振り付け!
新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくお願い致します。
年明け一発目の投稿です。
ボイトレは散々だった。自分の肺活量や音程、リズム感など一流のアーティストの足元にも及ばないのは理解している。
しかし、CDデビューをして、観客を前にしてライブを行うとなればそれはもうプロである。対価を得て歌うのだから、観客の期待に応えられるよう努力せねばならない。
俺は自室や移動の車の中など、可能な限りボイトレを行うようになった。観客を前にして堂々と歌う為でもあるが、何よりもこれ以上ボイトレの講師の世話になりたくなかったからだ。
ボイトレの講師は酷かった。思い出すだけで寒気がする。講師である正彦先生に(物理的に)マウントを取られたくない一心で自主トレに励み、その結果比較的穏やかなレッスンを受けられるようになった。
マチャ子はやや面白くなさそうな顔をしていたが、本来の目的は段階的に達成されて行っているので問題ないだろう。
そして俺は次の壁に挑む事となった。次のレッスンは、振り付けである。
パンクロックやメロコアやスラッシュに振り付けは必要だろうか。そう疑問に思ったのだが、ある程度形を決めておけばライブ中にカラオケのノリで仁王立ちになる事もないからと、レッスンの機会を与えられた。
確かにスペックスの会社フロア、会議室で歌った際、身振り手振りなどなくただ口を大きく開いて歌い上げていただけだった。いや、あの時点では歌い上げるなんておこがましいレベルだったが。
改めて12.5歩のライブ中、殺魔さんのステージ上での立ち振る舞いを確認する為にブルーレイを再生した。ギターを演奏しながらスタンドマイクに向かってシャウトしていた。
……うん、知ってた。殺魔さんずっとギター弾いてる。ダンスも振り付けも何もない。
「俺、振付師付けられるらしいんですけど……」
『へぇ、そうなん? ええやん』
電話で相談しようとしたら、殺魔さんに一言で終わらせられた。俺の作った曲にダンスなんていらんもん付けんなボケ! とキレられる事を期待したのに、全面的に賛成されてしまった。
『お前ギター弾けへんやろ? 弾いてるフリとか寒い事するよりマシや』
仰る通り。
という事で振付師さんとの初対面である。今回も高畑芸能事務所のレッスンルームを借りている。
マチャ子と対面するにあたり、事前にどのような人物に教えを乞うのか確認していなかった事を反省した。今回は女性であると確認済みである。非常に厳しい指導をする、人気振付師らしい。
「あなたが紗丹君ね、よろしく」
どんなどぎつい女性だろうかと身構えていたが、割とあっさりめのお姉さんだ。動きやすいようにか、ジャージ姿で長い髪の毛をポニーテールでまとめておられる。
お名前は山村あみ、トップアイドルやアイドル声優ユニットなどの振り付け担当をしている先生だ。最優秀振り付け賞に選ばれた事もあるとか。
「ダンス経験は?」
「全くないです」
そう、と特に表情を変えず、あみ先生によるレッスンが始まった。
今日の午前中に撮影したという、あみ先生がマイクを持って歌うフリをしている振り、の動画データをもらった。
「基本的には難しい動きじゃないから、この動画を見ればある程度ステージ上で不自然じゃないパフォーマンスになるはずよ。
前からと後ろからと、同時に撮影したデータがそれぞれあるから見比べて、自分がどういう動きをすれば見栄えがいいか確認しながら動くようにして」
俺1人でも振り付けの練習が出来るようにと、4曲分の振り付けの動画を用意して下さった。これ、午前中に4曲分も振りを考えたって事か……?
そんなに複雑な、踊りとも言えないような身振り手振りであるとはいえ、すごい。さすがはプロだ。
「じゃあ私の斜め後ろに立って。音楽を流しながら実際に動いてみるわよ」
レッスンルームの壁一面が大きな鏡になっており、あみ先生の動きと自分の動きを確認出来る位置に立つ。
「はい、よろしくお願いします!」
あみ先生によるプロの仕事を見せられた以上、俺もプロの端くれとして最大限努力して、最高のライブを作り上げなければならない。あみ先生への返事にも力が籠る。
「あら、お断りしないのね」
わざわざ俺の方へ振り向いてそう尋ねるあみ先生。声のトーンが至ってフラットだったので、その言葉にすぐ反応する事が出来なかった。
「お断り屋っていうところで働いてるんでしょう? てっきりやる事なす事全部断られるんだろうなって思っていたのに」
……これは場を和ますジョークで仰っているのか、本気でド天然かましているのか判断が付かない。どちらにしても事前に把握している情報と齟齬が発生している。
厳しい指導をする人じゃないのか……?
「いやいや、職業がお断り屋だからって先生相手に嫌だ何だと言う訳ないじゃないですか」
いやだなぁ、ハハハって感じで愛想笑いしておく。この場には俺とあみ先生しかいない。変な空気になるとギクシャクしてレッスンが上手く受けられなくなる可能性もなくはない。
あみ先生は人気振付師なのでそんなに時間も取れないだろうし、俺も俺で多忙な身だ。別日に追加でレッスンを、と言っても2人のスケジュールを調整するだけでも難しいだろう。今回のレッスンを有意義なものにしなくては。
「そう? ならいいんだけど」
ゆっくりと前へと向き直るあみ先生。鏡越しに見えるその表情は、どこか少し残念そうな顔に見えなくもない。
えっと、この人お客様だったりする?
「じゃあ曲を流すから、一度目は私の動きを見ておいてくれる? 目を離さず、リズムを取りながら確認して」
「はい、分かりました」
やや期待した目つきで俺を見るあみ先生。しかし俺の口からは分かりましたという非常に物分かりの良い返事しか出て来ない。やっぱり少し落胆するような表情をした。
アクトレスであるかどうかは別として、あみ先生は俺の口からお断りが出るのを期待しているんじゃないだろうか。先ほどの「お断りしないのか」という発言はその為の前フリだろう。
振付師からの振りを知らぬフリして流す俺。いやいやしょうもない事を考えている場合じゃない、俺はどうしたらいいのか。
悩むな、俺は歌手としてのプロ以前にプロのプレイヤーだ。むしろそちらが本業なので、顧客への期待には応えたいし、それ以上のサービスを提供したいと思う。でも、それはあみ先生がどこまで本気で俺のお断りを期待しているのかによる。
こいつ何かプレイヤーってヤツなんでしょ? お断りするんでしょ? 最初にお断りさせとけば気分良くダンスレッスン受けるんじゃね? という程度の期待、というかヨイショなのであれば余計なお世話だ。俺はそんな事に乗せられて喜ぶような大物気取りの小物じゃない。
逆に、あみ先生がアクトレスであり、俺がThe Oneであると知っていて俺からのお断りを期待しているのであれば、その期待には応えてあげたいが……。それにしては少々遠回りしている気がする。
実はアクトレスなのよね、と一言下されば、ちょっとした手合わせをするところなんだけれど。
そんな事を考えているうちに、あみ先生が手元のスマホを操作し、Bluetoothで接続されたポータブルスピーカーから曲が流れて来る。あみ先生は左手でマイクを持つようにし、右手を上へ下へと振って身体を揺らす。
あくまで主に意識するのは歌う事だ。ただでさえプロとしてライブを行った経験はないので、歌う事を一番に意識しないと歌詞が飛んだり音程やリズムがずれたりするだろう。振りはあくまで見栄えをより良くする為だ。
ステージ上での見栄えを良くする為、あみ先生が当てて下さった振りを思い出しながらそれらしい動きが出来ればライブらしいライブになるだろう。多分。
正直に言って現時点での自信は全くないが、ライブを行う会場がお断り屋の一大イベント、リアル迷宮内の特設ステージなので、生半可な事は出来ない。当日までに最高のパフォーマンスが出来るよう仕上げておかなければ……。
ん……? あ、まずくね? もしあみ先生がアクトレスだったら、リアルダンジョンの計画が漏れるんじゃね?
今回の振り付けはどこで披露される予定だとか、高畑芸能事務所の誰かから聞いてるんだろうか。社長とか、俺のサブマネージャーの花蓮さんとか。
「はい、今のが1曲目ね。覚えなくてもいいから今日は雰囲気でこんなものかと掴んでほしいの。続けて2曲目行くからね」
覚えるのと掴むのと、違いはあるのだろうか。あみ先生は自分のペースで進めるが、俺は全く付いて行けていない。掴むも何もあったもんじゃない。
あみ先生に対しどのように接すれば良いか判断が出来ないまま、4曲目までの振り見せが終わってしまった。
「ライブ会場が狭いからステージとアッ……ディエンスの距離が近いから、そんなに大きく動かなくても十分迫力のあるライブになると思うの」
今アクトレスって言い掛けて慌ててオーディエンスって言い直したよな? はっきりとアクトレスだって言ってくれた方がお互いに良いと思うんだけど。俺も腹を探る必要がない訳だし。
「ふぅ、ちょっとお茶飲ませてね」
4曲分の時間、動きっぱなしだったあみ先生が水分補給をしている。その隙に、俺はスマホで牡丹へ確認のメッセージを送る。
『リアルダンジョンでのライブ用に振り付けをしてくれた先生、アクトレスっぽいけど守秘義務契約はしたか?』
すぐに既読が付き、返信が来た。
『山村様ですね? はい、契約を交わしていますので情報漏洩の問題はないかと。元々Aランクアクトレスで、熱心なお客様ですので心配はしておりませんが』
Aランクアクトレスの割には演技が大根だった気がするけど。了解、と牡丹に返信し、スマホを片付ける。
「お待たせ、じゃあ1曲目を見ながら動いてみようか」
「はい、よろしくお願いします」
何でアクトレスである事を隠して、お断り屋も知らないフリしているのか分からないが、俺はあみ先生への対応方針を決めた。
お断りしてほしいという期待をお断りしよう。
「ここでヘッドバンギング入れてみようか」
「はい、こうですか!?」
「真上に飛び上がって前後に足を開いてみて」
「はい、どっちの足が前がいいですかね?」
「この曲の前奏は上半身を無茶苦茶に揺すって狂気をはらんだ目つきで」
「マイクにむしゃぶりつくように歌うのはどうですか?」
「このタイミングでTシャツを破ってしまいましょう!」
「前もって切れ込み入れといた方がいいですね」
「ドラムに向かってドロップキックしましょうか!!」
「それは4曲目の最後の方がいいのでは?」
明らかに無茶ぶりをして来るあみ先生に、一切ノーとは言わずに受け入れていった。
結果、レッスン終了時間を迎える頃には2人して伝統芸能どじょうすくいをしている始末。全くレッスンにならなかった。
「先生、アクトレスだって正直に言ってくれないからこんな事になったんですよ……」
「紗丹君こそ気付いてたならスマートにお断りしてくれれば良かったのに……」
「いや、期待通りにお断りしない、っていうお断りだったんですけど……」
「へっ!? あぁ……」
心身共にくたびれただけで、お互いに何も得る事のないレッスンだった。花蓮さんに頼んで2度目のレッスン日を設定してもらわないと……。
「次のレッスンまでに渡した動画を見て覚えておいてね」
「分かりました!」
「お断りしてよ!」
「はい!!」
「ねぇ!!」
「はい!!」
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