「魔女と手品師の子供」
最愛へ贈る話
あなたに、何を贈ろう。
伝えたいこと、渡したいこと、教えたいこと、知ってほしいこと、届けたいこと、たくさんのことが――言葉がある。
だけどね、いちばんに伝えること、いちばん伝えたいことは、もう決まってるんだよ。
キミが、生まれる前から。
『魔女と手品師のこども』
昔々、魔女がおりました。
その魔女の頬には大きな傷があり、街の人々はみんな、魔女がちいさな頃から、災いを呼ぶと関わろうとしなかったので、魔女はいつだってひとりでした。
魔女もひとりが好きでした。
『今日はあなたと本を読んだ。少し哀しいけれど、私の大好きな物語。ねえ、伝わったかな? 哀しいのは、それよりたくさんの幸せがあったからだって。だから、哀しい物語だって好きになれるの。いつか、キミも大きな哀しみに出会ったら思い出して。涙が出ないくらいの哀しみは、泣けちゃうくらいの嬉しさがあったからだって。死んじゃいそうに心が痛むのは、あなたが誰かを心いっぱいに愛した証なんだって。幸せがあったこと、つらくても、忘れないで。』
魔女はずっと魔女でした。
黒猫も、魔女には不吉ではなく、暖かな日なたの場所を知らせました。靴紐が切れたなら、魔女は鼻唄まじりに新しい靴紐を結わえて、ごきげんで黒猫と出掛けます。魔女はあたたかな毛並みの黒猫が大好きでした。
不吉なもの、災いの兆し。
魔女の前ではそれらは意味を持たず、否、意味そのものが変わってしまうのでした。「呪い」を「おまじない」に、――「お呪い≪おまじない≫」に変えてしまう。
それが魔女の魔法でした。
『ねえ、キミの背中には羽根があるんだよ。透明なツバサ。みんな知らないけれど、私は知ってる。鳥のと違うのは、ヒトが大切な誰かと手を繋いで歩きたかったから。ヒトが、透明な羽根を選んだの。だから本当は、空だって飛べるんだよ。ねえ、キミは空なんて簡単に飛べるんだよ。自由に、望んだ場所へ、どこまでだって飛んでゆける。なんだって出来るの。あなたは知らないだけ。だから、私が知ってるんだよ。ずっと前から知ってる。だからね、キミが忘れちゃったときには、何回だって教えてあげる。キミの、素敵なツバサのお話。』
あるとき、街に手品師が訪れました。
数々の奇術を、自分の身体の一部みたいに扱う手品師に、街の人々は夢中になりました。
そんな手品師の前に、黒猫が現れました。
あいつの同族だ! 街の人々が悲鳴を上げ、石や靴の爪先で手荒く追い払おうとしたのを、止めたものがおりました。
手品師でした。
そう、実は黒猫を不吉だと忌み嫌うのは世界の一部だけで、幸運を呼ぶと愛する国もあるのです。世界中を旅する手品師は、どちらも知っていました。
そして街の人々をなだめると、「あいつ」のことを問い、会いに行くことにしたのです。
『手から花を出す手品。お前が男の子でも女の子でも、始めに教える手品だ。この手品には、手品師に大切なすべてが詰まっている。お前がどんな大人になるかはわからないが、パン屋でも社長でもパイロットでもお嫁さんでも構わないが、この手品は覚えておくといい。さて、考えてみよう。お前がこの手品をするとして、まず相手を決める。そして、花を選ぶ。何色だとか、種類とかだ。さあ、どうしたら喜ぶと思う? 相手の気持ちや、好きなもの、相手を笑顔にしたいと考えないと、この手品は出来ない。泣くのは一人でもまあまあ出来るが、ひとりぼっちじゃ笑えない。だから、俺はお前にこの手品を教える。いつかお前に大切なひとが出来たときのために。お前のとうさんが、かあさんに初めて見せた手品だ。』
黒猫の後を追い掛けて、手品師は魔女の家に向かいます。
黒猫は見失ってしまいましたが、その家はすぐに分かりました。向かった方角は街の端っこで、近くには、小さな家のほかは何の建物もなかったのです。
コンコン、とノックをすると後ろでカラスが鳴きました。驚いた手品師が振り返ると、黒猫を抱いた魔女が、手品師よりびっくりした様子で立っていました。
怯えたように後ずさり始める魔女に、手品師は柔らかな仕種で片膝をついて、恭しく手を差し出します。
ポン! 軽い音を立てて、ふわふわとした淡い黄色の花が現れました。
どうぞ、目を丸くした魔女に手品師がわらうと、魔女はぎこちなく、ありがとうと言い、戸惑った微笑みを浮かべました。戸惑いながら、けれど確かにわらってくれたことが、手品師は嬉しくて、はじめましてと、改めて自己紹介をしたのでした。
その日から毎日、手品師は、魔女の家を訪れました。
淋しがり屋の女の子に、たくさん優しくしたくて、楽しいことを知ってほしくて、――わらった顔が見たくて。けれど、魔女のたどたどしい話し方や、不釣り合いな程に大人びた、優しく厳しい心の在り方に、いつしか手品師は惹かれていて。
二人は、恋人として、夫婦として。魔女の家で暮らすようになりました。
『こんなに明日を願ったこと、いままでに無いの。こんなに強く、願ったことなんてなかった。私はずっと世界が嫌いで、終わりだけを待ってたから。――あなたのお父さんに、出会うまでは。あのお日さまみたいな笑顔に、日だまりの心に、頬の傷を撫でてくれた、傷だらけの、あったかな魔法の手に、救われて。ゆっくりと恋を知って。私の世界は色が変わったの。変えられたんだ。明日が待ち遠しくなった。そしていま、こんなにも明日を願ってる。――あなたが、居てくれるから。もうすぐ会えるけれど、少し淋しいな。こんなにも一緒に居られるのは、いまだけでしょう? だけど、やっぱり会いたい。ぎゅうって、抱きしめたいな。一分一秒でも長く、キミが健やかに成長してゆくのを傍で見ていたい。世界をその目で見て、好きになってほしい。「好き」を見つけられるといいねって、とうさんもかあさんも、キミに伝えたいことや見せたいもの、教えたいことを、たくさん用意して、会えるのを待ってるんだよ。――だけどね、いちばんに伝えることは、いちばん伝えたいことはもう決まってるの。』
弾けるような泣き声。
生まれたばかりの小さな男の子に、母になった魔女は、嬉しさに涙を浮かべて、幸福な微笑みのままに囁きました。
そしてちいさな彼に、新米とうさんとかあさんは、ありったけの愛情と願いを込めて、名前をつけてくれました。
――と、こんな具合かな?
パタン、と日記帳を閉じて、少年は伸びをします。隣にはよく似た、少し古びた日記帳が置いてあります。
少年は、隣の、自分に宛てられた両親からの日記帳の、最後のページを開いて、優しく目を細めました。そして、先程の日記帳の最後に、自分のと同じ言葉を記すと、リボンを掛けて、居間へと魔女特製のホットミルクを飲みに行きました。
『魔女のかあさんは、きっとお前のときも、俺と同じように言うだろう。いちばんに伝えたい、いちばん伝えたい言葉を。とうさんだっておんなじだ。お前に手品を教えるのを今から楽しみにしているよ。二人からの日記帳も貰えるだろう。俺は、お前にいちばんに花をあげよう。お前に会えたら、すぐにお前に似合う素敵な花をあげるよ。会えるのを楽しみに待ってる。たくさん遊んでケンカもしよう。』
魔女が生まれたばかりの少年にいちばんに伝えた、いちばん伝えたいと願った言葉は、きちんと彼に届いていました。
『愛してる。』
『きみと同じ、魔女と手品師のこどもより。』
少年が両親の物語を綴った日記帳は、もうすぐ生まれる、彼の妹への贈り物。
2012.10.13.