第13話 クウェイド・クインザール
目が覚めてみると、そこはどうやら洞窟の中のようだった。辺りは薄暗く、少し肌寒い。
葉っぱが積まれただけの簡素なベッドの上に、俺は寝かされていた。
大量の葉っぱを押しのけ、体を起こす。だるさのようなものを感じるが、別段怪我などをしている様子はない。
「ここは……」
辺りを見回しても、誰もいない。脅威となるような人や魔獣の気配もないようだ。とりあえずは外に出て状況を確かめてみるか。
洞窟の外に出てみると、そこは深い森の中だった。なんだって俺はこんなところにいるのだろう。
と、その時、突然ガサガサと音がして、木の上から仮面を被った少年が逆さまの状態で現れた。
「あ!ニンゲン!気が付いたがか!」
少年はそのまま落下し、空中で器用に回転して地面に降り立った。
「あーどうなることかと思ったち、予備の力水持っておいてよかったがよ」
少年はそう言いながら、俺の体をあちこちベタベタと触ってくる。
「うんうん、怪我は治っちゅう。まっこと、焦ったきに」
「えーと。お前さん、精霊だよな?俺の事知ってるのか?」
「さっき会うたじゃろが。頭打って忘れたがか?」
さっき会った?はて?
「って待てよ……あれ?俺って……誰だっけ?」
おかしい。「俺が誰なのか」がさっぱり分からない。それどころか、今までの記憶がまったくない。
「……何を言うとるんじゃおまんは。頭打ち過ぎておかしくなってしもうたがか?」
「……かもな」
これは……まずいな。こんなことは始めてだ。
「まあとにかく、長に会うてくれんか?怪我をさせてしもうた詫びがしたいと申されちゅう」
「長?……そうか、よし会おう」
「こっちじゃ」
俺は少年の後について森の中を歩き始めた。
濃密な森の空気。やけにマナが濃い。どうやらここは、本来人が立ち入るような場所じゃないようだな。なんだって俺はこんなところに?
俺は首をかしげながら、少年の後に付いて行く。
しばらく歩いていくと、突然辺りに霧が立ち込め始め、先がまったく見えなくなってしまった。すると、急に俺の腕が誰かに掴まれた。
「こっちじゃき。離れんよう気ぃつけるがよ」
少年の声が聞こえ、俺は腕を引っ張られるまま、足を取られないように気を付けながら進んでいく。
……かなり強力な結界だな。こりゃ相当な大物がいるようだ。
どれぐらい歩いただろうか。一瞬だったような気もするし、長く歩いたような気もする。こういった結界は時間の感覚さえも乱すことがあるので気にしてもしょうがないのだが。
いつの間にか、霧が晴れ、俺は大きな泉の前に立っていた。いや、泉じゃなく温泉か……?
温泉の真ん中には、島のように盛り上がった場所があり、そこには巨石が転がっている。その巨石に絡むように太い根を張った巨大な木が空に向かってまっすぐ立っていて、ちょうどこの温泉のある広場を傘のように覆っていた。
そして、その木が生えた巨石の側には、これまた巨大な一匹のイノシシがその巨体を横たえていた。
『おうおう。これはニンゲンのお客人。わしはこの辺りの長をしておるものじゃ。うちの若い衆が粗相をしたそうじゃな。まっことすまんことをしたのう。これ、この通りじゃ。許してやってくれ』
巨大なイノシシがぐぐっと顔を下げる素振りをした。
「いやいや、頭を上げて下さいよ。あなた、さぞ名のある精霊の王でしょう。こちらとしては、何をされたかも全然覚えてないもんで、逆に恐縮しちゃいますよ」
「何も覚えていない、じゃと……?」
「そうなんですよ。俺がなんでこの森に来てたのかも分からない始末で。というわけで、何か知ってることがあれば、どんなことでもいいので教えてほしいんですが……」
「ふうむ?おい、サト。何か知っちょるか?」
精霊王が、俺の側にいた少年に声をかける。
「んんーと。このニンゲンは、クスリを作るために、タロウの尻尾が欲しいと言うちょりました。闘獣をやっちゅう時に、タロウの尻尾が抜けてしもうて、それを拾ったこのニンゲンにタロウがいきなり襲い掛かってしもうたがです」
『……ということじゃが、なんぞ思い当たることはあるかの?』
「そうですねえ……」
薬。薬か。となれば真っ先に思い浮かぶのはエルティアの奴だが……
俺はリンクしている仲間たちの魂の所在に意識を向ける。
……んー。なんか妙に繋がりにくいな……でも、そうか。もうエルティアは目覚めてるようだな。アルティナにカチュア、それにジェレミーはまだ、か。
俺が意識を戻すと、精霊王が巨大な鼻をこちらに向けてフガフガと音を鳴らしていた。
え、何?俺、匂い嗅がれてるの?体、臭い?
『おんしゃあ……どうやらただのニンゲンじゃあなさそうじゃのう……自分がどこの誰かも忘れちゅうがか?』
「あーいえ。自分が何者か、というのは覚えてるんですよ。俺がどこの誰なのか、というのが分からないだけで」
『んん?』
「あ、これはとんだ失礼を。まだ名乗ってませんでしたね」
俺はかつて住んでいた世界の礼法に則り、腰を落として両手を胸で交差させ、頭を垂れて慇懃に礼をする。
「初めまして、偉大なる精霊の王よ。私の名は、クウェイド・アゼル・エルミナ・クインザール。全てを無に帰す魔の王を撃ち滅ぼさんがため、この世に顕現した者です」
『全てを無に帰す魔の王、のう……』
「そーなんですよー」
妙に体がだるいままだった俺は、精霊王の計らいで温泉に入らせてもらっていた。湯の効果なのか、体中のマナが活性化するようで心地いいのだが……
『ふむ……最近マナの流れが少し妙だと思っちょったが……その影響かのう。このままでは森の獣たちにも悪影響が出始めるかもしれんのう』
「魔王の奴の復活が近づくにつれて、モンスターたちが凶暴化するのは間違いないでしょうね。まあ、精霊王のおひざ元のこの森のモンスターはそれほどでもないかもしれませんが」
『タロウがおんしを襲ったのも、そのあたりが原因かの』
「いやあ、俺は元々モンスターにはやけに嫌われる質でして。ヒフキトカゲのタロウ君が襲い掛かってきたというのもまあ、分かる話なんですが……問題はそのタロウ君に襲われた程度で気絶する、という今の俺の状態なんですよね」
「いや、おまんを直接気絶させたがは、シゲのところのゴロウじゃ。エテゴリラの『ぶんなぐり』はニンゲンには強烈すぎるき」
一緒に温泉に入っている精霊のサトがそう言うが、俺の懸念は晴れない。
「うーん。言っちゃあ悪いけど、不意打ちとはいえ、そのエテゴリラ程度にしてやられるというのも俺にとっちゃかなり問題なんだよ。これでも魔王とやり合っちゃうぐらいの強さはあるはずなんだから」
そう、本来なら。
先ほどからマナとオーラを練ってみてはいるのだが、まるで力が引き出せない。これでは単純な力だけでいうと、そこいらの村人と大して変わらないだろう。
「とにかく……エルティアと合流して……原因を、確かめないと……」
……なんだか、さっきから体の調子がおかしいな。温泉にのぼせたか……?
俺は温泉から上がると、あまりのだるさにぐったりと体を横たえた。すると、精霊王がさっきのように巨大な鼻をこちらに近づけて匂いを嗅ぐようにフゴフゴし始めた。息がかなり臭いんですけど……
「俺、そんなに匂います……?」
『おんし……魂と器のバランスが歪じゃのう。強き異界の魂には不釣り合いの器じゃ。今にも溢れださんとしておるその力をもっと抑えんと、器である肉体がもたんきに。この森の濃いマナは、今のおまえさんにはかえって毒かもしれん』
……魂と器、か。そういえば、昔そんな話を聞いた事があったな。誰からだったか……そうだ。あれは確か……
「おーいニンゲン。そんなとこで寝ゆうと、風邪引くぞ」
そうだな……風邪ひくよな……またエルティアのクソまずい薬を飲まされるのもいやだし……しかし、眠いな……
「お、長。こいつ、鼻から血が出ゆうみたいじゃが……」
『いかんの。器に負荷がかかりすぎちゅう。サト、力水持ってきや』
はあ……眠い……
…………
…………
…………
…………
…………
「へっくしゅん!」
さ、さぶ!
なんだ?やけに冷えるな……って、なんで俺裸なんだよ!
『気が付いたかの?』
ふいに野太い声が聞こえてきたので振り返ってみると、目の前には大きな牙を持った巨大なイノシシがいて、俺のことを見下ろしていた。
「……」
俺は、あまりのことに一瞬言葉を失った。
『ふむ。力は抑えられとるの。とりあえずは大丈夫じゃろ』
「うおお!?」
思わず後ずさりしてしまい、すぐ側にあった水場にドボンと落ちてしまう。
「ガボガボ!?………………っぷはぁ!」
俺は慌てて水から顔を出す。水ではなく、暖かいお湯……いや温泉か?
水を少し飲んでしまってゲホゲホとせき込んでいると、近くから呆れたような声がした。
「ニンゲン。おまん、何しとるがじゃ」
見ると、さっき会った仮面の少年がいた。
「しかしおまん、虚弱体質じゃのう。もっと鍛えにゃいかんちゃ」
「そ、そんなことより、このでかいの何だよ!?お前のポケ●ンか?ビビったじゃねーか!」
「ポケ?なんじゃと?おまんの言うとる事、さっぱり分からん」
「このしゃべるデカいイノシシだよ!まさか……俺をエサにしようと……」
恐ろしい想像に背中がヒヤリとした。そしてここどこだよ。森の中にある温泉のようだが、なんでこんなところにいる?
たしか俺はヒフキトカゲに襲われて……
置かれた状況に混乱していると、少年はなにやら困惑した様子で巨大なイノシシに顔を向けた。
「長、こいつやっぱり頭の打ちどころが悪かったんじゃないじゃろうか」
『ふうむ』
巨大イノシシが頭をゆっくりともたげて俺にでかい鼻を近づけてきた。
「うわあ!やめろ!俺はうまくねえよ!」
『……サト。ちくと押さえとれ』
逃げようとする俺を少年が後ろから羽交い締めにする。こいつちっこい癖に力強ええ?!
フゴーフゴーと生暖かい息が全身に吹きかけられた。あまりの臭さに鼻が曲がる。
いつ、バクッといかれるかビクビクしていると、ふいに少年が力を抜いて俺を解放する。イノシシものっそりと元の場所に頭を戻し、金色の瞳をこちらに向けた。
『……力と記憶を眠らせておくことで非力な器を守っとるようじゃの。先ほどまでのこやつと今のこやつは同一人物じゃが、別人とも言えるがじゃ。なるほどのう。あやつの言うとったことはこういうことじゃったか……まっこと、変わったニンゲンもおったものよ』
イノシシがそう言って、ボッボッボッボッと妙な音の笑い声を上げた。何の事言っているんだ?このイノシシ。
『では改めて挨拶しておくかの。わしゃあ、この森で長をやっとるものじゃ。うちの若い衆が迷惑かけてすまなんだの。……お前さんの名前を教えてもらってもええかの?』
野太いイノシシの声は、なんとも有無を言わせぬ迫力がある。俺は、何が何だか分からなかったが、とりあえず正直に答えることにした。
「お、俺は宮藤久太郎。ただの高校生だ」




