足利義昭
ふむ、おもてをあげい。直答を許す。いかにも
わしが足利幕府15代将軍足利義昭である。…なに不思議そうな顔をするな。わしは信長に追放されたといえども、いまだに将軍じゃ。それをわかっているからお主は来たのであろう。まあ、まて。お主がきたのだ。いつもはそこにおる一色か、たまに来る毛利のご機嫌伺いの使者かそれくらいしかこん。だからわしに話をさせろ。心配するな。結論は最後に出す。
わしは不遇だった。13代将軍の弟だが、仏門に入らされた。まさに足利幕府などだれの眼中にもなかった。極めつけは兄がころされたのよ。
いかに下克上の世とはいえ、将軍が殺されるなど前代未聞。わしはそのとき決意した。この不可思議なる世の中に足利幕府将軍として正道をもたらすことを。
わしは寺をでた。5代続いている名門の朝倉を頼った。だが、当主義景は雪が降っているとかで
でうごかん。そんなんだから後々滅ぼされるのよ
・・・・愚痴がすぎた。許せ。わしは絶望した。このままでは、越前で老い果てるのかと。
だが、そうはならんかった。わしの家臣の明智光秀が、織田信長にこのことを話したのだよ。
信長はこれに喜び勇んで飛び付いた。まあ、わしは喜んだな。今思えば浅はかだったわ。
信長はすぐに京までの敵を蹴散らして上洛した。わしは念願の足利幕府の将軍となったのじゃ。
じゃが、わしは何一つ何もできない。いや、なにもやらしてくてなかった。おまけに信長の保護下にあるせいで斎藤軍に襲われた。わしは 信長に龍興をすぐに討てと命じたが、信長は龍興程度、ほうっておきましょう。などと言って、応じない。将軍の命に背くなど、家臣ではあるまじき態度。わしは全国の武将どもに信長、誅すべしとした手紙をだした。
信長は愚かなのよ。わしの手紙の効果をみくびり、越前を攻めたのだ。そのあいだ、わが命を受けた浅井が信長を裏切ったのだ。信長死んだと思ったが岐阜まで生きてかえってきおった。わしは地団駄を踏んで悔しがったのよ。
やがて、浅井・朝倉連合軍が信長に襲いかかった。浅井の攻撃により、信長は死ぬ寸前までいったが、またしてもたすかりおった。
だが、ついに本願寺が信長を裏切ったのだ。さらに、わしを殺そうとした龍興の行動により、信長包囲網が完成した。
これで信長を窮地に追い込んだ。やつは朝倉に土下座し、
「天下は朝倉殿がもちたまえ、我に2度とのぞみなし」
などとのたまって和睦した。遠国の朝倉が政治をするなど無理。つまりわしが京において政治をすることになる。足利による政治が復活したんじゃ。
しかし、これは長くは続かなかった。やつは比叡山を燃やすなどして、わしらに敵対しおったい。だが、このとき武田信玄が上洛をしようとし、三方が原で織田・徳川連合軍が大敗した。わしは信玄上洛後も京を占領しようとし、ついに挙兵したのだ。
しかし、信玄は病死し、わしは信長に負けて、追放されたのじゃ。
じゃが、後悔はしておらん。わが反信長の精神は生きておった。証拠に明智光秀が裏切ったのだ。わしの目標のうちのひとつは達成された。もうひとつは征夷大将軍であること。人は目標があるべきなのだ。だから、お主の主君羽柴秀吉に将軍を譲るなど無理な話なのだよ。下がれ。