02
体育終了後、学校の授業が終わるチャイムが流れる。
放課後は、普通なら部活動というのが高校生だろうが、絆は部活動には参加していない。
団体を嫌う彼は、授業が終わるとさっさと身支度を整えて、下校するのが日課なのだ。
「ふう……学校終わりーーーあと、もう少しで卒業出来るんだよな……」
下校途中の絆は、スマホをいじりながら、そんな事を考えていた。
絆にとって、高校に通うというのは、社会に出るための耐性をつける場だと思っている。
学校という団体行動命の組織の中に居ることは、後々に人間社会の闇に立ち向かう際に越えなきゃいけないところなのだと。
そのための予行練習なのだとーーー。
「おーい、心結くん!」
そんな風に考えていた絆に向かって発せられた、彼を呼ぶ声ーーー絆が後ろを振り向くと、琴木尊が息を切らして走ってくるのが見えた。
そして、彼女は絆の元に着くと、ポケットからあるものを取り出して彼に渡す。
「心結くん、はいこれ。忘れ物」
そういって彼女が絆に手渡したものは、消ゴムだった。
絆は忘れていた。
2時限目の数学の時間に、琴木に消ゴムを貸していたことを。
「わざわざーーーありがとう……じゃあ……」
と、そそくさと帰ろうとする絆だったが、琴木がぜぇぜぇと苦しそうに息を切らしている声が聞こえ、その歩みを止める。
そして、彼女の元へと戻り、優しく背中をさすった。
「あの……心結くん?私別に、吐きそうだから息苦しそうにしてる訳じゃないから、背中は大丈夫だよ?」
「いやいや、ほら。でも、背中をさすれば楽になるでしょ?」
「……まあそうだね。介抱してもらって……やって貰ってる身なのに、文句言ってごめんね……あはは」
ちょっと意地悪そうに、彼女はそう言った。
よいしょっと、上体を起こし、彼女は絆ににこりと微笑んでいる。
「あの、琴木さん?そろそろ俺帰ってもいいかな?」
「ん?んん?せっかくだし、一緒に帰ろうよ」
「俺、駅に行くけど?」
「んー!私も駅行くから、ちょうどいいじゃん。私、クラス内で心結くんとだけ、まだちゃんとお話ししてなかったからーーーせっかくだし、ね?ね?」
ぐいぐいと攻めてくる彼女の力強さに、負けた絆は琴木尊と共に登下校を開始するのだった。
「心結くんってどこにすんでるの?」
「心結くんって出身小学校どこ?」
「心結くんって休みの日ってなにしてるの?」
「心結くんって好きな食べ物なに?」
「心結くんって好きなスポーツとかある?」
「心結くんってーーー」
「質問多いな!」
絆はぐいぐいと攻めてくる女子に圧倒されていた。
本日始めて出会ったはずの、大人しそうで清楚な女性がこうガツガツとしていると言うのは、絆にとっては高嶺の花どころではなく、萎れた花にしか見えなくなってくるのだった。
「心結くんってさ……」
「え、まだ質問続くの?」
絆は女子に質問攻めされることになれていない。
というか、他人と極力話さないようにしていた絆にとって、ここまでぐいぐいと話しかけてくる女子というのは、逆に珍しく見えた。
出来れば話しかけてほしくなかったので、出来れば無視してほしかったのでーーー絆は彼女にこう言い放つ。
「質問に答える義理はない」
そういってスタスタと、早歩きで駅へと向かう。
だが、その後ろからまるで追撃でもするかのような勢いで、琴木は追いかけてくる。
「待ってよ、心結くん!」
「うわぁ!ついてくるな!」
絆は走った。
女子から逃げるだなんて事を、彼は生まれて始めて行ったかもしれない。
それも、誰をも魅了する美しい容姿の女子から。
普通なら誰しも、羨む恋人同士のおいかけっこみたいな絵図になるはずなのに、今回の場合は一方的なおっかけだ。
つまりは、警察と泥棒のようなおいかけっこーーーそれが、この場の状況に相応しいことだろう。
「待ってよ‼まだ聞きたいことが……」
「お願いだから構わないでくれ‼」
絆は逃げる。
全力でーーー大嫌いな人間と言う生物から。
しかし残念なことに、絆は特殊能力はあるが、運動能力は無いに等しいーーー故に、彼はか弱そうな女子にもすぐに追い付かれてしまうのだった。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「心結くん、走るの遅いんだね」
「余計なお世話だよ……ぜぇ……ぜぇ……」
「体力も無いんだね」
「痛いところばかりつかないで……ぜぇ……ぜぇ……」
これだから人間は……と、絆は思ってしまう。
男なら体力が、女なら繊細さがあるとーーーそういう昔ながらの価値観がこの世界を構築してしまったのだとすれば、絆にとっては苦痛でしかないのだ。
異能を与えられ、低身体能力を与えられ……そして、女子に小バカにされることを与えられ、惨めとは言わないが悲しいとは言えるのかもしれない。
だがまあ、そんなことは同じ立場になってみなければ分からないだろう。
人間の価値観は、すぐに自分のことのようにから他人事に変わるくらい、曖昧で、不明確で、残念なのだーーー。
心変わりは世の常……されど、純真な心はすぐに腐る。
1度腐れば、もう2度と元には戻らない。
この女もそんな女なのかーーーたった、身体能力を咎められ指摘された絆の心の中にはそんな思いが巡ってしまっていた。
そして同時に、そんなことを考えている自分を嫌悪する。
醜い醜いと言っていて、本当は自分の心が一番醜いのではないのかとーーー。
逃げきることに失敗した絆は、諦めて彼女と帰ることにした。
さすがにこの状況で、何を言おうが、何をしようとも、尊厳と言うものは出ないだろう。
逃亡しようとして、追い付かれてしまう。
それは最早逃げれないことを意味するのだ。
「ねぇねぇ、心結くん?」
「……なんでしょうか」
「心結くんって、この地域の出身だったりする?」
「??うん。まあ、そうだけど……どうして?」
「さっき私がしていた質問には答えなくていいから、これだけは本当に教えてほしいんだけど……」
「??」
「ーーー心根小学校って、知ってる?」
「‼」
絆はぎょっとした。
なぜならば、この小学校は絆の出身校で、そして今となっては廃校になってしまった学校だからだ。
何故この学校が廃校になってしまったのかーーーそれは、絆の能力の暴走により起きてしまった、日本最大級の悪夢のような事件が起こってしまったからだ。
「……この辺で、その学校のことを知らない人間はいないと思うよ」
動揺を隠しながら、彼は普段通り表情を隠してそう言った。
だが、普段は淡々と毎日を生きている絆は、この小学校の噂を聞くだけで、非常に強い動揺と、罪悪感がよぎるのだ。
自分のせいでーーー彼はいまなお、あの小学校で起きてしまった出来事を忘れずにいる。
そして、日本中も、誰も忘れることなく、あの悪夢を覚えている。
「そうだよね……あんな、ことが起こってしまったんだし……」
彼女は、悲しそうに空を見上げた。
その横顔は、どこか美しく明るい性格の彼女からは似ても似つかぬほどの、哀愁が伺えた。
彼女もまた、罪悪感を抱いているーーーそんな風に絆は見ていた。
「ーーーところで、なんで心根小学校のことを聞いてきたの?」
「ん?あぁ……。私には双子の弟がいるんだけど……あの時起こった事件で、意識不明の重体になっちゃったんだ……」
ズキッと、絆は痛みを感じた。
罪悪感が、裁きの槍となって自らを貫いたーーーいや、槍程度では済まない。
自らの罪ならば、本来打ち首獄門レベルのものなのだとーーー絆はまさしく痛感していたのだった。
「あ、ごめんね。こんな重たい話しちゃって……」
「……いや、別に大丈夫だよ」
「ーーー心結くん、でもねこの話には続きがあって……」
と彼女が続きを話しかけたとき、絆たちは駅前へと到着した。
絆はこれ以上、彼女との話をしてしまうと更なる罪悪感が生まれてしまいそうでたまらなかった。
だからこそ、話の途中で切り上げた。
「よし、帰ろう!」
そう言って、絆は駅のホームへと歩き出した。
その時ーーー。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ‼」
後ろで大きな悲鳴が聞こえた。
バッと、後ろを振り向くと琴木尊は複数の男に抱え込まれ、ワゴン車に押し込まれていたのだった。