その頃、各陣営の動向
もたらされた情報に目を通した土御門武人は、思わず眉を顰めた。
状況は、想定よりもずっと悪い方向へと傾いている。
まずは、犬飼憲剛。日本における西洋魔術系統の源流とも言われる旧占家・犬飼家出身の魔術師。何かと物騒な噂で知られるこの男が、今回の儀式に首を突っ込んてくるのは予測出来ていた。素行が暴力的なこの男が聖遺物に関する情報を収集しているという情報は事前に手にしていたし、何より犬飼家自体が西洋魔術師の血を身内に取り込んで飛躍した家柄である以上、儀式に関する詳細な知識も十分に揃っていたであろう事は疑いようがない。従って、犬飼憲剛が今回、この地で開催される見込みとなった儀式に参戦してくるのは、むしろ予定調和であると言ってもあながち言い過ぎではない。
もっとも、物騒な噂に事欠かない過激な男は、早速、路地裏とはいえ街中でいろいろとやらかしてくれたわけであるが……。
だが、この男と同じくらい、下手したらそれ以上に不味いのがこいつ(・・・)の存在である。
「good-by.Goodnight。……寄りにも寄ってこいつか」
直訳で「さよなら、おやすみ」とでも訳せる異名。だがこれはこの人物に与えられた数ある異名の一つにすぎず、最も有名な別名は「釘女」。この名が全てを物語る教会暗部きっての暗殺魔術師。本名不詳。性別不詳。年齢不詳。判明しているのはコードネーム的なおそらく便宜的な名を「グッドナイト」といい、鋭利な凶器で必ず眼を抉って標的を殺害する拘りを持つ猟奇的な怪人という事くらいだろう。
過去にも教会の暗部が儀式に介入してくるという事例は幾度も報告されているが、その際に送り込まれる人材と言えば使い捨て前提の下っ端か、身の程を弁えない腐った権力者に限られていた。しかし、今回、グッドナイトが派遣されたとなれば教会の本気度がうかがえるというものだ。
目立った要注意人物が犬飼憲剛だけならいざ知らず、グッドナイトも介入している以上、正直言って自分ではあまりに荷が重いと武人は内心嘆きつつ、悲観していてもしょうがないと気持ちを切り替える。
まずは周りの意見を聞くべきだろう。独り悶々としても埒は明かない。
「この状況、どう思います? 長谷堂先生」
「グッドナイトの名は俺もよく聞く。相当な使い手っつう話だ。上級魔術を行使できる熟練の魔術師が真正面から一撃で仕留められたなんて噂はよく聞いた。マジな話なら当主様と同等、もはや人外レベルだろうな。相手するとなれば、厄介極まりない」
実質「当主は人外」と言っているのと変わらないいつものずけずけとした物言いに、武人は苦笑いを浮かべると同時に少しは気が楽になる。
ここ私立呉島学院高等学校の教諭にして我が西洋魔術研究会の顧問を務めてくれているこの男――長谷堂一真は、当主=父親との親交も深く、武人にとっても幼い頃から何かと面倒を見て貰っている頼れる親戚のおじさん的なポジションにある人物なのだ。
「ある程度、予測はしていたが現時点で厄介者が2人、さらに犬飼の奴が追い回していた『槍』の魔術師も誰かは分からんが素人じゃない様子。当主は――お前の親父はなんか言ってきてないのか?」
「父さんなら『しばらく街の様子はお前と一真に任せる』って出たっきり音信不通ですよ。この機に乗じて入り込んでくる魔術師を潰して回るとかって言ってしましよ」
「なんだ、そりゃ? こっちに丸投げかよ。…ったく、中年のおっさんと、修行中のガキ数人でどうにか出来ると思ってんのかねぇ……」
声に呆れを滲ませて、長谷堂は部屋をぐるりを見渡した。
そこには武人を含めて男女5人の――いや今1人は所要で廊下に出ているから実際には6人――の少年達の姿がある。全員がここの生徒であり、西洋魔術研究会に所属している部員達だ。さらに言えば、その全員が魔術の手解きを受けている魔術師見習いとでもいうべき者達なのである。
大体お察しの通り『西洋魔術研究会』とはその名の通り、まだ学生の身である魔術師の卵が集い切磋琢磨する事を目的に設立した同好会なのである。尤も、大々的に活動できるわけもないので、表向きは「西洋文化を知る一環として実在の魔術師や当時の魔術的な文化を調べる」という尤もらしいような逆に胡散臭いような微妙な活動内容を公言しているが。
「なんとかするしかないんでしょうねぇ」
研究会の設立者にして会長を務める武人は、ある種、開き直った心境でそう言い放つ。
「なにも直接戦うまでもなく、儀式を失敗させれば目的は完了できるわけですし。その為の確認も、彼女に頼んであります」
「あぁ例の聖痕持ちか?」
「えぇ、楽観していられる状況ではなさそうなので、必要とあれば状況を説明、理解をしてもらった上でこちらで保護しておこうかと。上手く行けば儀式の条件を有耶無耶にして失敗させられるのでないかと考えてます」
「そう上手く行けばいいがな」
「駄目なら駄目で、リスクは高まりますが積極的に介入するのみですよ。その為に『建雷命』の使用許可は既に父から得ています」
「四大武具の一つをお前さんに預けていったわけか。なるほど、ただ放置したわけじゃなかったわけだ」
「そりゃ当然でしょう。ちなみに残り三振りは父が持っていきました」
「だろうな」
「まあ、どっちにしろ今は彼女の帰りを待ってから今後の方針を決めましょう」
◆
「なんで出ないのよ、バカ兄ぃ!?」
少女は何度も何度も繰り返し電話を掛けつづける。しかし、その相手は一向に出る気配はなく、聞こえて来るのはプルルルルという発信音のみ。少女は不安を募らせ、廊下で独り焦りを滲ませながらそれでもなお電話を掛け続けた。
◆
「聖槍の担い手の確保は成功した。後は、こちらに連れ込むだけだが、その手筈はお前に任せる1号」
「畏まりました」
「3号の調節は終わってるから、あいつも使って確実に確保して来い。いいか。間違っても担い手を殺してくれるなよ?」
「承知しております。お任せください」
「俺は聖架の方を片付けてくるとしよう。1日で戻る。それまでに、事を済ませておけ」
「畏まりました。行ってらっしゃいませ、ご主人様」
◆
丁度、ツヴァイと祐一が事態の核心に迫る話をしているのと同時刻。
犬飼憲剛は不機嫌さを隠す事無く、治療を受けている最中であった。
切り裂かれた――というより引き千切られた脇腹の傷は、すぐさま水属性治癒魔術による処置が施され皮膚組織が辛うじて接着した状態まで回復している。無理に動けば簡単に傷が開いてしまう危険な状態である事に変わりはないが、それでも出血はかなり抑えられており、おそらくこのまま魔術による治療を続けていけば2、3日で完治可能だろう。
「やってくれるぜ」
脇腹に包帯が巻かれて治療が完了するや、憲剛はソファに身を投げ出すように腰を降ろし、両足は面前のテーブルに叩き付けるような勢いで乱暴に伸ばして天井を仰ぐ。
「あのガキ共か?」
憲剛の治療を行った右腕とも言うべき男――本条崇之が言う。
「それもある。聖槍の力をあまく見る気はなかったが、流石は『破壊の権能』と言うだけの事はある。聖骸布の取り出しが間に合ってなきゃ、今頃、この身体は上下に引き千切られて死んでいた」
「確かに大した破壊力だ。増して、あれはただ単に反射的に槍を振るった結果に過ぎないとなれば尚の事な。まったく。適当に放ってあの威力なら、仮に相手を殺すつもりで振るえばどれだけの猛威を揮うことやら」
「違いねぇ。もっとも、それを防ぐこの骸布も大概だがな」
「まぁ、あのガキ共の追跡はとりあえず終えている。今はホテルに居るそうだ」
「ふん。青臭ぇガキがホテルでなにしてやがんだか。まあいい。誰か適当な奴を付けて、あのガキ共を引き続き監視させとけ」
「それは継続させておくが、あのガキ共を追う必要は無くなるかも知れんぞ?」
「どうゆう事だ?」
「グッドナイトが動いている。……と言えば十分じゃないか?」
「グッドナイトだぁ!? それは確かか?」
「今さっき仕入れた情報だ。お前たちが派手にやらかした場所で現場検証中の刑事が何人かまとめてバラされたらしい。何でも全員、目を潰されて殺されてたって話だ」
「眼を…? あぁ~そうか。グッドナイトって言えば相手の目を狙って一撃必殺がお家芸だったか? まぁ事態が事態なら教会が出張ってくるのも頷けるし、その飼い犬たる殺戮人形が派遣されるのも道理……か」
「あくまで可能性だがな」
「アドベント中に教会が割り込んでくるのは過去にも幾度となく前例がある。おそらく、間違いないだろうよ」
「なら、どうする?」
「どうもしねぇよ。あのガキ共……っつうより槍をグッドナイトが狙ってるってんなら、今無理して手を出す事もねぇよ。三つ巴の消耗戦なんざ、やってられるか」
「それもそうだな。当面、監視だけ続けるように指示しておこう」
「それでいい。しっかし、あの女魔術師、やけにあっさり諦めると思いきゃ妙な小細工しやがって」
煙草を一本咥えて火を付けると、フーとうまそうに煙を吐き出してから憲剛は呟く。
「担い手でもねぇのに槍を抱えて、何のつもりだったんだ?」