現地調査へ行こう
スペックスビルの自室でカチャカチャとノートパソコンのキーボードを叩いていると、控えめなノックの後に牡丹が顔を見せる。
「優希、ちょっといい?」
おや、お姉ちゃんモードですか。どうぞどうぞ。
ディスプレイから目を逸らさないまま手招きすると、おずおずと牡丹お姉ちゃんが部屋へと入って来た。
「あのね、最近部屋でパソコンと睨めっこしてる事が多いでしょ? みんなも心配してるのよ?」
心配させてしまっていたか。
千里さんというブレーンと美代という情報収集のエージェントを得て、そして経営者としての視点で今後のスペックス、そしてお断り屋業界全体をどうして行くかを思い付くままキーボードで打ち込んでいる最中だ。
「だからお姉ちゃんと遊びに行きましょう? たまには息抜きしないと……」
「あのな姉貴、俺は今思い付いた事を文字に起こして考えを纏めてる最中なんだ。もうちょっとで何かいいアイディアが出そうなんだ、そっとしといてくれよ」
まるで反抗期の弟のようなセリフを使ってお断りをする。が……。
「ゆう、じゃあこの画面はどういう事なのかな?」
ディスプレイに映るのはMMORPGのチャット画面。千里さんに面白いと薦められて、みみと3人でプレイをしているのを見つかってしまった。
『我姉ニ目視ニテ発見サレル』
『健闘ヲ祈ル』
『靖国デ会オウ』
「で、ここ数日部屋に引きこもってずっとゲームしてた訳?」
「いや、たまたま息抜きしているところを見られただけで、本当にお断り屋の今後を考えてたんだ。例えば……」
「例えば?」
おっと、ノータイムでこちらへ畳み掛けて来るところを見ると、少しおふざけが過ぎたようだ。
立ったまま腕組みしている牡丹お姉ちゃんの手を引いて、2人でベッドへと腰掛ける。
「お断り屋の全国展開とか、世界展開とか。世界ってのは文化が違うから、そもそもお断り屋のような微妙な言葉のニュアンスでやり取りするようなプレイが通用するのは難しいと思う。
ただ、日本文化が根付いている場所か、もしくはかつては日本の領土であり今も日本文化の影響を受けているお国柄であれば可能性は大いにあるんじゃないかって思ってる」
「……、例えば?」
「例えばハワイ・グアムは前者でしょ? 日本人観光客が多く、現地で暮らしている日本人も多いと思う。
そして後者は台湾。台湾以外考えられないね」
前者として挙げたハワイ・グアムは最初、日本人をターゲットとして集客する。その後口コミや宣伝等で現地の人に興味を持ってもらってから取り込むという順番だ。
しかし後者として挙げた台湾の場合、多くの若者が日本に対して友好国としての親近感を持ってくれている。
親近感だけなら東南アジア諸国も同じであろうが、経済規模や国民一人当たりの所得を考えると接客サービス業を展開するには弱い。
そして日本文化はある一定の人気を得ているので、そこへお断り屋を持って行ってもそう拒否感なく現地の方に受け入れてもらえるんじゃないかと想定している。
まぁあくまで想定であり、具体的にマーケティング調査をしてみないと分からない事の方が多いわけだけど。
「そう、そこまで考えているのね。じゃあ行きましょうか」
そう言ってベッドから立ち上がり、俺のボストンバッグへ衣類やパスポートを詰め込んで行くお姉ちゃん。
何してんですか……?
「だから、今から行くのよ。現地調査しに行きましょう」
そして着いてのが台湾の首都、台北近郊にある桃園国際空港。
空港を出てすぐのところで、牡丹が黒塗りのドイツ車へと歩いて行く。
「宮坂様ですね、お待ちしておりました」
いつの間にアポを取っていたのか、迎えの車が来ていた。
スーツ姿の運転手によって開けられた後部座席へと乗り込み、車が走り出す。
「オフィスには20分くらいで着きますので、ごゆっくりお寛ぎ下さい」
丁寧な日本語だな、全く違和感がない。で、今からどこへ行こうというのか……。
お断り屋の世界展開の話をし、現地調査をするとここに来たら迎えの車が来ていた。
すでにお断り屋を展開したいと申し出た企業があり、今から具体的な話をしに行くと見るべきか。
って何で牡丹の腹をも探らんとダメなのか。
事前に一言商談に行くと言えばいいものを、現地調査と言って俺を騙すような事を。
オフィス街へと入り、背の高いビルの前で車が停まる。着いたようだ。運転手さんがわざわざ降りてドアを開けてくれる。
「こちらへどうぞ、ご案内致します」
車は路駐のままでいいのだろうかと思っていると、ビルから別のスーツ姿の男性が出て来て車に乗り込んで行くのが見えた。
通されたのはビルの最上階、『董事长室』というプレートが掛かっていたが、何と読むのか分からない。
ただ、室内の雰囲気的に台湾でいうところの社長室って感じではないだろうかと思われる。
高級そうな革張りのソファーへと座るよう勧めて下さり、案内してくれた男性が退出する。
入れ替わりに女性が部屋へと入り、お茶とお茶菓子を置いてくれた。何か言ってたみたいだが、日本語ではなかったので分からず。まぁ「どうぞ」的な事だろう。
遠慮なくお茶に口を付ける。鼻から抜ける香りが花っぽい。ダジャレではなく。
「それにしても大量のお茶菓子ですね」
女性が持って来てくれたお盆にこんもりと乗ったお茶菓子を見つめていると、ノックの音の後に恰幅のいい男性が部屋へと入って来た。
「いやいやお待たせ致しました。牡丹さん、お久しぶりですね」
立ち上がった牡丹と握手をする男性、社長だろうか。
背後に俺達を車で送ってくれた男性を伴っている。
「お久しぶりです、ジェンイー社長。こちらプレイヤーの希瑠紗丹です」
牡丹がプレイヤーとして俺を紹介したからには、俺もプレイヤーとしての立場でこの商談に臨めばいいのだろう。
「初めまして、希瑠紗丹と申します」
「初めまして、社長の陳健一です。どうぞ、お掛け下さい」
握手を交わした後、着席する。
「この男は私の娘婿でね、日本人なんだ」
「陳国治と申します」
「今少しずつ仕事を引き継がせているところなんだ。早く引退させてもらいたいもんだ」
そう言って、ジェンイー社長がガハハと豪快に笑う。
次期社長自ら空港まで迎えに来て下さったのか、それだけ今回の商談に力を入れているという事なのだろうか。
国治さんがジェンイー社長の隣に座り、いよいよ商談開始のようだ。
そう思ったのだが、ジェンイー社長は座るやいなや、テーブルに置かれたお茶菓子に手を伸ばして包装を剥がしていく。
その様子を窺っていると、俺に笑い掛けて説明してくれた。
「台湾ではお菓子を食べながら会議や商談をする文化があってね、君も食べなさい」
「そうなんですか、それでは遠慮なく頂きます」
そんな習わしがあるのか、初めて聞いた。あ、このパイナップルのケーキおいしいな。お茶と良く合うわ。
そう言えば飛行機で移動して、それからすぐに迎えの車に乗ったから昼飯を食べていなかった。
腹が減っている事も合わさってパクパクと次々にお菓子を頂く。
「紗丹君、さすがに食べ過ぎじゃない……?」
「はっはっはっ、何も遠慮はいらんよ。郷に入れば郷に従えと、日本のことわざにあるでしょう。遠慮なく歓待を受ける様は間違いなく大物ですな」
やけにジェンイー社長のご機嫌がいい。お菓子を食べるだけでそんなに喜ばれるとは思わなかったな。
「さて牡丹さん、今回はわざわざ来て頂いてありがとう。それではお断り屋の詳しい説明をお聞かせ願いましょうか」
スペックス含むお断り屋業界は、基本的に外国人のお客様をそもそもお断りしている。利用出来ないのだ。
何故ならば、文化的背景や言葉の持つ意味の受け取り方の違いなどで、日本人利用客と同じような楽しみ方が出来ない為である。
そのせいで、この社長さんも自分の部下をスペックスに視察として送り込む事が出来なかったそうだ。
もちろん彼の部下にも日本人がいるかも知れないが、台湾でのターゲットはあくまで現地人である台湾人だ。日本人が良いと言うからといって、台湾人にも受けるとは限らない。
って事で、ここで俺が実演する事になるんだろうか。さすがにそれは事前に教えておいてほしかったが……。
「なるほど、趣旨としてはこちらで事前に得ていた情報通りのようだ。売り上げの5パーセントをお断り屋協会へと収めるのも理解した。
後はサービス自体がこの国に受け入れられるかどうかと言ったところだな」
そう言って、手にした牡丹が用意した資料を眺めたまま、ジェンイー社長がソファーへと背を預ける。
「この例にあるスペックスの年間売上と利益率はとても素晴らしい数字だ。この規模の3分の1でもこの国で展開する事が出来ればと思うのだがなぁ……」
一番の気がかりはやはり、台湾人女性がお断り屋を受け入れるかどうかであろう。
「ここで実演してもらうにしても、紗丹君の相手が牡丹さんなら私達に良し悪しは分からん。
さて、どうしたものか……」
ジェンイー社長が国治さんに目で何か指示を出したようだ。社長の意を受けてか、コクリと頷いた後に退出して行った。
「日本語の出来る女性を呼びに向かわせた。正しく我々のターゲットだな」
いえ、それはどうでしょうかと言いかけた矢先、ノックの音が響く。やけに早いな、こうなる事を想定して待機させていたのかな?
「紹介しよう、この子は私の孫娘の美惠だ。日本の事が大好きでね、日本語が堪能なのはもちろん文化にも精通している。今回のデモンストレーションにはピッタリだと思うんだが」
いやぁ、それはどうでしょうか……。
「美惠です、よろしくお願いします」
そう言って彼女は頭を下げ、キラキラした目で俺を見つめる。歳は俺と同い年くらいだろうか。
社長の孫娘。台湾名がメイランで日本名はみえ、か。国治さんの娘さんだよな。
って事は日本と台湾のハーフ。ジェンイー社長の言うターゲットとは、正直言ってズレていると思うんだけれど……。
でもなぁ、雰囲気的にメイランさんは一般的な台湾人女性から外れるからデモンストレーションしても意味がないですよとは言えないよな……。
恐らく牡丹はこの場でプレイする事を聞かされていたんだろう。分かっていてワザと言わなかったな?
あれだ、俺がノートパソコンと睨めっこして嫁達を構わなかったからそれに対する腹いせのつもりだ。
全く、仕事とプライベートは分けて考えてくれよな。そもそもあれも仕事のようなもんだし。
思う事が多過ぎるが、とりあえずご挨拶だけはキッチリとしておかないと。
「初めまして、宮坂牡丹です」
「希瑠紗丹です。お名前は美惠さんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「はい! 美惠でお願いします。紗丹さんとお会い出来て光栄です!!」
「プレイする前にいくつか設定要望をお聞かせ願えますでしょうか」
「はいっ! え~っと、まず私の役柄は……」
スラスラと要望を挙げていく美恵さん。もしやプレイヤーちゃんねるの常連さんだな? 設定がランク上位のお客様のそれだ。
一通りオーダーを確認し終え、祖父と父親に見守られた美恵さんとのプレイが始まった。
いつもありがとうございます。
そんな裏設定知らないよ!? ~悪役令嬢を育て直して正統派ヒロインにしてみせる!!~が本日投稿回で第一章が終わりました。
よろしければ合わせて読んで頂ければと思います。
よろしくお願い致します。
誤字訂正致しました。




