イスタタウンへ
重力魔法の訓練をはじめた日から数日後、王城の執務室に呼ばれた俺はムフタル兄さんから仕事を頼まれた。
「イスタタウンに行ってもらいたい。」
ここサビア小王国にある三つの町のうち、国の東端にあるのがイスタタウンだ。その更に東には草原地帯が広がり、隣国は無く、代わりに複数の騎馬民族が遊牧生活を送っている
兄さんがいつもの真面目な口調で話を続ける。
「今年は降雨量がやや少ない。小乾季に入る前に、水属性の魔法使いを雇って貯水槽を補充する必要がある。が、イスタタウンの町長は代替わりしたばかりだ。引継ぎなど他にやるべきことも多く、代わって貯水作業の監督をする者が必要だ。」
「事情は分かりましたけど…。別に僕じゃなくても良いのでは?」
城の執政補佐官の一人を派遣すれば済むような話だ。だがムフタル兄さんは、話を最後まで聞けとばかりにインク瓶でコツコツと机を叩く。
「お前もそろそろ自分の馬が必要だろ?イシ族がイスタタウンに馬を売りにくる時期だ。ついでに選んでくると良い。」
おお!自分の馬!いいですねぇ。あ、でも…。
「いいんですか?高いでしょう、馬は。」
「そうなんだが、王家の男子が自分の馬も持っていないのはまずいだろう。今回のために、前々から予算を組んでいたんだ。気にするな。」
「ありがとう、兄さん!」
俺が喜ぶと、兄さんはふっと笑った。
「馬選びに夢中になって、貯水槽の方を疎かにするなよ?」
「勿論!水の魔法使いなら、カリフ爺さんを連れて行けばいいかな。」
「いや、カリフ殿は確かに水の魔法も使えるが、得意なのは風だろう。ちゃんと水属性メインの魔法使いを現地で雇ってくれ。」
「承知しました!」
俺は軽くスキップしながら、執務室を後にする。
自分専用の馬かあ。王子様っぽくていいねえ!
馬術そのものは、8歳の頃から騎士団の共用馬で練習してきた。それでも今まで自分の馬が持てなかったのは、宗主国であるガイール帝国のせいだ。サビア小王国が遊牧民から安く馬を購入出来ることを面白く思わないガイール帝国の一部貴族が、無茶な言いがかりをつけて我が国に一方的な法律を押し付けた。
それは、サビア小王国が国外から馬を購入する場合帝国に対し2000%の税を支払うべし、というものだ。属国が軍事的野望を抱かないようにというのが表向きの言い分だが、実際には政治的判断ではなく、単なる弱い者いじめだ。それでも従うしかないのが、小国の悲しいところよ。
そんな訳で、現在我が国にいる馬は王家の3頭と騎士団の20頭のみ。国内で荷車を牽いているのは多くが牛かロバだ。馬車もあるのだが、その所有者は帝国商人である。
自国内で馬を育てればいいじゃないか、と思うかもしれないが、それすらも帝国から妨害が入り上手くいかない。腹立たしいことだ。
今は気分が良いけどね!
翌日、ラナーとジャンを連れて王都を出立する。
ジャンは訓練の為歩いて行こうと言い出したが、偶々東へ向かう荷牛車がおり、乗せてくれるというのでお言葉に甘えた。
荷台奥に寄せられた干し野菜から、仄かに甘い香りがする。俺たちを乗せてくれた御者が、野菜売りなのだ。好々爺然とした老人で、王子一行である俺たちに対しても臆することなく笑顔で話しかけてきた。
牛車用の牛は食用の牛と異なり、前脚の筋肉が大きく発達している。馬のように速度は出ないが、牽引出来る荷物の量は多い。余計な荷物が三人増えても平然と前に進む。
道も国の主要街道なのでよく整備されており、牛車の揺れも少ない。これなら車酔いにもならないだろう。
「へい。仰る通りでさ。今年は雨が少ないだで、野菜の収獲もいまいちですわ。」
御者の爺さんがイスタタウン周辺の状況について教えてくれる。ジャンがふんふんと頷く。
「騎士達が市の野菜が高いとぼやいていたのは、そういう訳か。」
「ジャンは、自分で市場に行ったりしないんだ?」
俺が尋ねると、ジャンは頷く。
「買い物はすべて妻に任せております故。市に向かうのは王子に付いて歩く時ぐらいですな。」
ジャンの妻は王城の女中頭である。はきはきした女性で自分にも他人にも厳しい女性だ。俺もよく怒られる。
「下手な買い物は出来ないか。ミザナさん、怖いもんね。」
「全くそのとおr…いやいやいや、そんなことは無い!それより、ほら、えーと…王子の魔法!例の魔法はどんなものですかね?」
誤魔化された。弱みは握れず、か。
「魔法ねえ。色々出来るようになったよ。地味だけど、習得しやすい魔法系統なのかもしれない。」
俺は鞄から魔法練習用の丸石を二つ取り出して、ジャンとラナーに持たせる。
「ただの石、か?」
「見た目より軽い感じがします。」
俺は二人に石をしっかり両手で持つように指示した。
「それには既に魔法が掛けてあるんだ。付与操作っていう、永続的に重さを変える魔法だよ。魔法を掛けた当人なら解除も可能。【解除】!」
二つの石に掛けてある魔法を解除する。魔法を付与する時と違って、直接触れる必要も無い。
「お、少し重くなったか。」
「重くなりましたね。」
二人とも感心しながら手に持った石を上げ下げしている。重さは2割程度変化したはずだからな。変化が分からないってことはないだろう。参考にした本の著者は1割軽減って書いてあったから、それと比べると俺は才能あるのかもしれない。
「よし、次ね!」
俺は荷台の上に立ちあがる。
「【直接操作】!」
自分自身の体に重量軽減の魔法をかける。自分に作用させると、この魔法は強い効果を発揮する。体重計で測った訳ではないけれど、多分三分の一ぐらいの重さになっているんじゃないだろうか。
その場でジャンプすると、1.5メートルほど飛び上がった。
「おお!」
「凄いですね…。」
二人が感嘆の声を上げ、御者の爺さんも思わず荷台の方を振り返った。
そのまま荷台に着地する。着地の衝撃は普通のジャンプと変わらない。
「いや確かに凄いが、それくらいなら私も飛べるぞ。」
ジャンが変な対抗心出してきた。同じくその場でジャンプして飛び上がる。とんでもない身体能力だ。いや、とんでるんだけど。これは負けられない。
かくしてジャンプ合戦が始まった。しかし勝負が決まる前に、
「あの。牛が驚いているから、やめてくれねえですか。」と御者の爺さんに言われたので中止となった。
いや本当に申し訳ない。頭を下げて謝罪した。
途中の村で一泊し、翌日の午前中にイスタタウンに到着した。この辺りは非常に平和で、町には外壁すら無い。一応町の入り口とされている衛兵の詰め所があって、そこで御者の爺さんに礼を言って別れた。
イスタタウンの町の雰囲気は王都とそう変わらない。まず目指すのは、町長の館だ。町に滞在中はそこに泊まる手筈になっている。
増築を繰り返した奇妙な形の館を訪れると、町長自身は外出中ということで、先に宿泊用の客室に案内された。
地味な茶色のエプロンを着た中年客間女中は、少し疲れた表情で部屋に俺たちを通して自分の仕事に戻っていった。
客室は広くて清潔だったが、奥の壁の模様がどうにもダサい。原色で描かれた花々は控えめな雰囲気のこの部屋とミスマッチ過ぎる。
「むむ、この部屋は…。」
ジャンが眉をしかめると、ラナーも頷いた。どうやら二人も同じ気持ちらしい。
「やっぱり二人も思った?この部屋あまりにもださ「「部屋に盗聴の仕掛けがある(ありますね)」」
えっ?
「奥の壁だけ、新しく作り直されています。部屋そのものの奥行にも違和感がありますね。壁の奥に人が潜めるようになっているのでしょう。」
「随分と御粗末な仕掛けだ。以前王がこの部屋に泊まった時はこんなものは無かったのだが。」
マジですか?
「お、俺も奥の壁が怪しいと思っていた。町長の仕掛けかな?」
震える声で俺がそう言うと、ラナーが壁を叩いて調べながら答えた。
「話に聞いていた限りでは、現町長も前町長もそういうタイプの人間ではありません。別の者が関与しているかもしれませんね。王子、さり気なく先ほどのメイドから情報を引き出して下さい。」
ジャンも頷いて賛同する。
「王子には良い経験になる。」
二人に任せてしまいたい気持ちを抑えて、部屋のベルを鳴らし先ほどのメイドを呼び出す。
「御用でしょうか?」
「忙しいところをすまないね。三人分のお茶を頂けるかな?」
「かしこまりました。」
女中が右手で長いスカート裾を少し持ち上げる。メイド服は王城のもののほうがデザインが優れているな、と関係ないことを思いつつ、さり気ない風に尋ねる。
「壁に描かれた花が随分と…あー…印象的だね。」
すると、女中は嫌な事を思い出したような顔をしつつ返答をくれた。
「実は最近壁を直したばかりでして。子爵様の件で大きな穴が空いておりましたから。」
「子爵様?」
サビア小王国に貴族籍は無い。だから、子爵というのは帝国貴族のことだ。帝国の子爵でこの屋敷に泊まる可能性が高い者といえば…。
「ザイノルド子爵か。」
「さようでございます。先月、ザイノルド子爵様が急にどうしてもこのお部屋に泊まりたいと仰いまして。」
そもそもザイノルド子爵は帝国の徴税監督官で、サビア小王国を担当している。普段は帝都暮らしだが、小王国と騎馬民族の間の馬の売買に税をかける関係で、この町にも自分の別荘を持っている。だから、わざわざ町長の屋敷に泊まる理由も無いはずだが。
「子爵が壁に穴を?」
「はい。やたら重くて丈夫な剣を持ち込まれて。」
ザイノルド子爵は、自分の屋敷があるにも関わらずこの部屋に強引に泊まり、持ち込んだ武器で部屋の壁に沢山の傷をつけた。夜分に不審者が現れたからだと言い訳しつつ、しかしやはり自分の勘違いだったようだ、こちらで修理大工を呼んで直させる、と言ったらしい。
「私どもが直すから気にしないように申し上げたのですが、頑なに自分のほうで直すと仰って。」
しかし修理された壁は明らかに部屋の雰囲気に合わない。前町長はこれを見て、子爵が帝都に帰ったら壁を作り直すように指示していたらしい。だが前町長はそれからすぐに亡くなり、指名された息子が町長職を引き継いだ。結局、壁に関してはうやむやになってしまったそうだ。
「お部屋、合わなければ別室を用意しますが?残念ながら、当館の一等宿泊室はこの部屋しかなく、二等のお部屋になってしまいますが。」
俺はちらりとラナーを見た。ラナーが小さく首を横に振る。
「いや、この部屋で大丈夫。ちょっと気になっただけだよ。」
「さようですか。」
ではお茶の用意をしてまいります、と言ってメイドが部屋を立ち去る。俺はラナーに苦情を言った。
「この部屋に泊まらないと駄目?壁の中で人が聞き耳立ててるかもしれない状態で寝るのは嫌だよ。」
「実際に壁の中に人が入ったら、王子は気づくでしょう。もし王子が気づかなくてもこちらで対応しますし。兎に角、情報が必要です。何故子爵がこのようなことをしたのか。」
確かに子爵がこんな安易な仕掛けをした理由は気になるな。この部屋に確実に泊まるであろう王家の誰かを対象とした盗聴の仕掛けだろうし。
「ラナー殿。私は壁の中に入るための穴の先を少し調べてくる。位置からして排水溝に繋がっていそうだ。」とジャン。
「分かりました。こちらではザイノルド子爵の最近の噂を調べてみます。」
町に着いて早々面倒くさいことになってきたなあ。俺は肩を落としつつ、壁の方を改めて睨んだ。