幻惑魔法
「王子はすぐにでも町の裏の顔役になれそうですね。」
ラナーが珍しく俺を褒める。…褒めてる、よね?
「無料で貯水槽も八割方貯まりましたな。」
ジャンも感心している。いや、この顔は少し呆れている、か。
「子爵の土地権利証はどうするんでしょうか?」
そう問われるが、別に今具体的な案がある訳じゃない。
「いざという時の保険かな。多分これからもっと暴走するでしょ、あの人。」
かもしれませんな、とジャンは頷く。
そんな話をしているうちに賭場に戻った。
待っていたのは、目をキョロキョロと動かし不安げな賭場の主人。そして店の奥の方、目立たないところには変わらず労務協会の連中が数人待機している。
「あの…それで、勝負はどうなってんでしょうかね?」
主人の質問を、俺はにっこり笑って拒絶する。
「あなたには関係の無い話です。」
「え…。まあ、そうなんですが…。」
「でも安心してください。魔法使い達が賭場の建て替えに反対することはもう無いでしょう。」
「本当ですか!!」
賭場の主人は嬉しそうに背筋を伸ばし、拝むように両手を前に合わせた。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
それを聞いた労務協会の者も寄ってきた。
「いや、良かったですね。では早速具体的な話を…。」
「ちょっと待って下さい。あなた達とはまた違う話があります。主人、奥の部屋を借りますね。」
ラナーを賭場の主人の傍に残し、ジャンと一緒に労務協会の者を奥の部屋に連れて行く。
最後に部屋に入った俺が、部屋の扉を閉めた途端、ジャンが労務協会の連中の一人の首元に剣を突き付けた。
「王子の前で正しく姿を現さない不敬、許しがたい。」
途端、『労務協会の連中』は『目の細い色白中年男』と『短髪に中性的な顔立ちの20代男』になった。今まで上手く認識出来なかった彼らの容姿を把握できたのだ。灰色の靄が突然消え去ったような気分だ。
彼らの姿がこれまでも視認出来ていた。だが、路傍の石のように彼らの姿の情報を脳が遮断していたのだ。何らかのカラクリがあるのだろう。
ジャンは目の細い男に変わらず剣を突き付けている。
「お前の魔法だったのか?目的は?」
「わ、私の幻惑魔法です。陰系幻惑が得意でして。賭場では必ず自分達の存在感を魔法で薄めるようにしているのです。決して王子に他意がある訳ではございません!」
「賭場で魔法を使う理由はなんだ?」
「それは、その、ここではトラブルも多く、巻き込まれると面倒ですので…。」
ジャンが剣を構えたまま俺の方を見る。こいつをどうするか、ってことだね。
俺はわざとらしくゆっくり目の細い男に近づきながら話しかけた。
「あなたがそんな魔法を使っていたとは僕は全然気が付きませんでした。でも、気が付いていなかった僕がわざわざあなた達と別室で話をしたかった理由、分かりますか?」
「…。いいえ。」
男にさらに近づく。額を流れる冷や汗がよく見える。
「妙だと思ったからですよ。協会内での仕事を疎かにしてまで、賭場を喫茶店にする仕事に執着するのはどうしてだろうって。」
「う、受けた仕事をきっちりこなそうとするのは労務協会職員として当然のことでして。」
「僕もあなた方が仕事熱心なだけという可能性は考えていましたよ。でも身を隠すような怪しげな魔法を使っているとなれば、良からぬことをしていたんじゃないかと疑ってしまうのが人の心というものです。そうでしょう?」
目の細い中年男は冷や汗をかきながらも否定するが、隣の短髪男は焦って歯をかちかち鳴らしている。これでは俺の疑いを肯定してしまっているようなものだ。
「スパイ。貴族。裏組織。横領。横流し。いかさま賭博。」
単語を羅列していくと、『いかさま賭博』のところで短髪男の身がびくっと跳ねた。とっても分かりやすい。ありがとう。
いかさまか。なるほど。子爵と魔法使いが騒いで、それが明るみに出るのを恐れた訳か。だからこいつらと賭場の主人は、さっさと賭場を喫茶店にして、証拠隠滅したかったんだな。
こちらが想定していた中では、『いかさま』はましなほうだ。見逃しても良いほどに。今事を荒立てると新町長の仕事が増えるしな。ただ釘だけはさしておくか。
「僕らは憲兵でもなければ、町長から賭場の不正を暴けと言われている訳でもありません。ですから、今後あなた方がつまらないことを考えず、まっとうに働いていくのなら、この件を問題視はしません。」
目の細い男が安心したように息を吐く。まだこっちの釘刺しは終わってないぞ。
「それから、この国でも帝国同様、幻惑魔法の使い手は住んでいる町の長に自己申告する義務があります。申告されたでしょうか。ああ、答える必要はありません。申告してないなら、急ぎ申告して下さい。」
俺の言葉に、目の細い男が今度は不満げな顔を見せる。
「生まれついての魔法の才によって申告義務の有無が決まるのは差別的ではないかという考えが最近帝都でも…」
「確かに差別や偏見というものはよくありませんね!幻惑魔法の才があるだけで悪いことをしてるんじゃないかと疑われるのは悲しいことでしょう。いやはや、そんな疑いを生み出す要因になっているのは誰でしょうか?胸に手をあてて考えてみろとまでは言いませんよ?」
「…。本日中に申告いたします。」
項垂れる目の細い男と小刻みに震える短髪男を残して、部屋の外に出る。すると、部屋の外で待機していたラナーが俺に薄い冊子を手渡す。
「裏帳簿を確保しました。」
「相変わらず仕事が早いね。それも取り敢えず保存ということで。」
ふとラナーの背後をみると、死んだような目になって床に座り込む賭場の主人の姿があった。どれだけラナーにやり込められたのだろうか。
こっちの用事は済んだので、主人に声をかけて賭場を出る。俺の言葉が耳に入っていたのかどうかはわからない。
「一件落着しましたね。喫茶店になったら、そのうち遊びに来ますよ。」
町長の屋敷に戻る途中、ラナーの願いで魔法使いとの賭けで使った指輪を改めて彼女に見せた。
「17番色。薄く雲の掛かった青空のような色ですね。美しい。」
ラナーは指輪を真剣な顔で見分している。
「欲しい?」
「一介の侍女である私の口からそのようなことはとても申せません。ただ、私の灰色の髪に指輪の色がよく合うな、と思っただけです。」
相当気に入ったご様子。
「わかったよ。あげる。」
「まあ、頂けるとは!(棒)ありがとうございます。」
ラナーはそっと指輪を懐にしまう。俺たちのやり取りを見ていたジャンが呆れたように首を横に振った。
「お二人とも若いのに、照れがありませんなあ。私の若い頃は顔を真っ赤にしてわたわたしながら青春したもんだが。」
「僕はほら前世の記憶があるから。」
しかしジャンは納得いかない様子。
「王子の転生の話を疑っているわけじゃない。ただ、王子の前世の話は『前の世界がどのような様子だったか』ってことばかりだ。『前世のファルク王子がどんな暮らしをしていたのか』って内容が無い。そのせいか、私には前世話が現実感が無く感じられる。」
むむむ…。鋭いとこに突っ込んでくる。そう。そうなんだよ。
前世で自分が具体的に何をしていたのかってところははっきり思い出せないのだ。学生だったような気もするし、働いていたような気もする。家族と仲が良かったような気もするけど、生涯孤独だったかもしれない。確かなのは、平凡な人生を送っていたということだけ。
返事に窮する俺をかばうように、ラナーが「ファルク王子はファルク王子ですから」とだけ言った。