女スパイとブレーン
リアルダンジョン開催よりもずいぶんと前の話です。
朝食を宮坂家で頂いた後に、俺としてはなし崩し的な感じでスペックスビルへと帰って来た。
まだそれほど愛着のない自室で1人、持ち出した荷物を片付けているとノックが聞こえたので返事をする。
ガチャリとドアを開けて、紗雪が入って来た。
「あ、やっぱり自分で荷物整理してる。
優希、言ってくれたら専属のメイドがやってくれるんだからね」
自然な足取りで俺のベッドに腰掛けるさゆ。
「いや、これくらい自分でやるよ。いちいち呼ぶ方が面倒だろ。
大体呼んでからまずさゆはメイド服に着替えるだろ? それから俺がちょっかいをかけるだろ?
そこから片付け始めるんなら最初から俺が自分でやった方が早いしさ」
「ちょっかいをかけるのは前提なのね。まぁそうだろうけど」
荷物を片付け終え、さゆの隣に座る。
「で、用事はそれだけだったか?」
「ううん、姫子ちゃんの部屋の用意が出来たから見に来るかなぁと思って」
そうか、今日からひめもここに住むんだな。
ひめのお兄さんである基夫さんと和解(?)した後で、ひめを正式にハーレムへと迎え入れるってのはちょっと考えてしまうところがあるな。いや、和解したからこそ、かな。
嫁の身内とは上手く行っているに越した事はないが。
「よし、じゃぁ見に行くか」
ひめの部屋はさゆと夏希の部屋の対面で、大きさや造りは大差ない感じだ。
自分の家から持って来たと思われるぬいぐるみや小物が可愛らしく、女の子の部屋という雰囲気になっている。
ひめをぬいぐるみのように扱っていた俺だが、ひめがこのぬいぐるみを抱き締めているのを想像するとなかなからしくていいな。
「ひめ、今日からここに住むわけだけど、本当にいいのか?
このハーレムが1つの家族で、俺と男女の仲になるって事は分かっていると思っていいんだな?」
改めて踏み込んだ確認をすると、瑠璃と牡丹が俺からひめを守るような態勢で割り込んで来る。
「アナタ、大丈夫です。しっかりと説明しましたから」
「優希さん、ひめちゃんにも心の準備があるんですよ! 大好きな人にそんな事を聞かれたら恥ずかしいに決まってるでしょ!?」
ひめは2人の後ろに隠れて顔を赤くしている。そんなに悪い事を聞いたんだろうか……。
「まぁまぁ、そこらへんは追々あたし達がフォローするって事で。歓迎会的な事を夏希がいる時にしようね。
ひめちゃんもお義兄ちゃんだけじゃなく、あたし達とも仲良くしてね?」
夏希は昼から仕事が入っているとの事で、宮坂家で別れた。
ひめがコクリと頷き、瑠璃と牡丹をかき分けてひめが俺の方へと近付いて来た。両手を出して俺を見上げる。
「よろしくな、ひめ。焦らず楽しく行こうか」
俺の胸の中で首をフルフルと横に振るひめ。何故お断りするのか。
ジト目で俺を見る紗雪、ほほ笑む牡丹、満面の笑みで見つめる瑠璃と、三者三様の表情の中、俺とひめはキスをした。
「そうそう、母がお付き合いのあるエステから無料招待券を頂いたからって、私達にもくれたのよ。ここ最近とっても疲れたからちょうどいいわ。
アナタ、みんなで行って来ていいですか?」
昼食が終わった際に突然瑠璃がそんな事を言い出した。前なら片時も俺の側を離れないという感じだったのに。束縛のし過ぎもダメだと気付いたのだろうか。
「もちろん行って来ていいぞ。これからはトプステの運営方法とリアルダンジョンの計画立案と、山のようにやる事があるからな。
今のうちに英気を養っておいた方がいいんじゃないか?」
これからはたびたび賢一さんのところへ行って色々とご指導頂かなくてはな。そのたんびに風呂に誘われるのも面倒ではあるが。
「あたしは午後から授業があるからパスね。3人で行って来てくれる? 何なら車でエステのお店まで送るけど」
紗雪は学生と経営者と俺専属メイドと大忙しだな。
「あらそう、残念ね。ひめちゃんはエステ大丈夫?」
「行った事ないけど、多分大丈夫」
初体験だな。まぁ3人でリフレッシュして来てくれたまえ。
「優希さんはどうされますか?」
「俺は久し振りに本屋でも行ってみるよ。経営者としての指南本とか決算書の読み方とか、事業の進め方とか勉強しないといけない事は一杯あるからな」
最近1人でぶらぶらするなんてなかったからな。あ、喫茶店に入ってケーキを食べよう。うん、そうしよう。
スペックスビルでみんなと別れ、徒歩で街中を散策する。この周辺は全く何があるのか知らないのでいい機会だ。
歩道を歩きながら店の中をガラス越しに覗いたり、移動販売のクレープを買って食べたりしつつ、そろそろコーヒーが飲みたくなって来たなぁと思ったところで電話が掛かって来た。
誰だろうとスマホを見ると、美代からの着信だった。
「もしもし」
『お電話で失礼致します、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?』
何だ改まって。あぁそうか、奴隷だからか。このキャラ設定も変えないと後々面倒臭いかも知れないな。
「大丈夫だ、どうした?」
『何かご主人様に有益な情報はないかと探っていたところネットで思わぬ収穫がございましたので、ご報告をと思いまして』
ふ~ん、自分なりに動いていたのか。なかなか優秀っぽいな。
が、その収穫が何なのかで本当に優秀かどうか判断するべきだな。
こいつからは手酷い歓迎を受けている。実際に自分の目で見て確認しないとまた痛い目に合うかも知れない。
「そうか、ちょうどお前のマンションの近くを歩いているからこのまま行くわ。会って説明してもらおうか」
『そんなっ!! わざわざ来て頂くなどとんでもございません! こちらからお伺い致します』
「今からスペックスビルに帰る方が時間が掛かるから。あと5分くらいで着くと思う」
何やら電話の向こうでバタバタしている雰囲気が伝わって来る。いつ行ってもいいように綺麗にしておけと言ったはずなのに、また散らかしたんだろうか。
マンションに着きインターホンでみみを呼び出す。すぐに返答がありオートロックの自動ドアが開く。
そのままエントランスへ入ってエレベーターで8階へ。一度しか来ていないが結構覚えているもんだな。
部屋の前に着き、チャイムを鳴らすと同時にドアが開いた。
「申し訳ございません、部屋の前で待機していようと思ったのですが……」
いや、別にそこまでの事は求めてないから。
「どうぞ、お上がり下さいませ」
玄関に招き入れられる。以前はブーツやヒールやでゴチャゴチャしていた玄関だが、今は靴が1つ置いてあるだけのようだ。
それにしてもこの靴、みみにしてはだいぶサイズが小さいな、もしかして来客か……?
「みみ、お客さんが来てるのか? ならハッキリそう言ってくれよ。別に俺はお前の飼い主だとかそんなキャラ設定を続けるつもりはないからな? お前のプライベートに入り込むつもりもないぞ?」
「いえ、違うんです。実はこの靴の持ち主こそが、今回の獲物でして……」
収穫から獲物へと言い方を変えるみみ。何やら不穏な雰囲気だが、まぁ聞いてみようじゃないか。
「詳しいご説明は中でさせて頂きますので、とりあえずお入り下さい」
靴を脱いで部屋へと上がる。うん、綺麗なままキープしているようだ。
リビングへ入ると、小さい人形が床に這いつくばっていた。あ、動いた!?
「この度は本当に申し訳ございませんでしたぁぁぁ!!!」
顔が涙や鼻水でじゅるじゅるになっている合法ロリ。げっ、千里さん……。
「千里さんが獲物ってどういう事だよ!?
はぁ~……、とりあえずコーヒーが飲みたい」
土下座する千里さんを座布団に座り直させて、みみから事情を聞く。
ぷれチャンを覗いたらたまたま紗丹の情報を求める記事を掲載しており、このまま放置しておくべきではないと思ったみみが記事に書き込みをして自分の状況を説明。
すぐに記事を消させて、その上でこの部屋に呼んだとの事だった。
「で、何で千里さんは泣いてるんだ?」
コーヒーをずずずっ、と啜りながらみみに話を続けさせる。
千里さんはコーヒーは苦いからと、いつかのようにミルクティーに砂糖を入れて飲んでいる。両手でカップを持ってふ~ふ~しているのを見ると、こんな時間なのに学校行かなくていいのかな? と思ってしまう。
「はい、ご主人様の個人情報を収集しようとし、あまつさえ抱かれたいなどと書き込みをしていたもので……、ついカッとなってしまいました」
だからカッとなって何をどうしたのかと聞きたいんだけど、怖いから別にいいや。
「はぁ……、千里さん。とりあえず今日俺とここで会った事は内密にお願いします。プレイヤーであり、スペックスの経営者でもある俺と大手サイトの管理人が店以外で会うなんてのは、癒着や何やと騒がれやすいですからね」
コクコクコク、と頷く割に何やら腑に落ちないような表情を見せる千里さん。
「何かご不明な点でも?」
「はい、紗丹君がスペックスの経営者というのは、どういう意味でしょうか……?」
あぁ、そのままの意味です。
「ご主人様はスペックスの取締役、そして株主でもあられるのです。今やただのプレイヤーではないんですよ」
そう、ただのプレイヤーではなくなった俺。これからの動きを考えると、確かに千里さんはとてもいい収穫かも知れないな。
今後のスペックスの運営について、外部からの声を聞く良い機会だ。
「千里さんはアクトレスとして、お断り屋業界は今後どのように発展して行けばいいとお考えですか?」
突然の俺の問い掛けに対し、千里さんは目をパチクリしている。が、こんな見た目をしているがそこはAランクアクトレス。
俺の目をじっと見ながら考えを纏める。
「お断り屋は今も昔も一強、スペックスの1人勝ち状態です。大きな競争相手がいない状態で、よくサービスの質を保っているなと感心していました。
一方、スペックスに続くべきトプステやその他の店は独自のサービスという物、具体的な売りが弱い。
このままではスペックス以外の選択肢がない、つまり業界全体の規模が大きくならず、新陳代謝が行われない。
いずれは業界全体で萎んで行く可能性があると思います。もちろんあくまで可能性ですが」
やはりただサービスを楽しんでいるだけではなかった。この人は業界を大きな視点で見つめるお断り屋評論家だ。
よし決めた、この人を俺の知的顧問にしよう。
「千里さん、俺達スペックス経営陣はこれからお断り屋業界全体を大きく変えて行こうと思っています。それとは別に、業界全体で大きなイベントを企画しようと動き出したところです。
そこで、俺に力を貸して頂けませんか? CM撮影の時の騒動はチャラにさせてもらいます」
俺は千里さんと連絡先を交換した。千里さんはさっそくやる気を見せ、家に帰って各お店の特徴や短所などを纏めて提出すると意気込んで帰って行った。
「みみ、よくやった! いいタイミングでいい人材が確保出来たぞ!!」
思わずみみを抱き締めて、頭をぐりぐりと撫で回す。
「……、ありがとうございます」
分かった、分かったから泣くなよ。
こいつも自分なりに後悔していたり、トラウマになっていたりとモヤモヤを抱えていたのだろう。
例えそれが自業自得とはいえ、その苦しみが少しでも癒えたのなら良かったな。
「奴隷とかご主人様とかもういいから。
そうだな……、女スパイとしてこれからも俺を支えてくれ。自分の仕事は別で続けつつ、俺から仕事を頼む事もあるって事で。もちろん報酬は払うぞ」
「報酬ですか……、でしたらご褒美を頂きたいです」
ご褒美とな。うさぎだけにニンジンとか?
「ご存じの通り私はウサギですので、その……、年中発情期なんです」
今後ともよろしくお願い致します。




