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ガイール帝国皇帝

 ガイール帝国が中央大陸最大の覇権国家となった理由は、三つあると言われている。


一つは、水運を活かした内政。国中に張り巡らされた水路は、安価で安全な運輸を可能にしている。


二つ目は、魔法僧院との関係性。精霊教会を国内から排除し、魔法僧院との関係を強化したおかげで、帝国軍は強力な魔法騎士を多く擁することとなった。


そして三つ目は、ガイール帝国皇帝エイレーネスその人自身である。200年前に帝国を建国し、今日に至るまで、そのカリスマと先見の明で国を引っ張ってきた。




帝都白銀宮殿では、『東の公爵』と呼ばれるキスタナ公がエイレーネス皇帝に面会するため『空の間』で待機していた。部屋中をちりばめるように置かれた鏡に、キスタナ公の面長な顔とこけた頬が映る。最近の過労がたたって目の下に隈が出来ている。


外見に煩い皇帝陛下に何か言われるかもな、とキスタナ公は心の中で溜息をつく。直後、部屋の外で近衛兵が儀仗で床を叩く音がした。


「皇帝陛下のおなり!」


 開かれた扉。長い銀髪、鼻すじの通った美しい顔、白く透き通るような肌。外見だけは20代の女性にみえる。この人こそが、エイレーネス皇帝である。


黒と灰色が使われたドレス姿でつかつかと最寄りの椅子に近寄ると、素早く腰を下ろした。


キビキビと動く時の陛下は案外機嫌が良い。そのことを知っているキスタナ公は、今日の提案は承認されるかもしれないと期待する。


「お前の要望は聞く前から想像がつくわね。」


 皇帝はにやりと笑う。


「東方へ国境を広げたいのでしょう。」


 やはり読まれていたか、とキスタナ公は思った。ここまでは想定内。ここからどうやって拡張政策の利点をアピールするかだ。


「流石のご慧眼にございます。私といたしましては、中央大陸は全て陛下の御もとにあるべきかと…「はいはい。」


 皇帝が話を遮る。


「お前が外洋貿易をしたいだけじゃないの?『西の公爵』はそれでかなり儲けているようだから。」

「…それも理由の一つであることは認めましょう。ですが、同時に東への領土拡大は帝国全体の利益になると確信しております。沿岸まで領地にすれば東に駐留させる騎士の数も少なくて済むようになりますし、そうなれば北方の国防も容易になりましょう。」

「すんなり占領出来たらね。」

「魔法騎士を動員すれば容易いこと。遊牧民も砂漠都市も速やかに降してみせましょう!」


 キスタナ公は眼に力を入れて主張する。


「帝国からそこへ行くには、サビア小王国を通る必要があるわね?」

「ああ、あの取るに足らぬ属国ですか。正直に申し上げて、先の大戦であの国を併合しなかった理由が良く分かりません。」

「ふうん。」


 エイレーネス皇帝は、机の上の地図を指し示す。


「地図をご覧。」

「はい。」

「分からない?ほら、今の帝国は綺麗な菱形をしているでしょう。サビアを併合するとね、その形が崩れちゃうのよ。」

「は…え…。そんなことで、併合せずに属国に…?」


 戸惑うキスタナ公に、エイレーネス皇帝はくくくと笑う。


「美しさは大事でしょう。あ、それから先々代のサビアの王はなかなかの伊達男だったのも重要な理由よ。」

「…。」


 なんと反応してよいか分からないキスタナ公に皇帝の言葉は続く。


「今回の話も無しね。朕にとって『美しさ』を超えるメリットが無いもの。」

「はい…。」


 話は終わったとばかりに皇帝は空の間を後にする。残されたキスタナ公は落胆の思い足取りで別の入り口から空の間を出た。


すると、公爵を待ち構えていた老人がいる。宰相バタルだ。老いしなびた顔は、しかし活力に満ちており、腰も曲がってはいるが筋肉は鍛えているのか衰えていない。彼はキスタナ公を見るなり、何度も頷いた。


「うむうむ。駄目だったようですなあ。」


 宰相は伯爵であり、キスタナ公にとって名目上の身分は下の相手だ。だがバタル宰相はキスタナ公が生まれる前から帝国に仕えてきた男、蔑ろには出来ない。


「残念ながら私の提案は陛下の御心に届かなかったようです。」


 バタル宰相は己の短い顎鬚を撫でながら首を横に振った。


「諦めてはなりません。陛下はあれで現実主義者なのです。領土拡張の更なるメリットを提示できれば、きっとお認めになるでしょう。」


 公爵の顔は浮かないままだ。


「ですが…、思いつく限りの利点はすでに示しているのです。」

「そうですか?それなら、別の方法も無いわけではありませんぞ。」


 この言葉にキスタナ公はぴくりと反応する。


「別の方法?」

「左様。無許可で侵略してしまうのです。独断専行で東方を占拠したとしても、それが結果的に帝国にとって良いことであれば、陛下は許されるでしょう。かつてあなたの祖父がビビス平原でそうしたように。」

「!!祖父のビビス平原征服は皇帝の許可無く行われたのですか!?」


 バタル宰相はわざとらしく自分の頭を叩く。


「おや、ご存知なかったか。そう、ビビス平原征服の指令は、それが既に行われた後に発せられたのです。皇帝陛下はあなたの祖父を大いに讃え、伯爵から公爵へ陞爵させました。」

「まったく知りませんでした。そのような事実が…。」

「今はあの頃より情報の足が速い。簡単ではないし、失敗は絶対に許されません。ただ、そのような方法もあるとだけ、教えて差し上げたまで。」


 キスタナ公はじっと考え、それから宰相に頭を下げた。


「良いことを知りました。教えに感謝します。」


 そして、キスタナ公は白銀宮殿を後にする。見送るバタル宰相がそっと呟いた。


「やれやれ、これで宜しいかな、陛下?」



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