重力魔法
「えー、嫌じゃよ。面倒臭い。」
王城内、ゆったりローブに白髪白髭の老人が教卓の前でダルそうに首を横に振る。相対するは、勉強机の横で土下座する俺。
「ちょっとだけ!ちょっと鍵を開けてくれるだけでいいからっ!」
「いやじゃ、いやじゃ。タダではいやじゃ。」
この全面拒否してくる爺さんが、俺の家庭教師であり、元執政補佐官のカリフだ。
俺は先日自分に『重さの魔法』の才能があることが判明した。しかし、実際に魔法を覚える為の魔導書が町の店には置いていないのだ。火とか水の魔法のように一般的な魔法であればあったのだが、『重さの魔法』はとても珍しいらしく、取り寄せすら難しいと断られた。
すると、この国で『重さの魔法』の本が存在する可能性があるのは、王城の書庫だけだ。そして書庫はカリフが管理しており、カリフの許可が無いと入室は叶わない。
カリフ爺さんが無償で人の頼みをきいてくれることは滅多に無い。でも、お願いするだけで了承してくれたらラッキーだと思って、こうして土下座している。
しかし、今回も駄目だな。
「はあ。分かったよ、カリフ。で、望みは?」
「鐘三つ。」
そう言って三本指を掲げる。これは、鐘が三つ鳴るまで俺の前世の話を聞きたいという意味だ。カリフは地球の話、特に自然科学の話題が大好物なのだ。
「長すぎる。鐘一つで勘弁してよ。」
「えー。あと鐘三つ分話を聞けば、第一部が完成するんじゃがのう。」
「第一部?」
「そう。王子の前世の記憶をヒントに纏めた科学の本じゃ。」
俺は慌てて立ち上がりながら問いただした。
「なにそれ?題名は?」
「『ファルク王子妄言録』」
「よし、ふざけんな。」
カリフが髭を揺らして笑う。
「ほほっ!まあ、題名は冗談じゃ。王子の話の中で興味深いものは記録しているのは本当だがの。」
「あっそー。」
どうでもいいな。それより、こっちは早く魔導書を読んで魔法を実際に使いたいのだ。
「じゃあ、質問ありの鐘二つでどう?」
「うむ。交渉成立。」
カリフが差し出した鍵を俺は素早く奪い取って書庫に向かう。まだ授業中だが待っていられない。カリフもこうなると分かって今鍵を渡したのだから大丈夫、なはずだ。
個人講義を受けていた第二会議室から謁見室の前を通り抜け、階段を上がれば書庫だ。金属錠を鍵であけ、耐火性のある木材で出来た重厚な扉をくぐれば、古い本の匂いが漂う。
本棚の大半は、王国の過去の帳簿などが占める。魔法関連書は書庫の一番奥にあるはずだ。
最近誰かが本を動かしたのか、目的の棚から埃がなくなっている。大方、ラナーあたりが先回りして『重さの魔法』について調べたのだろう。あるいはムフタル兄さんかもしれない。
この辺りの国々では、15歳で小さな大人、18歳で大人として認められる。14歳の俺は責任が少ない分、権利や自由も少ない。来年になれば、書庫ぐらいは自由に出入りできるのだが。
そんなことを考えながら、本の背表紙を一冊ずつ確認していく。表紙の文字は変性しにくい金で書かれており、高級感がある。
「『火と風』『元素の基本』『魔法と呪言』…違うなあ。『空間操作』『身体強化の禁忌』『幻惑魔法指導』…『希少魔法 ~重さの魔法編~』、これだっ!」
目当てのものを棚から取り出してパラパラと捲る。内容は思ったより少ないが、紙の一枚一枚が厚いので本そのものは結構な厚さがある。ここで読み始めると、本を持つ手が疲れそうだ。部屋に持って行って読むとしよう。
自室に戻る途中、王の執務室の前を通る。中から父さんと兄さんの会話が聞こえてきて足を止めた。
「…先日の諸国会議の後に、アリンテ伯から妙なことを言われたぞ。『おたくの第三王子は、異国の姫と結婚ですか。今から祝いの品を考えておきましょう』とな。」
「ファルクが他国から嫁をとる?何故そんなことを思ったのでしょうか。当代のアリンテ伯は吝嗇ながら金銭面以外ではかなりまともな方だと記憶していますが…。」
「お前も分からんか。まあ、この件に関しては保留だな。」
そこまで聞こえた俺は、足音を立てず静かに自室への移動を再開した。
『希少魔法 ~重さの魔法編~』はかなり実用的な魔導書だった。内容を簡単に整理してみる。
そもそも『重さの魔法』とはその名の通り、物体の重さを重くしたり軽くしたりする魔法だ。俺はもう少しかっこよく『重力魔法』と呼ぶことにした。
で、この重力魔法は大きく二つに大別できる。一つは、身近なものを魔力が続く限り重さを変えられる直接操作。対象は生き物を含めて何でも大丈夫。効果範囲は、当人の魔力量によって増減する。
もう一つは、対象の重さを永続的に変化させる付与操作。対象は非生物でなければならない。魔法を付与するには、対象に直接触る必要がある。また、直接操作ほど大きく重さを変えることは出来ない。
じゃあ実際どれくらい重さを変えることが出来るのかというと、これも当人の魔力量によるらしい。この本の著者も重力魔法の使い手で、直接操作では重さを三割軽減、付与操作で一割軽減が可能だったそうだ。
だいたい把握できたので、早速実践してみる。机の上の水差しが目に入ったので、これに魔法をかけた。
「【直接操作】!」
決められた呪文を唱えると、少しだけ水差しが軽くなった…いや、変わらない?…んん、やっぱり少し…軽くなった、と思う。
正直、微妙な変化だ。これは俺の魔力量が少ないせいだろう。もう鍛えて魔力量を増やすしかないのだが、どれだけ伸びるかは個人差が大きい。もしかしたら、あまり増えないかもしれない。
「目に見える魔法が良かったなあ。火炎弾とか飛ばしてみたかった。」
残念だが、くよくよしても仕方ない。魔力量を増やすことに専念しよう。それには兎に角片っ端から物に魔法をかけ続けるのが良い。
しかし、ほんの数分魔法を行使しただけで全身に虚脱感を覚えた。体内の魔力が尽きたのだ。体内魔力がゼロから満タンまで回復するのに、およそ半日かかると言われている。
ごろんとベッドに横になっていると、部屋にラナーが入ってきた。
「お昼寝にはまだ早いのでは?」
俺は仰向けからうつ伏せに寝がえりをうつ。
「魔法使ったら怠くなった。」
するとラナーはもう一度部屋の扉を開けると廊下に誰も居ないのを確認し、ベッドに腰掛けて自分の膝を軽く叩いた。
「はい。どうぞ。」
膝枕だ。ラナーは人目が無いとすぐ俺を甘やかそうとする。逆に別の誰かが居たり公共の場では大変厳しい。そしてラナー自身はそのどちらも楽しんでいる。
可愛いラナーの膝に飛び込みたい気持ちをぐっと堪えて、起き上がる。彼女の甘やかしに応えていると本当に駄目人間になってしまう。膝枕は特別な日だけと心に決めているのだ。
俺が膝枕を拒否すると、ラナーはちょっと残念そうな顔をし(いや、これは俺の勘違いかもしれない。男ってやつはすぐに勘違いしてしまうのだ。)、それから立ち上がって一冊の本をエプロンから取り出した。
「『重さの魔法』に関して、興味深い記述がある本を見つけました。お暇な時にでもどうぞ。」
渡された本の表題は『大陸動乱期』。中身は歴史書のようだ。
「ザリスターンの王の項です。」
「暇だし、今読むよ。」
大陸動乱期とは、ガイール帝国がまだ中央大陸を手中に収める前、群雄割拠の時代のことだ。大陸東部の民族が北方に移動し樹立したザリスターン王国、その四代目の王様が重力魔法の使い手だったらしい。
彼の率いる騎士団は神速と謳われ、驚くべき進軍速度を保った、と。これが重力魔法の効果だったのかな。
「…ただし、肝心の戦では負け続き、生涯27回の会戦を経験し、その全てで敗北したことから『最弱王』とも呼ばれた。」
駄目じゃねえか!「逃げ足も神速だった。」って、これもう褒めてないよね。貶し言葉だよね。
ただ重力魔法は使い方によっては有効なのだろうということは理解した。具体的にどのように魔法を行使したのかも書いてあれば良かったけどな。
いつの間にか、俺の中で重力魔法に対するガッカリ感が減っていた。ひょっとしたら、ラナーはそれを狙ってこの本を渡してきたのかもしれない。本当にできた娘ですわ。
軽い昼食のあとは、裏庭兼訓練場で武術の稽古だ。指導者は元騎士団長のジャン。暗殺回避術、正統派剣術、狩猟用弓術、そして実戦槍術の4つをローテートで教わっている。王家の嗜みというやつだ。
今日は実戦槍術の日。突きと払いの反復練習に続いて、実戦訓練を行う。
15歩の距離を置いて相対する俺とジャン。
左手に槍を構え体の正中を隠した斜め姿勢で待ち構えるジャンに向かって、柄を短く持った俺が距離を詰める。体格差があるのだ。まずは足狙い!…と見せかけて槍を大きく縦に回転させ石突きで相手の頭を狙う。
ジャンが半身横にずれて躱す。ここまでは想定内。俺は更に槍を回し回転の勢いで再び足を狙った。が、届く前に俺の腹がジャンの槍先で突かれる。
手加減されていたし防具越しだったが、結構痛い。その場に座り込んでしまった。
「攻勢は良い。勢いと攻撃のセンスは認めますぞ。だが、自身の守りを捨ててはいけない。」
「いや、攻撃は最大の防御かなって。」
「それは尖兵の戦い方。あなたは王子。身を守ることを優先してもらいたい。…と言い続けてもう6年か。」
改善されませんなあ、とジャンが一見困ったような、それでいて面白がるような顔をする。
ジャンの言いたい事は分かる。けど、守勢に回ると、本当に守ることしか出来なくなるんだよな。要は攻防の切り替えが恐ろしく苦手なのだ。上手い解決策があると良いけど、まあ、地道に練習か。
筋肉が怠くなるまで訓練したら、今日の稽古は終了だ。
夕食を食べ、宿題をこなし、ちょっとぬるめの風呂に入ってからベッドに潜り込む。
寝る前にまた魔法を使ってみることにした。
水差しを直接操作で軽くする。すると、昼間と違って僅かながら重さの変化を感じ取れた。
魔法習得初日で魔力量増加を実感できたのは、嬉しい。その日は良い気分で眠りについた。