第十三話『静かに騒げ』
長らくお待たせしました、工人です。
不定期更新とはいえ、多忙と不調が重なった末に二ヶ月近い放置となってしまいました。本当にすみません。
そのお詫びも兼ね……られてないかもしれませんが、少し長めに書いてみました。主人公の唯貴くんがお姉ちゃんといちゃいちゃしてるだけの話です。
では、第十三話です。どうぞ。
『遂に一連の魔法事件の黒幕を突き止めたリアン達だったが、リーダーである夜城唯貴博士が突如として遺書だけを残し、失踪。
突然の異常事態に仲間達が揺れる中、その時リアンは、失踪する直前に唯貴が残した言葉を思い出していた。
「気をつけて、リアン君――恐らく、ボク達の中に“内通者”がいる――」
夜の街。何かに気づき、暗闇の中で一人必死に急ぐ夜城博士の背後に近寄る不気味な影。
翌日、道標を失ったリアンらの前に夜城博士の友人を名乗る“ミューリヒェン”という少女が現れる。彼女の情報提供により、“夜月の教会”の拠点が“レーゲル社本社ビル”であることを突き止めたリアン達であった。
だが、突入作戦を敢行するリアン達の前に立ち塞がる敵達。
ついに、激戦の火蓋が切って落とされた――!!
魔法が文明に組み込まれようとしている激動の時代の中、リアンは歴史に流され自分自身を見失わずにいられるのか? 妄念のごとき亡霊達の野望を打ち砕けるのか?
魔動機(新魔法)vs魔導師(旧魔法)。
近未来魔法科学ファンタジー、ついに開幕!!』
「……みたいなことになってるんだろうなぁ、今頃」
ボクは王都の街外れにある隠し拠点の入口を開けながら、そう独りごちて溜息を吐いたのだった……
第十三話『静かに騒げ』
「うむむむむむ……なんという……ボリューム。流石は『赤の魔女』、これが持つ者と持たざる者の差……という訳ですか……」
「あぁ? 何だ? 誰だお前?」
私は火無月。ぐれーとうるとらせくしーだいなまいつぼでぃ(死語)ことヒナちゃんです。
ちなみにぼでぃの半分以上は優しさでできています……自分への。
ええ、正直に言いましょう。
私の存在意義はステータスです(洗濯板的な意味で)。“つるん、ぺたん”を通り越して“つるん、すとん”。悪いかちくしょー。
そんな私は今、お姉様――こう呼ぶと凄く嫌な顔をする――こと夜城唯貴さんのお家にお邪魔しております。現在は玄関で対応に出てきた赤の魔女に話を切り出している所ですね。
「悪いが取り込み中だ。俺の可愛い可愛い弟が行方不明なんだよ。お陰でてんてこ舞いだ、どうしてくれやがる」
「知りませんよ……」
私の麗しき麗しのお姉様でもありますけれどね。
とすると、この女性はお姉様の中のお姉様であるお姉様オブお姉様ことお姉様のお姉様であることになるのでしょうか……頭がこんがらがってきました。
こんなことばかり考えているからお姉様に“鬱電波”なんて呼ばれてしまうんでしょうか。というかあの人もあの人で個性的な思考回路していると思うんですが。
……ああそうでした、『ROM』で読んだ心の声は敢えて述べないことにしましょう。プライバシーに関わることですし、正直言って他人のとりとめのない思考を連ねると頭がこんがらがってしまいますし。
おっとしまった、これはメタファーが過ぎますね。
まあ、普段基本的には意識して聞かない限りは無視しています。無視出来るような強靭な精神をした人間は稀だそうですが。私の場合は精神構造が壊れているだけだとお姉様にお伝えしたところ、『それはそれで相当稀だ』と言われてしまいました。
さて、会話に意識を戻しましょう。お姉様の居場所、ですか。
「……その弟さんのお友達です。伝言を……頼まれてき――」
「どこだっ!? 唯貴はどこにいるっ!? 知ってるなら教えやがれっ!!」
「え、え、と……」
このブラコン姉め、両肩を揺するのやめろですよ。首が折れるー。
「あーもう、じれったい喋り方しやがって!! オイお前ら、ちょっとこっち来い!」
喋り方は生れつきですよ、多分。赤ちゃんは喋りませんけど。
私のお姉様こと《自殺師》なんかを除いた普通の転生者には、生れつきの口癖や口調が許されますからね。お姉様に限ってはその時その時で肉体からの影響が大きいみたいです。魂から肉体への干渉を、神に頼んで最小限に抑えているからだそうですが。
それよりも正直な話、なぜお姉様はあんな愉快犯的鬼畜外道神に要求を呑ませることができるのかが私には不思議でなりません。
……それにしてもシルヴァニアンさん、失敬な。この口調は貴女の弟さんにも毎度好評ですよ。
『火無月は毎回同じ名前と喋り方だから、誰だかすぐに分かって良いなぁ』……って。いや、素の喋り方なのでそもそも直そうとしても中々直らないんですけれどもね。(この時の私は、実はお姉様にとって最も重要な判別材料が愛用の髪飾りに他ならないことをまだ知りません)
「シルヴァスタさん、どうしたんですか!?」
「シルヴァニアン特尉、何か夜城博士の手掛かりが見つかりましたか?」
「あれー? 火無月ちゃん久しぶりー、八回ぶりかにゃー? そろそろ『百回越え』の八人目になるんだっけ、おめでとー」
はて、玄関口に何やらぞろぞろと。
人が増えた所為でなんだか面倒臭そうな匂いがしますが、《召喚体質》が言うように確かに私も彼女と同じ百回越えの転生者。甘んじて空気を読んで、原作キャラよろしく存分に物語へと乗っかってやりましょうか。
……それはそれとして《召喚体質》、どさくさに紛れて堂々とそういうこと言うのは流石にどうかと思うのですが。
「……初めまして、皆様方。私の名はミューリヒェン……夜城唯貴の個人的な……友人です。以後……お見知りおきを」
「夜城博士の友人……本当なんですか?」
眼鏡の美人……確か、明石さんでしたか。お姉様に登場人物の名前を聞いておいて助かったかもしれません。彼女は訝しげな表情をしています。まぁ、このタイミングでいきなり現れた人物はたしかに不審でしょうが。
「なんなら……姉上様のシルヴァニアンさんに……貴女方しか知らない事を……質問して、確かめてもらっても……構いません」
「俺が唯貴と姉弟だってことを知ってやがんのか……それで既に十分な気もするが……そうだな、『夜城唯貴が好きな食べ物と嫌いな食べ物』を答えろ」
そんなので敵か味方か判別しようというのですか。
……大物なのでしょうね。そう思うことにします。
さて、今回の人生で、ですね。気をつけないと。
「……好きな食べ物はジャンクフード全般、もしくはサンドイッチかホワイトソース系の料理……嫌いな食べ物は豆腐――」
「とう……ふ?」
じゃない、間違えました。
「――王都風青汁ですね…あの黄色いヤツです……
『青汁を名乗りながら黄色いとは何事か。あまつさえ甘い。上白糖より甘い。甘いにも程がある。もはや捨て置けん、成敗致す。咎は追って言い渡す。二度と顔を見せるな。重々承知致せ。だからお願いしますもう頼むから無理矢理飲ませたり食卓に出したりしないでくださいお願いします姉さん事件』といえば……シルヴァニアンさんにもお分かりですか……?」
長い名前ですねー。
おや、どうして昔無理矢理に弟に飲ませたことを知っているのか、って考えてますね。
「あーわかった、分かったよ認める。だからその話は誰にも言うなよ、な? な?」
「はい……では、伝言を述べさせて……いただきます」
伝える内容は一つ。
建物の名前を告げるだけの簡単なお仕事です。
「……西区にある“レーゲル社本社ビルの二十階から上層”。連続通り魔が……公式では捕まったことになった直後、最初の通り魔事件が……再開された場所ですが。『夜月の教会』総本山は現在、そこに在ります」
怪しいものを見るようななんとも言えない顔をされましたが、他に伝える事があろう筈もありません。
とっととおさらばして、お姉様の秘密基地(隠れ家という名称は認めない。ロマン的な意味で)で合流しましょうか。
「あと……『自分の身が可愛いので、ボクはしばらく表舞台から離れます。皆さん頑張って戦って下さい、あでゅー』……だ、そうですよ」
流石はお姉様、なんという外道。この人達は間違いなくキレていいんじゃないでしょうか。
しかしそんな予想に反して、驚いたのは二人だけでした。
すなわち、姉である『赤の魔女』ことシルヴァスタ=S=シルヴァニアンその人。
そしてごく最近、急遽として“軍”の特務課に加わったらしいアンジェ=明石=ミリフィールド少尉でした。……ところで、彼女のアンジェって名前はアンジェリカとかアンジェリーナとかの省略形ではないらしいですね。本当にどうでもいい話。
「なんだよアイツ、勝手にどっか行っちまったのかよ。まぁ、無事ならいいか」
赤の魔女は意外と寛容ですね。しかしこれは逆に異常。普通は怒っていい筈なのですが、どんだけ弟に甘いのでしょうか。むしろ弟が大好き過ぎて妙な信用ができているみたいですね。
対するミリフィールド少尉は普通に困惑しています。
「そんな……しかし、それでは……!?」
すいませんね、お姉様が。ご迷惑をお掛けしまして。お姉様も調査協力は放棄ですかね。
しかしまあ、なんといいましょうか。
随分と“きな臭い”方達のようですね。
「では……失礼します……」
そういって背を向け、玄関のドアを閉じる。
「ちょっと待ちなさい……!」
背後のドアの向こう側から少尉さんの声が聞こえてきたので、それを聞き終わる前に直ぐさま“技能”を発動させます。
「『遮壁』……認識を遮絶です」
すると瞬時に私の周囲を張り付くようにして、無数の六角形が覆い隠します。
いえ、それでは語弊がありますね。当然、六角形の“遮絶の壁”は無色透明なので隠れたことにもなりません。
ですが、このまま遮壁の性質を発揮させるならば話は違います。認識の平面上から私という存在を切り離し、外界から隔離する形で囲えば、それだけで誰からも認識されないステルス隠遁状態に瞬時に移行できるのです。擬似“事象の境界面”とでもいうべきモノを展開して。
他人からの視線や六感による知覚といった探索の目を拒否して“遮断”しているのだ、といえば少し分かりやすいかもしれませんね。
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五識だけではなく、無意識――つまり集合的無意識からさえも切り離された状態になれるのが特長なのですが、滅多な場面でしか役にたたないマイナーな効果なので説明は割愛します。
私の自意識を発端にする能力なのだ、ということだけ分かって頂けば問題はないでしょう。
私のこの能力も、お姉様の『突然変身』や《召喚体質》の『擬似召喚』に匹敵し得る逸脱級能力なのです。
豆知識、終わり。
私が能力を発動した状態で歩き始めた直後に、後方でドアが開き少尉さんが飛び出してきます。
私がドアを閉めてから、ここまでで約三秒。
「待ちなさい、まだ話は……!!」
無論、既に私は姿を隠した後。彼女の視界に映る道理はありません。
「嘘……消えた……?」
ええ、消えましたよ。もっとも、まだこの場には居ますけれど。
……んむ?
「…………あん?」
……ちょっと待ってください。
訝しげな眼をしている『赤の魔女』。
なんでこの人、私の方を見てるんでしょうか――。
試しにヒラヒラと手を振ってみる。
向こうもヒラヒラと手を振っている。
ほうほう、なんという偶ぜ――
「(――退避ーっ!!)」
走る。
走って逃げる。
急いで近くにあった曲がり角に飛び込み、路地裏に逃走しました。
いやいやいやいやいやいや、有り得ませんよそんなの。
なんで?
なぜ?
何?
人?
転生者の技能ならともかく、普通の人間が見破るなんて信じられません。
というか、知覚されることを拒否している状態の私が察知されるなんて有り得るんでしょうか?
色々と規格外過ぎますね……『赤の魔女』、覚えておきましょう。
さて……なぜか追い掛けては来ませんでしたし、このままお姉様に合流してしまいましょう。
この後の“ミューリヒェン”の役回しは、ビルに挑むものの敗走してきたリアンヌ一行を保護して、助言と共に夜城唯貴博士の形見を手渡すぐらいしかありません。
とは言っても、中身は転生者《手首狩り》こと火無月ちゃんにすり替わっているので『原作』通りに進むとは思っていませんが。
それに本来の『原作』通りに進んでいるのなら、夜城博士は既に亡き者となっている予定ですし。
いやはやまったく、難儀な立ち位置ばかり引き当てますね、お姉様は。
見えない姿のまま街中を駆け抜けていき、時たま人にぶつかりそうになるのを軽く回避していた私は、そんなことを考えて。
「――え?」
無惨にも廃墟と化した拠点を前に、唖然として立ち尽くした。
こうなるコトをあらかじめ予見していたかと言えば、違う。
直面した現実に心を動かさなかった……というのも、勿論違う。
ボクは結局、■■■■であって■■■■でない存在だ。
■■■■のように膨大な人生経験と知識で神算鬼謀を張り巡らせる為には、夜城唯貴では“魂”の引き出し方が足りない。
しかし例え■■■■であろうと、突発的な出来事に驚くと素で慌ててしまうのでこれも違うのだ。
だからこれは――ボクの表情が微動だにしていないのは、単にそれだけのことをするような余裕が全くもって無かっただけのことだった。
顔面が引き攣っているのを、玄関の暗がりに隠れて必死に隠す。
隠れ家に使っていた廃屋の中に入った途端、目の前に立っていた人影が振るったワイヤーがボクの首に巻き付いていた。
幾重にも、幾重にも念入りに巻き付いたそれは、ギリギリと音を立てんばかりの力で引き絞られ、今にも首を切断しかねない程に軋みを上げている。
――少しばかり、息が苦しい。
どれほどボクが驚きに弱かろうと、流石に三千回という転生は伊達ではない。突発的出来事への動揺が防げないなら、素早く落ち着きを取り戻す術を学べばいい。
だから、今のボクがいかに混乱を窮めていようと、瞬きする間もなく心は平常に座していた。
あたかも、始めから動揺などなかったかのように。
そのまま即座に現状を把握して、一言。
「いけませんよ、殺しては」
「……ッ」
超然とした態度が相手の心に微かな動揺を生んだ刹那、魔動機『黒天剣』に魔力を流し込んで起動――ボクの全身を一瞬だけ黒い魔力で覆い尽くし、残留魔力による物質劣化の性質を利用して首のワイヤーを脆く引き千切る。
「アナタは……!?」
「ふぅ……どうしたんですか、貴女は。姉が捜していましたよ? とうとうセクハラじみた言動に嫌気がさしちゃいましたか?
ソラウライト巡士――いえ、愛那さん」
特務課所属、ルナテクス=愛那=ソラウライト特装巡士。
今世紀最強にして最高の魔女、『眠れぬ漆黒の赤き魔女』こと『赤の魔女』、シルヴァスタ=S=シルヴァニアンのただ一人の親友にして相棒。
ボクに並ぶ背丈、ショートカットの青髪にこれまた青い眼光を放つ鋭い眦、鉄面皮の顔に眼鏡を掛け、冷たく幻想的なまでの美しさが形作る麗人。無骨な特殊探索兵用の軍服を着た怜悧な女性こそが、ボクの首に死神の鎌を添えていた人物だった。
「どうしてアナタが此処に……? いえ、その、ええと……御免なさい、追っ手と勘違いしてしまいました」
相変わらずの無表情と平淡な口調でそう告げる愛那さん。それで首無し死体を造ってたら世話がない。
が、今の状況を鑑みればそれもまだ納得の範疇だと考えてもいいか。
「気にしていませんよ。お久しぶりです、最後にお会いしたのは……」
「今年の初めですね。唯貴くんはお元気そうで何よりです」
そうは言いつつやはり無表情。ボクは嫌われているのか? その割には「近くまで来た」とかいう理由でよくウチに来ている気がするのだが。それこそ姉以上の頻度で会っているような気がしてならない。
まあ、会う度になんだかんだで姉上様の無茶に対する不満を言い合う二人っきり愚痴大会になってしまうのだが。苦労人同士、慰め合いたいものなのだ。
「どうしてボクの拠点に?」
「いえ、ちょっとこの王都で調べ物をしていたらヘマをやらかしまして。追っ手から逃げていたら偶然丁度良い隠れ家を見つけた次第で。よもや唯貴くんの拠点とは知りませんでしたが」
「成る程……そういうことでしたか。ボクはちょっと“夜月の教会”に喧嘩売っちゃったので予備の隠れ家に避難してきたんですよ。ああ、立ち話もなんですし奥まで入りますか」
取り敢えず、暗い廊下を進んで行く。ボクは起動しっぱなしの黒天剣の探査機能を応用して、愛那さんは索敵用固有魔法の“超感覚”を生かしているので明かりは必要ない。
呆れる程に無駄で贅沢な魔法の濫用だ。
「教会に敵対とは……正気ですか? もう、この国で背中は見せられませんよ?」
廃墟の奥にあるのは古いリビングだ。ボクと愛那さんは軋む木製の椅子の上に座りながらも話し続け、ボクはそろそろ椅子の新調を検討するべきか否か少し悩んでいた。
「そういう愛那さんこそ、同じようなことをしてるじゃありませんか」
そう言うと、返事は返ってこなかった。どうやら図星だったらしい。
「そういえばさっき言いましたが、この王都まで姉が探しにきてましたよ?」
「……やはりですか。ですが、シルヴァにはまだ見つかる訳にはいかないので内密にお願いします……私には、まだやるべきことがある」
その雰囲気はどこか懇願じみていて、ボクは頷かされていた。
少しばかり気圧されて、大きく意識が緩んでいた。
だから一つ、過ちを冒す。
「失礼、少し待っていてください」
愛那さんはそう言っておもむろに手を上着のポケットに入れる。
「……? ええ、分かりました」
そう、ボクはそれを止めるべきだった。こんな大事なコトを忘れていての失態とは、うっかりなんてモノでは済まないのだから。
そこで愛那さんは、魔力通信機(MKP)の電源を――
「……っ!? 待っ――」
――電源を、入れた。
それは致命傷だ。
ボクが作り、ボクが拡げ、ボクが運営管理するMKP回線は――
「愛那さん、逃げてください!」
――MKP回線は、姉さんの監視下にある――!
刹那。
逆巻く風と閃光が頭上僅か数十センチを通過して。
家の一階天井とそこから上の全てが――灰すら残さず消し飛んだ。
無音。
いや、耳がおかしくなっている。
無明。
徐々に、光が戻ってくる。
やがて甲高い耳鳴りが響くようになると、ようやく外の音が耳に届く。
瓦礫と砂を踏み締める音が。
『赤の魔女』がやって来る音が。
大気と重力すら戦かせている――。
「――見ぃつけた」
ゾクリ、という寒気が走る。
その戦慄は、場を支配した。
「……ボクが、」
三千という回数。
その数十倍に値する年月。
それだけの人生を歩み、この世の地の底を這いずり回ってきた筈の転生者の頂点をも竦ませるというのか。
この、『赤の魔女』は。
愛用するジーンズとまるで似合わない黒ワンピースが風に揺らめき、口にくわえた煙草を燻らせている。
不適な笑顔は、いつも通りそこにあった。
ボクはそれを見て、
「……ボクが、時間を稼ぎます。行ってください、愛那さん」
そんな言を、口にしていた。
「しかし、それは……!」
無表情……に見えて、心配が微かに浮かんでいる。そこまで嫌われてはいないようで、少しだけ安心した。
「大丈夫です。姉さんも、なんだかんだ言って愛那さんを心配してるだけでしょうから。
でも姉に捕まったら無理矢理連れ戻されることになる。そして貴女には、まだやっておきたいことがある――」
その言葉に、確かに彼女は頷いた。
「なら、何も問題はありません。
――少し、姉と戯れていますので……今の内に。
さあ、早くっ!」
本当なら、こんなのは“下の下”とも言うべき行動の選択だ。
平穏を求める■■■■としては、決してやってはならなかった。リスクの回避こそが、最優先されるべきだからだ。
『原作』を知らないボクにとっては、ここで“ルナテクス=愛那=ソラウライト”がこの『物語』において何を成そうとしているのか、それに対してどうするべきかを把握できていない。
……だからこれは、ボク自身の意思による選択だ。
単に、登場人物の“ルナテクス=愛那=ソラウライト”ではなく、一人の友人である“愛那さん”を手助けするだけ。
それならば、例え間違いがあっても後悔だけはない筈だから。
「愛那さん! 『二と三が結託。四は無知、一は不在。他は趨勢を傍観。主は再び地に戻る』……です!」
「……っ! 分かりました、この御礼は必ず……!」
そう悔しげに言い残して、彼女は駆けて行った。
愛那さん、それだと負け惜しみみたいな台詞に勘違いされちゃうかもしれませんよ。
…………さて。
「……追わないんですね」
今まで無言と無動作を貫いていた姉に向かって、何となくそう尋ねる。
「そいつはベタな言葉だな。漫画かなんかで聞き飽きた――ぜッ!!」
彼女は言葉の勢いのままにこちらに踏み込む。
足は一歩。
速度は神速。
移動の距離は数メートル。
正真正銘ボクの目前で、ニヤリと笑って姉は呟く。
「そもそも、答えるまでもない質問じゃねーのか、それは」
繰り出される拳。
「……ですね」
経験則による見切り。
それがボクの回避技術の全てだ。
本来は『突然変身』と併用して、身体の形をグニャグニャと変えてスライムのように回避することすらできる。
が、この程度の戦闘には必要ない。あの回避術は見た目が気持ち悪いから余り使いたくないのだ。
というより、他人に見られた場合その後平穏な人生を送れる筈もない。
経験から導き出された結論は、待機。
……待機?
経験則は告げる。
これは攻撃の軌道ではなく、すなわち――
「ぎゅー。唯貴分補充開始」
――飛び掛かるようにして、姉さんはボクに抱き着いてきたのだった。
……え、戦わないの?
「やっと唯貴に会えたっ。お姉ちゃん今まで寂し過ぎたからはしゃいじゃうぜオイ!」
「良い歳した女性がはしゃがないでよ……」
言いながら少しもがく。両腕を首の後ろに回され抱きすくめられているので、首がかなり苦しい。
「ていうか、ホントに愛那さん追い掛けなくて良いんですか、姉さん?」
「アイツがなんかやろうとしてんのは知ってたからな。それが終わるまで待っててやることにしてたんだよ。
それまでの時間潰しが暇だったからこそ、唯貴くんとこに遊びに行ってたんだ。だから、俺は単にお前を探しに来ただけだぜ」
………………なんだか、拍子抜けした。
「ボクの隠れ家消し飛ばしたのは?」
「ノリで」
「まじっすか」
「マジだよ」
思い出した。そもそも、あの有能すぎる愛那さんが愚痴を言うような目茶苦茶な人物だ。
昔から、この人はこんな感じだった。
少年時代の悪夢、あの『黄色い青汁事件』や『ニワトリ失踪事件』が頭をよぎる。
そうだった……記憶から消えていた――というか、多分あえて消していた――のだけれど、ボクはニワトリを知っていたらしい。
くそぅ、過去を紐解けばここでもニワトリか。
よもやあの人喰いウツボカヅラと縁がある訳じゃないだろうな……考えたくない。
未だ首元に抱き着いたままの姉が、キツイ目つきの普段からは考えられない緩んだ顔で一言。
「はぁはぁ……唯貴くん萌えー」
なに言ってんだこの人。
「姉さんキャラ崩れすぎ。だらしない」
「ハッ、なに言ってやがんだ。俺はいつも通り、ハードボイルドな大人の女だぜ」
と、我に返ったのか凛々しい声に戻ってはいるが……
「口調だけ元に戻られてもなぁ」
まずは一旦離れてほしい。
「やだよ。唯貴が周りの眼を気にするだろうと思って、ずっと抱き着きたいの我慢してたんだ。だから抱き着かせろ。抱き着かせるべきだ。むしろ抱き着いてきてくれよ」
「遠慮します」
「照れんなよ、男の子。スタイルの良い女は嫌いか? このこの、うりうり」
分かってんならからかわないでほしいんだよなぁ……。
確かにボクより身長高いし。似合わない所為か、みょうちくりんファッションに見えるけど。
あと押しつけるな。
「……最強の魔女になったのも、ソラの奴と一緒に軍なんかで働いてんのも実は全部、小さい時に『唯貴を守る』って誓ったからなんだぜ? 少しくらい許してくんねーかな」
……それは、知らなかったな。
「姉さんはズルいよ。そんなこと言われたら、何も言えないじゃないか……」
「嫌いか?」
「ううん、好き」
うれしいこと言ってくれるじゃねーか、なんて茶化すようにしてボクの頭をぐりぐりと撫で、姉さんはゆっくりと離れてくれた。
よかった、実は緊張とかで内心ただ事じゃなかった。
精神は肉体に引き擦られ云々、男子高校生の精神になって云々。
そろそろ聞き飽きてきたと思うので省略しよう。
やれやれ、こんな所でボク達は一体何をやってるんだろうか。
「充電完了。いやー、抱き着いて補充ってホントにあるんだな。知らなかったぜ」
「……落ち着いたようで何よりです、姉さん」
――姉さんは、ボクの敷設した魔力通信(MKP)回線がどういう原理で動いているのかを知っている。
その仕組みを語るには、この《セイクリア》という世界、星の構造を説明する必要がある。
この惑星の遥か上空数千キロ辺りには、この星の意思や生命力とでも言うべき魔力が、小惑星帯のように河を成して流れ続けている。
更には固有特色に染められた有毒な個人の魔力も、魔力素の上空に浮いていく性質によってそこに加わり、混じって流れを形成している。
この魔力素帯のことを高層素帯、もしくは星の息吹と呼ぶ。まあ、呼ぶというより、ボクが名付けたことになっているのだが。
この世界で人類が上空に進出しないでいるのも、この有毒な高層素帯が最大の要因になっている。この大地に暮らす人々にとって、あの大空は無限の空間ではなく、ただの低い天井なのだろう。
それはさておき、ボクはこの魔力の河を衛星中継のように利用して通信端末を作ることに成功した。
遠距離無線通信用高層素帯回折式個人用魔動機――すなわち魔力通信機(MKP)である。
そして、これはボクが数年前から仕込んでいた切り札の一枚だ。
確かに、通信することがこの魔動機の機能であるのは間違いない。
だが、それには他にも利用価値があった。
この魔動機はその機構上、常に座標を高層素帯に打ち上げていることになる。
それは即ち、発信機として使えるということだ。しかもその魔力は、使用者の固有特色に染まった状態で発信される。
これを黒天剣の魔力を視認する機能と併用すれば――この地上で、どこに誰がいるのかを、完全に把握できる。
軍での正式採用も為されており、ボクには兵士の動きから布陣までを手の平の上にあるかのごとく俯瞰できるのだ。
『夜月の教会』の本拠地を特定したのもこれだ。
しかもボクや姉の扱う転移術式の座標も、これを基点として定めている。
実は、転移先にはMKPをこっそりと設置してあるのだ。研究室しかり学校屋上の貯水タンクの陰しかり裏庭の用具箱の中しかり。
ここまで述べれば、通信、俯瞰、転移と重要な役割を三つ兼ねているのが分かるだろう。
これが第一の切り札。
どうだ、参ったか。三千回は伊達じゃない。なんちゃって。
はぁ……なのに、まさか魔力を視認できる人間がいるなんてなぁ……
“魔力の流れが見える”タイプの赤い魔瞳。
他ならぬ姉こそが、予想だにしえなかったジョーカーだったのだから、やるせない
他の世界で例えるなら、携帯電話の電波が肉眼で見えるようなものだ。予想できなかったボクに非はない……のだが、だからこそそのイレギュラーがやるせなくさせる。
いや、だからといって姉さんが悪い訳でもないんだけど。
……そんなことを考えていると、聞き覚えの有りすぎる電波な声が聞こえてきた。妙に、呆然とした調子で。
「お姉様と……お姉様のお姉様が……いちゃついてる……………………やっぱり脂肪か」
火無月だった。
「おお、さっきぶりじゃねーか。ミューリヒェンだっけ?」
姉である。
「あー……言い訳していい?」
ボクでないことを願いたい。
その後、色々と議会は紛糾し、取り敢えず三人で次の行動を起こすことで落ち着いた。
……無論、ボクの発言などなに一つ通りはしなかったのだった。
はい、ということで第十三話『静かに騒げ』でした。
以前も言いましたが、第一章はナンセンスな言葉や矛盾をタイトルにしています。
……の割には、ストック分のタイトルまで含めると意外と現実でも耳にする言葉が多かったりして。
そろそろ物語は伏線の回収を始めました。あんまり期待せずに見守っていてください。頑張ります。
今話の最後の方で語られたブラコンの理由ですが、まずは唯貴くんの過去にあった“非現実的な悲劇”の方を本編で書いて伏線回収してから番外話にだそうかなと考えています。考えているだけなのでやるかどうかも需要すらも分かりませんが。
ではでは、また次回。しーゆーあげいーん。