炎上
朝、目が覚めてすぐにスマホを手に取り、各SNSをチェックするのが毎日の日課になった。
Twitter・Instagram・YouTubeと、各サービスによって言い方が違うが、要するに俺に対して来たメッセージに対して読んだよ、とメッセージの送り主に伝わるよう、ハートマークを押していくのだ。
そして特に気になったメッセージに対しては返信をしたり、自分のフォロワー全員に読んでもらいたいなと思う場合はリツイートをするようにしている。
まだ覚め切っていない頭でアイコンをフリック、……やけに通知が多い気がする。隣に寝ている夏希の頭から腕を抜き、左手でスマホを持って右手で操作する。
どのSNSも通知がすごく多い。いつもの十倍、いやもっとか? 何かの動画がバズったとか、有名人が話題にしてくれたとかだろうか。
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ゆっくりチェックして行こうかと思った矢先、スマホに着信が入る。まだ午前六時、いつもであれば電話が掛かって来る時間ではない。
電話の主は花蓮さん、芸能活動をする上での俺のサブマネージャーだ。
「もしもし」
『朝早くにすみません。紗丹さん、緊急事態です』
緊急事態……? 緊急事態宣言が解除されてもう一週間は経つ。解除されてすぐに通常営業を再開するのは憚られる雰囲気だったので、スペックスはまだ休業中だ。
幸いな事にYouTubeでの活動が軌道に乗っており、収入の面で苦労しているプレイヤーは少ない。今まで脚光を浴びる事のなかったプレイヤーも、アクトレスだけでなく一般視聴者という外部からの支援者を得る事が出来ている。
「緊急事態? 何関係ですか?」
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着信を告げるスマホ。これは夏希のスマホだ。通知画面を見ると、石田さんだからだと分かった。石田さんは結城エミルのチーフマネージャーだ。
夏希の肩を揺らす。ゆっくりと目を開き、俺をぼんやりと眺めて来る。自分のスマホを耳に当てたまま、夏希のスマホを渡してやる。
『週刊誌関係です』
「誰?」
「石田さんから夏希宛に電話」
『明後日発売の週刊誌に希瑠紗丹の記事を載せると連絡があったんです』
「記事?」
「もしもし……」
『エミル、今どこにいるの!?』
『お二人の関係について、出身校の先輩にあたる人や同級生からの取材を元にした記事だそうです』
「スペックスビルですけど……」
『たまたまオフで良かったわ、今日は一歩も外に出ないで!』
記事、週刊誌の? 俺とエミルの関係は幼馴染みであると、Wikipediaにも載っている。『結城エミル』と検索しようとすると、サジェスト機能で『恋人』『希瑠紗丹』と出て来る。
高畑芸能事務所の方針で、エミルと俺の関係は否定も肯定もせず、プライベートは本人達に任せているというスタンスを取っている。
色々と憶測があった方が、話題にもなりやすく仕事にも良い影響が出るからという判断だ。俺が本格的に芸能界デビューした後は、宮坂三姉妹と外を歩く時も恋人チックな雰囲気にならないよう気を付けているが、事務所としてあぁしてくれこうしてくれという指示も出されていない。
それぞれの電話の相手との会話で、まだ状況が飲み込めていないまま顔を見合わせる俺と夏希。そこに俺の寝室のドアをノックする音が響いた。
俺の返事を待たず、メイド服姿の紗雪が真剣な表情で飛び込んで来た。
「旦那様、マスコミがスペックスビルの表玄関前に詰め掛けています」
スペックスの最上階。俺達が暮らしているこの家で、現状を把握すべくみんなで集まり話し合う。瑠璃・牡丹・紗雪・夏希、そしてひめ。
石田さんは高畑芸能事務所でマスコミへの対応中、花蓮さんはこちらへ向かっている途中だ。
「そうか、この通知の多さはそういう事だったのか」
先日撮った俺と夏希の対談。あの動画がアップされたのが昨日だったのだ。俺のチャンネルに投稿する動画、全てをチェックしていたらいくら時間があっても足りないので、俺は投稿前も投稿された後もその動画を見る事はない。
ましてや今は番組制作会社を買収し、動画の企画・撮影・編集・投稿のほぼ全てを任せている。こちらで判断するのは、企画案や撮影・編集後の制作された動画がタレントとしての希瑠紗丹イメージを損なわないかどうか。
そして、今回はそのチェックが機能していなかった。製作会社が悪かった訳ではない。製作会社が作った動画は宮坂三姉妹と高畑芸能事務所でチェックがされているのだから。
「動画制作に慣れて来て、危機感が薄れていたのかも知れません」
問題の対談動画の前後編全てをチェックし終え、瑠璃が俺と夏希へ頭を下げる。そう、これは俺だけの問題ではなく、そしてエミルだけの問題ではない。問題の動画の編集には、瑠璃と石田さんが立ち会っている。そして完成した物を事前に二人がチェックしている。
つまり、製作会社の編集ミスで見せてはいけないものが流れてしまった訳ではなく、高畑芸能事務所及びスペックスの両社が問題ないと思って世に出した動画が、世間では問題のある動画だったという事だ。
今現在、俺達二人に関わる問題としてネットを中心に様々な噂が飛び交っている。
『二人は付き合っているのか!!?』
これについてはどうでもいい。そもそもその噂は今始まった訳ではない。
『結城エミルと希瑠紗丹の出身校から卒業アルバムの写真の流出!!!』
これも、エミルに関しては以前から流出していた写真が再注目される形。そして俺の写真も、流出しようが特に問題はない。
『希瑠紗丹の本名は桐生優希!!!』
『希瑠紗丹は出身校の卒業式を欠席していた!!?』
問題になったのは、卒業アルバムの写真の話題から俺の本名が知れ渡った事。そして俺が卒業式に出席していなかったという情報。
『希瑠紗丹の悲しい過去、交通事故で家族が全員亡くなっていた!!!』
本名、そして卒業式に出席していなかったという二つの情報から、噂は俺の家族が犠牲になった事故へと及ぶ事となる。
SNSで当時の事を語り出す自称関係者達。結城エミルと希瑠紗丹は当時付き合っていたがその事故をきっかけに別れてしまったらしいと話すアカウントや、それ以前に別の事件があってすでに別れていたと話すアカウントや、俺が不特定多数と関係を持つヤリチンだったと暴露するアカウントなどなど。
事実・憶測・単なる想像・悪質なデマ。その真偽も確かめず、情報はどんどんとネット上に拡散されて行く。
そして、若手俳優の辛い過去は、マスコミの恰好の餌食となってしまうだろう。
「いや、いずれ事故の話は世に出ていたと思う。誰のせいでもない。事実なんだから」
瑠璃は感覚が鈍っていた、と反省しているようだが、こういうのは感覚の問題ではない気がする。記事のネタにされるような話題なんて、それこそ記者自体が作ってでも載せるというイメージがある。
俺は直接見ていないが、事故当時でも週刊誌や新聞に書かれたりしていたと後から冬美ちゃんに聞いた。当時俺は未成年だったから、俺の名前が掲載される事はなかったが、両親の名前がハッキリと記事に載っていた。
未成年ではあるが、被害者である妹の名前もハッキリと書かれる。そして、その三人の名前が分かればいずれは俺の名前に行き当たるのは当然の話で。
「すぐに問題の動画を削除します!」
「瑠璃ちゃん、それはダメよ。消してしまったら問題はさらに大きくなって、収拾がつかなくなってしまうわ。
こういう時は記者会見を開いて、世間に真実を伝えるのが一番だと思うの」
苦々しい表情の牡丹。牡丹にも辛い過去がある。両親を巻き添えにした、姉の一家心中事件。唯一残された家族。事件と事故という違いはあるが、俺と立場は同じだ。
自分自身に何の落ち度はないのに、世間の注目に晒される。面白がって様々な噂を流され、こちらからの訴えに耳を傾けてもらう事は出来な……、くはないな。
「動画を撮ろう」
「現在ネット上で噂になっている件についてお答えします」
俺と夏希は急遽、スペックス内のオフィスフロアにある会議室で動画撮影をする事になった。スペックスビルの正面玄関にマスコミが張っているので、撮影班は呼んでいない。
夏希のチーフマネージャーである石田さんも同じ理由で来れないが、撮影の様子をTeams越しに見てもらい、リアルタイムで発言をチェックしてもらっている。
花蓮さんはUberEatsの配達員に扮してマスコミを突破するという荒技を使って入って来た。今頃は配達員が出て来ない事に気付かれていると思うので、そう何度も使える手ではないと思う。
「えー、まず二人は付き合っているのか、という質問ですが。
正直に答えます。私達は付き合ってます。一部ネット上で噂に上がっているようですが、実は高校生の時にも付き合っていた時期があります。色々と事情がありまして、一度別れた形になっていました」
「こちらで優希さんと再会して、お互いの気持ちを確認し合って、またこうしてお付き合いをする事になったんです。
これは決して隠すべき事ではなく、皆様にも暖かく見守って頂ければと思い、こうしてご報告しようという事になりました」
まるで婚約発表記者会見のような雰囲気。でも質問する記者の姿はなく、カメラのフラッシュライトもない。
ちなみに交際公表については高畑社長の意向もあり、もう正式に発表してしまえという事務所指示が出た。
週刊誌の記事の内容について、具体的にどのような事が書かれるのか分かっていないが、スクープ記事が世に出るその前に自らYouTubeで発信してしまう事で、受けるであろうダメージを減らしてしまおうと考えた。
俺の俳優人生なんて、始まってもいないレベルなのでどんな事を言われても何のダメージもない。しかし、俺だけでなく夏希にも関わる内容だったとしたら。
「私の家族が事故で亡くなったという話について、これも真実です。ですが、これももう終わった事です。加害者も亡くなっており、私にとってはもう乗り越えた過去になります。
私の過去ではなく現在、そして未来を見守って頂ければと思います」
「優希さんのご両親、そして妹さんとは家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっていました。とても仲の良いご家族で、当日は優希さんの大学受験の会場へ送って行った帰りの事故でした。
三人には安らかに眠ってほしいと思っていますので、どうかこれ以上憶測で私の大好きな人達の尊厳を踏みにじらないでほしいです……」
夏希の目からポロポロと涙が流れる。そっと手を握ってやる。
「あまりに突然の出来事で、私は深い喪失感に陥りました。夏希の励ましにも応える事が出来ないほど、呆然自失で引き籠もってしまいました。高校の卒業式にも出席出来ず、もちろん大学も進学しないまま。
母方の叔母の勧めで地元から離れ、時間を掛けてようやく立ち直れたんです。今はもう大丈夫です。
みんな誰しも辛い過去を抱えて生きていると思います。だからといって、私は優しくしてほしいなんて思いません。今まで通り、普通に接してもらえると嬉しいです」
この他、ネット上に流れている噂についての回答や訂正、この情報はデマであると断言したり、特に悪質であると判断した際は法的手段に訴えるつもりであるなど、こちらの姿勢を示した。
これからも騒動が収まらなければこのような動画を出すし、隠している事も不都合な事実もない事を改めてアピールした。
今回収録した動画を一から見直して、ここは伝わりにくいと思ったらテロップを挿入し、悪く取られる恐れがあると判断すればカットし、編集した後にもう一度見直して何度も確認をした。
瑠璃・石田さん・花蓮さんのチェックを受けて、最終チェックで高畑社長の了承を得て、次の日には動画を投稿する事が出来た。
例の記事が出るという週刊誌発売の前日だ。どんな内容が出ようが、こちらが出した動画の内容よりも目新しいニュースにはならないだろう。
そう思っていたのだが。
次の日の週刊誌発売後、ネットの話題の中心人物は、結城エミルだった。
『魔性の女、結城エミル。高校の先輩から希瑠紗丹を寝取った悪女の本性とは!?』
次話へ続く。
最終話まで、残り三話。




