幽霊君と誰かの世界
放課後になると、いつも俺はクラスメイトの「正直君」と下校する。
正直君は、誰よりも「自分に」正直なやつだ。はっきりとした自分があるから、正しいと思ったことは迷わない。彼を見ていると、なぜかいつも、広い海を思い出す。地平線の果てしなさを見つめているような感覚。幽霊達も、なぜか彼と一緒にいる時は、ちょっかいを出すことがなかった。
「幽霊君、今日の授業も大変そうだったな」
買い食いしたタコ焼きを、二人で頬張りながら歩く。
「そうなんだよ…来週のテストがヤバい」
正直君は楽しそうに笑った。
「そんなの、どうにかなるから気にすんなよ」
彼はそう言って、俺の脇を小突いた。俺もつい、つられて笑ってしまう。
「どうにもならなかったら、責任とれよな」
俺の言葉に、彼は笑った。それは誤魔化すような笑いじゃなくて、「当然」と言いたげな笑い方だった。正直君の強さが、少しだけ、羨ましかった。彼が持っていて、俺に欠けているその「何か」は、時間が経てばいつか埋まるのだろうかと考えて、やめた。こんな自分では、地平線の向こう側には行けそうもなかった。
「じゃあまた明日な」
正直君と別れると、夕暮れも終わり、夜になろうとしていた。肌寒い空気に急かされて、早足で家へと向かう。近所の公園を通り過ぎようとした時、ふと、足を止めた。
公園の街灯の下、誰かがいる。小学生くらいの、小さな男の子。
「あれ…?」
それは見覚えのある後ろ姿だった。
ザワリと、体が恐怖を感じた。その瞬間「逃げろ」と血が駆け巡る。
彼だ。きっと彼だ。
記憶の中の少年。独りぼっちの俺の隣にいた、たった一人の友達。
見間違えるはずがなかった。
だが、そんなのはおかしい。だって彼は、俺と同い年のはずだ。
でもあの後ろ姿は、小学生の頃の彼で、そしてこれは、あきらかに
幽霊だ。
そう思った瞬間、くるりと彼が振り返った。
「遅いよ」
息がつまる。心臓が痛い。
彼が、こっちにやって来る。
「待ちくたびれちゃったよ」
彼が、可笑しそうに、狂ったように笑いながらやって来る。
もう叫び声をあげることもできない。目だけが彼から離せずにいる。
彼は、背に大きな黒い塊を抱えていた。
知っている。
黒いあの塊は、自殺した人間が幽霊になると、持つ塊だ。
でも、俺は何も知らない。
小学校までは一緒にいたけれど、中学校が別々になって、それ以来会っていないから。だから、俺は、何も知らない。彼に何があったのかは、分からない。でも、俺の前に、彼が現れた。彼は、小学生の頃の俺に、会いに来た。
「ほら、遊ぼう。僕は、君の味方だよ」
俺は、彼の、どこまでも真っ黒な瞳に呑み込まれてしまう。
「逃げろ!」
遠くから声が聞こえた。近所の幽霊達が、俺に向かって叫んでいた。
「お兄ちゃん逃げて!」「そいつはもう駄目だ!早く逃げろ!」「走って!早く!」
声に言われるまま、俺は足を必死に動かした。一刻も早くこの場から逃げ出したかった。それ以外何も考えることができなかった。真っ白な頭の中に「おーい」と呼びかけるように、彼の声が響いた。
「待っているから。約束だからね」
恐怖で、後ろを振り返ることもできなかった。俺は何も知りたくない、考えたくないと、心の中で繰り返し叫ぶ。彼から逃げて、俺は家へと駆け込んだ。