第21話 胡蝶の夢
それから数日後。
「ハァハァハァハァ……」
俺は肩で息をしながら、すでにボロボロになったジャージの袖で、頬を伝う汗をぬぐった。俺の周囲の地面や岩肌の所々は、魔法の直撃を受けて黒焦げになっている。
エルティアは、岩山の上で杖を手に、ローブを風にはためかせながら俺を見下ろしていた。
「ど、どうだっ!」
俺は、砂混じりの唾液をぺっと地面に吐き出す。すでに膝が笑っていてまともに立っていられない。マナの過剰消費は、肉体的な疲労というよりも、精神的疲労を多くきたす。このままぶっ倒れて一日中眠りたいぐらいだ。
エルティアは、ふわりと体を宙に投げ出し、そのまま俺のところまで飛んできた。そしてトンガリ帽のつばを持ち上げ、ニコリと微笑む。
「……どうだって……何がです?」
「……っ!」
瞬間、エルティアの奴が静かにマナを練っているのに気が付いた俺は、這いずる様にその場から離れる。岩場に身を隠し、俺もマナを練り始める。
ある程度マナの扱いに慣れると、相手のマナの動きも悟れるようになるらしい。俺の場合、かすかにエルティアのマナの動きが激しくなってるかな?とぼんやりと感じる程度だ。
「あの程度で調子に乗ってもらっては困りますよー」
岩陰からチラリとエルティアの様子をうかがう。幼女の体は淡く青白く輝き、俺でもそのマナがぐんぐん増幅していくのをいやが応にも感じさせた。
「やれやれ、どうやらまだ撃たれ足りないようですねぇ。私が本物ってやつを見せて差し上げますよぉ」
などとのたまう、嬉々とした表情のエルティアさん。
うわあ!やべえやつがくるぅっ!
この数日間、エルティアが攻撃魔法で手加減してくることはなかった。少なくとも、不用意に直撃を食らうと命を失ってもおかしくない程度には。
そしてその攻撃魔法はたった一種類だけ。それが打倒ベヘモスへの切り札となる魔法。
この特訓の最中、あの変態幼女は何かいけない事に目覚めたようで、それはそれは楽しそうに俺にあの凶悪な殺人魔法を俺にぶっ放してくるようになった。
「くそう!あと一回は大丈夫か!?」
マナを練り終わった俺は、自分のマナの残量を推し量る。いけるかどうかは分からないが、そんなことを気にしている場合じゃない。とにかく心象詠唱を始める。
「――幼女怖い幼女怖い幼女怖い……あのヤバイ幼女から身を守れる鉄壁の防壁よ、来てくれっ……!マハドーマ!」
俺のマナが白く輝き、なんとかマハドーマが完成したのを感じた瞬間、突然目の前が真っ暗になった。
「っぐっ!」
マナの酷使。
それによってもたらされた精神的疲労はピークに達し、俺の意識を刈り取ろうとする。このまま意識を失って気絶ができればそれはそれで楽なのだ。
しかし、あの幼女の魔法はそれをすらも許さない。
ドン!という凄まじい衝撃が俺の体を貫き、強制的に意識を覚醒させられた。
「あばばばばばばばばばばばば!!」
断続的な激しい衝撃の波が腹這いに倒れた俺に襲い掛かる。まるでミシンにかけられているかのようなその連続した細かな衝撃は、地面が陥没しかねないぐらいの威力をもって俺をその場に縫い付けた。
全属性防御魔法、マハドーマによって直接的な痛みを感じることはない。しかし、その魔法の衝撃を相殺するには至らず、満足に息もできないような強烈な圧迫感に襲われるのだ。
「……」
エルティアによって放たれた魔法の影響が消えた後には、潰れたカエルのように俺が地面に横たわっているのみ。
痙攣する瞼を開き、ずずっと地面を擦る様にして顔を上げると、周囲の地面が黒焦げになっているのが見えた。俺の両腕からも煙が上がっている。おそらく、「上手に焼けましたぁ♪」的な、全身ロースト状態なのだろう。
ザッと地面を蹴るような音がして、目の前に黒のブーツが現れた。それはあの小さな悪魔が履いているモノ。
いやぁあああ!このままじゃ殺されるぅ!!
とっさにそんな焦燥に駆られて慌てて顔を上げようとすると、突然俺の頭に何かが触れた。
「……なかなか上手に出来ました」
暖かく柔らかな感触。それが俺の頭を優しく撫でていることに気が付いた瞬間。
「……」
今度こそ俺は安らかに気絶することができた。
ふと気が付くと、俺はたき火の前に座っていた。パチパチと木が爆ぜる音にホウホウとフクロウが鳴く声が重なる。
周囲は真っ暗だが、たき火に照らし出された木々の様子を見ると、ここがどこかの森の中であることが分かった。
ここは……。
「……どしたのー?……」
膝を抱えて顔を伏せていた見知らぬ十代半ばに見えるの小柄な少女が、気だるげに俺に声をかけてきた。少し顔を上げ、片目だけで俺を見ている。
見知らぬ……?いや、俺はこいつをよく知っている、はずだ。
「いや……」
俺が何というべきか迷っていたところ、黒髪のショートボブのその少女は、おもむろに体に羽織っていた毛布を広げ、カクンと首をかしげた。
「欲情……?がまんはよくないよー。カムカム」
「違うっての!」
まったく、こいつはいつもこんな調子で……、
ああそうだ。そうだった。俺たちは今、野営の準備をしたところで……。
「……なあ、エルティアはどこだ?」
「ここで他の女の名前出すんだー?いけずー。命知らずー」
突然ブワリと不穏な空気を醸し出す少女。のんびりとした調子は変わらないので、何とも言えない怖さを感じさせる。
「お、落ち着け!ちょっと……そうちょっとあいつに聞きたいことがあって……」
何をだ?
俺自身よく分からなくなってしまっているが、とりあえずそう言うと、少女は再び顔を膝に伏せる。
「ん」
そのまま、森のある方向を指差した。
「……あっち」
「あっちの方にいるのか?」
「……」
少女は顔を伏せたまま、それ以上は何も言わなくなってしまう。
「やれやれ」
俺は腰を上げ、少女が指差した方角に向かって歩き始めた。
カンテラを手に、暗い森の中を進む。周囲には怪しい気配はない。俺はスンスンと鼻を鳴らす。
「……」
水の香り。近くに水場があるな。そう思った時、俺は何かを思い出しかけた。
これは。この場面は前にもあったこと?
俺はフラフラと水の気配がする方へと歩みを進める。そうだ、この先は森が開けて……。
「……誰ですか?」
森が開けたところに小さな泉があった。水面に輝く銀の月明りの中に、長く艶やかな髪をした妙齢の女性が一糸まとわぬ姿で立っている。
月光の輝きを帯びて更に美しく映える銀髪に思わず見とれてしまった。
「……じろじろ見られるとさすがに照れるのですが……」
頬を朱に染めた銀髪の美女、エルティアがその大きな胸を隠すように両腕を組んだ。
「す、すまん!」
俺は慌てて後ろを向く。
「まったく……いいですか?のぞきにも作法というものがあってですね――」
そうだ。俺はこの夜。あの出来事があった後。自分の気持ちに整理がつかなくて。
「クウェイド?」
「エルティア……その……」
「……?」
「……カンディアでのことだが……すまなかった」
「……」
あれからずっと、エルティアはいつも通りに接してくれた。なのに、こうして謝罪をするのは俺が弱いからに他ならない。
謝ることで自分の心をどうにか軽くしようとしている。どこまでも自己満足な行為。
「……なあエルティア。この旅を始めて……自分が出来ることに……自分の限界に不安を覚えたことはないか?」
そして、そんなことをエルティアに尋ねたのだ。
「いくら強くなっても守れないものだってある。失うものだって、ある。俺はバカだから、何もかも、全て俺が救い上げてやるなんて思ってたんだ。それができると思ってた。でも……とんだ思い違いだった」
「……違ってませんよ」
「違うだろう?お前はいつだって俺を英雄だと言って信じてくれる。だが、俺は……俺は無力だった」
「あなたは無力なんかじゃありません」
「無力だよ。それに自分勝手だ。それが証拠に――」
「そんなことありません!」
俺の背中にエルティアが寄り添ってくる。彼女の温もりがジワリと胸に染み込んでいく。
「あなたが無力で自分勝手な人間なら……ここにいる私はどうなるんです?あなたが私を……私の全てを救い上げてくれたから……私は今ここにいる」
「……」
「あなたを貶めるのは、あなたであっても許しませんよ」
お前がそう言ってくれるということを俺は分かっていた。俺を肯定してくれる言葉がなければ前に進むこともできない。
お前が、お前たちが一緒にいてくれなければ……俺は無力だ。
「……ひどい話を聞かせましょうか?私はこのどうしようもない世界がどうなろうと本当はどうでもいいんです。でも、あなたと共に生きるこの世界を失うわけにはいかない。だから私もあなたと共に戦うんです」
エルティアが腕を回してきて俺を強く抱きしめる。
「あなたは英雄。私だけの英雄。他の者がどうなろうとも知ったことですか。……でもあなたが私の英雄であり続けてくれる限り……あなたは他の者全てを照らす光となる。私はそう信じています」
「……」
エルティアの辛辣で、そして優しい嘘を受け止める。彼女の温もりを感じながら、俺は真円を描く月を見上げた。
互いの鼓動が溶け合う心地よさに身をゆだね、俺はそっとエルティアの手を握るのだった――
「――っていう夢を見たんだが、何なんだろうね、これ」
俺が気絶していた時に見た夢の話をしてやると、エルティアは顔を真っ赤にして両手で隠すように覆った。なんか体をプルプルさせている。
ちなみに俺は疲労で体がピクリとも動かせない状態で地面に横たわりながら、エルティアに膝枕などをされている。
幼女に膝枕されるなど、人目がなくても恥ずかしいので離れたいのだが……体がいう事を聞かないのでもうあきらめた。
「……あ、あなたから、そ、そういう昔話をされると……なんとも言えない気持ちに……」
「あの銀髪のねーちゃんって……もしかしなくても、昔のお前なの?」
少し落ち着いてきたのか、エルティアは顔を覆っていた両手を下ろし、ふーっと一つ息を吐いてからコクンと一つ頷いた。頬はまだ少し赤みを差している。
「……なんでや……」
「は?」
「なんでお前……なんでお前そんなちんちくりんなんだよぅ!あのお姉さん相手ならもっと張り切って特訓を――」
「張っ倒しますよ!」
スパン!と俺の頭を叩くエルティアさん。
「なんだよ暴力幼女!あのお姉さんを返して!あの優し気なムチムチ姉ちゃんを俺に返して!」
「あ・な・た・って人は~~~~!」
エルティアは顔を真っ赤にしながら、ぐいぐいとむちゃくちゃに俺の頬をつねり引っ張りまわす。
「ひらいひらい!ひゃめへぇ!」
「はぁはぁ……あ、あの時のことは私にとってもとても大切な思い出なんですからね!茶化さないで下さい!」
「いてて……別に茶化してないし。俺は本気でチェンジを――」
言い終わる前にギロリと血走った目で睨まれてしまう。あ、これマジのやつだ。自重。
「……でもお前にとっては大切な思い出なんだろうが、俺には夢みたいなもんだからな……何があったんだ?」
「クウェイドが……あなたが私一人の為に、ある国一つを敵に回したせいで滅びかけたっていうお話です。あのベヘモスも絡んで色々とややこしいことになったんですが……まあなんとかなりましたよ」
「前世の俺ってバカなのか?」
俺の率直な感想にエルティアはフッと微笑んだ。それはどこか誇らしげで。
「バカですよ。どうしようもないバカ。きっとあなたも……そうなんでしょうけど」
「……俺はそんなバカじゃない」
エルティアは微笑んだまま何も言わなかった。そして俺の前髪をさらりと撫でる。なんとなく居心地が悪くなって身じろぎしようとするが、やはり体がうまく動かなかった。
「……なあ」
「なんです?」
「勝てるよな?」
「もちろん。ナイスバデーな私にまた会いたければ……生き延びることですよ」
「なんだよ、それ」
俺は夢の中の俺のようにエルティアの言葉を欲した。前に進むために。
勝てないと明日はない。生死をかけた戦いというものを経験していない俺は、いまだはっきりとした危機感があるわけじゃない。
でも、俺の失敗はそういう未来につながるのだろう。
「正直怖えーし逃げ出したいけどな」
でも……お前が隣にいるなら。
言いかけたそんな背中が痒くなるようなセリフを、俺はかろうじて飲み込むのだった。
「あ、ちなみにですね」
「ん?」
「あの後私たち、めちゃくちゃセ――」
「シリアスなところ茶化さないでくれる?!」




