉を口にした時点で、僕を結構困らせてるんだよ?
『エディ様。よろしいのですか?』
僕が頷くと、姫は静かに部屋を出ていった。
意外にも心配そうな顔はしていなかった。
おそらく姫も、族長を信頼できる相手だと認めたのだろう。
姫が立ち去り、応接室へふたりきりになる。
『それで? 話って言うのは――』
尋ね終えるより先に、突然、族長がバッと跪いた。
うわ。ちょっと、何事?
『族長さん、何してるの?』
『改めて礼を言わせてくれ。おまえの指示のおかげで犯人を見つけ出し、正しく対処できた。そもそも俺ひとりでは、洗脳に気づきもせず、最悪な戦へ突き進んでいただろう』
『そんなのもういいって。こっちにも思惑があって手を貸したんだし』
堅苦しいのは嫌なのに、族長は聞く耳も持たない。
跪いた姿勢のまま、真剣な顔で僕を見上げてくるから、ちょっと暑苦しくさえ感じた。
『話の本題は別にある。俺はおまえに完敗した。だから今より、おまえ――いや、貴公には我が主となっていただきたい』
『は?』
『魔族は最強の者に従うことをよしとするのだ』
『何言ってるの。あなたは族長でしょ』
『ああ、だから族長の上といえば王だな。貴公にはこの竜人族を束ねる王として、君臨していただきたい』
いやいや、ありえない。
本当に何を言い出すんだ。
『僕、人間だよ。そんなの無理に決まってる。それに僕は平穏に暮らしたいんだ』
『それだけの力を持つ子供を世間が放っておくと思っているのか? しかも、貴公はすでに一国の姫と行動をともにしている。目をつけられている証ではないのか?』
痛いところをついてくれる。
『こうは考えられないだろうか。我らを手中に収めることが、もっとも平穏に暮らしていく近道であると。魔王亡き今、魔族はこれから混沌の時代を迎える。戦乱の世になれば、平穏無事に暮らすなど不可能になるぞ。とくに貴公のように力ある者ならなおのこと。戦に駆り出されるに決まっている』
そんな風に言われても困る。
だからこそ、僕は断り続けた。
だけど族長は一歩も引く気配がない。
『僕は普通の子供として、学校に通うんだよ』
『学校に通いながらでも構わんから、このとおり!』
ゴンッと音をたてて、族長が額を床にこすりつける。
ああ、もう。
王さまと言い族長といい、普通の子供をなんだと思ってるんだ。
普通の子供は学校に行きながら国王と手を組んで動いたり、魔族の王をやったりなんてしないんだってば。
『問題が起きた時、あなたに采配を振るってほしい。あなたの存在は決して表には出さないとお誓いする! どうか闇の支配者として、我ら竜人族の上に君臨してくれ!』
『闇の支配者って……』
とんでもなく仰々しい言い方だ。
僕は腰に手を当てると、軽くため息を吐いた。
族長の本気は嫌というくらい伝わってきている。
それに彼の言うことは一理あった。
姿を表に出さない闇に隠れた存在、か。
この族長のことは嫌いじゃないし、そのぐらいならまあ引き受けてもいいかな。
強引に表舞台に引っ張り出されるよりは全然ましだからね。
とにかく今回はなにがなんでも日陰の道を歩きたいし。
こんな展開になってしまったのは、僕にだって責任がある。
『なら、条件を出していい?』
『もちろんだ!』
『さっき族長が言った通り、表向きは族長が族長のままでいて。僕は陰から支えるだけ。僕の名前を出すのも当然禁止。約束守れる?』
『はっ! このアドニス、あなたの影武者として、誠心誠意努めさせていただきます!』
族長、アドニスって名前なんだ。
『それから、竜人族に対する権限なんていらないからね。というか押しつけられるのも嫌だし。僕がやるのは問題が起きたときに指示を出したり、ちょっと手を貸したりする程度だよ。面倒なことになりそうだったら、すぐにこの座は降りるから』
『もちろんだ。貴公が一度試してみて、やはり負担に感じられるようであれば、すぐに辞めていただいて構わん、我が主よ!』
『主じゃないって。せめて相談役ぐらいにしておいてよ』
なんだか先が思いやられる。
でも、もし本当に面倒なことになったら、全部投げ捨てて逃げちゃえばいいしね。
そんな流れで、やる気がないうえ、ものすごく無責任な『闇の支配者』が誕生したのだった。