1話 最強賢者、転生する
闇の神殿と呼ばれる建造物内に、地鳴りのような轟音が響く。
神殿の隅に積まれたのは、これまで『あれ』に挑んで死んでいった者たちの骸。
その古びた白骨を吹き飛ばすような魔王の一撃が、粉塵を巻き上げ、石造りの神殿を揺さぶったのだ。
魔王から放たれた無数の剣は、賢者の体に次々と突き刺さり、赤い飛沫を噴き出させた。
「賢者よ。この私をここまで追い詰めたこと、褒めてやろう……だが……」
ゆっくりと顔を上げた賢者に向かい、最後の一撃が放たれようとしている。
「貴様の命、ここで終わりだ!!」
顎を伝い落ちる血。
治癒魔法を施す余力もないのか、賢者の体は傷だらけだ。
直してくれる回復士もいない。
これまでここに辿り着いた者たちは、みんな例外なく徒党を組み、パーティで協力しあってきた。
しかし、賢者はひとりだった。
ずば抜けた魔力を持ち、最強と恐れられた男に、仲間など必要なかったのだから。
神殿でひとりきり、魔王の究極魔法を放たれようとしているその賢者は――。
「なに……?」
魔王の言葉に笑っていた。
賢者の流した血が、青白い光を帯びて輝きを放つ。
「ああ、やっとだ。正直、血を流しすぎてクラクラしてきたところなんだ。でもこれで意味を成すよ」
「ば、馬鹿な。なんだ? この魔力は」
賢者をいままさに殺そうとしていたはずの魔王が、目に見えて狼狽えはじめた。
「こんなにも強大な魔力は感じたことがない……」
「魔王に褒めてもらえるなんて光栄だよ。僕も初めて発動させるんだ」
「なんだ!! き、貴様ぁ!! いったい何をしようとしている!?」
「――神性魔法『転生術式』、発動。代償はこの僕の体、僕の血、僕の魔力。そして――」
グシャッ――という何かが引きちぎられるような音がした。
「な……?」
衝撃と共に、魔王は自分の体をゆっくりと見下ろした。
「馬鹿な……馬鹿な、馬鹿なあああッッ!!」
体の右半分が、ない。
左半分も、いま、光に包まれて砂のように消滅していくところだ。
「一体これはなんなのだ。お前、なにをしたぁッ……!?」
「最後の贄は、罪を犯した上級魔族1000人分の命」
賢者はふうっと息をついた。
「君で1000人目。まったく、ここまでダルかった。――たしかに君の言う通り、僕の生はここで終わりだ。今回は」
そう口にした瞬間。
神殿一帯に、巨大な魔法陣が展開された。
「悪いね。これは僕の夢だ。君を巻き込んですまないけど……君だって人間を殺しすぎた。もう、潮時だよ」
「この私が……この私がやられるだと!? それも、人間なんぞの魔法の、生贄で!! 賢者きさま、これは、この魔法はぁああッッ……」
全て言い切ることもなく、魔王は消滅した。
これで終わりだ。
そして始まることになる。
例の魔法が発動する条件を、ようやく全て満たしたのだから。
「いよいよか」
成功すれば、この生の記憶すべてを引き継いで、新たな人間へ生まれ変わることができる。
「成功すれば、だって……?」
今まで一度だって失敗したことがないくせに、さすがの自分も不安を抱いているのだろうか。
「問題ない。条件は完璧にそろった。魔術式も発動されている。失敗などしない。僕は新たな人生を手に入れられるだろう」
この『転生術式』で――。
そしてようやく、長年の望み続けたものを得るのだ。
人助けに明け暮れる日々はおしまい。
もう永遠に挑み続けてくる魔力自慢のバカの相手をしたり、こうして魔王を倒すための慈善事業に駆り出される必要もない。
とにかく、来世はのんびりしたい。
金持ちでイケメンで遊んで暮らせる身分に生まれ変われたら言うことなしだ。
「こんなに人類を救ったんだし、それくらい叶えてくれてもお釣りが来るだろう?」
いよいよ転生魔法が終盤を迎える。
新たなる人生を祝福するかのように、神々しい光が賢者を包み込む。
期待を胸に目を閉じる。
そして意識が薄れていき――……。
◇◇◇
そうして転生を果たした僕は――。
ラドクリフ辺境伯家の末っ子エディとして、新たな生を受けたのだった。
前世の記憶が戻ったのは、6歳の誕生日。
ベッドの上で目覚めた瞬間、唐突に、何もかもを思い出したのだった。
魔術式、詠唱、前世で培った知識が、目まぐるしい勢いで押し寄せてくる。
「うわっ……くっ……」
胃と脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているような感覚。
まるで自分の中身が再構築されていくみたいだ。
僕は呼吸どころか、瞬きひとつできないまま、ただ目を見開いていた。
ようやく情報の大洪水が収まったのは、僕の精神が崩壊しかけた頃だった。
「そっか……そうだったんだ……。全部思い出せたけど……気持ちわる……」
うーっと唸って、ふかふかの枕に顔を埋める。
生まれてすぐ記憶が戻らないよう、前世の自分が取りはからったことも思い出した。
それにしても『再構築』だの『崩壊』だの。
ただの6歳児だった頃の僕が知らなかった言葉を、いつの間にか当たり前のように使っているのには驚きだ。
混濁している意識の片隅で、ようやくそんなことを考えられるようになった。どうやら僕の思考は、前世寄りに固定され始めているらしい。
「はぁ、やっと落ち着いてきた。まったく……前世の僕も人が悪いな……」
六歳の誕生日にすべての記憶を与えるなんて。
負担を緩和させるなら、赤ん坊の頃から少しずつ段階を踏んでくれればよかったのに無茶をする。
現世の僕の精神が、このぐらいで狂わないほど強靭でよかった。
まだバクバクいっている心臓に手を当てて、ゆっくり体を起こす。
問題なのは、前世の記憶がなかったせいで、6年間、魔法を一度も使わず過ごしてしまった点だ。
それどころか、この体は魔法適正診断さえ受けていない。
剣や魔法の鍛錬なんて、危険だからしなくていいと言われてきたのだ。
ラドクリフ辺境伯家はかなり裕福なうえ、両親や兄たちは末っ子である僕を溺愛している。
跡取りでもない末弟には、一生遊んで暮らせる生活が約束されていた。
何もせず遊んで暮らせるなんて、随分恵まれた人生に生まれついたものだ。
自分の話なのに、他人事のような思考になってしまった。
前世の自分と現世の自分。
自意識をすり合わせるには、少し時間がかかりそうだなと思った。
それはそれとしてーー。
まずはステータスを確認してみよう。
「ステータス、オープン」
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名前:エディ
レベル1
職業:賢者
HP:10
MP:10
魔法:ー
魔力:ー
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見事なお子様っぷりだ。
ヒットポイントもマジックポイントも貧弱。
魔力に至っては、まだなんの魔法も習得していないせいで、表示不能となっている。
「何でもいいから、魔法を習得しないと」
魔術式と詠唱の記憶は戻っている。
魔法を発動するときの感覚も思い起こせる。
「うん、それなら、お誂え向きの場所がある」