23話 暗示魔法の紋様
僕が族長に計画の内容を説明し終えたとき、森の中から足音と共に話し声が聞こえはじめた。
ちょうどいいタイミングだ。
あとはよろしくという意味を込めて族長に視線を送る。
族長は大剣を支えにしてゆっくり起き上がった。
苦悶の表情から、全身が痛んでいるのだとわかる。
僕は、気力を総動員して立ち上がった族長を見直した。
これが族長のプライドってことか。
「すごいね、族長さん。その状態で動ける人はなかなかいないと思うよ」
「ふん」
まず最初にクラリス姫が姿を見せた。
族長が傷だらけなのを見て、姫は何かを察したらしい。
続いてやってきた竜人たちは、負傷している族長に気づくなり絶句した。
「……っ! 族長!? 一体何があったんですッ!?」
「誰があんたにこんな傷を!」
「ええい、うるさい。わめくな。別に大したことはない」
まさかその言葉を鵜呑みにできるわけもない。
族長から詳細を聞き出せないとわかると、竜人たちは慌てて俺を振り返った。
「おい小僧、族長はどうしたんだ!?」
「誰に襲われた!?」
「んー、僕もわかんなーい」
こういうとき、子供だというのは役に立つ。
まったく論理的じゃない発言で空とぼけても、わりとなんとかなるのだから。
「そんなことよりおまえら、これから陣に戻るぞ」
「えっ。陣にですか……?」
「こいつらも連れていく。怪我をしている人間どもも馬に乗せろ」
「えええ!?」
竜人たちは露骨に不満そうな声をあげたが、族長がギンッとひと睨みすると、大人しくなって彼の指示に従った。
◇◇◇
一時間後。
僕らは、竜人たちの先鋭部隊が待機している駐屯地に到着した。
僕たちは注目を浴びながら陣の中に通された。
「人間だ」
「なぜ人間が我らの陣に?」
「一体族長は何を考えているんだ?」
「気絶してる人間もいるぞ。自分で歩いてるのは女とガキだけだ」
「捕虜じゃないのか?」
森の中に作られたこの駐屯地には、いくつもの天幕が設置されている。
僕たちが案内されたのは、中央に設置された一番大きなものだった。
幕の内には大きな机が設置されており、付近の地図が広げられていた。
並べられたコマを見れば、練られた戦略を推測するのも容易い。
というかよく僕らを、この陣の中へ通したよね。
これって族長からの信頼の証と受け取ればいいのかな。
僕がびっくりしてるぐらいだから、当然、竜人たちの動揺はかなりのものだ。
しかし族長は彼らが問いかけるより先に、有無を言わさぬ感じで命を下した。
「今すぐ全員集めろ!」
みんな聞きたいことが山ほどあるという顔だが、聞きかえせるような状況ではない。
竜人の兵士たちは、無言ですぐさま移動をはじめた。
部隊が整列するまで、一分とかからなかった。
統率は完璧に取れている。
戦わずともわかる。
この軍は強い。
「エディ様……。みなさん大きいので、迫力がありますね……」
「うん。さすが戦争をしようというだけあるね。――そうだ、姫。護衛のお兄さんたちのことありがとう」
姫は僕の隣にぴったりと寄り添ったまま、警戒している。
ちゃんと状況を説明してあげられる機会がなくて申し訳ない。
それにしても僕が伝えた「大丈夫だから」という言葉ひとつだけで、竜人族の駐屯地までついてきてくれるなんて。
「エディ様を信じていますので」と言って微笑んだ姫の信頼を裏切るわけにはいかないと、僕は改めて思った。
姫のことも護衛たちのことも、僕がしっかり守る。
責任なんて面倒なものとは関わる気がなかったけれど、今だけはそうも言っていられない。
ちなみに護衛たちは目を覚ましていて、戸惑った様子ながらも姫を護るべく傍に控えている。
姫には「エディ様の功績なのに」と反対されたものの、族長の時同様、そういうことにしておいてほしいと頼んで、なんとか承諾してもらった。
『お姫さまが族長さんと話し合って、仲直りしたんだよ! お姫様ってすごいねえ!』
合わせて僕がそう騒いだので、護衛たちも納得してくれたようだ。
それにしてもさすがの迫力だ。
最前列に並んでいるのは、精鋭部隊といったところだろうか。
僕たちが最初に遭遇した竜人たちも含めて、その数、総勢二十人ほど。
鎧の色の違いと、手にした武器の大きさから、一般兵との格の違いがわかる。
兵士たちが揃ったところで、族長は開口一番、言い放った。
「人狼族との戦は中止だ」
宣言された瞬間、部隊全体がざわついた。
僕が族長に頼んだ一つ目の行動がこれだ。
戦の中止を兵たちの前で宣言すること。
もちろん単に僕たち人間側の望む展開にしたくて、そう求めたわけではない。
「お言葉ですが、族長」
真っ先に口を開いたのは、族長が側近だと言っていた長身の竜人だ。
「そのような決定、側近である私に一言の相談もなく……」
「誰に相談するまでもない。中止と言ったら中止だ。そもそも戦をする理由がなくなったのだからな」
「な……!?」
精鋭たちが目を見開く。
「長年の宿敵である人狼を潰そうと決起を促したのはあなたではないですか! まさかここにきて怖気づいたとでも?」
「族長、あんたらしくもない!」
「火薬を手に入れて人狼たちを一掃できる好機なのですよ!」
精鋭部隊と思しき面々が、次々に不満の声をあげる。
一般兵たちは固唾を呑んで、そのやりとりを見守っていた。
族長は湧き上がった反論をひととおり聞き終えたあと、改めて口を開いた。
「その火薬についてだが、知らせておくことがある。なにがなんでも火薬を求めるように、暗示魔法を掛けられていた」
「なんだって……!?」
「その結果、俺は理性を失い、火薬を手に入れるために戦を仕掛けようと躍起になった。どうやら暗示魔法をかけた者は、そうまでして竜人族と人狼族の間に戦を起こしたかったらしい」
何も聞かされていなかった姫や護衛たちは、言葉を失ったまま、緊張した面持ちで事の成り行きを見守っている。
「一体誰がそんなことを!」
「許せねえ、俺たちの族長に……!」
噛み付かんばかりの勢いで精鋭部隊たちが吠える。
族長は言葉を続けた。
「俺に暗示をかけたのは、当然ヴァンパイアどもだ」
間髪入れずに、声が上がる。
「やはりそうか! ヴァンパイアの連中……!」
「たしかにあいつらは我らと人狼族が戦になれば得をするな!」
「それをたちまち見抜くとは、さすがは族長だ!」
「俺たちはあいつらの策に踊らされていたのか! 族長にまで手を出されて……」
族長はふんと鼻を鳴らした。
「戦をする必要がないことはわかったな。であれば撤退だ」
「しかし族長! 火薬はどうするというのですか!? それに人狼族だって陣をくんでいます。いまさら引き下がるのは、我ら竜人族の沽券に係わるのでは!?」
長身の男が精鋭部隊を代表して意見を言う。
周りの者たちは同じ考えを持っているというように頷いている。
それに比べて、一般の兵士たちはぼう然と立ち尽くしたままだ。
飛び交う意見に耳を傾け、状況を理解するだけで精いっぱいなのだろう。
族長は腕を組んで、ゆっくりと部隊全体を見回した。
「沽券に係わる、か。するとおまえらはやはり戦をこのまま続けることを望むか」
「もちろんです! あんたがいる限り俺たちは負けねえ!」
「ここまできたら人狼を倒して、その勢いのままヴァンパイアも滅ぼしてやろう! なあ、みんな!」
精鋭部隊たちが後ろを振り返り、一般兵に向けて呼びかける。
兵士たちは戸惑ったように顔を見合わせたあと、そうしなければまずいというように遅れて声を上げはじめた。
「じ、人狼を殺せ……! ヴァンパイアを潰せ!」
「潰せ! 潰せ!」
まるで流行り病のように、戦へ向ける興奮が広がっていく。
足を踏み鳴らし吠える兵士たちの轟音が、地面を揺らす。
自分の頭で考え、戦をすべきだと結論づけた一般兵がいったい何人いることやら。
僕らは今、集団心理と伝染する悪意の恐ろしさを目の当たりにしているのだ。
そのとき、堪えきれぬというように族長が兵士たちを一喝した。
「黙れッッ、バカ者どもがッ!!」
高揚していた兵士たちが、ぴたりと動きを止める。
唐突に訪れた静寂。
「話は終わりだ。一時間後、撤退の準備をはじめるからそのつもりでいろ」
再び起こる不満を滲ませたざわめき。
しかし族長は聞く耳を持たぬというような態度で、天幕の中に戻って行った。
僕ら人間は、族長の指示のもと待機用の天幕へ案内された。
「姫。これ以上ここに留まっているのは危険なのでは……」
「竜人たちの撤退をこの目で確認しないことには戻れません。安全だと思っているわけではありませんが、竜人たちが我らを殺すつもりならば、どう足掻いても逃げ出すことは不可能でしょう」
「そ、それは……」
話し合いをはじめた姫たちの隙をついて、僕はこっそり天幕を抜け出した。
向かったのは、当然、族長のいる天幕だ。
族長が手配してくれていたおかげで、咎められることなく中に入れた。
見張りは当然、怪訝そうな顔をしていたけれど、人間といえど相手が子供だから警戒はしなかったみたいだ。
今日一日で、子供であることの利便性について結構学べた気がする。
族長は予定通り、ちゃんと人払いをした状態で、ひとり武器の手入れをしていた。
「雑念を払うにはこれが一番だ」
こちらを振り返ることなくそう言う。
僕は族長の隣に立って、磨かれた大剣を覗き込んだ。
ここから軍の本隊が待機している場所までは、一時間かからないと族長から聞いている。
本体と合流し、戦中止が宣言されたら、戦をやめるという状況を覆すことはほぼ不可能になる。
いくら族長といえど、三千人近い部隊を前にして、「戦をやめる」「やはり戦をする」といった調子で、コロコロ意見を変えられるわけもない。
この駐屯地にいる二百人の部隊に対してだって、本来は戦中止の宣言などされたくなかったはずだ。
だからあのとき、何の相談もなくと喚いた男はひどく青ざめていたのだろう。
犯人が動くなら、もう機会は今しかない。
そう考えながら、しばらく待っていると、予想通り相手が罠にかかった。
「族長。よろしいですか?」
天幕の外から声がかけられた。
僕がサッと幟の裏に身を潜めたのを確認して、族長が「入れ」と返す。
「失礼します」
やってきたのは長身の側近をはじめとする、精鋭部隊の面々だ。
「先ほどの族長の判断ですが、私たちは英断だと感じました」
「ふん」
「我らも人狼族と長年のしがらみを捨て、手を組む時期です」
代表者としての意見を伝えながら、側近が族長に近づいていく。
「私たちは族長を支持いたしますよ。初めに聞いたときはさすがに驚きましたが」
「そうか」
族長は武器の手入れをしたまま、顔を上げもしない。
すべて打ち合わせ通りだ。
「我らの未来は明るいです」
「当たり前だ。俺には頼れる側近や精鋭部隊がついているからな」
「ええ。仰る通り」
側近が族長に手を伸ばす。
「それにしても、どうされたのですか? この傷は」
「なんでもない。かすり傷だ」
「かすり傷ということもないでしょう。回復いたしますのでお待ちください」
側近の手を覆うように、光が滲み始める。
光は手首のあたりで腕輪のような形になったあと、今度は指先に集まっていった。
光が放たれようとしたその瞬間――。
「ぐあ!?」
勢いよく振り返った族長が、有無を言わせぬ力で側近の手を掴んだ。
「おまえたちに裏切られているなんて、この目で確かめた今も受け入れがたいな……」
仲間を信じたかったからこそ、族長の瞳には静かで深い怒りが滲んでいた。
さあ、族長。
辛いだろうけど、あなたが納得してくれなくちゃ先には進めない。
犯人を糾弾してくれ。
「俺に暗示をかけたのはヴァンパイアなんかじゃない。おまえら、精鋭部隊たちの犯行だったんだな」
族長が掴んだ側近の手には、族長がかけられていた暗示魔法の紋様と同じものが浮かんでいた。