第3話 魔法幼女
ファイアードッジという、バカが考えたに違いない遊びで気を失う羽目になった俺が目を覚ましたのは、放課後近くになってからのことだった。
プロテクトなしでファイアーボールの直撃を受けるのは、やはり危険な行為だったらしい。まったく想定外のフリーズの魔法で作り出された氷の障壁のおかげで怪我一つしていないのは不幸中の幸いだった。体操服はボロボロになってしまったが。……母ちゃんに殺される。
保険室で目を覚ました俺は、治療魔法をかけてくれたという保険の先生に説教を食らい、さらに職員室へと連行されて三橋にこってり油を絞られた。
「プロテクト使えないんです」
「フリーズ使ってただろうが!この馬鹿もんがぁ!」
事実を素直に伝えてもゴリラの耳に念仏。火に油を注ぐ結果になる始末。やはり、フリーズの魔法を無意識にとはいえ使ってしまったのがいけなかった。
後で知ったことだが、フリーズは小学生が覚えるような初級魔法ということなのだが、プロテクトに比べれば幾分かは難易度の高い魔法らしく、フリーズを使えてプロテクトが使えないというのはさすがに無理があるらしい。
三十分あまりの責め苦を終えた俺は、終電間際の社畜のようなふらふらとした足取りで学校を後にした。
岡部とボブソンはとっとと先に帰って中古ゲーム漁りをしているという。薄情なやつらである。合流するかと聞かれたが、今日はこのまま帰ってふて寝をすると言って断った。
さすがに色々ありすぎて頭がパンクしそうだ。突然こんな状況に追い込まれて、理性を保っていられる自分を褒めてやりたい。
これが、知り合いもいない文化習俗が全く違う異世界に放り込まれたのだったら、間違いなく精神的にやられていただろうと思う。割とすんなりと生活になじんでしまう異世界転生ものの主人公たち、精神的にタフすぎだろう……。それか単なるアホに違いない。
帰宅途中、元の世界との違いを探そうと色々気にしてみたが、別段変わったところはないように思えた。
登下校に使う電車もいつも通りで、空飛ぶ絨毯が線路上を走ってくるということもなかった。ただ、喫煙所でタバコを吸っているオッサンが、ライターじゃなく指先から出した炎で火をつけていたが。
電車を降り、駐輪場から自分の自転車を引っ張り出して、家路を急ぐ。もう今日は寝よう。寝て起きたら何もかも元通りになっているというオチもあるだろう。ストーリー上最悪の結末といわれる夢落ちでも全然OKだ。むしろ推奨。
自宅へと続く道の途中にある勾配が急な坂に差し掛かり、重いペダルをこいでいく。魔法が存在する世界だ。自転車に魔法的アシストをする能力があるのかもしれないが俺は知る由もない。ペダルが重い。
いつもの事とはいえ、長い坂に辟易しながらふと坂の頂上付近に目を向けると、一人の少女が立っているのに気が付いた。黒の大きなとんがり帽と山吹色を基調としたローブを着ているその少女は、自転車を漕ぐ俺を見つめて微笑んでいる。
すごく……魔法少女……です。
やばいの来たと戦慄していると、はたと気が付いた。あれ、よく見ると今朝会った謎の幼女じゃないか。
今朝と同じように、まっすぐな眼差しで俺をロックオンしている。なにこれ、怖い。
得も言われぬ気味の悪さを感じて、無視を決め込もうと何食わぬ顔で自転車を漕いでいたが、やはりと言うべきか、
「久しぶりですね。クウェイド」
などと声をかけられた。
俺はスイーと少女を通り抜け、そのまま走り去る。
「あれ?!」
何か意外な展開だったのか、慌てるような声が背後から聞こえてきたが、そんなことは知ったこっちゃない。
俺は非常に疲れている。もうこれ以上ややこしい事態には巻き込まれたくない。
この場から一刻も早く立ち去ろうと、心持ち自転車を加速させた。鼻歌を歌いながら曲がる必要のない路地でツイッと方向転換する。路地に入った瞬間に立ち漕ぎで猛ダッシュ。スプリンターばりの超加速だ。誰もワイの前は走らせへんでー!
「もう、クウェイドってば、相変わらず冗談が好きですね」
突然、真横から声がして、ギョッとする。
顔を向けると、そこには空飛ぶ魔法少女がいた。目が合うと、少女は心持ち頬を朱色に染めてニコリと微笑んだ。飛んでる。マジもんでこの子飛んでますよ。
通行人たちも空を飛ぶ少女を見て、目を剥いて驚いている様子。どうやら空を飛ぶというのはこの世界でも常識外のようだ。
「おっと。フライはさすがに目立ちますね」
少女はペロリと舌を出してコツンと頭を小突くという、非常にあざとい仕草をしたかと思うと、すいっと直立の姿勢になる。地面スレスレのところで浮いたまま、まるで歩いているかのようにシャカシャカと手足を動かし始めた。
けっこうなスピードが出ている自転車と並走する「歩く」コスプレ魔法少女。絵面は軽いホラーである。
「こ、こえーよ!なんだよ!付いてくんな!」
「なんですか、その言い草は。というか、そろそろ止まって下さいよ」
少女はぷうと頬を膨らませると、スッと手を自転車に手をかざした。
その瞬間、俺は強い衝撃と共に全身の血が引くような浮遊感を感じた。
「え」
目の前の風景がおかしい。天地が逆さまだ。やがて、重力に引かれて身体が落下しているらしいことに気が付く。どうやら、俺は乗っていた自転車から空中に投げ出されたらしい。
時間が引き伸ばされたように全ての動きが緩慢に感じた。
あ、俺死ぬ。このまま、地面に激突して人生終了……
そのままギュッと目をつぶって体を固くしていたが、いつまで経っても地面に激突する様子がない。
恐る恐る目を開くと、そこには青空と呆れたような顔で上からこちらをのぞき込んでいる少女の顔が見えた。俺は足を頭の方に投げ出してひっくり返ったような態勢で転がっているようだ。
しかし、背中には地面の感覚がない。どうやらそんな恰好のままプカプカと宙に浮かんでいるようだった。
「……フライぐらい使ったらどうですか。危うく怪我するところじゃないですか」
などと、少女は俺に向かって手をかざしながら、ため息交じりに言っちゃってくれているが、軽い臨死体験はたぶんこいつのせい。走行中の自転車に何か妙なことをしたに違いない。
「……もうちょっと年齢にあったモノをお召しになったらどうでしょうかね。魔女っ子ロリ子さん」
腹立ちまぎれに、ローブの隙間から色々見えてはいけない下着的なものが見えていることを指摘してやった。キョトンとした少女は、やがて俺の視線に気が付き、顔を真っ赤に染め上げる。
次の瞬間、目の前に小さな靴底が迫ってくるのが見えるのだった。
俺は缶コーヒーの蓋を開けると、それを一気に煽った。勢いよくコーヒーを飲み干し、大きく息をつく。
「……で、お前はいったいなんなんだよ」
顔面に残る鈍い痛みを感じながら、もじもじしているコスプレ魔法少女をジト目でにらみ付ける。
危うく殺されかけたり、ひどい暴行を受けたりした俺だったが、場所を移してとりあえず話を聞いてやることにした。
来年には選挙権を得る年齢になる俺である。ここは寛大な大人の対応をしてやることにしたのだ……というのはもちろん建前で、ここで無視を決め込んでも明日以降もストーキングされる可能性が高いのなら、ガツンと一発これ以上付きまとわないように説教してやろうと思ったわけだ。
ということで、ここは自宅の近所にある公園。辺りでは、このコスプレ少女ぐらいの少年少女が楽しそうに遊んでいる。何人かの子がコスプレ姿の少女を見ながらコソコソ話していた。こいつの恰好、やっぱり魔法のあるこの世界でも悪目立ちしてるじゃんか。
「なんなんだと言われましても。分かるでしょう?私ですよ。エルティアです」
「ティッシュペーパーのブランドだっけ?」
「それ、エル●アでしょう!」
きちんとツッコミを頂いたが、知らないものは知らない。
「なんだよ。何のことだか、さっぱり分からん。悪いけど、そういう遊びには付き合えないぞ」
「だから私がエルティアなんですってば!……ああ、でもそういえば年下、というのは初めてのパターンですよね?こ、これはこれでなかなか新鮮で刺激的というか……」
コスプレ少女がそんなことを言いながら、頬を紅潮させながら体をクネクネさせている。なんだこいつ。
「まったく意味不明だ。エルティアなんて名前聞いた事もないぞ」
「だから冗談はやめて下さいよ、クウェイド。そんなことあるわけないじゃないですか」
「それだ。俺のことをクウェイドって呼ぶよな?あだ名か?俺の知らない間にいつの間にそんなあだ名つけたんだ」
俺のその言葉に、コスプレ少女が目を見開いた。
「……え?本当に?……何も分からないんですか?冗談ではなく……?」
「うん、まったく」
俺が真顔で頷くと、魔法少女「エルティア」はショックを受けたように、顔色を変えてわずかによろめいた。
「お、おい大丈夫か」
「そ、そんな……そんなはずは……」
エルティアは額を手で押さえながらブツブツ何かをつぶやき始めた。しかしすぐに俺に向き直ると、必死の形相でこちらに飛びかかってきた。
俺の頭を両手で押さえ、その大きな瞳でこちらの眼をのぞき込んでくる。
「ち、ちょっ!何すんだよ!」
「黙って!このままちょっとじっとしていて下さい!」
幼女にお互いの鼻が触れ合いそうな超至近距離で見つめられる高校生男子。岡部なら泣いて喜びそうなシチュエーションだが、俺にその属性はない。
「うわーキッスだー」だの、「チューしてるー」だのと周囲のガキ共がキャーキャー騒がしい。これはちょっとまずいんではなかろうか。
俺は少し距離を取ろうと頭を動かそうとするが、まるで万力に挟まれているかのようにビクともしない。
「お、おい。ちょ――」
「しっ!」
エルティアが有無を言わせず俺を黙らせる。その時、俺の眼をのぞき込むエルティアの瞳に何か模様なようなものが浮かび上がっているのに気が付いた。
アニメなどで出てくる魔法陣のような複雑な幾何学模様。俺はその模様に意識が引き込まれるような感覚を覚え――
気が付くと、真っ青に色づいた花畑の真ん中にいた。強い風が吹き抜け、それに合わせて花畑が海原のように波打っていく。
「――」
俺は誰かに呼ばれた気がして、振り返る。
そこには長い銀髪を風に遊ばせる妙齢の女性がいた。美しいその顔には柔らかい笑顔が浮かんでいる。
頼もしい俺の大事な仲間の一人。
彼女は微笑み、皆が待っていると俺の手を引く。
……仲間たちの所に戻ろう。
皆がいれば何も怖くはない。
例えどのような苦難が待ち構えていようとも。
俺は――
「はぐあ!?」
俺はしばらく呼吸をするのを忘れていたらしく、あまりの息苦しさに勢いよく肺に空気を送り込んだ。激しい動悸を落ち着かせようと深く深呼吸する。
「ハァハァ、お、お前何をした――」
その時、目の前のコスプレ少女の表情を見て、俺は思わず息を飲んだ。
少女の大きなその瞳から、大粒の涙が頬を伝い流れ落ちていた。その小さな唇が僅かに動き、声をわななかせる。
「約束の場所……ほら……やっぱりあなたは……」
少女はそう言うと、一瞬微笑もうとしたが、すぐに表情をくしゃりとゆがめて、俺の胸に顔を押し付けた。そして、嗚咽を堪えるように俺のブレザーを両手で掴んで肩を震わせる。
「お、おい……」
突然泣きじゃくり始めた少女に、俺は何をどうしていいか分からない。この子に眼を覗き込まれて、一瞬意識を失ったようだが、よく覚えていない。何か夢のようなものを見たような気がするが……
とにかくこのままこいつがちょっと落ち着くのを待とう。何か分からないが、よっぽどの事情があるのだろう。気が済むまで泣かせてやるのがよかろう。
涙を流す女に胸を貸すのはいつでも男の役割だ。女の方の年齢がちょっとおかしい気がするが。
「あー、君。ちょっといいかい?」
ふいに俺の肩がポンポンと叩かれた。え?と、振り返ると、そこには二人のポリスメンが。
「……君、その子に何をしたんだ?」
俺の胸には、肩を震わせながら咽び泣くコスプレをした幼女が。
周囲には、そんな俺に不信の目を向ける公園で遊んでいた子供たちの保護者たちの姿。子供たちは口々に「あのお兄ちゃん、あの子とちゅーしてたんだよー」などとおっしゃっている。
「……え?」
もしかして……これって?
事案発生。そんなワードが脳裏に浮かび、俺の背中に一筋の冷たい汗がツーっと流れた。