08
校長室。
他の場所が傷んでいても、ここだけは豪華絢爛な作りだった。
特に荒れた様子もなく、未だに威厳を保ったままの場所……。
だが、そんな場所に女性が壁際に磔にされて、立たされ、制服を脱がされた下着姿の状態が存在しているのだがら、威厳もなにも感じられないだろう。
そして、それをビデオカメラで嬉しそうに撮影している変態ストーカー男の存在も、またしかり。
心結絆は、扉の窓ガラスから中の様子を伺っていた。
迂闊に入れば、変態ストーカー野郎ーーー斬嶺岳が、凶行に走ってしまうかもしれないからだ。
元カノであり、自身の執着する相手である琴木尊に、狂った彼が何をするのか……それは、想像したくないような事だろう。
絆は、磔にされている琴木尊の心の中を見てみる。
奇跡的に、彼女の心の状態というのは、辛うじて保たれている。
どうやら、あれから気を失ってしまったままの状態が続いているようだ。
心が眠りについているーーーだからこそ、この状況でも彼女の心は安定しているのだろう。
だが、拐われたショックのためか、やはり酷く怯えている。
だからこそ、目覚めを恐れるあまりの、深い眠りについているのかもしれない。
人間は、衝撃的な事があると、本能的に眠ってしまうーーーそれは、心が壊れてしまわないようにするための、自己防衛本能と言うものなのだ。
眠り姫のような彼女を起こさずに、斬嶺岳だけを停止させるーーー先程やったように、先程西村たちにやったようにすればいいだけだと、絆は考えている。
思考を停止させ、動くことを忘れさせる技【傀儡の心】ーーー。
だが、この技にはある欠点があることを、絆は知っていた。
この技ーーー実は、至近距離じゃなければ効果がない。
無論、至近距離と言っても、思いきり近いくらいと言うわけでもない。
その距離、2m。
心結絆を中心とした、半径2mの円形の領域内の人間にのみしか使うことができないのだ。
故に絆は、近づかなければならないーーーあの、狂人に気付かれることなく……。
ゲームなんかで、ステルスゲームとか、最近のゲームはこそこそ隠れながら進むことにアイデンティティーを持っているらしい。
見つかったら殺されるーーー見つかったらゲームオーバー……プレイヤーたちに対して、スリルを味会わせるための演出なのだろう。
だが、絆のおかれているこの状況は、ゲームじゃなく、現実なのだ。
見つかれば、人質がどうなるかなんて分からない。
見つかれば、あの狂人がどう動くのか分からない。
見つかればーーーと、まるで思考ゲームのように、考えれば考えるほどに答えは堂々巡りをする。
絆は、選択しなければならない。
彼女を助けるために。
狂人を倒すために。
そして、自身を守るためにーーーあの狂人を廃人にすることを。
絆は校長室へと、突入した。
ガラガラッと、勢いよく扉を開けて、その音に呆気に取られた斬嶺岳に向かって突撃した。
足が遅い絆と言えど、教室の半分ほどしかないこの密室の中で、斬嶺に近づくということは、簡単だった。
「お前は……‼」
と、斬嶺が叫ぶ間もなく、奴を自らの能力の領域内へと入れた、絆は自らの能力を発動させる。
「傀儡の心ーーー」
絆がそう言い終わると、斬嶺の身体は硬直し、動かなくなる。
正確には、動けなくなるのだろうけど。
「な、なんだこれ……は……‼」
そして、斬嶺は喋ることさえも許されなくなる。
更に、持っていたビデオカメラは硬直した手から、するりと落ちて、地面に叩きつけられる。
ガシャンという音だけが、この密室内では響く。
そして、絆はビデオカメラを破壊する。
足で、ぐしゃっと踏み潰して。
今まで恐らく撮っていた琴木尊のデータを、消してあげると言う目的もあったが、それよりもこれから起こることを撮られてしまうと非常にまずいと感じたからだ。
ここで何があったのか、絆が何をしたのかーーーそして、その結果として斬嶺がどうなったのか……それは知られてはいけない事なのだ。
なによりここは、心根小学校……かつて、生徒のほぼ全員が自殺未遂をしようとした、異常で狂った場所とされている。
しかも、それは呪いとかそういうオカルト的な要因でだ。
だから、ここで発見された異常者は呪いを受けたという扱いで、公の場では処理されるのだ。
「さて、斬嶺岳くん……これから、君には罰を受けてもらおうか」
絆は、満面の笑みで斬嶺に言う。
そして、ゆっくりと近づく。
ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりとーーーその様子を見ていた斬嶺の心は、既に折れかかっている。
自分が対峙してしまった【化け物】ーーーなにかの力によって封じられた肉体を動かす権利、そしてなによりいい表せない程の圧迫感。
つい先程まで、自身たちでなぶっていて、ふざけて王子様なんてあだ名をつけていた雑魚キャラから一辺、恐怖の怪物となっていた。
「ごめんなさい。許してください。もうしません」と、斬嶺岳の心の中では、同じ言葉を延々と続けている始末。怪物のご機嫌取りのように、必死に命乞いをする……いや、思う。
何せ彼は、喋れない。
喋ることを封じられた彼ができるのは、思うことだけだ。
絆が心を読むことのできると、村上から聞いていて、半信半疑だった斬嶺。
だが、今はその村上からの言葉を信じるしかなかった。
なにせ、自身が置かれているこの状況となっては、もう目の前の化け物には、なにか能力があるとしか説明できないからだ。
「許してください、許してください、許してください、許してください‼」
必死に命乞いをする斬嶺を見て、絆は軽く苛立っていた。
「なんて都合のいい時に都合のいい台詞を吐くのだろうか……」そう思うと、余計に怒りが込み上げてくるようだった。琴木尊にトラウマまがいなことを植え付けた上に、誘拐して、監禁して、今磔にしている癖に、なにを言っているんだ……と。
「1つだけ教えてあげるよ、斬嶺岳くん……」
そう言って、絆は斬嶺の顔の前まで、自身の顔を近づける。そして、真顔でこう言うのだった。
「俺はね、命乞いをする敵キャラが一番大っ嫌いなんだよね……」
そう言って、斬嶺の額に手をかざす。
その瞬間、斬嶺岳の心は壊れたのだったーーー。
ガラスのハートなんて言葉が世に存在してるらしい。
この言葉の意味は、ガラスのように脆いメンタル……傷つきやすい心ということではなかっただろうか。
まあ、そんなメンタルでも、大抵の場合は時間が解決してくれるというものだ。いずれ、強固な心が構築されるーーー偽るというハリボテで補修された状態でだがな。
だが、心結絆が斬嶺岳に施したのは、そんな生易しいものではない。
心を壊すーーーそれは、深層心理の破壊と言うことだ。
深層心理の破壊ーーーそれは、自我の崩壊へと繋がる。自我の崩壊とは、即ち廃人となると言うことだ。廃人となったら最後、最早死ぬことしか考えられなくなる。
自殺願望者と言うのは、大抵この深層心理が砕け散った者たちが多いのだ。
なにもみたくない、なにも知りたくない、なにも聞きたくない、なにもしたくないーーーそれら全ての最終形態は死へと繋がるのだ。
「ァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」
と、発狂して、踏み潰された蟻のようにのたうち回る、斬嶺もまた、そんな廃人となってしまったわけだ。
絆は、心を壊すことも出来るが、治すこともできる。
だから、こうなってしまった斬嶺を治すことも可能と言えば可能だ。
だが、それを彼がするかどうかは、また別の話なのだが。
「ざまあないね……」
と、絆は発狂している斬嶺を見ながら言うのだ。
自分がこんな風にしたくせに、彼は冷たいーーーまるで、虫けらを見るような目で、彼を眺めていた。
だが、なによりもまず、磔にされた琴木尊を解放してやることが先決だろう。
絆は、磔にされた彼女の方へ近づく。
そして、ガムテープやビニールテープで拘束されていた彼女を、ようやく解放することに成功するのだった。
「ん……ん……」
と、寝言のように声を漏らす彼女を背負い、絆は校長室を後にする。
だが、その前にーーー。
「……治れ」
と、斬嶺岳の壊した心を治しておいた。
これで斬嶺岳は、廃人から、普通の人間に戻ったわけだ。
これで斬嶺岳は、自殺願望者にはならずにすむ。
つまりは、絆は人殺しにならずに済むのだ。
だが、あの心を壊される痛みを、この先彼は忘れることは一生できないだろう。
1度心を壊された痛みを忘れるということは、1度心を壊されたことを体験すると、2度と忘れることは出来ない。
例え大人になろうとも、例え記憶をなくそうともーーー永遠のトラウマとして植え付けられる。
心に刻まれる。
故に……心結絆が、斬嶺岳に与える最大の罰ーーーそれは、心の痛みというトラウマなのだった。
「自分の愚かさと、自分の犯した罪を永遠に償え……」
そう言って絆は、校長室を後にするのだった。