最終話 vs.ふたたび世界
目的を果たしハウスメイドの職を一晩で辞した私は、「このまま屋敷に残って何不自由なく暮らさないか」というバンガス子爵の気遣いを丁重に断った。自分の帰る場所はヒエメ村だけだからという私の強い思いを、優しい子爵は驚きながらもこころよく理解してくれたのだ。
……断ったもうひとつの理由。我が栄光のグリゴール家の系譜にふさわしく、超がつくかんしゃく持ちの叔母様と手の付けられない道楽者だというその娘(私のいとこ)。彼女らふたりと私。追放された極悪令嬢の成れの果てであるこの私。が、ひとつ屋根の下で仲良くやっていけるはずもないからだ。
血で血を洗う地獄のキャットファイトが勃発する前に私の方から身を引かせていただきますーーそんな身もふたもない答えは自分の胸の奥深くだけにしまって、私は晴れ晴れしい気持ちで馬車に揺られ、大好きなヒエメ村に帰って来たのだった。
私の告発を受けてからのバンガス子爵の仕事は早かった。ヒエメ村の人々を下に見て長年好き放題に牛耳っていた悪徳役人はあっという間に更迭されて、代わりにやってきた役人は子爵を尊敬しているという有望そうでしっかりした若者だった。当然ヒエメ村に課せられていた法外な重税は即刻正され、今まで取られすぎていた分の税金も調査が終わりしだい全て戻ってくるという。わざわざ村を訪ねてきた新しい役人にそのことを告げられて前任者の非道を詫びられた村長のシュベルトさんは、驚きながらも「これからよろしゅうお願いします」と言って固い握手を交わしていた。
こうして税金問題もきれいに片付き、村の発展の起爆剤となったヒエメイモチップスの売上も相変わらず好調だ。村のバックに領主のバンガス子爵がついたことでさらなる信用を得ることもできて、私は日々西に東に奔走して貪欲にチップスを売り込んでいった。
やがてチップス産業に従事するために若い世代が村に移り住んでくるようになり、人が出ていく一方だったヒエメ村は人口が増えてかつてない活気が生まれている。村に今まで存在しなかった病院や乗合馬車の乗り場もでき、来年には念願の学校も建設される予定だ。
そして、待望のあの日がついにやってきた。
◆
「まだかなまだかなー」
胸の下まで伸びたおさげ髪に赤いリボンを結んだリリーが、今日は朝からずっとそわそわしている。家の中を意味もなく歩き回り、何度も外に出ては道をきょろきょろと見回していて落ち着きがない。リリーだけではなかった。妹のルルーも弟のレレ君とロロ君も、そしてシュベルトさんもナナさんもネネさんも。もう一週間以上前から家族全員が心待ちにしていた日がついにやってきたのだ。
「ミリアちゃんは初めてやったよね。うちの父ちゃと兄ちゃに会うのは」
はしゃぎすぎて乱れてしまったリリーの髪を編み直しながら、自分もうきうきした声でネネさんが言った。何年も一緒に暮らせなかった旦那さんと長男がついに今日帰ってくる。そしてどこへも行かずにこの村でずっと一緒に暮らすことができる。ヒエメ村は名実ともに豊かになり、家族が当たり前に共に生きていけるようになったのだ。
「ええ。ふたりにご挨拶をしなくてはね」
そう言って、温かいハーブ茶を飲みながら私は笑顔でうなずいた。リリーの父と兄だけではない。貧しさゆえに出稼ぎに出ていた人々が続々と村に戻ってきていて、今日は誰それが帰って来た、明日は誰それが帰って来る、という喜びの報告で村は満ちあふれている。
母は早くに亡くなって父は投獄中。家族に恵まれたとはいえない私にとって、今の村の空気はことさらに温かく尊いものに思えた。そして自分がその成功の一端を確かに担えていることを心から誇らしいと感じる。
(私、この村にかけがえのないものをたくさんいただきましたわねーー)
父ちゃと兄ちゃが帰ってきたらあれをしたいこれを見せたい、と楽しそうに語り合うネネさんとリリー。そんなふたりを手の中のお茶と同じくらい温かな気持ちで見つめていた私に、戸口を開けて外から戻って来たシュベルトさんが声をかけてきた。
「ミリアちゃん。いまええかな?」
「あ、ええ。もちろん」
うなずいた私の、テーブルをはさんで正面の椅子にシュベルトさんが腰かけた。いつもの柔和な笑顔は変わらないが、その表情になにやら深刻な色を感じて私は少々身構える。
「どうかしたの? まさかチップスの生産でなにか」
「いやいや、違うき」
うっかり戦闘モードに入ろうとする私に、シュベルトさんは首を横に振った。それから軽く身を乗り出すようにして言う。
「ミリアちゃんに相談があっての」
「私に?」
心当たりなく首をかしげていると、シュベルトさんはうなずいた。
「ワシももうええ年じゃけ、そろそろ村長の職を引退しようと思っちょるんよ」
「えっ」
急な話に思わず声を上げてしまった。けれど確かにシュベルトさんも御年70歳。いくら頑健に見えても、畑仕事にチップス生産の指揮にと忙しくしている中で村長としての役割まで担い続けるのはやはり厳しいのかもしれない。
「そうなの……。今でも大変ですものね。新参者の私が言うのもおかしいけれど、今までありがとう」
「ミリアちゃんが新参者だなんちゃ、思っちょる人この村にゃだーれもおらんけどねえ」
私の言葉にすかさずネネさんが言い、リリーも「そげなこと言いよるのミリアちゃんだけやあ」と言って笑った。
「それで、相談ちゅうのはな」
仲睦まじい娘と孫の姿に目を細めながら、シュベルトさんは言った。
「次の村長は、ミリアちゃんになってもらいたいんじゃ」
「……へ?」
思ってもみない申し出だった。驚きに目をまたたかせる私に、シュベルトさんは深くうなずいてみせる。
「もともとうちの村の村長決めは選挙やのうて前任の指名制やけど、これはワシひとりの考えとちゃうんよ。村のみんなも、ワシが辞めるなら次の村長はミリアちゃんを置いてほかにおらんと言うちょる。先生で、ヒエメイモチップスの先導役で、村の恩人や。老いも若きもみーんなミリアちゃんを慕っとる。これ以上の適任がおるかや」
「ええー! ミリアちゃん村長さんなるん!? すごーい!」
ネネさんの膝から立ち上がったリリーが、はしゃいだ声を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねた。最初に会った日からずいぶん伸びたおさげ髪が胸の前で踊っている。
「ちょ、ちょっと待って。私は、そんな」
「ゆっくり考えてくれてええよ。でも人望は間違いなく村で一番じゃけ、ほかに対抗馬もおらんきね」
あわてる私に、シュベルトさんは優しく言った。混乱する頭で私は必死に考える。
生まれてからずっと、私は『グリゴール伯爵家の娘』だった。
そしてほかの多くの貴族令嬢と同じく『王太子の妻』になることを夢見ていた。
もしその夢が叶っていたなら、ゆくゆくは『国王の妻』となり『王太子の母』として生きていただろう。
娘で妻で母。もちろんそれも立派で素晴らしい人生だ。だけど今の私自身を、肩書など関係なくありのままに求めてくれる人たちがいるのなら。
(私はーー)
口を開きかけたとき、家の前に馬車が止まる音がした。車輪の音と重々しい馬のうなり声。リリーがハッと顔を上げて外を見る。
「父ちゃと兄ちゃ!?」
「着いた……!?」
声を上げて立ち上がり、リリーとネネさんが戸口に走った。奥にいたナナさんと子どもたちも続いていく。いったん答えを保留した私も、シュベルトさんの背中を見ながら一番最後にそっとついて行った。戸口を引き開けて前庭に走り出すシュベルトさん一家の後ろから顔を出した私が見たのは……まさかの人物だった。
「ミリア、久しぶりだ。待たせたね」
「……王太子、殿下……!?」
◆
今日は驚きが爆撃のように連続で起こるとんでもない日だった。筋骨隆々の黒毛の馬がつながれた絢爛豪華な仕様の馬車が、ほこりっぽい田舎道にまるで場違いな様子で止められている。そこから護衛に付き添われて降り立ってきたのは、およそ一年前にあの舞踏会会場で別れて以来となるこの国の王太子殿下その人だったのだ。
「で、殿下……どうして……」
あまりのことに言葉を失う私に、王太子殿下は以前と変わらないきらびやかな笑顔で口を開いた。
「どうしてって、きみを迎えに来たんだよ」
「私を? 迎えに?」
あの悪夢のような断罪舞踏会のあと、殿下と私の婚約は当然破棄されたはず。少なくとも私は当たり前にそう思っていた。立ち尽くす私に殿下は自信満々に口を開く。
「バンガス子爵を通じて、きみがこの村にいると聞いたんだ。子爵は何気なく言っただけだろうが、僕にとってはとてつもない朗報だった。あらためて言うよ。ミリア、僕と結婚して王太子妃になってくれるね?」
「殿下……だって私は、私の父は……爵位だってもう……」
混乱のあまりしどろもどろになった。私にはもう伯爵家の地位はない。父は犯罪者で家の再興の望みもすっかり絶たれているはずで。
「爵位などなんとでもなるさ。ああ、バンガス子爵の養女になるのもいいな。それがいいそうしよう。とにかく、きみのような美しくたおやかな女性にこんなほこりまみれの寒村暮らしはふさわしくない。間違っている」
「間違……」
「そうだ。かわいそうに、こんなに日に焼けてしまって。僕が来たからにはもう安心だよ。辛かったねミリア。きみを助けに来た。もう大丈夫だ」
王太子殿下は流れるようにそう言い切った。その言葉を聞いた私が、救いの手に感激の涙を流して胸に飛び込んでくると信じて疑わない顔だ。彼のこの自信に満ちて堂々とした態度とふるまいに、かつての私は憧れた。自分に外見以外なんの自信も持てていなかったから、強い言葉にすがって盲目的に心酔していた。だけど今は。
視野が狭く、ひとりよがりで、想像力にとぼしく、自分の偏った価値観で他人の気持ちをも計ろうとする。そんな傲慢な王太子の姿が見えてしまって、私はかえって清々しい気持ちになっていた。
「ミリア、可憐なきみに似合うのは美しいドレスと宝飾品、華やかな王宮での生活のはずだ。さあ僕の手を取って。共に帰ろう」
「殿下。ありがとうございます」
今はないドレスのすそをつまんで足を一歩引いて、私は社交界仕込みの最上級に優雅なお辞儀をしてみせた。その姿に王太子は満足げな笑みを浮かべる。
「良かった。さあ一緒にーー」
「いいえ、私はご一緒できません。私はこの村のーー村長になりますので」
◆
私の言葉に、王太子は目を見開いた。差し伸べていた白い手袋に包まれた手が、私の手が重ねられると信じて疑わなかっただろう手が、行き場をなくして中空をさまよった末に気まずそうに下ろされる。
「な、何を言っているんだミリア。気でも触れたのか!?」
「いいえ。触れておりません。自分を取り戻しただけですわ」
うろたえる王太子に私はにっこりと笑って見せた。未練はない。後悔もない。一度きりの短い人生、私はこの村に己のすべてを賭けると決めたのだ。
「殿下」
「……ミリア。おまえ本気で」
「もし私をまだ少しでも愛してくださっているのならーー我がヒエメ村を、今後ともどうぞよろしくお願いいたしますわーー」
◆
失意にうなだれつつも、王太子は「……わかった」と弱々しい笑顔でうなずき馬車に乗り込み去って行った。田舎道を揺れながら小さくなっていく場違いに豪華な馬車を見送って、私は人生の岐路を自分の手でひとつ選びとったことを実感していた。目の前にちらつかされた王太子妃の座をあっさり蹴ったことに対する後悔は、驚くほどなかった。
ーーさようなら。殿下。
(これで良かったのよ。私はひとりでーーいえ違うわね。村のみんなと一緒に幸せになるのだから)
ヒエメイモチップスを最初の武器に、私がヒエメ村を世界に羽ばたかせてみせる。大きく深呼吸をしたとき、王太子の乗る馬車と入れ違うようにもう一台の馬車がこちらに向かって走ってきた。先ほどの王宮仕立ての馬車とはなにもかもが違う、質素なつくりの見慣れた乗合馬車だ。その馬車が家の前で止まり、ふたつの人影が降りてくる。
「うわあ、懐かしいなあ」
「おうい、荷物を手伝ってくれ」
降り立ったのは、背の高いふたりの男性でひとりは年配、ひとりは若者だった。リリーが「父ちゃ! 兄ちゃ!」と声のかぎりにさけんで子犬のようにふたりの元へ駆け寄っていく。続いたネネさんが年配の男性に正面から抱き着いて、その瞳から静かに涙を流すのが見えた。ネネさんの夫でリリーたちの父親だろう、ネネさんの背中を優しくなでている。そして荷物を持って地面に足をつけた若者の方が、おそらくリリーたちの年の離れた兄だ。すらりとした長身の青年は、はじかれたように飛びついてきた弟妹のリリー、ルルー、レレ君、ロロ君を広げた両手で大きく抱きしめて嬉しそうに笑っている。優しげな笑顔。陽光に白い歯がキラリと光った。
……トクン
(へ?)
(なんですの今のトクンは?)
シュベルトさんとナナさんも駆け寄って、帰郷者ふたりの背中をたたいたりかがめた頭をなでたりしている。その家族の輪から少し離れた場所に突っ立っていた私に気づいた青年が、顔を上げて人懐こそうな笑みを向けてきた。
「あなたがミリアさんですね」
「えっ、へっ、ふぁい!」
その飾り気のない笑顔につい見とれていたら急に声をかけられて、とっさに腑抜けた声が出てしまったのはこのミリア・グリゴール一生の不覚だった。恥ずかしさに頬を赤らめる私に、彼は両手両足に弟妹をぶら下げたまま近づいてくる。
「リリーが手紙で教えてくれました。字が書けるようになったから兄ちゃに手紙が出せる、ぜんぶミリア先生のおかげなんだと。お姉ちゃんができたみたいで本当に嬉しいと。人見知りのリリーがあんなに褒めるのだから、きっと素敵な方なんだろうとオレも会えるのを楽しみにしていたんです」
「ふぁ、ふぁっ!?」
一ミリの邪気もないキラキラした笑顔でさらりとそんなことを言われて、ドギマギして顔を見上げるしかできなくなっていると腕にぶらさがったリリーが「兄ちゃ、なんだか言葉がヘンやき!」と言って笑った。
「ああ、ずっと街で働いていたから。うっかりヒエメ訛りが抜けてしまいました」
頭をかいて照れたように笑う、その顔に私はまたしてもうっかり撃ち抜かれてしまう。ちょっと待ってそんな表情もできるんですか!? というか私本来の好みドストライクの超超さわやか青年なんですけど!?
「ミリアちゃんはね、じっちゃの次の村長さんになるんよ!」
背中にはりついたルルーに得意げにそう言われて、青年は「村長?」とさすがに驚いた顔になったけれどすぐに笑顔になってうなずいた。
「素晴らしいことですね。応援します」
ちょっと待って顔だけじゃなくて性格までいいんですけど? いったい何事?
王太子殿下を追い返して過去の恋に完全にケリをつけたと思っていたら、間髪入れずに降ってきた新たな恋の種。私は心の中で三回深呼吸をして腹に気合いをためてから、とっておきのそして心からの笑顔で口を開いた。
「はじめまして、私はミリア・グリゴール。あなたのお名前をーー教えてくださるかしら?」
★完★
ここまでお付き合いくださって本当にありがとうございました。
ポイント、リアクション、ブクマ、感想など反応いただけたらとても嬉しいです!!




