クラスメイトside1 西堀彩亜
イルハダルの空中要塞。レンセがいなくなってから二日、生徒達の表情は暗かった。
昨日とおととい、生徒達はほとんど訓練もしていない。食堂で食事を取る生徒もまばらで、食事中も談笑の声さえ聞こえなかった。
そんな中、西堀 彩亜は一人で食事を食べ終える。
生徒の中にはレンセが死んだショックで食事が喉を通らなくなる者さえいた。それに比べれば彩亜は気丈と言えるだろう。
もちろん彩亜はレンセが生きていると信じており、だから自分も生きなければと無理やり食べ物を胃に放り込んでいた。
食事の後は一人で訓練を行う。
これもレンセが生きていると信じているからだ。いつか助けが来た時に、足手まといにならず逃げられるよう彩亜は訓練を怠らない。
だが助けについては、本気で期待しているわけではなかった。
彩亜の手には、レンセを刺した感触が今もずっと残っている。
レンセが能力に目覚めても、五千メートルもの落下を生き延びられた保証はない。《オリハルコンマスター》の能力に目覚めること自体、確実ではなかったかも知れない。
レンセがあのまま死んでいたら、自分はただの人殺しではないのか。
彩亜の胸から、その疑念が消えることはない。
彩亜は一人で訓練を続ける。
レンセが死んでいるかも知れないという思いを打ち消すように、ひたすらに彩亜は体を動かし続けていた。
彩亜はこの二日間、こうして以前と変わらぬ生活を続けている。
だがそんな彩亜の心の内を知る生徒は誰もいない。
レンセの死から立ち直れない生徒から見れば、彩亜はレンセを殺した張本人。それがレンセの死を気にする様子もなく以前と変わらぬ生活を続けている。
彩亜には、レンセを殺した罪悪感さえありはしないのか。
生徒達は陰で彩亜の悪口を言い合っていた。
彩亜には人の心などかけらもないと。幼馴染も平気で殺す鬼畜な殺人者であるのだと。
生徒達の心の底には、罪からの逃避の思いもあった。
他の生徒もレンセを生贄に捧げた当事者なのだ。もちろんレンセを指名したりなどしていない。だが止められなかった。結局、全員がレンセを見殺しにしたのである。
その罪の意識から逃げるように、生徒達は陰で彩亜を責め続けていた。
だが彩亜は、そんな生徒達の陰口に気が付くことさえない。
彩亜の心も決して平穏とは程遠いのだ。レンセを失った喪失感だけでさえ、彩亜の心を砕くには本来十分すぎるものなのだから。
一日の訓練を終えた彩亜は、一人鉄の廊下を歩き続ける。
レンセが地上へと落ちてから、彩亜は一度も泣いていない。複数の生徒が泣き叫ぶ中、一人感情を押し殺していた。
ここで泣いてしまったら。くじけたら立ち直れなくなってしまう。
だから彩亜はレンセは生きているのだと自分に言い聞かせ、いつ壊れてもおかしくない心を必死で繋ぎ止め続けている。
だがそんな彩亜に優しく声をかける男がいた。
錦山 剛である。
剛の顔を見た瞬間、彩亜の顔から表情が消えた。今にも零れそうだった涙でさえ、一瞬で蒸発したかのように消え去っている。
悲しみが消えたわけではない。だがそれ以上の感情が彩亜の脳裏を支配する。氷のように冷たくなった瞳の奥には、燃えるような怒りが渦巻いていた。
剛さえいなければ、レンセが生贄になることはなかった。苦渋の思いで彩亜がレンセを刺す必要もなかった。
全て、剛のせいである。
彩亜はすぐにでも剛を殺したい衝動にかられる。
剛を殺すのはたやすい。
まともに戦って勝てずとも、彩亜の職能は暗殺者なのだ。
だがイルハダルでの生活において、許可のない死闘は禁止されていた。もし剛を殺したことがバレたなら、彩亜は罰を受けるだろう。
彩亜はレンセが生きていると信じている。だからこそ彩亜は、レンセと再会するその日まで無事でいなくてはならないのだ。
だから感情に任せてここで剛を殺すことは出来ない。
様々な思いを巡らせながら、彩亜は剛の横を通り過ぎようとする。
だが剛には彩亜の心が分かってなかった。剛は平気な顔で彩亜へと話しかける。
「あの状況、誰かを生贄に捧げなきゃならねえのはあきらかだった。他の連中はみんなそこから目を背けてやがる。その上で俺達だけに罪をかぶせて、自分は悪くないと言い聞かせている卑怯者だ」
剛から見ても、彩亜はレンセを殺した実行犯だった。レンセを生贄に指名した剛と同じ立場にいると思っている。だから今の彩亜を助けてやれるのは自分しかいないと剛は本気で思っているのだ。
「……俺達二人は互いに重い十字架を背負っちまった。でもよ。だからこそ、俺だけはお前の気持ちを分かってやれる。断腸の思いで辛い役を引き受けた、たった二人だけの同志なんだからよ。お前の辛い気持ちも何もかも、俺だけはちゃんと分かってやれるし……これからも分かち合っていけると思ってるぜ」
剛は彩亜の気持ちをまったく分かっていなかった。ただ自分の都合のいいように彩亜の気持ちを妄想し、剛は慰めの言葉をかけ続ける。
「……レンセには本当に悪かったと思ってる。他のみんなが生き残る為とはいえ、あいつを犠牲にしたのは確かなんだからよ。でもよ、あの場面じゃ他にどうしようもなかったんだよ。お前も俺も悪くねえ。だからよ彩亜。お前だけが……いつまでも気に病むことはないんだぜ。辛いとは思うけどよ。あいつの、レンセの分まで……せめて俺達二人が幸せにならなきゃ何のためにレンセが死んだかも分かんなくなっちまうだろ」
彩亜は何度剛を殺したいと思ったことだろう。
だが剛にレンセが死んだと言われる内に彩亜の心も揺らぐ。
本当に……レンセは生きているのかと。もし死んでしまっているのなら、何のために自分はまだ生きているのかと。
いっそ仇とも言える剛をここで殺して、自分も死ねばいいと彩亜は思う。
なぜなら自分も、レンセを突き落とした殺しの実行犯なのだから。
だがレンセが生きているという希望が、彩亜にそれを許さない。
自分が死ぬのはいつでも出来る。だから死ぬのは、レンセの生死を確認してからでも遅くない。
だけどもし――本当にレンセが死んでいたなら、その時は迷わず仇を取ると心に誓う。
レンセを生贄に指名した剛に、レンセを要塞から突き落とした自分。どちらの命も決して生かしてはおかないと。
絶望を抱えたまま地に落ちていったレンセ。
その時のレンセの顔が、いつまでたっても彩亜の脳裏を離れない。
愛する人にあれだけの絶望を与えて、その絶望の中で本当にレンセが死んでしまっていたのなら。
そんな最悪の殺し方をした自分自身を、彩亜は決して許しはしないと心に誓う。