14 落下
「なぜだ彩亜! 一体何を考えている! 自分が何を言っているのかちゃんと理解出来ているのか!」
芹は叫んだ。
これは芹らしくない行動である。芹は冷静さを欠いていた。だが……芹が思わずそうなってしまうほどにこれは異常なことである。
感情的に叫ぶ芹とは対照的に彩亜は無表情のまま返事を返した。
「……この状況なら、こうするのが一番だから。他の人に苦しめられて殺されるくらいなら、私が……」
彩亜の言葉に、その場にいた生徒全員が黙り込む。こうなってしまった以上、レンセを助けることはもう出来ない。ならば、彩亜の言うことは確かに一理あると思ってしまう。
そうして異様な空気に包まれる中、レンセと彩亜の二人が対峙する。
レンセの後ろは高度五千メートルの大空。前方には彩亜とその後ろに控える生徒達。そしてそのさらに後ろでレンセを眺めるシュダーディ達。
逃げる場所などどこにもない。完全なる絶望である。
だがもしも、レンセを殺す相手が彩亜でなければ。レンセは最後まで思考を放棄しなかったかも知れない。
だがレンセの心は――恐ろしいほどにもろくも折れた。
クラスメイトから生贄として指名されるだけでも、心が折れるには十分すぎるとも言える。
だがそれだけなら。その状況だけならありえてもおかしくないとレンセは思う。だが一つ。たった一つだけ、絶対にあってはならないことがあった。
彩亜――
例えどんな絶望的な状況でも、彩亜だけは、レンセを助けるために全力を尽くしてくれると心から信じていた。だが目の前にある現実に、そんなのはただの思い込みだったと弱ったレンセの心は信じてしまう。
レンセは彩亜と対峙するに至って――生きるために思考すること自体をあきらめてしまった。
目の前にある光景を、ただその光景のままに受け入れてしまう。
だがその上でなお、レンセは……彩亜に対して恨みを抱くことはなかった。
シュダーディがレンセを生贄として決めた時点で、どうやってもレンセは助からない。仮に彩亜が助けに入ってもただ死人が増えるだけだ。それなら……死ぬのは自分だけの方がいい。レンセは心からそう思った。
せめて……彩亜を巻き添えにすることがなくて良かったと。
だからレンセの口から漏れ出た一言はこれだった。
「……よかった」
ポツリと。
その声はか細く、遠巻きに見ていた生徒は誰一人としてその言葉を聞き取れはしなかっただろう。
だが彩亜は聞き逃さない。
何を考えているのか分からない。皆からそう言われる彩亜の顔が、驚きの表情へと変わっていた。
彩亜の表情の変化に気付いているのかいないのか、レンセは独り言のように言葉を続ける。
「僕は馬鹿だから、彩亜が僕を助けるために無茶をするんじゃないかって思ってた。でもそうならなくて本当に良かったと思うよ。僕はもう、どうやったって助からないから。だから彩亜が……正しい判断をしてくれて本当に良かった。死ぬのは嫌だけど、彩亜を巻き込むのはもっと嫌だったから」
死を悟った顔で、希望はもうないと完全にあきらめた顔で、レンセは彩亜にそう告げた。
そのレンセの表情に、彩亜の顔が悲痛に歪む。
……違う。そうじゃない! と。
彩亜は喉から出そうになる言葉を必死で押さえ込んでいた。
だがそんな彩亜の姿がレンセの目に映ることはない。
レンセは状況に絶望し、目の前の彩亜の顔さえろくに見えてはいなかった。
レンセの目から、大粒の涙があふれ出る。
「はは……情けないね。どうあっても僕はもう死ぬっていうのに、まだ……この世に未練があったみたいだ。未練。うん、未練だね……」
レンセは全てをあきらめた笑顔で、頬に涙を伝わせながら彩亜に告げた。
「彩亜……今までありがとう。彩亜がいつも側にいてくれて、僕は本当に嬉しかったよ。本当はもっと、彩亜と一緒にしたいこともたくさんあったけど。それに、ただの幼馴染じゃなくて……。ううん、これはもう今さらだね。もっと早く、勇気を持って伝えてなきゃいけなかったのに。……それが一番の心残りかな。ごめんね彩亜。でも、これだけははっきり言える。彩亜、大好きだよ。……さよなら」
レンセの言葉を聞き、彩亜の目にも涙が溢れる。
その涙には、レンセも気が付くことが出来た。
レンセは思う。やっぱり彩亜は、最後まで自分のことを思ってくれてるんだと。そう思い、レンセは少しだけ心が軽くなるのを感じた。
だが、レンセは気が付いてはいなかった。
彩亜の涙は、表情は――悲しむなどと言う一言で表せるような物ではなかったことを。
彩亜は悲痛な表情で、声に出来ない叫びをあげていた。決して……言葉にして他の誰かに気付かれてはならない心の叫びを。
その叫びを必死の思いで押し殺して、彩亜は――懐から一振りのナイフを抜き取る。
《不可視の刃》。彩亜の能力《不可視化》により姿を隠ぺいされた武器。
彩亜の持つナイフは根本から全く見えない。だが彩亜が片腕で持っているため、恐らくナイフだろうとレンセは思った。
そして彩亜は口に出せない思いの全てをその一撃へと込めて、見えないナイフをレンセの下腹へと突き立てる。
レンセの体から噴き出す大量の血が、後ろにいる者達からもはっきり見えた。レンセも激しい痛みにもだえ逃れ得ぬ死を覚悟する。
だがここでレンセは思ってもみない言葉を聞いた。
「……生きて」
レンセの耳元へと口を近づけていた彩亜の、ただ一言だけの小さな叫び。だがずっと口に出せなかった彩亜の、思いを込めた一度きりの必死の叫び。
生きることをあきらめ諦観の彼方にあったレンセの意識が急回復する。
そしてここに来て初めて、レンセは彩亜の表情をその目に捉えた。
その表情は――悲痛。
レンセの耳元で小さくつぶやいた「生きて」というその言葉。それがただのささやきなどではなく、彩亜の心の、魂の叫びであることをレンセは一瞬の内に理解した。
だがそれゆえに、レンセには理解が出来ない。
自分を刃で刺した幼馴染が発する、生きてという必死の叫び。レンセにはその真意を理解することが出来ない。
そうして混乱するレンセの体に、止めの一撃が繰り出される。
レンセを刺した彩亜はナイフから手を離し、その場でそのまま一回転。勢いをつけレンセの腹に刺さるナイフを蹴りでねじ込み、そのままレンセを大空の下へと蹴り飛ばした。
ナイフで刺すだけにあきたらず、高度五千メートルの上空からレンセを蹴り落とす徹底ぶり。
迷いなくレンセを奈落の底へと突き落とした彩亜の姿に、生徒たちは全員が固まっていた。




