お水はいかがですか?
「僕の力不足のせいで、王子に仕事を押し付ける形になってしまい、まことに、誠に申し訳ございませんっ!!」
町長の館、夕食会の席で全力土下座してくる現イスタタウン町長のクロヴィス。
普段は俺の方が頭を下げる側なのでとっても違和感があります。
俺も片膝をつき、クロヴィスに手を差し伸べる。
「どうか頭をお上げください。クロヴィス殿には一切落ち度はないでしょう。王家の者が政に関わるのは当然です。」
「しかし…しかし、このような雑事を王子に…。」
クロヴィスが土下座スタイルのまま頭を小刻みに動かし、そのたびに短い茶髪が揺れる。土下座をこの世界に導入したのは俺だが、こうして新しい土下座の派生形が産まれているのを見ると感慨深い。
「王子の変な謝罪スタイルが広まってしまいましたね…。」
ラナーが俺にだけ聞こえるように呟く。
聞こえなかったふりをして、俺は半ば無理やりクロヴィスを立たせた。こっちは小柄で14歳、相手は30歳で背も高い。けれど俺もそれなりに鍛えているので、なんとか立たせることに成功した。
「ほら、立って下さい!いや、座りましょう、自分の席に。そう。…そうです。はい。はい。…落ち着きました?」
クロヴィスはまだ恐縮しながらも自分の席に落ち着いた。それを確認してこちらも自分も席に座る。ジャンとラナーは町長のメイド同様、壁際に待機している。
「いや、お手数おかけして申し訳な「禁止!謝罪禁止でお願いします。このままでは話が進まない。」
「仰る通りです。ほんとうにも「禁止!」
「あ、すみま「禁止!」
同じようなやり取りをしている間に、食卓に前菜が並んだ。くたくたになるまで茹でた芋を高温で揚げたこの町独自のフライドポテト。塩などはかかっていないが、芋そのものにある種の苦みがあって美味しい。
食べている間に、クロヴィスも気分が落ち着いてきたのか、漸くまともに話が出来た。
「前町長が亡くなる前に、少しですが引継ぎの時間はありました。それに補佐官もおりますから、町長としての仕事をはじめる前はなんとかなるだろうと思っていたのです。ですが…」
「ですが?」
「補佐官が突然仕事を辞めてしまって。なんでも最近流行りの遊戯盤にはまってしまったようでして。『ワシは遊戯盤の王になる!』と言って町を去りました。」
「遊戯盤…。」
「はい。王子はご存知でしょうか?下町では尋常じゃないくらい流行しています。王都では大会も開かれることになったとか。」
「う、はい。知っていますね。はい。」
俺の目が泳いだことは気づかれなかったようだ。
「そういう訳で補佐官無しでの町長職スタートとなりました。しかし貯水槽の件については、事務役だった時から関わったことがあるから簡単な仕事だと思っていたのです。けれど取り掛かってみれば、魔法使いを集めるところから難儀してしまって…。」
イスタタウンの東の草原地帯、その更に東には砂漠が広がる。砂漠には幾つかの交易都市があり、そこでは飲料水確保のために多くの水属性魔法使いが雇われている。その魔法使い達だが、南の山脈の雪解け水が砂漠の井戸を潤すこの時期だけは砂漠を離れ、逆に降水量の低下するイスタタウンまで仕事を求めてやってくるのだ。
「仕事を求めてやってきたはずの彼らが、何故今年に限ってこちらの募集に引っ掛からないのか。そこすら判然としないのです。ですが、町長として重要な仕事は他にも多くて…。」
俺は精一杯の笑顔を見せて頷いた。
「お話は分かりました。こちらに任せて下さい。クロヴィス殿はどうか他の仕事に専念を。」
「ありがとうございます!」
夕食のメインは蒸し鶏だった。大髭鶏と一足鶏という二種類の鳥の胸肉が使われており、歯ごたえが複雑でこれもまた美味い。
最近の町の様子など他愛ない話をして、二人だけの夕食会は終わった。こういう夕食会って、大抵はホストの家族が居るもんだけど、クロヴィス町長はまだ独身らしい。忙しそうだし、嫁さんをもらう余裕は当分出来ないだろうな。ムフタル兄さんが気を遣って女性を紹介するなんてこともいずれありそうだ。
食後は、少し客室で休憩。重力魔法の練習をして過ごす。
それから風呂に入った。サウナ形式の浴室に俺は少しがっかりした。
「あー、湯船は無いのか。熱い湯船に入りたかったな。」
暫くはこの町に滞在することになるのだ。明日、町で銭湯を探すか。
そう思っていると、すぐ背後から声を掛けられた。
「残念でしたね、王子。」
ラナーだ。
「びっくりした!いや、いつか本当に心臓止まるからね?」
「鋼の心臓の王子が?御冗談を。」
「本気で言ってます。で、なんか用?」
こっちは腰に布一枚巻いているだけなんだ。
「お体を拭きに。」
「え、いいよ。」
「いいんですね?」
「違う。不要だってこと。」
ラナーは引かない。
「王妃様からも言いつけられております。『私の代わりにたっぷりファルクを甘やかしてね』と。」
「嘘だ!母さんのことだから、『私の代わりにファルクを揶揄ってね。風呂場に突撃すればアタフタするだろうから』とか言ってたんだろう?」
「…。じゃ、お拭きしますね。」
「やっぱり言ってたんだ!いいって。ほら、出て行ってくれー!」
僅かに下唇を突き出して反抗するラナーは可愛いが、俺は負けない。身体を拭いてもらうのは週に二回までって決めているのだ。
翌日、部屋で遅めの朝食を摂っているとジャンが入室してきた。靴の汚れを見るに、今朝のうちに町を回ってきたようだ。
「おはようございます、王子!昨日はよく眠れましたかな?」
「無理無理。壁の中にいつ人の気配がするかと気が気じゃなかったよ。」
「ははは!」
笑えないんですけど…。
「今朝のうちに、町に王子が来たという噂を流しておいたので、恐らく今晩には不届き者にお縄をかけることができるでしょう。」
「じゃあぐっすり眠れるのは明後日以降か。」
「ははは!」
「…。今日は、まず労務協会に向かおうと思う。」
「魔法使いの募集ですな。」
俺は頷いてから、パンに黄金苺のジャムをたっぷりかけて口に頬張る。ジャンが物欲しげな顔だったので、ひとつ進呈し、二人でジャムの甘さを堪能した。
「このくどくない甘さがいいね。イスタタウンでの仕事が終わったらジャムをお土産に帰ろう。」
「賛成です。」
朝食を食べ終えたタイミングで、ラナーが魔法使いを雇うのに必要な書類を持ってきた。
さて、お仕事の時間です。
イスタタウンの町の形は俯瞰すると日本の本州の形に似ている。町の北は川に、南は小山に挟まれた形だ。福岡の辺りから王都へ続く街道が繋がっていて、町長の館があるのは京都の辺り。今目指している場所は新潟辺りといったところか。
10分ほど歩いて、こげ茶色の質素な建物に到着した。ここが帝営労務協会。仕事斡旋所、ハローワークみたいなものだ。ガイール帝国によって帝国およびその属国内に設立された。ガイール帝国によって教会が排斥された後に作られた三つの組織のうちの一つだ。
協会内は政治的に中立で、貴族も平民も、王であっても同じように扱われる。少なくとも表向きは。
低めに作られたカウンターで事務仕事をしている係員に声を掛ける。
「今いいかい?」
サビア小王国では珍しい『眼鏡』を掛けた中年女性が顔を上がる。その顔を見て町長の館の女中を連想した。顔が似ているというより目の下のクマや疲労感のある表情が思い起こさせたのだ。
「はいはい。仕事をお探し?」
「いえ。求人の方の確認を。ほら、これ…。」
ラナーが係員に書類を渡す。内容は、既に町長が依頼している魔法使い求人の責任者を俺が引き継ぐというものだ。
「あ、水属性の魔法使いをお探しの件ですね。残念ですが、まだ一人も応募がありません。」
「この時期は、魔法使いが町に多く集まると聞いていたんですが、何故応募が無いのでしょう。」
「それは、こちらには分かりかねます。」
と言うが、係員の眼鏡の奥で僅かに目が揺れた。頬の筋肉も少し緊張している。これは嘘だ。
俺は慎重に係員を観察し、更にカウンターの奥の作業スペースにも視線をやる。机や椅子の数に対して、職員の数が明らかに少ない。やはりなにかあるのだ。
「問題を抱えてらっしゃるようだ。事情を教えてくださればお手伝いしますよ?」
「いえ、その、それは…。」
「協会が中立で、地元権力の介入を好まないことは理解しています。ですが、行商人の前を偶々傭兵が歩いていたことで山賊に襲われないことがあるように、私はそちらの領分を犯さずあなたに幸運をもたらす準備がある。」
机の上に置かれた係員の女性の拳に力が入る。悩んでいるようだ。あと一押し。
「この件で後から恩に着せたり、金銭を要求しないことを誓いましょう。なんなら書面に残しても良い。」
俺の言葉に、係員は脱力したように笑った。
「あなたが恩に着せぬと言っても、私どもは恩義を感じるでしょう。ですが、このままでは中立うんぬん以前に労務協会の機能が停止してしまいます。事実をお知らせしましょう。」