15話 密書を解読する
「死体……!? どうしてそんな……。エディ様はここに……いいえ、置いていくほうが危険かもしれないわ」
クラリス姫は独り言のように呟くと、僕をさっと抱き上げた。
「あなたに恐ろしい想いをさせたくはありません。どうか目を瞑っていてください」
死体には慣れてるし、まったく恐れない。
でも怯えていると思われたほうが、普通の子供としては自然だからね。
返事の代わりに、クラリス姫の首にぎゅっとしがみつく。
それで姫は僕が怯えきっていると思い込んだようだ。
抱きかかえられたまま運ばれている間、僕は大人しく存在感を消していた。
もちろんそれは表向きな演出だ。実際は、こっそりと周りの様子を観察していた。
馬を森の入口に繋いでから、僕らは護衛の先導のもと、どんどん森の中へ進んで行った。
人の手が入っていない、険しい森だ。
しばらく進んだところで、鼻につく鉄の匂いがした。
抱きしめられているから姫が息を呑む気配が、ダイレクトに伝わってきた。
「これは……人狼ですか……」
僕は姫に気づかれないよう、そっと死体を眺めた。
枯葉の上に倒れているのは、端正な顔をした人型の魔物だった。
狼の耳に尻尾、血の垂れた口からは鋭い犬歯を覗かせている。
姫の言うとおり、人狼だ。
「お姫さま、ぼく怖いけど平気だよ……。だから降ろして」
「そ、そうですか……では……」
姫のほうがよほど青白い顔をしている。
「絶対に傍を離れないでくださいね」
「うん、わかった」
そっと地面の上に降ろされる。
姫が恐る恐る人狼の死体に近付く傍ら、僕はその後ろで周囲の観察をした。
すぐ近くでは主を失った馬が、所在なさげに佇んでいる。
人狼の馬だと見ていいだろう。
「恐らく、この背中に刺さった矢が原因でしょう」
先に死体を検分していた護衛が姫に説明をする。
姫は自分が苦しみを覚えているかのように、顔をしかめた。
「これは……痛ましいですね。せめて抜いてあげ……」
いけない。
「お姫さま……!」
僕は急いで、姫に耳打ちした。
「触らない方が良いよ。毒矢だから」
「え……!? 毒矢……!? エディ様どうしてそのようなことが……!?」
驚いた声を上げた姫に向かって、慌ててしーっと伝える。
護衛たちは不思議そうに首を傾げている。
自分の口を押えた姫が、こくこくと頷き返すのを確認して、僕は小声で話を続けた。
「見て。矢はそれほど深く刺さっていないし、位置は心臓から離れてる。それに殆ど出血していない。ということは、傷や出血が原因で死んだんじゃない」
「……なるほど。そうなれば、考えられるのは毒ということですね」
「さすがに種類までは分からないけど、遅効性の毒だと思う。この森には馬の足跡が一頭分しかなかったから、ここで追手に殺されたわけではなさそうだ」
「エディ様……すごくお詳しいのですね。まるで私よりもずっと年上の方とお話しているよう」
「え!? あ、えーっと、本……そう! 僕が大好きな冒険のお話で読んだんだ!」
「ず、随分と難しい知識が出てくる本を読まれているのですね」
「そんなことないよ!? 竜と騎士と毒殺のお話だから!」
危ない危ない。
僕が慌てて誤魔化していると……。
「姫、見てください!」
人狼を調べていた護衛の一人が、死体の懐から見つけ出した一通の書類を差し出してきた。
「密書ですか。これを運ぶ途中で奇襲にあったのかもしれませんね」
「読んでみようよ、お姫さま」
姫は頷き、その書簡を広げた。
すぐに彼女の眉が、困惑気味に寄せられる。
「この文字は……人狼族の言葉でしょうか? 誰か、読めるものは?」
クラリス姫が護衛たちの顔を順番に見ていく。
皆、一様に首を横に振った。
読める者はいないようだ。
僕以外ね。
まあ、それも当然だ。
国交でもない限り、他種族の言語を学ぶ機会は巡ってこない。
魔族と人間は敵対する関係にあるのだし、とくに人狼族は他の種族との群れ合いを忌み嫌う。
僕は前世で魔法関係の知識を制覇し終えたあと、暇潰しに世界中の言語を覚えていたから、人狼語を読めるのだけど、それはかなり特殊なパターンといえる。
さて――。
僕は姫が手にしている密書を覗き込んだ。
『竜人族の軍団は、予定通り川上に陣を張っている。
太陽が頂上に昇るのと同時に攻撃を開始せよ』
「……」
竜人族への攻撃開始命令……!?
しかも相手方も陣を張っているということは、戦をするつもりなのか。
さっきから危惧していた問題が、いよいよ現実味を帯びてきた。
「お姫さま、ちょっときて……!」
「エディ様……!?」
僕は姫の手を引いて、木陰に呼び込んだ。
「今のお手紙、人狼族が竜人族に攻撃を仕掛けるって書いてあるよ」
「……ええっ!? 本当にそんなことが!?」
「うん。この単語は軍団っていう意味。こっちは川。これは太陽が頂上に昇る、意訳で正午っていう意味だよ。……って、これも前に読んだ本に書いてあったんだー」
「エディ様……そんな難しい御本まで読めるなんて……!」
「あ、あはは……それより、これ。攻撃って書いてあるんだ。つまり……」
「正午、軍団、攻撃……エディ様の言う通り……」
姫がきゅっとくちびるを噛みしめる。
「とにかく護衛のお兄さんたちにも知らせて。どうするかをすぐ話し合って」
「ええ。エディ様、ありがとうございます」
真っ青な顔をして戻った姫の傍に、護衛たちが慌てて駆け寄ってくる。
「クラリス姫。一体なにが書いてあったのですか?」
「この手紙には、竜人族へ攻撃を正午に開始しろとの指示が書かれていました」
「姫、人狼族の言語が読めるんですか!?」
「私の異国のお友達が、秀才……いえ、天才で、以前読み方を教えていただいたのです。私にはすべては読めませんが、重要な単語を教えてくれていたそのお友達のおかげで内容を理解することが出来ました。本当に感謝してもしたりません」
「魔族の言語を自在に読める人間がいるとは……」
「どれほどの頭脳を持った人物なんだ……!」
姫は誇らしそうな顔でチラッと僕を見た。
さりげなく咳払いを返す。
だって今は僕を自慢に思っている場合じゃないからね!
姫もハッとしてくれたので、よかった。
「と、とにかくそれはいいとして! 問題は手紙の内容です。恐らくこの人狼は、援軍か何かにこの密書を届けるところだったのででしょう」
姫が護衛たちに向けて書簡を読み上げているふりをしているあいだに、僕は考えた。
この人狼は、密書を一体どこに届けるつもりだったんだろう。
ここは人間領だ。
魔族領側から吊り橋を渡ってきたということはわかっている。
魔族領から持ち出された密書……。
まさか人間と手を組んでいる?
いや、それはおかしい。
人間が竜人と人狼の戦いにわざわざ加わる理由などない。
それに人間領は、姫の国の領地だ。
そんな動きがあったら気づかないわけがなかった。
となると――。
攻撃開始の指示命令。
密書を持った人狼が向かっていた人間の領地。
しかし人間が手を貸すとは思えないこの状況。
……まさか人間の領地側に、人狼たちの軍勢が入ってきているのか?
「ねえお姫さま。もしこの戦いが始まったらどうなっちゃうの?」
「それは……」
姫はぐっと眉根を寄せたあと説明してくれた。
「この辺りは人狼と竜人、それからヴァンパイアが強い勢力を持っています」
護衛たちがごくりと息を呑む。
だけど無理もないだろう。
人狼も竜人も、強くて残忍な魔物だ。
彼らの中でも、トップの戦力を誇るものは、一体で人間側の一軍にも匹敵すると言われている。
かつて戦争になったとき、人間側はたいした抵抗もできないまま壊滅状態に陥った。
人間側の賢者がそれを止め、不可侵同盟を結ばせるまで、彼らは畏怖の対象だったのだ。
竜人や人狼だけでも厄介なのに、そのうえヴァンパイアが関わってるなんてね……。
「中でも人間にとって何より問題なのは、ヴァンパイアの一族です……」
まあそうだろう。
彼らは同盟さえなければ、いつでも人間を餌にしたいと思っているような連中だ。
「竜人と人狼は勇猛でとても強い種族ですが、もし両者が戦となり、戦力を削りあうことになれば……。確実にヴァンパイアはその隙をつくでしょう。竜人と人狼が敗北し、ヴァンパイアの枷となる存在がいなくなれば……。彼らはきっと『種族共存同盟』を反故にして、人間の領土に浸食してくるでしょう」
護衛たちは青褪めて震えている。
「終わりだ……もう、どうにもならない……」
「ただ偵察するだけの任務だったのに、どうしてこんなことに……。俺たち五人しかいない状況で、姫さまをお守りしながら逃げきるなんて無理だ……」
「姫のお言葉を聞いていなかったのか!? ここで逃げては人間の領土がいずれ侵略されてしまう……! ああでも、どうすれば……」
「待って、みんな!」
大人たちが混乱している中、僕は忌々しい気持ちで叫んだ。
「……何か来るよ」
そう。
強烈な殺気を放って、荒々しい足音が近づいてくる――。
「面白い!」「頑張れ!」「早よ更新しろ!」「ショタ〜!」と思ってくださいましたら、
作者のモチベーションが跳ねあがるので、
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