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第26話 アルティナ・エステディン

「お、おい久太郎……」


「なんだよ……」


「何したんだ……?お前……」


 岡部とボブソンが、おずおずと小さな声で俺に尋ねてくる。


 教室に漂う得も言われぬ緊張感に、二人は手にした購買で買ったパンに手を付けられないでいた。俺とて、持参した弁当の箸がまったく進まない。


 教室を凍てつかせる緊張感の発生源は、一人の女子高生だった。


 山田風香。


 山田花子さんことエルティアのお姉さんだ。


 山田は、弁当を囲む俺たち三人からは離れた席に座っていたが、こちらに体を向け、明らかに俺たちを、いや俺を睨みつけていた。その剣呑な雰囲気は、教室の他の面々をもまごつかせるほどのものであり、発せられる鬼気はそちらを見ていなくても感じられるほどだ。


「し、知らん。お前たちが聞いてきてくれ」


「じ、自殺願望はねえよ……ば、場所変えるか……」


「か、完全に同意」


 二人はそそくさと別の場所に移動しようとする。


「俺も……」


 二人に倣って弁当を閉じようとすると、ぞわりとする気配を背後に感じ、恐る恐る後ろを振り返った。


 そこには、不動明王の御姿を背後に幻視しそうなほどの迫力を持った山田が立っていて、睨まれたのが蛙なら確実に即死しそうな眼光で俺を睥睨していた。


「……食べ終わったら、少し顔を貸して。いいわね」


 ポツリと一言そう言うと、プイと体を翻し、自分の席に戻っていった。そして席につくと再びこちらを睨みつけ始める。早く食ってしまえというプレッシャーがはんぱない。


 岡部は本体の眼鏡がずれ落ちそうなほどガタガタと震え、ボブソンに至ってはその体の震えで頭の先からイケない液体が出てくるのではないかと心配になるほどだ。


 俺は慌てて弁当を開くと、無理やり飯を掻き込み始めた。


 お母さん。ご飯が鉛の味に感じます。


 なんでこうなった。







 ベヘモスとの戦いの後、体がボロボロになった俺は、エルティアに例の異空間部屋に連れていかれて一週間ほど半軟禁状態に置かれた。


 強力な薬や回復魔法は避けるべきだというエルティアの判断で、自然回復を図るために絶対安静と外部との接触は一切禁止と厳命された。


 おかげでこの一週間、ドールの奴に学校やその他もろもろを丸投げし、漫画アニメ三昧の毎日だった。まさに至福の時間。なんかずっと幼女が隣にいたけど。


 エルティアなりのご褒美だったのだろうか。


 地獄のような特訓も一切なくゴロゴロし放題。俺の趣味全開のアニメマラソンも何だかんだといいながらずっと付き合ってくれた。中には相当気に入った作品があったらしく、この原作はありますか?と言ってずっとその本を読みふけったりしていた。布教する気はなかったのだが……中々いい傾向である。


 とまあ、それはさておき……


 問題は山田風香だ。


 ベヘモスを倒した直後にド派手に登場したクラスメートの女子。


 あれから一週間。時間を置いたことで今日はわりとフレンドリーに接することができるかもと期待していたのだが……。


 蓋を開ければ、やはりというかなんというか、不良に校舎裏に呼び出されるかのような緊張感溢れるものになってしまった。


 弁当を食べ終わるや否や、山田はやおら立ち上がって目配せだけで教室を出るよう促した。


 その眼光の鋭いこと。


 ヒエラルキー上位の可愛い女子という印象は崩壊し、周辺の高校一帯をシメる女番長の如き威圧感を醸し出していた。


 山田は俺を一切振り返ることなくズンズンと歩いていく。連れ立って歩き、たどり着いた先は学校の屋上だった。


 山田は屋上の中ほどまで進むと、そこで立ち止まった。俺は少しだけ離れた場所に立つ。山田は俺には背を向けたまま、微動だにしない。


 ヒュウと、一陣の風が学校の屋上を駆け抜け、山田の明るいグレージュカラーのロングボブの髪を撫でる。


 絵面だけ見れば、告白シーンのようでもある。


 しかしその実態は、キレちまったどこぞの金太郎さんに屋上に連れてこられてボコボコにされる寸前の男子高校生の図。これである。


 一向に話そうとしない山田と、彼女の生み出すこの空気に耐えきれず、俺は果敢に話しかけた。


「あー……山田。まあなんだ。色々ショックだったろうが、まあそういうわけなんで、これから――」


 頭を掻いて外した視線を、再び山田に戻したその瞬間、離れた場所に立っていたはずの山田が、突然目の前に立っていた。それも超至近。


 互いの鼻が付きそうな間合いで俺の目をじっと見ていた。俺はギョッとして後ずさろうとするが、ふいに山田に左手を掴まれてしまう。風に揺れる彼女の髪がふわりとフローラルな香りを放ち、俺の鼻をくすぐった。


 何これ!何これぇえええ!いきなりボコられると思いきや、甘酸っぱいイベントか何かが始まっちゃうの!?俺の青春、始まっちゃう?!


 そんな期待に胸を膨らませたのは、ほんの一瞬。


「?!」 


 俺の左手がまるで万力に絞められたかのように圧迫され始めたのだ。その激痛に俺は思わず膝を折る。一方の山田は、まるで無表情で俺の左手をどんどん締め上げていった。


「いだだだだだだだだだ!な、なんだ!……いっ!ち、ちょっと離――」


 涙目の俺は無理やり手を振り払おうとするが、山田の手はピクリとも動かなかった。男の俺が全力で力を入れているのに、華奢な山田の腕は鉄の塊のように微動だにしない。


 このままじゃマジで骨が折れる!


 俺が脂汗をにじませながら山田を仰ぎ見ると、そこには無表情から一転、悲し気な眼差しで俺見る山田が居た。そして、急に力を緩めて俺を解放する。


「ま、まじで勘弁しろよ……。手、潰す気かよ」


 痛みで顔をしかめながらうっ血寸前の手をさすっていると、山田はふっと短くため息をついた。


「あなた……本当にクウェイドなの……?」


 眉根を寄せた山田が腕を組んで俺をなじるような声色で言ってきた。


「前も言ったが……どうやらそうらしいぜ。まったく自覚はないんだけどな」


 俺はそう言って肩をすくめる。色々あって、さすがに疑う気はもうないが、異世界の英雄の生まれ変わりだと他人に胸を張って堂々と言えるほどの自信もなければ、正気を失っているわけでもないつもりだ。


「……ほんと、どうしてこんなことに……」


 山田はそっと俺から視線を外し、校舎の外の風景に目をやる。


「あなたはクウェイド。それは分かってる。感じるもの。それに曲がりなりにも、ベヘモスを打倒している。……疑いようはないわ」


「……」


 アルティナ・エステディン。それが、彼女の、山田風香の前世の名前だ。


 エルティアの実の妹であり、前世の俺と共に戦った仲間の一人だという。


 目の前の山田風香にとって、この世界では山田花子は妹。しかし中身は姉のエルティア。非常にややこしい。


「……どうやってベヘモスに勝てたのか不思議なくらいよ」


「お前の姉ちゃんに、特訓という名の拷問に付き合わされたおかげだ」


「あなたが受けたのは魔法の特訓だけのようね。私のオーラにまるで無反応だし」


 山田がムスっとした表情で俺を横目で見る。それだけで威圧されそうだ。なんというか、眼力がすごい。


「……オーラ?なんか見えてないとまずかったりするのか?数字の3とか」


「なによそれ。……でもそうね。あなたのその節穴のような目を開かせるためにも少し刺激を与えてやろうかな」


 山田はそう言うと、おもむろに俺に向かって拳を突き出し半身に構えた。次の瞬間、彼女から恐ろしいほどのプレッシャーが溢れだした。


「な?!」


 風も吹いていないのに、暴風が荒れ狂っているかのような圧力が俺の体を押し倒そうとする。そして、彼女の眼光は心胆寒からしめるほどの威力をもって俺を威圧した。


 その圧迫感に鼓動が早くなり、上手く息ができない。己を捕食する猛獣を目の前にした小動物になったような気分だ。生物として格の違いを見せつけられているようで絶望感が溢れてくる。


 俺の足がガクガクと震え始めるのを見て取った山田は、その目をさらに冷たいものに変えた。


「……この程度で恐れをなすのね。でも私はそんなの認めないし許さない。あなたがクウェイドだというなら、耐えて見せて」


 山田から溢れるプレッシャーがさらに増す。その圧によって俺は半ば吹き飛ばされるように尻餅をついて倒れた。


 情けない話、目の前の見た目はただの可愛い女子高生に、カチカチと歯の根が合わないほどの恐怖を感じて失禁寸前だ。


 山田の周囲の風景が陽炎のように揺らめく。彼女の足元のコンクリートのタイルがビシリと音を立ててヒビが入った。


「ふん!」


 山田が一つ大きく声を発した瞬間、まるで俺の心臓が鷲づかみにされたかのような感覚に陥り、呼吸ができなくなった。


「っ――」


 あまりの苦しさに、俺は胸を抑えながらうなだれてしまう。脂汗が額に滲む。ぶざまに空気を求めて口を開く様は、陸上に打ち上げられた魚のようにも見えるだろう。


「や、め」


 俺が何とか声を振り絞り山田を止めようとした時、急に彼女からの圧迫感が嘘のように消え失せた。


「か、はっ!ハァハァ!」


 流れる汗を地面に滴らせながら、求めていた空気を急いで肺に送り込む。何が起こっているのか分からないままに、荒く息を付きながら呼吸のできるありがたさをしみじみと感じていると、ふと山田の背後に誰かがいるような気配を感じた。


「……姉さま。これは私とクウェイドとの問題よ。姉さまはしゃしゃり出てこないで」


「手出しなどするつもりはありませんよ。口は出しますけど」


 見ると、山田の背中に杖を突きつけたローブ姿のエルティアが立っていた。あいつ、いつの間に。


「口も出さないで欲しいんだけど」


「あなたは色々やりすぎる所がありますからね。ほら見なさい、久太郎さんの様子を。私が止めなければ、あなたのオーラで気絶していたかもしれませんよ。加減というものを知りなさい」


 なんか色々とツッコミ所のあるセリフをのたまうエルティアに、山田は腕を組んで鼻を鳴らすと、俺に向かってあごをしゃくる。


「今のこいつに加減なんて悠長なことしている場合だと思うの?見たところ、マナはともかくオーラの扱いなんて素人以下じゃないの。何をしていたのよ姉さま」


「私がオーラについて講釈しても付け焼き刃にしかならないでしょう。私が初めて久太郎さんに会った時、魔法はおろかマナの強ささえゴミ以下だったんですよ。それからベヘモスを倒すまで持って行ったんですから、私はもっと褒められてしかるべきです」


「マナもゴミだったの?何の取柄があるのよ。このゴミ」


 けちょんけちょんである。メンタルがガシガシと削られる。特に可愛い女子に言われるとその舌鋒の切っ先の鋭さが違う。


 泣くぞ、このやろう。


「アルティナ!あなたといえどもクウェイドの侮辱は許しませんよ!」


「私がバカにしたのは、クウェイドじゃなくて、そこの宮藤よ。私は姉さまとは違う。弱いクウェイドなんて絶対に認めない」


 山田は俺を睨みつけるように一瞥すると、そのまま踵を返して校舎の中へと入っていってしまった。


「……おたくの妹の教育はどうなってるんですかねえ。いきなり問答無用で威圧されたんだが」


「まあ、ああいう娘ですから。分かっていたでしょう?だいたいこうなるってことぐらい」


「……まあな」


 一週間前、初対面を果たしたあの銀座ダンジョンでの山田の態度を思い出す。


「……ツンデレなんて今時流行んねーぞ。山田」


俺はそう言うと、大きくため息をついた。




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