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幽霊君  作者: 佐藤
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幽霊君の普通の世界

 言葉と共に、黒板には解答が白く描かれてゆく。

「…そんで、ここにはもう一度、こっちの公式を使って…」

 居眠り先生のゆったりとした説明を聞きながら、それぞれがノートに書き写す。


 けれど、その中で一人だけ、頭を左右に大きく動かし、板書に苦労する生徒を見つけた。僕はその見慣れた光景に、(あぁ、また苦労しているな)と、心の中で同情する。


 彼は「幽霊君」。一番前の席に座っているのに、黒板が見えなくて困っている男子生徒。目が悪いのではなく、むしろ、僕らよりもずっと目が良いから、幽霊君の目の下のクマは、今日も深くなる。彼のいる窓際は、風もないのに、カーテンが不自然に揺らめく。




第一章 幽霊君と普通の世界


(見えない…)

 数学の解答を写している俺の目の前には、知らないおっさんが居座っていた。

「…だからね、オレは言ってやったんだよ、『それはあんたが悪いんじゃないか』ってね?そしたらさ、そいつ、なんて言ったと思う?え?兄ちゃん?」

 俺はシカトしたまま、黒板の方へと目を向けようとした。だが、酔っぱらいの愚痴っぽいおっさんは、俺の向く方向に合わせて、至極ナチュラルに移動してくる。

「んでね、そんでね、オレが考えるに、そいつは結局の所…」

 俺は深くため息をつきながらペンを机に置き、カバンから大きな袋を取り出した。その袋の中には、白い粉がみっしりと詰まっている。おっさんはそれを見た途端、それまでのヘラヘラとした態度を一変させた。

「…お、おい…兄ちゃん、そりゃあまさか…」

 アワアワと慌て始めたおっさんをしり目に、俺は白い粉をつまむ。そして、公園の鳩に餌をあげる感じで、開いている窓の外へとばら撒いた。おっさんの目がギラリと光ったかと思うと、ものすごいスピードで飛び出した。

「ひゃっほーう!塩だあああぁぁあ!」

 そうしておっさんは、叫びながら窓の外へと消えていった。無事に窓の下へと落ちていくおっさんの姿を見送り、黒板へと視線を戻す。すると、居眠り先生と目が合った。そして、先生がそっと、「苦労してるなぁ」と目で笑ったのが分かった。

 先生はモテる。かなりのイケメンだし、もちろん生きている女性にもモテるけど、死んだことのある経験豊富な女性にも、モテる。俺が初めて居眠り先生を見た時は衝撃的だった。廊下を歩く先生の後ろを、女の幽霊が列をなし、ぞろぞろ付いていく光景。俺にしか見えないけど、男性教員が学校でハーレムを連れて歩いていた。それは妙に規則正しくて、俺はふと、教科書の挿絵にあった大名行列を思い出していた。

 クラス担任になってしばらくした後、俺がそれを伝えると、居眠り先生は塩を常備するようになり、以前より体が軽くなったと嬉しそうだった(それでも気合の入った女の人がひっついているけれど)。それ以来、俺は居眠り先生の女性関係(幽霊に限る)を相談されるようになって、少し嬉しかったのを覚えている。

 そんなことを思い出しながら廊下に目をやれば、今日も真っ赤な服を着た美人が、うっとりとした表情で居眠り先生を見つめていた。当然気づくことなく数式を綴る先生に、俺は授業の後に伝えるべきか迷ったが、美人なのでスルーすることにした。


 こんな感じで、とてつもなく面倒なことだが、俺には幽霊が見える。それを俺なりの表現で説明すると、自分はどうやら、幽霊の次元に「も」所属しているらしい。


 世界には、今を生きている「生き物」と、昔を生きていた「幽霊」がいる。その違いはシンプルで、死んだか、死んでないか。それだけの違いなのに、存在している次元が違うと、生き物の多くには幽霊を認識できないようだった。


 死んだらみんな、幽霊になる。幽霊になったら次元が変わって、もっと広い世界を行き来できるようになるから、生き物の世界に居続けるなんて、よっぽどの理由があるのだろう。基本的に、幽霊は自由だから。どこにいてもいいし、どこにもいなくてもいいから。


 生まれてからずっと、俺にはそれが見えて、その声も聞こえた。だから、教室で酔っぱらいのおっさんに絡まれたり、廊下で佇む美女の、熱い視線をそっと見守ったりするのは、単なる日常の一部。

 けれどそれは、幽霊が見えない人からすれば異常なことで、それを自覚する度、自分から「カサリ」と乾いた音がした。その音を聞きながら、ぼんやりと生きてきたこの十六年間は、自分が「普通ではない」という事実を、ただ静かに、積み重ねているだけのような気さえした。


「私にも塩ちょうだい!」

 ツインテールの幼女に制服の裾を引っ張られ、はっと我にかえる。

(しまった…)

 幽霊は基本、無視が安定だ。ちょっとでも相手をすると、気づいてくれたことが嬉しくて、調子に乗るやつが多いから。だから俺は極力関わりを持たないよう、シカトをしていたのに。僕と目が合った幼女は悪戯っぽく笑うと、その小さな口から可愛らしい八重歯がのぞいた。

「お兄ちゃん、みんなよりまっくろできれいな目だね!」

 幼女は本心から褒めているらしいが、俺は浅い笑いが出た。キラキラと光るその目で言われると、余計にコンプレックスを感じる。

(…どうして俺は授業中に子どもの無邪気さに落ち込まなきゃならないんだ…)

 幼女に苦笑いを浮かべていると、廊下からコツコツと忙しそうな足音が聞こえてきた。そして、俺の(周りで起こる霊的現象の)為に、開けっ放しにされているドアから、眼鏡をかけたサラリーマンがやって来た。

「こらこら!勉強中の少年に迷惑かけちゃ駄目だよ、お嬢ちゃん」

 隣のクラスからやってきた出勤途中のサラリーマンに怒られ、幼女は嫌そうにプイッと顔を背ける。

「あなたは知らないおじさんだから、言うことは聞いちゃダメなの!」

 それを聞いて、ベランダにいた、盆栽を持った爺さんがやってきた。

「なんじゃと?わしの若いころなぁ、町のやつらみんな家族みたいなもんじゃったよ、豆腐屋のおやじなんかなぁ、わしが豆腐なんか嫌いじゃあ言ったらな、履いとった下駄投げつけてきおってなぁ、わしは豆腐が嫌いじゃがなぁ、それを聞いた八百屋のおかみさんがなぁ、何でも食わんといかんってなぁ」

「あ!ワンちゃん!かわいい!」

 爺さんの話を無視して、幼女は犬に夢中になった。どこからともなくやってきた犬は、幼女に撫でられながらも、俺に向かって「塩をくれ」と言わんばかりにお座りをした。

 サラリーマンのケータイが鳴ると、会話が成り立つのが不思議なくらいビジネス用語を連発していた。盆栽の爺さんは、いつの間にか這い上がってきた酔っぱらいのおっさんと馬が合ったらしく、古き良き時代について熱く語り合っている。


 ただ椅子に座っているだけでも、騒がしい日常。これが、俺にとっての普通。

それでも、俺にとっての普通は、みんなにとって、普通じゃない。


 カサリ、と音がする。


 こいつらが見えない人からすれば、俺を理解できないのは普通のこと。

自分にとっての普通が異常だと、他人から突き付けられることの恐ろしさに、いつも足が竦んでしまう。理解してもらいたかったのは、いつまでだっただろう。カサリと、また聞こえる。


 記憶の中には、独りの少年がいつも居た。真っ暗な目をした、その少年は怯えていた。普通じゃないものを見る目が、怖かった。その目に映るのが、怖かった。

 周りの普通に飲み込まれて、押しつぶされて、それでも異常のまま変われない自分が映るのが、怖い。あの時の、自分を形作っている「何か」が、崩れてしまいそうな気持ち。自分でも、どうすることもできなくて、いっそのこと、消えて、無くなりたかった、あの気持ち。


 でも、今は違う。


 居眠り先生は和やかな表情で俺を見ていてくれるし、ここにいるクラスメイトも変なやつばかりで、「自分はここに居てもいいんだ」と、許されている気がした。みんな、それぞれが問題を抱えて生きている。そう思うと、ほんの少しだけ、気が楽になる。

 この高校に入学して一番嬉しかったことは、そんな当たり前のことを、当たり前に思えるようになったこと。普通の人からしたら、とても普通のこと。それが嬉しかった。


 授業中、俺の周りでは、世界が騒がしい。幼女は犬に飽きて、教室を走り回っているし、酔っぱらいのおっさんは廊下にいる美女を口説いているし、電話中のサラリーマンに盆栽を持たせた爺さんが、恐る恐る犬を撫でようとしている。俺の世界には、何も問題はなかった。


「はーい、ここは来週のテストに出るから、よーく覚えてね」

 問題があった。全然、板書できていなかった。俺は席を立ち、急いで廊下の隅にティッシュを敷くと、一つまみの塩を置いた。

「わーい!お兄ちゃんありがと!」

 幼女が嬉しそうに騒ぐと、話し中だったサラリーマンがこっちに気づいた。

「あーもう!クライアントなんてどうでもいい!」

 話し中だった電話を切ると、盆栽を爺さんに戻して、慌ててこっちへ駆け寄ってくる。犬と仲良くなって満面の笑みの爺さんと犬も、塩に向かって走ってくる。俺は深く息をつき、ようやく静かになった机に戻った。ノートは、幼女のカラフルな落書きでいっぱいだった。居眠り先生がノートを覗き込んで、笑った。




「幽霊君の目のクマ、なんだか今日は一段と深いね」

 授業が終わると、クラスメイトの「悪魔君」に声を掛けられた。彼が悪魔君なんて呼ばれているのは、悪魔のように尖った耳をしているから。ただそれだけなのに、彼にとってそれは途轍もないコンプレックスのようだった。夏真っ只中の今、冬用のニット帽を深くかぶっているのがその証拠だ。本当はすごく良いヤツだから、「悪魔君」とは呼びにくいけれど、俺も「幽霊君」と呼ばれているから、お互い様かもしれない。

「昨日は外でウェーイ系の幽霊が騒いで眠れなくて」

「…へぇ、それはすごく大変そうだね…ノート見る?」

 悪魔君はこみ上げる笑いを堪えながらノートを渡してくれた。俺はそれを受け取り、「ありがとう」と伝えると、彼は少し照れた様子で机に戻っていった。

(本当に「悪魔君」なんてあだ名、似合わないな)

 丁寧な字で書かれたノートを写しながら、考えてしまう。


 この私立コシヒカリ高校は、全国、いや、もしかしたら世界中の変なやつが集まっている特殊な学校だ。でも、きっとその中で、俺が一番異常だろう。友達の悪魔君も、俺のことを「普通」じゃないと思っているのかどうか、少しだけ気になって、やめた。


 記憶の中には、独りの少年がいつも居た。小学生の頃、その隣にもう一人、少年がいた。


 その影を見つめていると、カサリ、と音が聞こえた。

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