真面目な皇帝陛下を、私よりワンコにしてしまいました。
「獣と結婚などあり得ん!」
婚約者である王太子殿下の声が、大広間に高々とこだました。
ドレス姿の私を指さした彼は、お顔を真っ赤にしておられる。
だが、罵られて黙ったままではいられなかった。
「お言葉ですが、殿下。私は神狼の血を引く人間でございます。ただの狼ではありません」
「神」がついているか否かで、話はまったく違ってくる。
至急、訂正していただきたい。
「口答えするな! 獣の分際で私をたばかった挙句、意見するとはこざかしい!」
興奮のあまり、王太子殿下の口から唾が飛び散る。
王族の風格など、そこには微塵も見られない。
「汚らわしい魔狼め! 早々に王都から立ち去れ!」
「そ、そんな! それでは、晴れの日が来なくなってしまいますよ!?」
神狼である私が吠えることで、ここ、ラウル王国の空を覆う雲は吹き飛ぶ。
だが、遠吠えが届く範囲には限りがある。私が国を離れれば、この国にお日さまの
光は届かなくなってしまう!
「また世迷言か! 貴様が遠吠えして、雲を払っているだと?」
「さようでございます」
「は、くだらん。だいたいなんだ、その金色の目は! まったく、おぞましい!」
きゃんきゃんと騒ぎ立てられ、それ以上はまともに話を聞いてもらえなかった。
彼の言う通り、私の目は黄金だ。それが、神狼たる唯一の証だった。けれど他に、私が神狼であると証明する術はない。信じろ、という方が、土台無理な話だろう。
牙をぎしぎしと噛みしめたまま、私は諦めるほかなかった。
そうして翌日、殿下の糾弾はそのまま王命となり、私はラウル王国から追い出された。
「穢れた魔獣め!」
「二度と来るんじゃない!」
非難の声と共に、石の数々が降りかかる。
王国民の皆さんの温かいお見送りのおかげで、身も心もボロボロだった。
神狼として、毎朝遠吠えしてきただけなのに。
これから先、どこに向かえばいいのだろう?
野良犬になって生きていくしかないのだろうか。
(……いや、そうよ! もうお役目とかどうでもいいわ!)
こうして自由になれたのだ。
気の向くまま、大自然の中で生きていけばいいではないか!
私の中で野生の本能が覚醒した。
*
傷んだドレスを引きずり、平原を歩いていた。
車輪の音が前から聞こえてきた。豪華な馬車だ。
馬車は止まり、何人かの足音がこちらに近づいてくる。鎧の音がするから、おそらく騎士たちだ。
「おい、どうしたのだ!?」
男性の声が聞こえた。やや高めの、若々しい声だ。さっき森ですれ違った子犬みたい。ぼーっとした頭では、もはやそんなことしか考えられなかった。
「あ、う……」
口を開こうとするが、言葉にはならない。
空腹のせいか視界もぼんやりしてきた。
「……黄金色の瞳……あなた様はまさか!
おい、早くこの方を手当てするぞ!
城へお連れするのだ!」
意識を失う寸前、切迫した叫びが、耳にこだまする。
私を助けてくれるようだ。なんて慈愛に満ちた人なのだろう。
野生の道に進む直前、私は親切な人に拾われた。
でも、この時の私はまだ知らなかった。
それが、隣の帝国の若き皇帝陛下――レオンハルト様だったなんて!
*
フォーリア帝国を統べるレオンハルト皇帝陛下は、民からの人望が厚い善き君主だ。帝国の平和と暮らしを維持させるため、戦でも政治でも外交でも手抜かりひとつない。そのため、賢帝としてその名が広まっていた。
しかし。
「ああ、なんと気高く美しい毛並みでしょう……」
うっとりとした声が私の耳をくすぐる。
神狼姿となった私は、陛下のおひざに座り、頭を撫でられていた。
「……恐縮です」
公の場では決して見せない、今にも溶けてしまいそうなお顔を見て、私はふいに目をそらす。なんだか見てはいけないものを見たような気がして。
拾われたあの後、私は帝国の王城内にて、手厚くもてなされた。お屋敷ひとつ分に相当するほどの自室、さらには専属のお世話係が10人と、身がすくむほどの好待遇である。
なぜ、これほどの歓待を受けたのか。
帝国に神狼がおらず、長らく雲が晴れなかったからだ。日中、分厚い黒雲が空を覆うせいで、帝国民の皆さんは、いつも暗い表情をしていたらしい。作物も育ちにくく、深刻な飢饉にも見舞われていた。
そのことに心を痛めた陛下は、雲を晴らす神狼をずっと探しておられたそうだ。
でも、神狼の血を引く私が来たおかげで、帝国にはお日さまの光が差すようになった。かれこれ1年がたった今では、「神狼の血を引くご令嬢が、日の光をもたらす」というのは帝国の常識にまでなった。本人としては照れくさいったらない。
「ルーヴェリア様の毛は、本当にふさふさで御座いますね。触れているだけで天にも昇る心持ちです。ありがたや、ありがたや」
陛下は、たいそうな動物好きらしい。私を撫でる時間が日々のお仕事の癒しとなっているそうだ。それで心が安らぐのなら、何よりだけれど。
でも、体も心もくすぐったい。
私を敬愛しすぎて、国旗も私の顔に変えられたほどだ。
おかげで恥ずかしすぎて直視できない。
*
一方、その頃。ラウル王国では。
「なぜだ! なぜこうなった!?」
暗闇の森の中、王太子はぜいぜいと息をきらして走っていた。
真っ黒な曇り空から、ざあざあと雨が降る。
「うおあっ」
石に躓いた王太子は、ぬかるみに大の字に華麗にダイブ。
その拍子に、体中が泥まみれに。
「殿下!」
護衛の騎士たちが駆けつけ、急いで王太子を立ち上がらせる。
だが、よだれを垂らした魔狼たちに取り囲まれてしまう。彼らは牙をむき出しにしながら、王太子に目を向けていた。
「がるるる……!」
「ひぃぃ、い、おい、私を守れ! あいつらを皆、斬り殺せ!」
王太子の命令に従うようにして、10人ほどの護衛の騎士たちが剣を構える。しかし、凶暴な魔狼たちの猛攻を抑えきれない。
「くっ、呪いだ……あの女の忌々しい呪いに違いな――わぁ、おい後ろにもいるぞ!」
ルーヴェリアのいなくなったラウル王国には、もう日の光は届かない。そのせいで、帝国の森に住んでいた魔物たちが、日光を嫌い、王国へと一斉にお引越してしまったのだ。日中、薄暗くなった王国は、魔物たちの新しい住処に最適だったらしい。
その結果、王国内は人の住める地ではなくなった。
*
慈悲深いレオンハルト様が討伐軍を派遣したおかげで、王国民の犠牲は最小限で済んだ。
その後、あの国にいた人たちの多くは、帝国に移住した。彼らも、今や私のことを「神狼」と慕ってやまない。会うたびに頭を深々と下げられる。
どうにも調子がくるう。毎朝吠えるなんて、私にとっては当たり前のことなのに。
王太子様は、「かつて王国からルーヴェリア様を追放した不敬者」として日々、厳しい批判にさらされているらしい。
聞くところによると、近頃、住処を失ったそうだ。以後は、帝国領の森で小枝をかき集めて火をおこす原始的な暮らしされているらしい。発情期の犬のように騒がしい人だったから、もともと野生の生き方が性に合っていたのかもしれない。
かつて同じような状況だった私としては、尊敬の念しかない。
絶対に真似したくはないが。
*
「ワオーン」
今日も私の声が、帝国中に響きわたる。
その声に呼び寄せられるようにして朝日が国中を照らす。
「素晴らしい吠えっぷりです。ルーヴェリア様! これで、我が国の民たちの心も燃え上がるに違いありません!」
……燃え上がってしまっては困るのだけれど。
というか、一番燃え上がっているのは、陛下だと思うのだけれど。
それはともかく。
「陛下……その、私が吠える際にはひとりにしてくださいませんか?」
そばにいられると何ともやりづらい。
「……私がお傍にいてはお嫌ですか?」
陛下は視線を下にする。
失礼を恐れずに言うのであれば、たれ耳を下げた犬のようだった。
「いえ、滅相もございません。ただ……その、恥ずかしいのです……」
私にだって当然、羞恥心というものはある。
どうか、年頃の乙女であることを忘れないでいただきたい。
「はっ、これは大変失礼いたしました。
私としたことが、気遣いが足りず!」
陛下はがばっとその場で跪き、頭を垂れる。
やはり、忠犬みたいだ。こんなところを他の方々に見られてしまったら、陛下の名誉にかかわる。命の恩人の名に傷がつくのは、是が非でも避けたい。
このことは墓場まで持っていかねば。
「陛下、どうか頭をお上げください! 私はまったくもって陛下を非難するつもりは……!」
「いえ、私の配慮不足で……あ、そうです! よいことを思いつきました!」
妙案とばかりに顏を上げ、陛下は手を打つ。
その顔は、今しがた私が昇らせたお日様のように、さんさんと輝いている。
「どうしました?」
「私めも一緒に吠えましょう」
「へ?」
耳を疑った。幻聴かと思った。
できれば、そうであってほしかった。
「ルーヴェリア様にだけ恥ずかしい思いなどさせません。
私も一緒に吠えさせていただきます!」
「え、ちょ、ちょっと待ってください、陛下?? それはいったい、どういう――」
「わおーーーーーん!」
皇帝陛下の遠吠えが帝国中を木霊する。
わぁ、皇帝陛下の威厳が、跡形もなく燃え尽きてしまった。
もはや言葉も出ない。
「さあ、ルーヴェリア様も一緒に。わおーん!」
後日、「レオンハルト皇帝陛下も神狼になってしまった!」という噂が、帝国民の間でもちきりとなった。
以後、フォーリア帝国は、別名ワンコ帝国と呼ばれている。




