01
心結絆の憂鬱な学校生活は続いていたーーーそんな、ある日のことだった。
クラス内で、朝からとある噂が広まっていた。
「ねぇ、聞いた?」
「聞いた聞いた‼今日うちに来るんでしょ?」
「あ、やっぱりそれ本当なんだ♪」
「噂によると、すげぇ美人らしいぜ」
この話を聞いていた絆は、どうして転校生が来るくらいでこんなにも盛り上がれるのだろうかと考えていた。
男子なら淡い期待、女子なら妬みへと変わるかもしれないのに……と、心が見える絆だからこそ、こんな風に彼は思ってしまっているのだった。
「だけど、この時期にーーー受験が近いこの時期に、転校してくるなんて、よっぽど親の都合が悪かったりしたのだろうね」
「んー、でも可愛いならそれで良くね?」
「確かに確かにーーーうちのクラスは中の下くらいだもんな~女子の顔」
「おい、そこの男子‼全部聞こえてんぞ!」
「やっべぇ‼」
なんやかんやで、チャイムが鳴る。そろそろ、ホームルームの時間だ。
ふざけあって、じゃれあっていた生徒は席につき、そわそわしている。
そして、ガラガラっと、扉を開けて担任の教師が入ってくる。
「ほい、ホームルーム始めっぞ~」
聞くからに軽薄そうなこの声と、そんな声に相まった服装を、声の通りだらしなく着こなした、絆の担任がそう言うと、クラス委員長の号令と共に、ホームルームが始まった。
担任の朝の連絡等、流れるように進んでいく。
そしてーーー。
「ほい、じゃあお前らーーーここで、転校生の紹介をするぞ」
と、最後に切り出してきた。
ざわつくクラス内で、絆だけは冷静に窓の外を眺めている。
彼にとっては、転校生など興味がないのだ。
いや、そもそも、どうせ同じ人間なんだからと、どうせ同じ腐った心なんだからと、目を伏せるための行動なのかもしれない。
「んじゃ、琴木さん入ってきてくれ」
「はい……」
ガラガラっと、扉を開けて入ってきた女の子。転校生の登場によって、思いきり騒ぎそうなクラスが、シーンと静まり返っている。珍しいというか、あり得ないこの状況に、窓の外を眺めていた絆は、転校生のいる教卓の方へと顔を向ける。
そして、悟った。
なぜ、騒がないのか。
転校生の顔をみて、それが分かった。
騒がないんじゃない。
騒げないんだーーー美人過ぎた、あの顔立ちを見てしまったために。
クラスの面々が、彼女に一目惚れをしたーーーそう説明するしかないほどに、いつも騒がしいクラスがこんなにも静寂を保っていた。
絆に聞こえてくるのは、担任が転校生の名前をチョークで、黒板に刻む音くらいなものだった。
それほどに、まるで時が止まったようにーーー静寂の空間がクラスに出来上がっていたのだった。
「はい、じゃあ、紹介するぞ」
と、担任が声を発すると、静止していた空間が再び動き始めたように、ざわざわとクラス内はいつも通りに戻った。
いつもと違うのは、絆を含めた全員が、教卓の前にいる転校生を見ていたことだった。
その美しすぎる容姿に魅せられるかのようにーーー。
「琴木尊と申します、みなさんよろしくお願いします」
黒板に書かれた白い文字と、美しい容姿の美しい声から発せられたその声は、絆と担任以外の全てのものを完全に虜にした。
心が見える絆は、クラスメートの心が見えていた。故にこの状況に彼は密かに驚いていた。
普段は、嫌みや嫉妬、嫌悪感で裏側が真っ黒になっていたクラスメートの心が、彼女の存在一色になっていたことに、正直言って驚いていた。
「可愛すぎる……」
「敵わない……」
「眩しすぎる……なにもかも綺麗なんだろうな」
そんな声さえも、静寂を破ったざわめく教室内でこぼれ始めるのも、あながち間違いではない。
だがそんな中、絆は逆の考えだった。
こんなにも美人なら心の闇も深いはずーーー顔は美しくても、心は腐敗しているに決まっている、と。
それなら、彼女の心は見なくていい……見ない方が、がっかりしないで済むからーーー故に絆は彼女の心を読むことはしなかった。
どうせなら、高嶺の花のままで、このまま終わってほしいと、絆は願った。
関わりもなくていいから、せめて飾られている花のような、絵のような存在でいてほしい……と。
心の底から願ってしまうのだった。
「じゃあ、琴木は……心結の席の隣に座ってもらえるかな?」
「心結……?」
彼女はまるで、その名前に聞き覚えがあるような聞き方をしていた。だが、絆にとっては、どうでもよかった。
どうせ関わることは無いと思ったからーーー。
スタスタと、華麗に歩く彼女の姿は、ある意味では高貴とも言えるような美しさがある。だが、絆は彼女の歩き方に、逆に違和感を感じていた。
まるで、音をたてないように……何かに怯えているような、そんな歩き方だと彼は感じたからだ。
「心結くん、よろしくね」
着席して早々に、にこやかにーーーそう明るく振る舞う彼女に、絆は軽く会釈する程度で、再び窓の外を眺めるのだった。
絆にとっては、なんの興味もない女の子なのだ。
普通に転校してきた、普通の女の子。
そんな風にしか見ていなかったのだったーーー。
昼休みーーー心結絆は、教室に居づらくなって、屋上でご飯を食べていた。
コンビニで買ったタマゴサンドイッチと、緑茶。
それを、空を見上げながら黙々と食べていた。
こんなことになったのは、あの転校生ーーー琴木尊の知名度のせいだった。
昼休みに入るまで、1時限目から4時限目までの間には計3回の休みが存在する。
その3回の休み時間の間で、他クラス全てに転校生の噂が広まり、結果として昼休みーーーあの小さな教室に、ほぼ全クラスの生徒が集まって食事会が開催されてしまったのだ。
「本当に、人間って、どうして物珍しいものをみると、あーいうふうに、うじゃうじゃと餌を求める蟻みたいに集まるんだろうなーーー」
と、絆は思っていた。
人間の心が見えてしまうというのは、時としてーーー否、ほぼ毎日のように、嫌な面が見えてしまう。
絆は、人間の密度多くなるーーーつまり、集団になると、余計にそう思う時がある。
人間の闇の部分が、大量に見えてしまうせいもあって、絆は人間が多く集まっている場所が苦手なのだ。
「……あれ?次の教科ってなんだっけな……」
と、絆は徐にポケットの中からスマホを取り出して、画像フォルダをスライドしていた。
以前、授業日程を撮っていたはずだと、先程思い出したのだ。
「んー?ないな……これじゃねえし……これでも……」
と、絆はスマホのフォルダ内を懸命に探すも、中々見つけられない。
やっと見つけたときには、授業開始5分前のことだった。
次の授業は体育ーーーつまり、着替える必要があることが分かった絆は、大急ぎで体操着を取りに教室へと戻るのだった。
教室内には、もうほとんど人は居なかった。
クラスの委員長だけが一人ポツンと残っているだけで、あんなにも蟻のようにウジャウジャといた人間は居なくなっていた。
「もう、心結くんが来ないと、教室閉めれないじゃないのよ」
と、軽く小言を言われた絆は、ごめんと謝り、体操着を持って体育館の更衣室へと向かうのだった。