秋化石
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うう、寒いねえ~、この年始ごろから春にかけては、ほんと毎年寒さに慣れないもんだ。さっさと外出の用を終えて帰りたくなるなあ。
こーちゃんは風邪とかひいてないかい? どうもいとこの話だと学級閉鎖が相次いでいるようで。インフルとかもA型のために閉鎖して、ようやく復帰したと思ったらB型のために閉鎖する……なんて嫌がらせみたいなことも起こっているとか。
なぜこうもインフルエンザが流行るのか。それは増殖スピードの速さに加え、次々と変異を繰り返す、その特性にあるのだという。いったん免疫が作られても、違う型に攻められてはあっという間に陥落してしまい、再びり患……なんてことになる。
これも商売の流行で大切なことだな。スピードと変化のバリエーション。飽きという名の免疫ができあがる前に、常に新しい可能性を提供し続ける。コストが有限でさえなければとことん追求してやるところなんだけどね。
それらの影響を受けなくしようと思ったら根っこから対処しなくてはならない。その対策の話、聞いてみないか?
秋化石というもの、こーちゃんは知っているかい?
化石の名を冠するように、地層の中から見つかる過去の痕跡のひとつなのだけど、こいつは「秋」を閉じ込めたものだとされている。
秋、と聞いたら、こーちゃんは何を思い浮かべる? 紅葉であったり、食欲であったり、芸術であったり……目も心も楽しませるにふさわしい時期じゃあなかろうか。
しかし、秋化石の秋はそのように張り切れる要素は含まれていない。活力あるものが寒さで縮こまり、場合によっては死に絶えてしまう。その厳しい冬へ向けた、最後のあがきともいうべき命のかたまり、といったところかな。
寒い冬を迎える前に、こいつを見つけておくことがわたしの地元ではひとつのおまじないになっていたんだ。
わたしが秋化石を探しに乗り出すのは、11月のなかばあたりだった。
秋化石は地元の地面からなら、どこからでも出てくる可能性を帯びているけれど、わたしは学区内にある公園の築山よりとっていた。
築山。知っていると思うが、遊具などとして公園で盛られている土の山のことだ。最近では公園の数が減り、あったとしても遊具のたぐいは多くが姿を消している。実際に残っているところはどれほどあるかな。
その築山の足元部分、土の固まっているところへわたしはいつもシャベルの刃を軽く突き立てて秋化石を探っていた。
――秋化石は、どのような形をしているか?
それはパターンがいくつかある。
おそらく、こーちゃんが想像しているような紅葉を思わせる葉っぱのものであったり、何者かの身体の一部や排泄物だったりするかもしれない。
実際、それらで見つかることもあるが、私が特に気にしているのは「あぶく」だ。
湯の中で立ちのぼってくるような、小さい泡たちを石の中へ閉じ込めているかのごとき姿。君も目の当たりにしたなら、そう感じるだろう。
こいつは空気にさらされると、あっという間に蒸発をはじめる。いや、蒸発とわたしが勝手に呼んでいるだけで、本当は別の現象なのかもしれない。しかし、掘り出された先から白い湯気らしきものを出し、みるみる小さくなっていく流れを見てしまっては、蒸発だと思わないかい?
わたしはこのあぶくの秋化石を見つけたときのために、虫かごを持ち歩いている。この中へ入れてフタをきっちり閉めると、消えていくのをある程度は遅らせることができた。
こいつを自分の部屋へ持っていき、かごのフタを開いてやるとちょっと面白い光景が見られる。
室内のように閉じられた空間の中だと、この蒸発する秋化石の放つ湯気がどんどん溜まっていく。室内へ霧のように立ち込めたそれらは、向こうを透かして見ることができる程度の薄いものだ。
その状態になると、やがて周囲でパチンパチンと音が立ち始める。まるで柏手を打つかのようでね、眼を凝らすと靄の中で黒い斑点がところどころに現れ、はじけていくのが見て取れるだろう。
それらのはっきりとした正体は分からないが、親から聞くと年末年始で自分に待つ「憂い」の数々といわれている。手を変え、品を変えて自分に迫ろうとする、大小のわざわいの根っこ……とでも表現しようか。
こうして秋化石を解き放てたときは、年末年始を大過なくすごすことができる。でも化石が見つからない。あるいは満足に憂いを弾けさせることができなければ、確実に影響は出る。インフルへのり患もそのひとつだ。
頑張ってもこれに対処できないときが来たら、自分の終わりが近づいている証だという。




