限界アラサー女は、魔法学校の生徒になる
2話は明日投稿します。
「疲れた」
この言葉を発するときは、いつも肺の空気が全て排出される。
強張った全身の筋肉が多少はほぐれ、少しだけ気分が楽になる。
そして、楽になったあと気が滅入る…上がった気分など一瞬で削ぎ落とされる。
なのに毎回、言ってしまう…言わないとやってられない、学習しない女だな…私は。
気分転換に周囲へ意識を向けるが、車輪がレールに当たる音しか聞こえない。
「静かだな…そりゃそうか終電だもん」
最近、独り言が多い気がする。
擬似的にでもいいから、誰かと話している感覚で気を紛らわしているのかもしれない。
重症だな…いつからこうなったんだろう?
そして、電車が揺れるたびに、私の瞼が重くなっていく。
「あぁ、眠い」
子供のときは、電車で寝ている人を見て「何でこんなに揺れているのに寝れるんだろう?」と不思議に思っていた。
だが今ならわかる、この揺れは眠気を誘う、まるで揺りかごのようだ。
無意識に意識が沈み、瞼が閉じる………ハッと目を開き自分の顔を叩く。
危ない…目を閉じていたことに十秒ぐらい気付いていなかった。
「我慢…まだ家じゃないから、我慢しないと………」
ここで寝れば、絶対に自宅の最寄りで降りれない、そうなればもう帰宅するエネルギーは残されていない。
「いつから、こうなったんだろう……」
1日8時間週5勤務+残業…それは、私にとって生活の全てが仕事中心になるのに十分すぎる時間であった。
両親が当たり前のように、このスケジュールをこなすから大したことないものだと思っていた。
実際やってみると全然違った、仕事以外の時間は【睡眠】【食事】【入浴】などの生理的な活動にのみ使い、合間を縫って家賃などの支払いを行うのみ。
娯楽に使う時間があれば布団で横になりたい。
新卒のときは「料理上手になって彼氏作るぞ!」と息巻いて凝った料理を作っていたが、それが段々手間と洗い物が少ないものになり、いつの間にかコンビニに入って最初に目に入った物を手に取るようになっていた。
「彼氏…彼氏かぁ……」
私は身長やスタイルは平均程度だが、自慢じゃないが顔は贔屓目に評価しなくても、かなり整っている。
大学時代に誘われて行った合コンでは、ぶっちゃけ無双した。
そのときを思い出して、優越感で少しニヤけるが、すぐに今の状況と比較して口角が下がる。
自慢だった肩まで伸びる髪は、手入れをする時間がなく少し乾いている。
「30歳なのに、同世代みんな結婚してるのに…今さら彼氏って………」
だが、今の生活に彼氏という要素が付いたら脳のキャパがイカれる…というか、もうイカれてる。
新卒のとき、初給料日はさぞ舞い上がった。
「自分で稼いだお金だ!」と、いくらかおろした給料を握って、回転寿司で手当たり次第に食べまくった。
なのに、今は増えていく貯金残高がただの数字にしか見えない。
大学生のときは、いっばい旅行に行きたいとか思ってたのに…。
『ご乗車ありがとうございます、〇〇駅〜〇〇駅です』
「あっ、着いちゃった」
自分を悲観していると最寄り駅に着いた。
カバンを持って電車を降り、改札を出た。
それから無心で歩いていると、いつの間にか自宅に着いていた。
完全に無意識で歩いていた、改札を出てからの記憶がない。
扉を開けると、コンビニ弁当の容器が大量に入ったゴミ袋が置かれていた。
「はぁ…そうじゃん、明日ゴミの日じゃん…めんどくさ……」
ともかく明日のことは、明日の私に任せて寝る、もうシャワーを浴びる気力はない。
服を着たままソファーに倒れ込む。
もう数日は布団で寝ていない、そして目覚ましは最大音量にしてセットしている。
いつも、この音を聞くたび現実逃避したくなる。
でも、今はそのことを忘れて眠りに就こう、明日の負担を少しでも減らすために。
「贅沢言わないから、目覚ましかけずに寝たい」
だがそんなものは幻想である、休日だとしても同じ時間に起きなければ夜が眠れず負担が増えるだけなのだから。
瞼が重くなる、今日もなんとか生き抜いた。
今日も今日とて、泥のように寝むる。
意識がパチンと気絶するかのように途絶えた。
思考がまとまらない…そうか私は起きたのか…しかし妙だ身体が暖かく、それでいて重くないものに包まれている。
(これは布団…?)
寝ぼけて布団に入ったのか?
ボヤけた思考をなんとか動かし頭を回す。
そして一つ大事なことに気が付く。
(なんで、目覚ましが鳴らない?)
まさか故障か?じゃあ今は何時だ?ゴミ出しの時間は?いや、そんなことより就業時間は過ぎているか?職場に連絡しないといけないと!
先程までの寝ぼけた思考なんてどこえやら、急速に思考が駆け巡り状況を整理する。
そして飛び起き目を開いた私の目に飛び込んできたのは。
壁や棚や机に至るまで、全てが木で出来た室内だった。
「………は?え?……なにここ?どこ?」
どう考えても自分の部屋ではない、しかし病院でもない…夢か?
だが夢にしては夢遊感がない、夢特有の不自然さや感覚の鈍さがない。
身体にかかる布団の質感、目に飛び込んでくる部屋の風景、吸って吐く空気の感覚全てが鋭敏に働いている。
これは夢ではないと確信する。
それに私の体を見ると、見たことのない薄い生地の白い服を着ている。
(こんな服、持ってたっけ?)
そして顔を上げると、机の上に畳まれた私のスーツと、椅子に座るように佇むモヤのようなナニカを見つけた。
そして、そのナニカは私に近寄って来た。
「ひっ…ゃあ…いやッ゛!!こないで゛!!?」
明らかに人間…どころか生物かすらも怪しいナニカに視認されて、私は本能的に布団を頭に被って縮こまった。
情けない声を出し体を震わしていると………何もなかった。
おそるおそる布団を下げてモヤを見ると、酷く狼狽えており霧がかかったようでよく見えないが、手のような物をあげて必死に左右に振っている。
何かを喋っているようなので、耳を澄ますが…まるでノイズがかかったようで全くわからない。
私の様子を見て、机に置いてあった本を手に取り、ゆっくり私を怖がらせないように近付いてくる。
その姿に少なくとも、私を害する意思がないことがわかった。
「え?これ見たらいいの?」
蜃気楼は、私の前に差し出した本を開いた。
そこには、二足歩行のトカゲのような生物が描かれていて、その横にはトカゲのような生物の脳と思われる絵が描かれていた。
その脳にキラキラとした粒子のような物が、血管を伝って入りこんでいた。
その絵の下に、先ほどのトカゲのような生物が、青いゲル状のスライムのような生物と話す、絵が描かれていた。
いったいこれは何かと訝しんでいると。
身体中が熱くなり、何か未知の熱を孕むエネルギーのような物が、大量に血管を通して、脳みそへ送られた。
まるで脳みそに、新しい回路が増えたような感覚を覚えた。
何らかのエネルギーが大量に消費されたようで、体がどっと重くなった。
そして次の瞬間、モヤは話し始めた。
「凄く動揺してたけど…どうしたの?魔法をあんまり使わない種族だったりする?」
私は顔を上げて、モヤを見つめる。
「君は…エルフ族の子供かな?いや、黒髪黒目で耳が丸いエルフなんて聞いたことがない………」
先ほど同様、モヤの声はノイズがかかったようだった…なのに何故か意味がわかる。
非現実的な状況に混乱するが、それよりもモヤが発した、今の単語が気になって仕方がなかった。
「ま、まほう…?えるふ…?なんですか、それ?」
その単語自体は知っている、しかしそれらは全てファンタジーのはずだ。
その言葉を聞いたモヤは、驚いたように聞き返す。
「エルフどころか…魔法を知らない!?君はいったい、なんの種族なの?何処から来たの?」
そもそも、種族というのがわからない、人間です以外に何を言えばいいのかわからない。
ここが少なくとも日本ではないのは確かなので、とりあえず「人間です…日本から来ました」と言ってみた。
するとモヤは、更に驚きます。
「にんげん?にほん?…全然知らない…ここまでコミュニケーションがとれる種族で、エルフどころか魔法すら知らないなんて…あり得るのか?」
独り言を呟きながら考え込むモヤに対して、続けて言います。
「あの…そもそも私は、人間以外で喋ることができる生き物に初めて会いました。
日本どころか、人間は世界中に住んでいるので…珍しい生き物じゃないですよ」
それを聞いて「なんだって!?」と声を荒げたあと、何か気付いたような仕草をして、俯きながらトーンの下がった声で話し始めました。
「そうか…君は、時空間の異常に巻き込まれたんだね………
そのニホンという場所は、この世界からすれば異世界だよ」
それに続けて、私に気を使うように、こう言います。
「ごめんなさい…でも、変な希望持たせてしまう方が余計に辛いだろうから、言わせてもらうよ………。
君は…もうニホンには帰れないと思った方が良い…時空間の異常は別の世界とこの世界が繋がる、非常に発生頻度の低い、自然現象なんだ。
今までも、稀に物体が降ってくることはあったけど、生物が来るのは初めてだ」
「日本に帰れない」本来は絶望的な台詞だろう、酷く狼狽し喚いてもおかしくない…しかし私にとって、それは非常に甘美な響きに聞こえた。
『もう仕事をしなくてもいい』『もう目覚ましをかけなくてもいい』『もう起きてすぐに、今日が来たことを絶望しなくてもいい』
ここがどんな場所なのかも分からないのに、私は少し口角が上がり心臓が高鳴る。
そんな彼女をよそに、モヤこと【マネマネ】は考える。
(彼女が翻訳魔法を習得したときの、疲労を見るに…おそらくスライムほどの少ない魔力しかない。
なにより、わたしを見ただけで、あの怯えよう……争いとは無縁の生活だったのは間違いない………)
マネマネは一つの結論に辿り着く。
(彼女を自然に放り出せば、確実に死んでしまう)
あまりにも酷だと思った、今さっきまで争いなんてしたことがない女の子が、理不尽な自然現象に巻き込まれ、絶望の中で死んでいくなんて。
狼狽して暴れてもおかしくない状況で、敬語を使って見たこともない生物相手にきちんと受け答えしている。
そんな彼女が、右も左も分からず無惨に殺されるなんて、少なくともマネマネにとって到底許容できないことだった。
マネマネは決めました。
「君さえよければなんだけど、ここの……魔法学校の生徒にならない?
あっ、学校の意味はわかる?」
私は『魔法学校』いかにも異世界というテンプレートな単語に、少しだけ微笑んだ。
「分かりますよ、学校は私も通ってましたから、教育施設ですよね?色んな人が授業受けるところ」
「うん!そうだよ、それで…よければ生徒になって、ここで暮らしてみない?」
(住み込み型か…大学に近いな)
ありがたい提案ではある、右も左もわからない異世界で自立なんて、まず不可能だ。
そして、彼?は私に敵意がない断る理由はなかった。
しかし、それと同時に気になることもあった。
「あの…私は30歳で何も試験とか受けてないんですけど…入っちゃって大丈夫なんですか?」
「全然いいよ!魔法学校の入学条件は【集団生活できる社会性があること】ただそれだけで年齢制限もないよ!
君は、どう見ても社会性があるし歓迎するよ!」
てっきり【一定の魔力がないと入れない】とかがあるかと思えば、かなり緩い条件に拍子抜けする。
なにはともあれ、それなら断る理由はない。
「お願いします、生徒にならせてください」
マネマネは喜び、ややトーンの上がった声で「もちろん!」と返しました。
そして「あっ」と何かに気付いたように声を発し、顔を少し上げる。
「自己紹介がまだだったね、わたしはマネマネって言うんだ。
ここで教師やってるよ、よろしくね、歓迎するよ!人間さん」
マネマネは実体化した手を差し出す。
私は、その手を強く握った、手に伝わる温度に私は何故か少しだけ安心した。
「学校に通ったり、握手の文化まであるなんて…ニホンって、よっぽど教育水準が高いところなんだね」
それを聞いて、別に私が作ったわけでもないのに、少しだけ嬉しくて「はい!」と元気よく返答した。
それはそれとして、マネマネ先生には感謝を伝えねばと思った、こんなよくわからない生き物を介抱して助けてくれたのだから。
「あの、助けてくれてありがとうございます!」と感謝を伝えたところ嬉しそうにしながら、こう言った。
「それは、スライム君に言ってあげて?うちの生徒のスライム君が「草原でエルフが倒れてた!」って慌てて、連れて来てくれたの。
ここの生徒が見つけたのは、不幸中の幸いね…野生のモンスターじゃなくてよかった」
『スライム』おそらく、さっきの本に載っていたゲル状の生物なのだろう…日本人には馴染み深いモンスターだ。
それはそれとして介抱してくれたのは事実なので、再度感謝を伝える。
(しっかし、しれっと言ったけど…モンスターなんて物がいるのか…これは本格的に魔法学校にいないとヤバいな)
そのスライム君が助けてくれなかったら…想像するだけで背筋に悪寒が這い上がる。
(スライム君にも…会ったら、お礼を言おう。)
「とにかく、今日はもう遅いし、この部屋使っちゃっていいから休んでいいよ、学校の説明とかは明日するから」
その心遣いに感謝する、何故ならもう情報量に頭がパンク寸前だったからだ。
さっきまで寝ていたのに、また眠くなってきた。
「ありがとうございます、では…また明日、お願いします」
「うん!先生や生徒達には、ちゃんと貴女のこと伝えておくから安心して
それじゃ今日は、お疲れ様!おやすみなさい」
そう言い残し、マネマネ先生は木の扉を開いて部屋を出ていった。
私はマネマネの好意に甘えて、布団にダイブして掛け布団を被る。
柔らかくて、でも重くなくて、体にフィットする、暖かい布団の感触を噛み締める。
「忘れてた!目覚まし…」
そこまで言って気付いた、もうかけなくてもいいんだ。
「いやぁ…いつぶりだろう、嬉しいな」
もう目覚ましに怯えなくていいんだ。
「…ほんとによかった」
もう目覚ましを寝ぼけて止めちゃって、時計を見て、全身の体温が地面に落ちていく感覚を味わわなくていいんだ。
「はぁ…」
もう会社に行かなくていいんだ。
「ぅ…ぐっ」
また学校に通えるんだ。
「……ぁ、ひぐっ…あぁ゛………」
異世界の非現実的な情報で蓋をされていた感情が、小さな喜びによって決壊した。
いつぶりだろうか、悲哀以外の涙で寝具を濡らしたのは。
【魔法学校の創設経緯】
社会性の高いモンスター達が、寄り集まり情報交換をすることから始まり、いつの間にか村を形成し、より高い文明的な生活を求め更に発展していった。
そして、いつしか樹を使って建物を創り、そこが教育を受ける場となった。
種族名:マネマネ(無性)
二つ名:無貌
主人公を介抱してくれた先生。
蜃気楼のように実態を持たず、あらゆる生物に変身できる。
主人公と握手する際は、手だけ主人公に化けていた。
種族名:スライム(無性)
二つ名:愛嬌
液体に魔力が宿ることで生まれる生物。
魔法学校の生徒であるスライムは、酸性池の一部に魔力が宿り生まれた。
マッチ棒ぐらいの炎魔法なら使える。
※次回は異世界飯と世界観について触れます。
【限界アラサー女は、異世界に魅せられる】