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17歳の葛藤。

作者: 藤原直幸


〜前書き〜

この小説は自分のモヤモヤした気持ちを見直すために綴りました。

もし何か御思いになり、それをアドバイスとして下さったなら、大変嬉しく思います。


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僕は元来、信じやすく触発されやすい人間でした。それ故、子供の頃は3つ上の兄を真似てばかりいました。キックボードで猛スピードに坂を下る兄を見て、挑戦し大怪我をしたことを懐かしく思います。「真似た」は、良いもののカーブを曲がりきれずガードレールと正面衝突したのです。

しかしながら、兄と言うものは真似ばかりする僕をよく煙たがり、いじわるばかりするのです。無論、兄に対し腹を立てますが、生まれつき華奢で口下手、なお且つ幼少期の3つの歳の差というものの存在は大きく、勝ち目は皆無でした。


小学生の頃は、友達からの「○○はお前のことが好きだぞ。」や「お前は本当に天才だな。」などという揶揄を真に受けるおめでたい奴でした。


そのような幼少期を過ごして現在は中高一貫の学校へ通い、男子なら誰もが待ち望んでいるであろう

R-18が解禁される年頃の一歩手前であるのですが、どうしても「生きる」ということに対して毎日蟠りを抱いてしまうのです。




毎朝、電車通学で見るどんよりとした車内の光景はさながら貨物列車に詰め込まれ、どこかへ出荷される豚のようであると常々思います。入学当初は「この様な普通の大人にはならない。」と意気込んでいたのですが、時計の針が進むにつれ、段々とそのような人間になりつつある自分に対し、がっかりします。

そうと思いながらも自分は戻せない過去に後悔を抱きながら、現在をただ何もせず過ごしているのです。


学校では、女子の友達は皆無で、男子の友達さえ片手だけで数えるのは十分であるのを「自分は生れながらにして口下手であるのでしょうがない。」という言い訳をして自分に言い聞かせているのだからどうしようもないのです。


また授業は先生方が雑談を話し、「ここが要点だから覚えてこいよ。」と言うだけであります。部活動の顧問さえなければ常々教師ほど楽な仕事はないのではないか、と思うのです。


このような先生方や、一般の大人を見ると、どうして人生の40年間ほどの時間をダラダラとそのようなことに費やすのかと不思議でなりません。

勿論、そのような方々の社会奉仕活動がなければ人々の営みというものは成り立たないと重々承知しているつもりなのですが、やはりここ最近まで自分は「特別」と思っていた事実と、最近気づきだした、自分は社会という歯車のほんの一部にすぎない「普通」ということについてのギャップがどうしても埋められないのです。


それにしても、「普通」という言葉は罪なものだと思います。僕はそれを用いられると、皆んなと同じだという繋がりを感じてしまい、どうしても安心し、それ以上挑戦しなくなってしまうのです。




このようなことを常々考えると、

「人はどうしてだらだらと70歳ほど生きるのか?」と問い

「それは、幸せになるためだ。」とどこかで聞いたありふれた返事をし、それに対して

「30歳までに、サクサクと十分に幸せになれば自殺してもよいのか?」

「そもそも、不幸があるから幸せがあるのではないか?」

などという水掛論を脳内でずっと繰り返し、答えはずっと出ないまま「普通」となる自分に対して自己嫌悪を日々募らせているのです。

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